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柿生の生田中1期生<前編> 越境し通った中学 卒業生に聞く当時の生活

教育

掲載号:2023年3月31日号

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方さん(左)の話を聞く小林さん
方さん(左)の話を聞く小林さん

 76年前、柿生に住んでいた中学3年生は、生田中学校に通った――。読者の情報提供によると、柿生中学校の開校初年度、中学3年生は同校ではなく生田中の生徒だった。当時の様子について卒業生に話を聞いた。

 本紙と、柿生中内「柿生郷土史料館」のタイアップ企画「柿生文化を読む」では現在、開校時からのようすを書く「草創期の柿生中学校」を連載。同館専門委員の小林基男さん(80)が、校内に残る資料や卒業生から集めた情報を基に執筆し、同館の機関誌に掲載したものだ。

 2022年8月12日号の連載記事で、柿生中が開校した1947(昭和22)年、同校には1年生と2年生が入学し、3年生はいなかった旨が記載された。これを読んだ細山在住の方工作さん(90)から今月、「生田中の3年に柿生から通っていた人たちがいた」という情報が編集室に寄せられた。

 戦後、教育基本法が制定され、47年5月に新制中学校が誕生。川崎市内北部には柿生中と生田中、稲田中が開校した。生田中の3年生として入学した方さんは細山から通ったが、同級生には上麻生や早野、黒川の生徒もいた。同校の同窓会会長も務めた方さんは同級生の名簿を確かめながら、「同学年に男23人、女7人の計30人が、柿生方面から通っていた」と振り返る。


学制と校地不足が理由

 小林さんと方さんによると、柿生から30人が生田中に通ったのは、学校制度の変化と校地不足が理由とされる。教育基本法の制定前、国民学校初等科6年のあと、2年制の高等科が設けられていたが、学制が変わり小学校6年、中学校3年が義務教育に。開校年、柿生中には義務就学となった1年生99人と、廃止された高等科の1年を修了した2年生76人が入学。高等科2年を卒業したばかりの3年生にあたる学年の在籍はなかった。

 さらに、柿生中は校舎の建設が間に合わず、当時の柿生小の4教室を間借りする形でスタート。一方で生田中は、かつて陸軍の研究施設だった「登戸研究所」の敷地を校舎に転用して開校した。校地が十分にあったため、中学3年生として通学を希望する柿生の生徒は、生田中に通うことになったという。

 柿生から生田中に通った3年生が存在したことについて、小林さんは「これまで、どこにも記述を見たことがなかった」と語る。「全国的に新制中学では2年生から受け入れたところが多く、3年生を受け入れたのは、この辺りでは生田中だけだったのでは」と推察する。

 中学時代について方さんは、「柿生のほうに遊びに行ったことはなかったが、柿生の人たちはいつも長い距離を通っていて大変だったと思う」と話す。

 生田中ウェブサイト内の学校沿革によると、開校翌年の75(昭和23)年2月に第1回卒業式を開催。98名が巣立ち、短い中学生活を終えた。

◇   ◇

 方さんの取材後、生田中に通った柿生の卒業生に話を聞くことができた。次回は当時の中学校生活について触れる。

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