◆講師や信者になる人種とは
おはようございます。
先日書いた記事で「このブログの1日の訪問者はおよそ500人」と書きましたが、ここ数日は書いた記事に対して反響が大きく、連日1000人を超える方々がご訪問くださり、いくつもの記事を貪るように読んでくださっています。
私は少しでも多くの方に、愚かだった私の過ちを、同じ穴に落ちないよう教訓にしていただきたいと思っております。
さて、ブログ読者の方々から「書いてくれてありがとうございます」というお声もいただいておりますが、セミナー講師とその信者の方々にとって私の存在は目障りで、このブログにあれこれ書かれることは不愉快極まりないでしょう。
私の書いた記事がもしも彼女達の目にも届いていたなら、今頃はざわついていらっしゃるはずです。
他人に痛いところを突かれて、彼ら、彼女らの存在が脅かされる時、判で押したように必ずとる行動があります。それは、
「私が悪口を言われるのは、成功したことで嫉妬されているからなんです。人の足を引っ張るのに一生懸命な人は、ひとのことばかりを気にして自分のことに向き合っていないからいつまでも成功できません。
自分のことに集中すれば私たちと同じ世界が見えてくるのに、可哀想な人ですね〜。」
とアピールするのです。
おはようございます。
先日書いた記事で「このブログの1日の訪問者はおよそ500人」と書きましたが、ここ数日は書いた記事に対して反響が大きく、連日1000人を超える方々がご訪問くださり、いくつもの記事を貪るように読んでくださっています。
私は少しでも多くの方に、愚かだった私の過ちを、同じ穴に落ちないよう教訓にしていただきたいと思っております。
さて、ブログ読者の方々から「書いてくれてありがとうございます」というお声もいただいておりますが、セミナー講師とその信者の方々にとって私の存在は目障りで、このブログにあれこれ書かれることは不愉快極まりないでしょう。
私の書いた記事がもしも彼女達の目にも届いていたなら、今頃はざわついていらっしゃるはずです。
他人に痛いところを突かれて、彼ら、彼女らの存在が脅かされる時、判で押したように必ずとる行動があります。それは、
「私が悪口を言われるのは、成功したことで嫉妬されているからなんです。人の足を引っ張るのに一生懸命な人は、ひとのことばかりを気にして自分のことに向き合っていないからいつまでも成功できません。
自分のことに集中すれば私たちと同じ世界が見えてくるのに、可哀想な人ですね〜。」
とアピールするのです。
こういうのを馬鹿の一つ覚えと言うのかと感心させられますが、ハンドメイドであれ子宮系であれ、ジャンルを超えて講師ビジネスをしている人たちが全く同じことを必ず言うということは、それが自分に都合が悪いことを言われた時の対応マニュアルなのかもしれません。
そうやって、カリスマであり講師である彼ら、彼女達は指摘されたことには答えず、矛盾や嘘を突いた人物の人格を攻撃して論点をすり替え、自分自身と信者達を納得させ、安心させようとします。
そして信者達は、心が弱い人ほど「そうだよね!あの人は先生や私たちに嫉妬して嫌がらせをしているのよ!」と先生を信じようと必死になります。
自分の信じる先生に嘘や矛盾、欠点が目立つことは明らかなのに、たとえ心に疑念が湧いていても信者達はもはや引き返すことができません。
引き返すには、すでに失ったものが多すぎるからです。
カリスマ先生とお近づきになるためにかけた多額のお金は、もしだまされていなければパートナーにプレゼントを買ったり、子供達を連れて家族旅行に行ったり、友人たちと美味しい食事が楽しめたはずのお金でした。
インターネット上に自分や家族の個人情報をのせてはいけない、不用意な情報の流出はデジタルタトゥーになってしまうと、今は子供達が通う学校の道徳の授業でも熱心に指導されていますが、自分はすでにありとあらゆる個人情報を流しまくってしまった後で、今更言われても時すでに遅しです。
失ったお金も痛いですが、何より悔やまれるのはFacebook上の会ったこともない「お友達」3000人と、それまで親しくしてくれていたまともなお友達30人とを引き換えてしまったことでしょうか。
先生についていけば成功できる、周囲の人間を見返してやれると信じてきたのに、それが間違っているかもしれないなんて、そんな現実は恐ろしくてとても向き合えません。
元々心(とオツム)が弱いからこそ、誰かに頼り、導いてもらいたい気持ちが強い人たちなのだから。
カリスマ先生のメッキが剥がれてゆくほどに信者達は他者から嘲笑(ちょうしょう)されるようになりますが、彼女達は嘲笑に耐えられません。それを受け入れれば精神が崩壊してしまいます。
だから、心の奥に生じた疑念が募れば募るほど、そして不安がふくらめばふくらむほどに、より一層「あの先生はすごいんです!あなたも私たちの仲間になりませんか?セミナーのお申し込みはこちらから!」と布教活動に熱心になります。
自分と同じ人、同じことを信じてくれる仲間が増えれば増えるほど安心することができるからです。
いくつものセミナーやコンサルに熱心に通ったり、カリスマ先生の信者になるような人達は、なぜ「お金を払いさえすれば教えてもらえる安易な成功法則」に飛びつくのでしょうか?
それは、彼らの人生がパッとしないから。
真っ当な方法では報われず、今の社会のシステムの中では成功できず、高い評価を受けたことがないので、バーチャルな世界で一発逆転の成功を夢見ているのです。
バーチャルな世界ってなんでしょうか?
ここでは、講師達が信者を引き付けるために演出している見せかけの世界のことです。
「私の話を聞けば誰でも成功できますよ」「辛いことはしなくていいんです。自分が楽しんでいれば私のように幸せを引き寄せ、お金に愛されるようになります」と宣伝してカモを引っ掛ける商売をしている人たちは、常にモテモテのふり、パートナーに愛されているフリ、家族との関係が良好なフリ、望みがなんでも叶うフリ、仕事が高い評価を得ているフリ、稼いでいるフリ、セレブ生活のフリを演じ続けなければなりません。
自分自身が広告塔なので「素敵な生活をしていて人生を目一杯楽しんでいる幸せな自分」をアピールするのが仕事です。
けれど、誰であろうと人生には山と谷があるもので、そんな風に調子がいいだけの人生は実際にはありえません。
ありえないのだけど、信者ビジネスではカリスマが落ち目だと知れるや否や蜘蛛の子を散らすように信者が逃げて本当に転落してしまうので、嫌でも演技を続けなければいけないのです。
セミナー講師もその取り巻きである信者達も、根っからのイタイ人たちではあるけれど根が悪い人たちではありません。
それなのに、自分のイタさを隠そうとするあまり、結果的に周囲を欺き、他人を騙すことになってしまうのです。
そうやって、カリスマであり講師である彼ら、彼女達は指摘されたことには答えず、矛盾や嘘を突いた人物の人格を攻撃して論点をすり替え、自分自身と信者達を納得させ、安心させようとします。
そして信者達は、心が弱い人ほど「そうだよね!あの人は先生や私たちに嫉妬して嫌がらせをしているのよ!」と先生を信じようと必死になります。
自分の信じる先生に嘘や矛盾、欠点が目立つことは明らかなのに、たとえ心に疑念が湧いていても信者達はもはや引き返すことができません。
引き返すには、すでに失ったものが多すぎるからです。
カリスマ先生とお近づきになるためにかけた多額のお金は、もしだまされていなければパートナーにプレゼントを買ったり、子供達を連れて家族旅行に行ったり、友人たちと美味しい食事が楽しめたはずのお金でした。
インターネット上に自分や家族の個人情報をのせてはいけない、不用意な情報の流出はデジタルタトゥーになってしまうと、今は子供達が通う学校の道徳の授業でも熱心に指導されていますが、自分はすでにありとあらゆる個人情報を流しまくってしまった後で、今更言われても時すでに遅しです。
失ったお金も痛いですが、何より悔やまれるのはFacebook上の会ったこともない「お友達」3000人と、それまで親しくしてくれていたまともなお友達30人とを引き換えてしまったことでしょうか。
先生についていけば成功できる、周囲の人間を見返してやれると信じてきたのに、それが間違っているかもしれないなんて、そんな現実は恐ろしくてとても向き合えません。
元々心
カリスマ先生のメッキが剥がれてゆくほどに信者達は他者から嘲笑(ちょうしょう)されるようになりますが、彼女達は嘲笑に耐えられません。それを受け入れれば精神が崩壊してしまいます。
だから、心の奥に生じた疑念が募れば募るほど、そして不安がふくらめばふくらむほどに、より一層「あの先生はすごいんです!あなたも私たちの仲間になりませんか?セミナーのお申し込みはこちらから!」と布教活動に熱心になります。
自分と同じ人、同じことを信じてくれる仲間が増えれば増えるほど安心することができるからです。
いくつものセミナーやコンサルに熱心に通ったり、カリスマ先生の信者になるような人達は、なぜ「お金を払いさえすれば教えてもらえる安易な成功法則」に飛びつくのでしょうか?
それは、彼らの人生がパッとしないから。
真っ当な方法では報われず、今の社会のシステムの中では成功できず、高い評価を受けたことがないので、バーチャルな世界で一発逆転の成功を夢見ているのです。
バーチャルな世界ってなんでしょうか?
ここでは、講師達が信者を引き付けるために演出している見せかけの世界のことです。
「私の話を聞けば誰でも成功できますよ」「辛いことはしなくていいんです。自分が楽しんでいれば私のように幸せを引き寄せ、お金に愛されるようになります」と宣伝してカモを引っ掛ける商売をしている人たちは、常にモテモテのふり、パートナーに愛されているフリ、家族との関係が良好なフリ、望みがなんでも叶うフリ、仕事が高い評価を得ているフリ、稼いでいるフリ、セレブ生活のフリを演じ続けなければなりません。
自分自身が広告塔なので「素敵な生活をしていて人生を目一杯楽しんでいる幸せな自分」をアピールするのが仕事です。
けれど、誰であろうと人生には山と谷があるもので、そんな風に調子がいいだけの人生は実際にはありえません。
ありえないのだけど、信者ビジネスではカリスマが落ち目だと知れるや否や蜘蛛の子を散らすように信者が逃げて本当に転落してしまうので、嫌でも演技を続けなければいけないのです。
セミナー講師もその取り巻きである信者達も、根っからのイタイ人たちではあるけれど根が悪い人たちではありません。
それなのに、自分のイタさを隠そうとするあまり、結果的に周囲を欺き、他人を騙すことになってしまうのです。