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中学時代の私は、ギターしか弾いていなかった。黒いレスポールが私の相棒で、家族以外に信頼できるものなんてそれしかなかった。
高校入学後、はじめて仲間ができた。それも同じ道を志したバンドメンバー。最初にドラムの虹夏ちゃんが誘ってくれて、ついて行くとベースのリョウさんがいて、その後すぐにボーカルの喜多ちゃんが入って。
皆が私なんかを高く買ってくれたから、承認欲求も満たされて結構ウキウキな毎日だった。
高校を卒業する頃、バンドが売れ出した。あまりに突然だったから皆かえって呆然としていたけど、私はあの時気が付いた。
この人たちと一緒にいてよかったって。
チヤホヤされるから続けていたバンド活動が、いつの間にか第二の命のような存在になっていた。
……つい3ヶ月前までは確かにそうだったんだけど。
「くはぁ! ……まっずい」
私は今、一人で暮らす都心のマンションで晩酌をしている。このお酒——通称スト缶。これは最悪だ。成人してからすぐの頃は何も考えずに飲めたけど、収入が多くなった最近は割と良いお酒を飲むようにしていたから、久々に飲むこれは余計変な味がする。
そもそも私はお酒なんて一人ではあまり飲まないのだけれど、今日はもう疲れた。本当に疲れた。
「……よくこんなの飲めるよね」
廣井きくりは安酒が好き。
これは彼女の周りにいる人なら誰でも知っていることだが、生憎私はお姉さんの精神を疑う。こんなのまともな飲み物じゃない。あの人は紙パックの日本酒を飲んでいるけれど、個人的にこの缶酎ハイの方が危険な味がする。
「そもそも一人で飲むお酒って美味しくないなあ」
誰もいない空気に向かって語ってみる。返事は当然なくて、フッと笑ってしまった。ああ、もう酔ってるよ。
「あの人たちとの食事よりはマシだけど」
今日の出来事の記憶が段々と蘇る。つい3時間前の記憶が。
さっきまで私は虹夏ちゃん、喜多ちゃん、リョウさんと居酒屋にいた。リハーサル終わりの夕食のために。
それ以外は何も思い出したくない。
一人で飲み始めて30分経過。
「ああーフラッシュバックがあー」
すっごいグルグルする。何これ、絶対悪酔いだよ。
そうだ、今日私は居酒屋でまともに食事もできなかったんだ。空きっ腹にアルコールは危険だって言うからね。
「あの人たち……というかリョウさんのせいだ。もうっ」
体が左右とか前後とかに揺れる。ゆらゆらじゃなくて、グラン、グランと。
もう夜の出来事は大体思い出した。
まずテーブル席で、誰が私の隣に座るのかで揉めていた。そういうのは入店する前に決めてよって思ったけれど、そもそも内容があまりに下らないから私は「喜多ちゃんの隣じゃなければ誰でもいい」って言った。
それを聞いた喜多ちゃんはすごく怖い顔をしていたけれど、隣で食事するのはもっと怖い。
虹夏ちゃんとのジャンケンで勝ったリョウさんが私の隣に座った。私の対面席は虹夏ちゃん。これで並の気分で食事ができると思って安心していた私が馬鹿だった。
リョウさんが突然、今日は私の家に泊まると言い出した。いや、無理ですけど?
それで結局3人は〝いつものように〟言い合いを始めた。でも特に困ったのは、まだ料理の注文すら終えていなかったということ。
直前のリハで疲れきって、その時点で時刻は20時。空腹だった私にはこんな状況を我慢できるわけもなく、私は手のひらでテーブルを叩きつけて無言で帰宅した。
「今日ご飯炊いてないし、作る気力もないのに……お腹空いた……」
でもアルコールが体の上から下まで走り回っている。グラグラグララ。こんなに酔っているのはいつぶり? はじめてお酒を飲んだ時より酷い。私は20歳だけど永遠に未成年がよかったな、こんなもの飲めなくていい。
今日の鬱憤を吹き飛ばそうとして口にしたのに、他の関連した事までじわじわと思い起こされる。やっぱりお酒は楽しい時に飲むに限るな。
「全部リョウさんが悪い。こうなったら」
テレビ前のローテーブルからスマホを手に取る。あっ落とした。酔ってるなやっぱり。
ロインを開く。通知量すごいんだけど。喜多ちゃんからは100件超え。
リョウさんとのトークルームを開く。15分前に来ていたメッセージはこうだった。〝何か買ってこうか?〟
「頭おかしいよ……」
すぐに通話ボタンを押す。何回か押し間違えた。もういいや。
「——もしもし? 東京駅で焼き鳥弁当買ったけど食べるよね?」
「リョウさんほんとうに泊まりに来るんですか!? バカ! 来んな!」
「たった今マンション着いた」
ピンポーン。
「呼び鈴押さないでくださいっ!!」
「声でかっ、電話音割れしてるけど。さては飲んでるね?」
「酔ってますが! 酔ってるので中には入れません!」
「じゃあ弁当なしね。その酔いっぷりだと何も食べてないんだと思うけど」
「……性格悪すぎですよ」
「うん。解錠して」
ため息をついて開けてやった。はあ、私弱いなあ。
焼き鳥弁当食べたいじゃん。これは仕方ない。
もし弁当を持ってきたのも嘘だったら明日の練習は行かない。絶対に。
「こんばんは」
「入ってほしくないですが、いらっしゃい」
「前半のは余計。はいこれ」
「……結構大きい。本当に買ってきてくれたんですね」
「ぼっち、お腹空いてるだろうなって」
「はあ」
リョウさん、普段からずっとそれでいてくださいよ。
私はすぐ電子レンジにそれを入れた。ああ早く食べたい。
ローテーブルに置いていた缶をダイニングに移すと、リョウさんが言う。
「ぼっちフラフラじゃん。そんなまずいお酒飲んで」
「誰のせいだと思ってるんですか? ストレスが限界突破してるんですけど。本当は今すぐ帰ってほしいです」
「おお……ちゃんと酔うとズカズカ言ってくるんだね」
「お弁当買ってきたので今日は許しますけど。代金払いませんからね」
「いいよ。宿泊費として受け取って」
それなら当初の予定より出費が抑えられるので、まあ今回は良いとしよう。
良くないけどね、全体的には。もう考えるのすらしんどい。
酔いが更に回っていく。友人が一人いるだけでこんなに回りが良くなるのか。変なこと言わないといいな、私。
「ぼっちがちゃんと酔ってるの珍しいから私も飲む」
リョウさんがリュックから瓶を取り出した。
「持ってきたよ」
「……私が飲んでるのよりも随分良い果実酒ですね」
「ぼっちもうそれ飲まなくていいよ、私がもらうから——って」
ごくごくごく。缶酎ハイを一気飲み。当然美味しくないが味覚が少し鈍ってきているからなんとか……!
ならない。
「ぷあぁー! げほっゲホ」
「だ、大丈夫?」
やば! すごい。後味はイカれているけど、グラっていうのと浮かび上がる感じの両方が押し寄せてくる。楽しい。
「そんなペースで飲んだら倒れるよ」
「今日のはリョウさんが全面的に悪いから後で介抱してください!」
「それって何をしてもいいよ宣言?」
「変なことしたらバンドやめるんで!」
「それは困る……とりあえず弁当食べなよ。取ってくる」
キッチンの方へ行くリョウさん。私は今全身の感度がすごくセンシティブになっている。幸せだからハッピーなはず。毎日がエブリデイみたい。力がパワーになっていく。思考力が落ちて何も考えられない。フワッフワだけど360°の感覚がなくなっていつもと別世界。
「はい、弁当」
「いただきまふっ!」
口の中へ、胃の中へかき込む。お腹がずっと空いていたんだ。
味も油も思ったより濃い目で最高。どこかで食べたことある気がする。
「美味し……」
「少し前に、差し入れでここの弁当もらったの覚えてる?」
「ああ、だから味に覚えが」
「ぼっち、かなり好きそうだったから」
ちゃんと私のこと見てるんだ。
うん、それだけなら私にとって最高の先輩だよリョウさん。
「ひゃわあいふえをふがっへ——」
「飲み込んでから喋りなよ」
「んぐ。シャワーいつでも使ってください」
「入ってきたよ。家そんな遠くないし、今日はもう大丈夫」
用意周到だ。助かる。
「りょうしゃん、それ飲む」
「呂律」
「うっさいです」
「……ぼっちさ」
リョウさんがみかん酒を一口。そして妙に暖かい眼差しを向けてくる。
「変わったよね。良い意味で」
「言われたくないです」
「良い意味だって。なんかこう、前よりもはっきり意見を言うところとか」
「リョウさんは悪い意味で変わりましたよね。なんなんですか? 虹夏ちゃんも喜多ちゃんもそうですけどっ。重い・怖い・面倒臭いの病み三要素全部揃えちゃって」
「病みって……」
「私知ってますよ。そういうのヤンデレって呼ぶんだって」
止まらない。でも仕方がないよ。皆に対してむしゃくしゃして飲んでいるんだから。
「なんでこんなことになったんですかね。はは、バンドは本当に上手くいって、皆真面目に取り組んでるのに」
本当はこんなこと言いたくない。だって今の目の前の冷静なリョウさんや、おかしな部分を除いた皆のことは本当に好きだから。
「……これって私が悪いんです、きっと。リョウさんも前そう言ってましたもんね」
ダメだこれ以上言うな私。
「ぼっち」
「タラシとでもメンヘラとでも構ってちゃんとでも呼んでください。私高校まで友達なんていたことないから、人を拒絶するのが怖くて——」
「ぼっち!」
はっ——!
リョウさんが珍しく声を張った。
そうだ、根暗みたいなこと言っている私なんか見たくないはずなのに。
「別に私は、ぼっちがどんな人だったとしても好きだよ」
嫌いだって言ってよ。
「……どうかしてます」
「ぼっちのせいでね。正直私もバンド内恋愛なんてする気なかったから。色々良くないし」
「お酒回ってる時に言い寄ればセーフだと思ってるんですか?」
「うん。思ってるよ。なんなら——」
バッタン!
えっ、私上向いてる。あれ、座ってた椅子は?
背中にあるのは壁……違う。床だ。
腰が動かない。待って、リョウさんが跨ってる! 何これ、完全に襲われてるじゃん! 待って待って待って……!
「今なら何しても良いって、私の全神経が言ってるんだ」
変だ。
変だよ。
おかしい。なんでこんな強引なことをするくせに。
「りょ、リョウさ……」
「結局は家に上げてくれるからさ……優しいよね。それだけでスイッチ、入っちゃうよ」
言っていることは危険なはず。
でも、顔は。
リョウさん、なんでそんな寂しそうなの?
はじめて見たよ、そんな顔は。
「それはお弁当があったから……!」
「だとしてもこんな無防備にベロンベロンになってる時に、自分のこと好きな人を家に上げる?」
「……う」
「私さ、ぼっちの存在が大きすぎるんだよ。正直もう他人には相談できない」
「し、知りませ……ちょ!?」
両手で押しどけようとしたのに、リョウさんはその手首ごと床に固定するように押さえ付けてくる。
これもう逃げ場ないよ……!
「知ってて。虹夏も郁代も、輝くぼっちに魅かれたってことだけは共通してる。それは私も同じ。でも……」
ああダメ、押し倒したまま抱きしめないで。
こんなのおかしいから、おかしいから。おかしいはずだ……。
「私が一番、ぼっちのこと考えてるよ」
「……それは」
知っています。
普段のリョウさんは変だけど優しいんだって。
「どうする?」
リョウさん、抱きしめてくれると暖かいな。
ふわふわがもっとふわふわに……なっていく……。
なんか、気持ちいいな————
モッテモテひとりちゃん。今度はタイトル詐欺ではない。ぼリョウ回。続き→novel/19069985