◆ご報告


今月はブログをろくに更新せず、すっかりご無沙汰をしてしまいました。
前回の更新から間が空いてしまったのは、依頼原稿に注力していたからです。

このたび友人を仲介してある女性向けWebメディアから依頼を受け、コラムを執筆する運びとなりました。今はまだ提出した原稿の掲載の可否がどう判断されるのか、結果を待っているところです。


「普段通りのゆきさんの筆致でお願いします」


とは言われたものの、普段通りの私はご覧の通りですから、編集会議で「これは載せられない」という判断が出る場合もあるでしょう。その時は仕方ないですね。

無事に掲載が決まればこちらで掲載先のメディアをご案内いたしますし、もしも掲載不可であった場合はこのブログで記事を公開します。


記事の採用、不採用にかかわらず、「是非ゆきさんに書いてもらいたい」というオファーは嬉しかったです。信頼している友人を通してのことでしたから、先方の依頼は二つ返事で引き受けました。

その友人とはツイッターを介して知り合いました。なんだかんだで話が合いウマが合うのでしょっちゅうDMをやりとりしあってはお喋りするようになって早何年だろう。。。
思い出せませんが、そのくらい長期にわたり日常的にやりとりをしあって信頼関係を築いてきたということです。

でなければ話はまとまらなかったでしょう。
私は原則として、今まで交流が一切ないのに、条件も提示せずいきなり私のブログのメッセージフォームに自分の都合と要求だけを書いて送りつけてくる、失礼な業者のメッセージには返信をしていません。


このブログで何度も書いてきましたが、私は一時期自営業として活動し、キラキラ起業にも片足を突っ込んでいました。
そのような活動を通して、セミナーで知り合ったり、セミナーのFacebookグループで知り合った人から持ちかけられた話に乗り、結果的に搾取されたり、時間を無駄にしてバカを見たりしてきたので、「二度と上手い話に乗せられて利用されるものか」「うかつに他人を信用するものか」という警戒心があるのです。

例え知り合うきっかけがネットであっても、相手が情に厚い人で見ず知らずの私にとても親切にしてくださり、すっかりお世話になって感謝したこともあれば、口先に騙され見掛けで信用してしまい、うっかり世話を焼いたばかりに迷惑をこうむったことも度々でした。

「ネットで知り合う人を安易に信用してはいけない」とは今時子供でも言われることですが、やっかいだったのは、あの頃の私に面倒を持ちかけてきたのは、ネットで知り合った人だけではなく、リアルで付き合いのある友人知人だったり、子供の頃からの知り合いだったりというケースもあったのだからややこしい。


具体的な話を少しだけ暴露すると、バイト代を払うという約束で関西の大学の准教授のゴーストライターを引き受けました。
けれども、参加した高額セミナーで知り合ったその准教授は実は多重債務者で、「金がない」という理由でバイト代が支払われることはありませんでした。
私の書いた記事はその先生の記名で大学の入学案内パンフレットにも載ったはずですが、ただ働き。

その時は私も泣き寝入りでしたね。
当時の私はまだブログなど書いておらず、Facebookに投稿する文章が上手いとか辛辣なユーモアのセンスが面白いと褒められることはたまにありましたが、自分の書く文章に価値があるとは考えておらず、自信を持っていなかったからです。

また、どんな現場に出ても女であること、経験が浅いこと、実績がないことで侮られて、かなりあからさまに軽んじられることもしばしばで、そんな扱いを繰り返し受けることで自己評価が低くなってもいました。


一応美大を出ていて多少の絵心があるので、文章ではなく絵を描いて売ろうとしていたこともありましたが、絵にはなかなか値段が付かず、買い手が現れても労多くして実り少ない状態でした。
絵の方は描かせてくれと営業をかけても売れないのに、文章の方は「ぜひ頼みたい」と言われていたので、私が道を開くには文章にこそ可能性があったのでしょうが、当時はまだ気が付いていなかったのです。

そんな風に、離婚して自営業一年目〜二年目は、右も左も分からないまま騙されてただ働きさせられたり、田舎で「友達だから」「知り合いだから」と言われる頼みごとを断りきれず、お金にならない働き方をしながら経験を積んで学び、その結果煮ても焼いても食えない女になりました。( ̄∇ ̄)



何はともあれ、私がこうしてブログを書き続けてこられたのは、夫のおかげです。
彼は交際当初から私の知性を認め、文才を高く評価し、自信を与えてくれました。

こんなブログですから、熱心に支持してくれるファンもたくさん付く一方で、私を嫌ったり私とは距離を取るようになった人たちも少なからず居ました。
それでも心折れなかったのは、「好きなことを思ったように書くといい。俺は何を言われても気にしない」と夫が背中を支えてくれたからです。

また、私には表現力はあっても知識が足りないことがありますが、足りないところは博識の夫が入れ知恵をしてくれています。

こんなブログを書いていて、今までにトラブルが一切なかったとは言いません。
私が記事にした人が雇った代理人(弁護士)から「名誉毀損と営業妨害で訴える。損害賠償請求するぞ」と脅しが来た時も、夫が「バカな弁護士だ。この件で名誉毀損と営業妨害を主張することはできない。なぜなら〜」と落ち着いて説明してくれたことで安心し、おかげで弁護士相手に臆せず堂々反論して撃退することができました。

今の夫と一緒になっていなければ、このブログはそもそも滑り出していないか、とっくに閉鎖していたでしょう。
夫の前に付き合っていた男性は、私の外側と私に投影したイメージを愛し、私の毒を含んだユーモアのセンスを快く思っておらず、私の書いた文章が認められることも喜ばなかったのですから。


「私は、私よりも読書量が多くて、文章力の高い男が好き」


などと言い放つと、友人たちには「ハードル高っ!」と言われてしまうのですが、そんなことはありません。
私の求める文章力の高さとは国語力の高さのことであり、何も「名文美文を書ける人でないと嫌」とは言っておりません。
コミュニケーションの基本が会って話すことだったり電話だったりした昔は気にしていませんでしたが、メールやSNSのメッセージがメインの時代になると、相手が間違った日本語を使っていたり稚拙な文章しか書けないと気になるようになったのです。

「誤字が多い」「要領を得ない書き方」「言葉の意味を正しく分かっていない」「慣用句の使い方が間違っている」「語彙が貧困」「バカの一つ覚えのように同じ表現を繰り返し使う」などが気になり始めると、対面ではどんなに魅力的な印象の相手でも「こいつバカなんじゃないか」と感じ始めてしまい、そうなると相手を見下してしまいます。
軽蔑を感じる相手といい関係は築けませんよね。


余談ですが、私の息子もなかなかいい文章を書きます。
彼が高校生の時にちょっとした校則違反を犯し、学校に親が署名した反省文の提出を求められたことがあったのですが、それが傑作でした。

「これにサインしておいて」

と息子に渡された反省文に目を通すと、それは一見謝罪と反省の弁を述べているようでいて実は全く悪びれておらず、校則遵守を誓いながらも反抗的で、古典文学を引用して煙に巻き、まったく人を食った文章で、あまりによく書けていたので思わず小言も引っ込み、感心してしまいました。

良い出来だったので、写真に撮って保存してあります。


「しかし、こんな反省してない反省文じゃ先生はニヤリと笑うか、めちゃくちゃ怒って書き直しをさせられるかのどっちかだな」

と考えていたら、どうやらニヤリと笑って済ませてくれたようでした。


話は戻りますが、コラムの寄稿なんて初めてのことなので、「自由に書いて」と言われても本当に自由にしていいわけではないことくらい、大人ですから分かります。
ブログとは勝手が違うので「うぅ〜ん」と10日間ほど唸っていましたが、いざ筆が滑りだすとその日のうちにするりと終えることができました。

夫に「3000字のボリュームのコラムが1日で書けるなんてすごいよ」と褒めてもらえたので、すっかりいい気分です。


では、依頼してきたメディアでの掲載になるか、ボツになってこのブログで公開するかはまだ分かりませんが、皆様にお届けするまで今しばらくお待ちください。