ロシア連隊の犠牲からみる「ウクライナ侵攻のコスト」 BBC追跡調査
マーク・アーバン、「ニューズナイト」外交・防衛編集長
画像提供, VDV Rossi
パレードに参加する第331新鋭空挺連隊
ウクライナ侵攻がロシアに与える影響を探る時、西部コストロマは悪くない場所だ。この街の名前を冠した名誉ある連隊は、ロシア政府がウクライナに仕掛けている作戦で、全ての大きな戦闘の最前線にいるからだ。
BBCの報道番組「ニューズナイト」は、昨年2月の侵攻開始直後から第331親衛空挺連隊、通称「コストロマ空挺連隊」を調査してきた。調査によって、この連隊や地元コミュニティーが払ってきた犠牲が明らかになった。BBCは、昨年4月の時点で39人、7月の時点で62人が亡くなっていることを確認している。現在では犠牲者は94人に上っている。
死亡者リストを作成する作業の大半は、ロシア版フェイスブックの「フコンタクテ」と、地元メディアの報道を総合することだ。さらに、このリストを人工衛星やグーグル・ストリートビューの画像と相互参照している。
フコンタクテに投稿されていたある動画には、コストロマ北東部にある軍の墓地が映っている。動画内の墓標に書かれた名前は、BBCが照合した多くの兵士の名前と一致している。
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動画には、第331連隊のの兵士の墓が映っていた
コストロマ空挺連隊の死者数は、実際にはもっと多いと思われる。一部の兵士はコストロマ出身ではないため、情報を追跡するのはさらに難しい。行方不明と報じられている兵士もいるが、一部は死者数に入っているかもしれない。
さらに重傷者や戦争捕虜のことを考えれば、同連隊はこの戦争で数百人の兵士を失っていると推測できる。
モスクワの北東300キロにある人口25万人ほどのコストロマでは、死者について多くの意見が出ている。ある地元のウェブサイトは昨春、9年続いたアフガニスタン戦争でのこの街の犠牲者は56人だったと記していた。ウクライナで多数の犠牲が出ていることが、地元当局による政治的な管理を難しいものにしている。
ロシア政府から任命されたコストロマ州のセルゲイ・シトニコフ知事は、この街の兵士が適切な支援を受けていると、市民に納得させようとしている。シトニコフ氏は病院や兵舎、さらには前線を訪ね、その様子を地元テレビ局に報じさせた。
昨年12月に前線を訪れた知事は視聴者に対し、「この兵士たちがまともな環境にいられるよう、手助けする必要がある」と語り掛けた。シトニコフ氏はクラウドファンディングによる差し入れと、商用ドローンを提供した。
シトニコフ氏はウラジーミル・プーチン大統領配下の役人であり、不都合な真実を語るような反体制的な、あるいは恐れ知らずの人物ではない。しかし前線を積極的に訪ね、間接的ではあるが不備を認めていることが、プーチン氏との興味深い対比になっている。
6カ月前に地元テレビ局が、第331連隊の動員兵を取材した際、シトニコフ知事はある意味率直な言葉を投げかけていた。
「皆さんの健康と成功、全ての作戦の完遂(中略)そして生きて故郷に戻ってくることを願っている」
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コストロマ州のセルゲイ・シトニコフ知事
幅広い動員の一環として空挺部隊員が召集されたことは、ウクライナでの作戦でロシア正規軍がどれほど疲弊しているかを物語っている。第331連隊がまさにその好例だ。昨年11月の軍事パレードには、前線に送られる直前の徴集兵150人が参加した。
第331連隊には1500~1700人ほどの兵士が所属しているとみられている。昨年2月に最初にウクライナに侵攻した際、同連隊は2大隊、合わせて1000~1200人を送り込んだ。首都キーウへの侵攻が失敗し、多大な犠牲が出た後に同連隊は撤退。昨夏は守備隊の駐屯地となっている南部ベルゴロドで立て直しを図った。
その後、同連隊はすべての主要戦場を次々移動している。初夏にはイジュームに、その後は南部ヘルソンに、そして現在は東部ドンバスに戻ってきた。
コストロマのソーシャルメディアに投稿される訃報の日付をモニタリングすれば、この連隊が先陣として使われている時期(さらにたいていの場合は場所)と、前線から退いて傷をいやしている期間を割り出すことが可能だ。たとえば、2月のまとまった死亡報告は、第331連隊がクレミンナでの戦闘に関わったことを示している。
昨年11月にテレビが報じたような、犠牲者分の人員補充が行われるたびに、既存の中核的な兵士は少なくなり、隊全体の規模も縮小する。現在前線にいるのは300~400人以下の可能性がある。
兵士の犠牲、そして重傷者の帰還は、コストロマの地元にも影響している。戦争開始から数週間後、フコンタクテのあるユーザーは「毎日のようにコストロマの青年たちの写真が公開される。背筋が凍るようだ。何が起きている? これはいつ終わる?」との嘆きを投稿した。
地元メディアは、亡くなったコストロマの兵士たちの追悼特集を組んでいる。昨年12月には、ウクライナで殺された第331連隊の空挺部隊員エドゥアルド・レウノフ氏を追悼するプレートの除幕式が、テレビで放送された。追悼の方法や番組の語り口は、ソ連が1941~1945年にナチスと戦った「大祖国戦争」を思わせるもので、現在の兵士たちが同じように重要な目的のために戦っているとほのめかそうとしていた。
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Local TV shows the unveiling of a plaque to Eduard Reunov
しかしソーシャルメディアでは、より現代的な追悼の念や、復讐(ふくしゅう)の念を抱く人々も見受けられた。兵士たちは、レウノフ氏の元同級生や、恐らく家族からのメッセージが書き込まれた砲弾を手にしていた。
ロシア国内のいくつかの駐屯都市では、家を離れた兵士の妻や母親が、その軍服をまとった写真を撮ることがトレンドになっている。ある死亡した第331連隊所属の兵士の母親は、涙ながらに大祖国戦争について語り、「私たちの兵士たちの物語が書かれることを望んでいる」と話した。
画像提供, GTRK Kostroma
夫の軍服を着て写真を撮る女性とその子供
戦争による犠牲に疑問を持つ人たちは、軽くあしらわれる傾向にある。フコンタクテのコストロマのページに、ある人物が「ウクライナは私の母国ではない。青年たちが無意味に死んでいる」と書き込んだ。するとすぐに、「ばかげた意見だ。そういうことをここに書く意味はない」というコメントが寄せられた。
シトニコフ氏のメディア露出からも明らかなように、当局は死傷者について不安を持つ人々をなだめようとしている。この戦争がロシア全土でどれほどの支持を集めているのかは明らかではないが、BBCが確認した動画からは、コストロマの兵士の家族の間には、大きな連帯があることがうかがえる。
第331連隊は、人員だけでなく装備面でも縮小している。特に、空挺戦闘車(BMD)が、度重なる戦闘で枯渇している。
同連隊が首都キーウへ向かう空挺部隊任務の一員だった当初、戦闘の映像からその車両を特定することは難しかった。
この任務に関わるあらゆる部隊が識別のために「V」の印を使っていた。逆三角形の内側に「3」が書かれた印も、第331連隊とは別の連隊が使用していた。
戦闘が進むにつれ、第331部隊の兵士らは、車体側面の「V」に臨時の印を追加した。「V」の横に「!」を描いたのだ。これは、指揮官が自分たちの装甲車を他の連隊のものと区別できるようにするためなのかもしれない。
結果として、BBCは第331連隊のBMDを個別に特定できるようになった。
同連隊のBMDは2022年3月、ウクライナからの撤退に伴って列車に載せられていた。その後、昨夏のドンバスでの戦闘で再確認できる。
オープンソースのアナリストらは、ウクライナ軍のSNSアカウントを総合し、破壊されたBMDの少なくとも25台に同様の印が付いていることを突き止めた。しかし、ウクライナ部隊から見えない場所で失われたコストロマ空挺連隊のBMDも多くあるだろう。犠牲となった兵士と同様、目に見える損害は全体を表さない。
ロシアのテレビ局NTVは今年2月、ルハンスクで作戦に従事する第331連隊の「装甲グループ」について報じた。しかしこの報道は、同連隊が特定の任務の先頭に立つことができる小さな分隊として存続しているという、他の資料から得た印象を再確認するだけものだった。カメラに映ったコールサインから、この部隊はわずか3台のBMDで構成されていることがわかった。
画像提供, WarSpotting
破壊され遺棄された第331連隊のBMD
第331連隊の長い戦争は続いている。戦争がウクライナの人々に与えた広範な影響について、ロシアメディアはほとんど報じることがなく、戦争犯罪の疑惑についても率直な報道はない。
第331連隊は、2014年の戦闘で数百人のウクライナ兵を殺害したと批判されている。多くのウクライナ人にとって、昨今のロシアの敗退は、同連隊の自業自得としか思えないかもしれない。
一方で、コストロマの墓地には、ロシアの侵攻の失敗による犠牲の証拠が数多くある。そこには第331連隊の「最高峰」という評価と、たやすい勝利という夢も埋められている。
追加調査:マリア・ジェフスタジェヴァ、ルイ・ハリス=ホワイト