小さな頃から不思議と、親密な仲になる人たちに、ご家族を自死や事件で亡くされた人が多かった。中学校でいちばん仲のよかった友達や長く付き合った交際相手は、きょうだいや親を突然失ったときの戸惑いや悲しさを、ときどき私にこぼしてくれた。
突然の大きな喪失をまだ経験したことのない自分には、その話に耳を傾けることはできても、波のようにやってくるという悲しみがどんなものであるかは、想像することしかできない。相手と完全に同じ気持ちになれることはないと頭ではわかっていても、ずっとぼんやりとした無力感があった。
前職の同僚であり、soarの編集部メンバーである木村和博くんから久しぶりに連絡がきたのが、ちょうどそんなことを考え、悩んでいたときだった。
1年前におじいちゃんを自死でなくしました。妻や友人など、自分のまとまらない気持ちに耳を傾けてくれる人が周囲にいる僕でさえ、いまでもおじいちゃんのことを語り足りない、語りづらいという気持ちがあります。
僕でさえそうなんだから、母やおばあちゃんはもっと語りづらいんじゃないか、ひとりで抱えてしまうんじゃないかって思うんです。
木村くんはお祖父さまを失った経験について伝えてくれたあと、他者に打ち明けづらい「グリーフ(悲嘆)」に向き合うことの難しさを今まさに感じていると言った。彼は「グリーフケア(悲嘆のケア)」について調べ、知っていく過程で、入江杏さんの著書『悲しみを生きる力に~被害者遺族からあなたへ』に出会ったという。
入江さんは、2000年に起きた一家4人が自宅で何者かに殺害された「世田谷一家殺害事件」で妹さんご家族を失った経験を持ち、上智大学グリーフケア研究所で講師を務めるなど、長年グリーフケアについて考え続けている方だ。事件が起きた12月には毎年、主宰する「ミシュカの森」と同名の、「悲しみ」について思いを馳せる集いも開いている。
入江さんが自らの喪失体験を外に向かって語りはじめたのは、事件から6年の月日が経ったあと。
「喪失体験をした人がそのグリーフとどう付き合っていけばいいのか、入江さんに聞きたいんです」と木村くん。グリーフを語ることとそれを聞くことの意味について、私も入江さんの言葉を聞きたかった。
そんな思いをたずさえて、私たちは8月の真夏日、入江さんに会いにいった。
「私のもの」ではない喪失体験を語られてしまうことのつらさ
「プラチナ庵」と銘打った事務所を訪ねた私たちを迎えてくださったのは、入江さんと、上智大学グリーフケア研究所認定臨床傾聴士の神谷祐紀子さん。
上智大学グリーフケア研究所は、グリーフケアに関する研究とその領域に携わる人の養成を行い、日本において、グリーフを抱える人がケアされる健全な社会の構築に貢献することを目的として設立された機関だ。
研究所にある人材育成講座の修了生である神谷さんは現在、入江さんとともに「ミシュカの森」での活動や、グリーフケアをテーマとした講演・講座などもおこなっている。
暑い日だったけれど、室内はひんやりと涼しかった。時節柄もあって、換気しましょうかと入江さんが部屋の窓を開ける。
「暑かったでしょ。大丈夫? 迷いませんでした?」と明るい声で話しかけてくれる入江さんと、言葉数は少ないけれどにこやかに椅子を勧めてくれる神谷さんのやさしさに、どことなく場に漂っていた緊張がほぐれていくのを感じた。
他者に打ち明けづらいグリーフと向き合うこと、そして、グリーフを他者に語ることについてお話が聞きたい。取材にあたっての思いを伝えた私たちに、入江さんは穏やかな口調でこう答えた。
入江杏さん(以下、入江):私は、誰しもが自分の喪失体験を語るべきだとは思っていないということを、まずお伝えしておきますね。
無意識のうちに、グリーフを「語ること」と結びつけて考えていた私たちは、思わずハッとさせられた。
入江さん自身、妹さんご家族のことについて語りはじめたのは、「どうしても語りたい」という内発的な動機があったから、ではないという。事件の直後から、語りたくないことも含めて、さまざまなことを「語らなければいけない」という状況が最初にあった。
入江:妹一家の事件はすごく大きな事件になってしまったので、まず警察の捜査に協力しなければいけなかったんです。
警察はグリーフケアを意識して遺族の話を聞いているわけではないので、正直に言ってひどく配慮のない聞き方なんですが、聞かれたことには答えないといけなかった。
ただ、自分自身の内面的な話は、事件から6年間はしませんでした。でもそのあいだにも、警察に伝えたことが元になってメディアの記事が出たりして、そういった記事を読んでいるうちに、自分が“犯罪被害者”という決まったフレームで捉えられているな、と感じるようになったんです。
入江さんはしだいに、自分自身のものであるはずの喪失体験を自分以外の他者に語られることに対して、違和感を覚えるようになっていったという。
彼女が現在名乗っている「入江杏」という名前は、自身の経験を語ったり、グリーフケアの活動をする上でのペンネームだが、当時はまだそうした活動もしていなかった彼女のことを、メディアはあくまで“世田谷事件の遺族の姉”として扱い、彼女の意志とは離れたところでさまざまな物語をつくっていた。
入江:妹家族の七回忌を過ぎたあたりから、ほかでもない私自身の喪失体験を他人に語られるのってつらい、と思うようになりました。
現在、ここまで自由に語ることができるようになったのは、皆さんもご存じの臨床心理学者の東畑開人さんはじめ、様々な方とシンポジウムや勉強会などでお話しするようになったこともありますが、何より年老いた母の目が見えなくなってきたという、家族の状況の変化も影響していたと思います。
入江さんのお母様は、自分たち家族が事件に関わったことを恥と捉え、入江さんが外に向けて自身の体験を伝えようとすることを嫌がっていた。お母様の目が不自由になり、新聞やニュースなどのメディアをあまり細かくチェックできなくなったことを機に、入江さんはすこしずつ様子を見ながら、外に向かって語ることをはじめたという。
入江:なぜそうまでして語るようになったかというと、自ら発信していかなければ、私にとっての内的な真実がずっと世間に誤解されたままになると思ったからです。
私は大きな事件の遺族なので「その分、語る機会も多くていいですよね」と言われることもあります。でもメディアを通すと、やっぱり自分で語る以上のことは語られないんですよ。
多かれ少なかれどんなメディアにも、編集方針やあらかじめ想定している枠組みのようなものがあって、語ることはそのメディアの視点に左右されます。
だから、自分の言葉で語ることができる本の出版の話をいただいたりしたのはありがたかったですし、いまはできるだけいろんなメディアで多面的な角度からお話しするようにしています。
「悲しみの水脈」に響くように話す
様々なメディアで発信しているという入江さんは、語る場に応じて発信の内容も変えているのだろうか、とふと気になった。たとえば、事件の被害者遺族や自死遺族の方の前で話すときとそうでないときでは、話し方は異なるのだろうか。
そう聞くと入江さんは、「どんな場でどんな相手に伝えるかによって語り方が変わることはもちろんあります。だけど、同じ悲しみを経験した人だけが悲しみを分かち合える、とは限らないと思っています」と答えた。
入江:犯罪の被害者の方や遺族の方を前にしてお話をするときも、一般の方の前でお話をするときも、犯罪や自死といった特殊性にフォーカスした語り口にする、ということにこだらないように努めています。
被害者遺族の方や自死遺族の方にはこういういうふうに伝える、と限定すると、かえって悲しみが心の中に錨を下ろしてしまう可能性があると思うからです。
「ミシュカの森」にも、毎年、犯罪の被害者の方や遺族の方に限らず、いろんな方が参加されます。本当は「当事者のネットワーク」っていうほうが報道しやすいし、わかりやすいと思うんですよ。でも、当事者だけじゃなく、いろんな人がいても悲しみって共有できるはずだと思うんです。
私は“悲しみの水脈”という呼び方をしているんですけど、誰の心の中にも悲しみってありますよね。目の前にいるその人の水脈に響くように、毎回話をしているつもりです。
誰の心の中にもある悲しみに響くように語りかけたい、という入江さん。それを聞いたときに、「当事者ではない自分が、誰かの悲しみに寄り添おうと思うこと自体が傲慢ではないか」という、これまで自分を縛っていた思い込みが弱まり、体がすこし軽くなるのを感じた。
同じような体験をしたかどうかではなく、それぞれの心の中にある”悲しみの水脈”を通してつながること。そのようなあり方を大切にしたとき、私はどのような「聞き手」であれるだろうか。自分が感じている悲しみについて語ろうとしている人の話を聞くとき、周囲の人はどんな姿勢でいればいいのかについても尋ねてみた。
入江さんはそのヒントを、「ミシュカの森」にゲストとして迎えた小説家の平野啓一郎さんとの対話から得た。平野さんは、「自分は死んだら、自分のことは忘れられても構わない」と入江さんに語ったという。
その言葉を聞いて、遺族が必ずしも悲しみを抱え続ける必要はないと気づき、入江さんはホッとした。しかし、いざ囲み会見となり、取材にきた記者にマイクを向けられると、「事件のことを忘れないでいたいです」と話してしまったのだそうだ。
入江:「あれ、なんで反対のことを言っちゃったんだろう?」ってそのときは不思議に思ってたんです。
でも、昨年、平野さんをもう一度お迎えしたときに、「忘れてもいい」と「忘れたくない」、どちらの気持ちも嘘ではないと思うって言ってくださったんです。
両義的な言葉をそのまま受け止めて聴くことが大切、ということですね。「聞き手は、そうやって行ったり来たりする話し手の気持ちをそのまま聞くのが大切なんじゃないか」と。
警察でもメディアでも同じだと思うんですが、聞き手が語り手に“犯罪の被害者”というフレームを当てはめて見てしまうと、答えが固定されるような質問しか出てこなくなるんですね。
本当は語り手に、「忘れてもいい」「忘れたくない」のどちらか一方ではなく、そこからはみ出てしまうことを伝えたいという気持ちがあったとしても。だから聞き手は、そのはみ出てしまうものにも耳を傾けたい、という姿勢でいるのがいいのかもしれないですね。
聞き手である周囲の人は、「家族が事件で亡くなってしまった」「自死してしまった」といった強烈な喪失体験をした人に対して、どんな言葉をかけていいのかわからなくなってしまうこともある。そんなとき、決して「ちゃんとした話」をしようとしなくてもいい、と入江さんは言う。
入江:自死遺族の方が前に、「杏さんといるとなんだか気が楽になる」って言ってくれたことがあるんです。その方に特別なにか声をかけたわけじゃないのに、です。振り返ってみると、亡くなった妹や、事件から10年経って病気で逝った夫も、私に「あなたといると気が楽だし、楽しい」って伝えてくれたことがあったんですよ。
私は、別にすごくいい話とかちゃんとした話ってしなくてもいいと思います。「なんかこの人といると楽になれるな」というほうが、それよりもずっと大事なはずです。
グリーフケアは特別な処方箋ではなく、「日常」だ
入江さんは、誰の心にも「悲しみの水脈」は存在するし、悲しみは決して特別なものではないということを、社会にもっと広く伝えていきたいと語る。
入江:喪失体験の当事者だけでなく、あの人の話なら面白そうだから聞いてみようかな、という人たちも含めて、いろんな人がグリーフについて語ることで、悲しみの水脈の存在に気づくきっかけが増えていけばうれしいです。
誰しもが自分の悲しみについて語る必要はない、と最初に言いましたけど、なぜかというと、語ることで疎外される、嫌な思いをする、というケースが残念ながらあるからです。
たとえば、就職試験で「あなたのつらい体験について話してください」と言われて自分の喪失体験について正直に話しても、「家族が自死して……」という話自体がNGと捉えられて落ちる、なんてこともあるでしょう。
平野さんの言葉を借りれば、ものごとには“当事者”と“準当事者”がいると。関係者とその他、という極端な分け方ではなく、なんとなく気にかけている、という淡い関わりの“準当事者”もいる。
そういう人に向けた企画をもっと考えていきたいって最近は思っています。そうじゃないと、社会自体のありかたが変わっていかないと思うんですよ。
11月に『悲しみとともにどう生きるか』という本を出版します。この新刊では、正義の犯罪被害者報道の文脈からも、消費される娯楽としての悲劇の文脈からもこぼれおちた「間=あわい」を伝えたかった。
いわゆる犯罪被害者や被害者遺族のフレームからは外れた本かもしれませんが、悲しみを抱えた方への励ましの一冊となっているはずです。
その話に、編集部の木村くんがうなずく。彼も最初、祖父の自死について周囲に語ることが迷惑に思われるのではないか、という怖さを感じていたという。入江さんは彼に、どうやって周囲に祖父についての話をできるようになってきたのかと尋ねた。
木村:僕の場合は、すごく仲のいい友人に、思いきって「話がある」って最初に伝えたんです。祖父が自ら命を絶ってしまったことや、僕が翌年に妻と結婚式をする予定で、式でおじいちゃんが尺八を吹くって言ってくれていたこと、その約束をしていたのに自死という決断をさせてしまったことが苦しい、と話しました。
そうしたら、友人が「なんて言ったらいいかわからないけど、その話を自分にしてくれたことがうれしかった」って言ってくれたんです。
そのときに「あ、話してもいいんだ」と思ってちょっと肩の荷が下りた、ということがありました。最初に話した人がもし違う人だったら語れないままでいたかもしれないって思います。
入江:なるほど、そうですよね。話してくれたことがうれしかった、っていうお友達の姿勢はすばらしいですね。
実は私も似たような経験があります。まだ私が自分の喪失経験をあまり語れていなかった頃に、作家の柳田邦男さんとお会いしたんです。柳田さんも息子さんの自死を経験されているのですが、初対面の私に涙をぼろぼろ流しながらご自分の話をしてくださったんですね。
びっくりしたんですが、柳田さんのそういう姿を見たことで、当時「私も話してもいいんだな」って自分も楽になったのを覚えています。
木村くんはその友人のほかにも、つらい気持ちでいたときに一緒にただ散歩をしてくれたパートナーや、話を聞いてくれた仕事仲間に救われたという。
入江:奥さまが一緒に散歩してくれたっていうのもいいですね。私の夫もそういう人でした。グリーフケアを特別に勉強したという人ではないんだけど、夫と犬と一緒に散歩する時間が確実に自分をほぐしてくれたって思っています。
自分が学んでみて思ったのは、グリーフケアって“日常”なんですよ。治療法や処方箋みたいに思われてしまうかもしれないけど、決してそうではない。
悲しみはそんなに特殊なことではなくて、光あるところには必ず影が伴うのです。影があるからこそ光を感じることができる、とも言えます。悲しみは日常に溢れている、どこにでも本当はあるんです。
「立派な遺族」にならなくていい
自分が気になっていたことも、入江さんに尋ねてみた。入江さんが語りはじめたきっかけでもある、「被害者遺族」というフレームの押しつけについてだ。聞き手は往々にして、喪失体験を持っている人に、そうやってひとつの役割を背負わせようとしてしまう。
語り手の中には、それに応えているうちに、固定化された役割から離れられなくなってしまう人がいるのを感じる。
入江さんがかつて思ったように、悲しみは「忘れてもいい」ものなのだとしても、悲しみを忘れないでいることや遺族であることを背負いすぎてしまい、思いつめてしまう人は少なくない。どうすれば、その役割が負荷にならずに済むのだろうか。
入江:私自身は、いまは適切なサポートも受けているし家族のしがらみも少なくなったのですこし楽になったけれど、特に若い人などは社会に抑圧されているケースも多いでしょうし、役割を背負ってしまう、ということはたしかにあるでしょうね。
どうして自分が……とあんまり思い詰めるとつらくなっていっちゃうから、変な言い方だけど、私はできるだけ“いいことを言う人”“立派な人”として話さないようにしてます。そうしないと、「あそこのお店新しくオープンだって!」みたいな些細な話がしたくても、できなくなっちゃうから。
たしかに、入江さんの口調はとても朗らかで、世間がイメージする「被害者遺族」らしさとはすこし離れているかもしれない。グリーフを抱えている人に対し、「支援する/される」「ケアする/される」という一方的な関係を押しつけることにも、入江さんは違和感を覚えるという。
入江:「ケアされる」側がなにを言ってるんだ、って思う方もいるかもしれないけど、そういう一方的な傾きではなくて、ゆるやかにお互いが支えたり支えられたりする、“協働”のようなコミュニティのありかたも、いまは求められてるんじゃないかなって思うんです。
たとえば、「この遺族団体に入っているからこの目標に向けて進みます」とひとつだけにコミットするような形じゃなくても、いろいろなコミュニティとゆるく多様につながっていられる、というあり方です。
私は、自分が誰かにとって1本の太い糸にはならなくても、100本の細い糸の中の一筋になれればいいって思っています。そういうケアやつながりのあり方が日常になれば、少しは生きやすい社会になるんじゃないかと感じます。
木村:そういう意味では、僕はいろんな糸とつながることができているように思います。
でも、母や祖母は、僕よりもグリーフについて語れるつながりがずっと少ないんです。実家にいる母や祖母がつらさを感じたときに、いったい誰に打ち明けることができるんだろうかというのがずっと気になっていて…。
入江:お二人に「私が友達になる」って伝えておいて!いつでも遊びにきてください。一緒にお話ししましょう。
木村くんが悩みをこぼすと、入江さんは即座にそう返した。被害者遺族としてではなく、また、何か“役割”を背負った立場でもなく、木村くんのお母さんと近い世代のいち個人として、まさに「友達」のようにつながり、かかわろうとしてくれている。そんな入江さんの思いが伝わってきた。
気持ちはひとつのところに留まらず、日々変わってゆく
最後にもうひとつ個人的な悩み相談をしてもいいですか、と木村くんが切り出した。祖父を亡くしてからすこし時間が経ち、誰かを頼ることへの罪悪感も薄れてきたものの、自分の結婚式という記念の日が近づいてくるにつれて涙が出てくるようになったのだという。「尺八を吹く」という祖父との約束を思い出してしまうのだそうだ。
式はいつなのかと入江さんが聞くと、「あしたなんです」。「えええっ」「おめでとう!」と場が沸いた。
木村:ありがとうございます(笑)。祖父の死からすこし時間が経って、周りからは「回復したのかな」「大丈夫になったのかも」って見えているかもしれません。
でも実際には、どれだけ時間が経ってもまたつらくなってしまうことがある。妻とはもう一緒に暮らしているんですけど、それを正直に伝えていいのかな、言えないって思ってしまうときがあります。
自分にとって大切な相手だからこそ、きちんと言語化をしなくてはいけないという思いが強いのかもしれない、との考えを示したのは神谷さんだ。
神谷:結婚されたばかりというのもあって、思ったことを相手になんでもきちんと伝えたい、伝えなきゃいけないって気持ちがあるのかもしれないですね。
でも、木村さんが「これはちょっとまだ言えないな」「でも伝えたいな」という気持ちの間で、迷って揺らいでいるということは、その日その日の気持ちを受け止める自分がきちんといる、ということ。それって無意識にしているセルフケアでもあるのかもしれないですよね。
だから無理に伝えようとするんじゃなくて、「そうか、いまは自分がこれ以上話そうとするとしんどくなるんだな」って、体の反応のひとつとして捉えるといいんじゃないかって思います。
それでもなにか伝えたかったら、「もしかしたら明日には話したいと思えるかもしれないけど、まだちょっと話せない」でもいいのかもしれない。
入江:そうですね。気持ちって日々変化していくもので、行きつ戻りつするわけですよね。ひとつのところにずっと留まっているっていうことはないわけだから。
「それで、明日はどんな式になるの」と入江さんに聞かれ、祖父の尺八を鳴らすつもりだと木村くん。結婚式は一般的には最大のお祝いの場とされているけれど、実際には結婚という大きな変化で喪失する関係も発生する。だから、それぞれの喪失を味わう場でもあると意味づけしているという。
入江:素敵ね。結婚って聞くとみんな100%ポジティブなもののように感じるかもしれないけれど、たしかに、得ると同時に失うものや手放すものもありますもんね。同じように、傍から見たら明らかに不幸って思えるような状況の人にも、幸せはあるんですよね。
たとえば、メディアの報道を通して私のことを見る人は犯罪被害者って思うかもしれないけど、ご近所さんに会うときは私はただのおばちゃんなの、当たり前ですけど。でもその中で、飲み会でビールを飲みながら「実はね」って自分の境遇を話すこともたまにある。
そうやって、人との関わりの中で自分のフレームをつけたり外したりするのが自然じゃないかって思うんです。それが日常だから。
喪失はそれぞれのものなのだとしても
母や祖母は喪失のつらさを誰に語ればいいのか。木村くんの言葉に「お友達になるって伝えて」と即座に返す入江さんを見ながら、こう言ってくれる人が近くにいたらどれだけ心強いだろう、と感じた。
同時に、「グリーフケアは特殊なことをする治療法でも処方箋でもない」という言葉が心に響いた。喪失の悲しみはどこにでもあって、形や大きさは違えど、誰しもそれをすこしずつ抱えている。
自分の悲しみがひとりで持ちきれないと感じたとき、あるいは他者の悲しみのはかりしれなさを感じたとき、ただ話しかけることのできる存在がそこに「いる」ことに人は助けられるのかもしれない。
実際には言葉を交わさないとしても、話したくなったときに自分の悲しみを打ち明けられる余白のある関係を築きたい。いつかその余白を社会全体が持てるように、「悲しみの水脈」を広げていけたら、と思う。
関連情報:
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『悲しみを生きる力に――被害者遺族からあなたへ』(岩波ジュニア新書)
『悲しみとともにどう生きるか』(集英社新書)
入江さん、神谷さんが担当される グリーフケアをテーマにした講座 「悲しみから学ぶグリーフケア」
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(執筆/生湯葉シホ、編集/soar編集部、撮影/川島彩水、企画・進行/木村和博、協力/伊賀有咲)