某月刊誌別冊 2010年5月発行掲載 短編「心霊写真」

「これは私も実際に見た心霊写真の話なんですけど……」


 見るからに凝ったデザインのブランド物のワンピースに身を包み、それでいて人好きのする笑顔が印象的なAさんは女性ファッション誌のベテラン編集者だという。


「ファッション誌の撮影って、スタジオを何日間か押さえてその期間でババっと一気に撮っちゃうことが多いんです。モデル撮影が入ってる場合は特に、スケジュールが完全に決まってるので時間との勝負になるんですよね」

 撮影現場には編集者はもちろんモデルとそのマネージャー、メイク、ヘアメイク、コーディネーター、貸出衣装のブランド広報、営業担当、ライター、カメラマン、アシスタントなど多くの人間が参加する。

 現場で飛び交う意見をくみ取りながら、編集意図に沿った撮影を時間通りに進行しなくてはならない編集者は実に多忙だ。

「そんなだから、空気づくりってとっても大切で。現場がピリピリしないようにある程度和気あいあいとした雰囲気を作れるようにいつも心がけてます」

 Aさんによれば、そういう意味では製作スタッフのノリというのは各人の持つ専門技術と同じくらい大切なのだという。

「カメラマンやメイクさんときちんとチーム作りができてると、初めて参加する外部の方も安心して身を任せてくれますから。そういう意味ではBくんは、カメラマンとしてはまだまだ若手ですけど、モデルさんの気分を盛り上げるのも上手ですし、頼りにできる仕事仲間です」


 半年ほど前、編集部に売り込みにきた若手カメラマンのBさんが、Aさんの撮影チームの常連になるのに時間はかからなかったという。


「表紙撮影では何百枚と撮影をするんです。ポーズごとに写真を細かく確認しながら。変に大御所カメラマンに頼んじゃうと細かい注文をつけにくかったりするので、私の中でしっかり構成が固まってるような撮影では、Bくんみたいにこちらの意見を聞きながら臨機応変に対応してくれる若手はけっこう重宝するんですよね」


 一週間以上にも及ぶスタジオでの撮影が終わると、次は誌面構成のため、編集部で入稿する写真を決める段階に入る。そのために、大量の撮影データの中から、明らかに映りの悪いものを除き、容量を軽くした数百枚の撮影画像を一旦カメラマンから仮納品してもらうのだという。


「膨大な量の写真とにらめっこして、数パターンまで絞り込みます。選んだ候補のカットをカメラマンに伝えて、それらの画像をレタッチ(明るさ補正など画像に加工をすること)して送ってもらってやっと入稿ですね。もちろんラフをひいたり、デザイン発注したり、ライターからテキストを受け取ったりと、ほかにも山ほどある作業と並行しながらですが」


 あるときAさんは、Bさんが撮影したという表紙に使う写真をどうしても決められなかった。

 

「モデルを使った表紙でした。すごく気にいったポーズのカットがあったんです。でも、仮納品された10枚ほどのそのポーズの写真がどれも惜しくて。出稿していただいてるクライアントのブランドのピアスがどの写真でも髪にほんの少し隠れてしまっていて、営業から全部NGをくらってしまったんです」

 どうしても諦めがつかないAさんは、何度もその10枚ほどの画像ファイルを見比べた。

「画像のサムネイル一覧を見ていたら気づきました。Bくんからの仮納品の画像は全部『IMG_0001』みたいなファイル名がついているんですが、そのカットには未納品のものがあったんです」

 Aさんが気にいったカットが仮に「IMG_0010」から「IMG_0020」だったとすると、それはその撮影中の10枚目から20枚目のカットだということになる。そしてファイル名は「IMG_0010」「IMG_0011」「IMG_0012」……と連続していくと考えられる。その中で「IMG_0013」のファイル名だけがないと、それが未納品のものだと予想がつくわけだ。

「そのときに欠けていたのは『IMG_0053』でした。それが未納品ということは恐らく撮影ミスだったり、レタッチでもどうにもならないほど映りが悪いものだったんだろうなとは思いました。でも、私はどうしてもそのカットを表紙に使いたくて、希望を捨てられなかったんです」


 Bさんに連絡したAさんは、例え映りが悪くてもいいので一旦その仮画像を送ってもらえないかとお願いした。例えどんな画像だったとしても。

 案の上、撮影ミスの画像であり、使えるような代物ではないと応えたBさんだったが、大先輩の編集者からのお願いが断りづらかったのだろう。渋々画像をAさんに送ることを了承した。


 それは真っ暗な画像だった。


「何も映ってない真っ暗な画像で。レンズキャップを外し忘れたのかしら? なんて思いました。まあ、そんな画像を表紙に使えるわけもなく、泣く泣く違うカットを入稿しましたよ」


 それから数か月後、別のトラブルが起きた。

「アクセサリーの特集だったんですけど、有名な海外ブランドのネックレスが本国の意向で突然販売を取りやめることになったんです」

 校了間際だったこともあり、Aさんはそのページの穴埋めに追われた。

「例によってBくんに撮影をお願いしてたページだったので、急いで電話してBデータ(撮影で使わないデータ)含めてとりあえず撮影したものを一式全部送ってくれって頼んだんです」

 Aさんの焦りが伝わったのか、Bさんはすぐに全ての画像を送ってきた。

「また、『IMG_0053』の画像が真っ黒でした。そのときはそれどころじゃありませんでしたから、急いで他の画像を見繕って入稿しましたけど。ただ、『IMG_0053』という文字列と真っ黒な画像に見覚えがあったので頭の片隅に引っかかっていたんです」


 後日Aさんは、Bさんも参加した別の撮影の後に行われた打ち上げの席でそれを思い出した。

「撮影ミスって話だったけど、あれって本当なの? って聞いたんです。カメラマンによっては願掛けの意味で撮影の最初に関係ないもの映したりするって話も聞きますから。何かのおまじないとかだったりするの? って」

 酒が回っている様子だったBさんは笑いながらこう応えたという。


「僕が撮った53番目の写真はいつもああなるんです。呪われてるのかも」


 酒の席だったこともあり、Aさんとその周りに座っていたメンバーは大いに盛り上がったという。

 呪われているとはどういうことかと興味津々で聞く皆に若干圧倒されながら、Bさんは次のような話をした。


 若手カメラマンであるBさんは、ファッション誌を主戦場とする以前は、駆け出しとして仕事を選ばずに、数をこなして生計を立てていた。

 その中のひとつにレジャー誌での撮影があった。


 数年前、国土交通省を中心に、全国のダムで「ダムカード」なるものが発行された。ダムの写真と基本情報が印刷されたカードは、ダムを直接訪ねることでもらうことができる。当初は一部のマニアのコレクターアイテムとして人気を呼んでいたが、そこから一般層まで普及してダムカード入手を目的としたダム見学ツアーなどが盛況なのだという。


 Bさんはその一環として、レジャー誌でダム見学ツアーの取材へ行った。

 50年代半ばに建設された●●●●●にあるそのダムは、重力式コンクリートダムと呼ばれるもので、切り立った巨大なコンクリートの壁が特徴の日本では多く見られるタイプのものだったという。他のダムと比べて特に見どころがあるものではなく、むしろ自殺の名所としての知名度のほうが高いような場所だった。

 Bさんはその日、朝からレンタカーを借りて編集者とライターの3名で現地へ訪れ、午前中はダム湖の景観などの撮影を行った。そのあとダムの管理者の案内のもと、実際の見学ツアーの工程に則る形で取材をはじめたという。


 まず、堤体天端(ていたいてんば)と呼ばれる、水をせき止めるコンクリートの壁の上に設けられた歩道を歩きながらダムの仕組みや働きの説明を受けた。熱心にメモを取るライターの横でBさんは話のポイントとなる場所や景色にシャッターを切り続けた。

 続いて、一般客は見学ツアーの際にしか立ち入ることができないという監査廊と呼ばれる場所へ向かった。監査廊はコンクリートの壁の内部に設けられたトンネルで、外に据え付けられた長い階段を下りた先にあった。ダムの維持管理の役割を持つ監査廊は頑丈な鉄扉で施錠されており、入口に立っただけで内部から漏れる冷気に寒気がしたという。

 

 1年を通して気温が15度前後、大人2人ほどの幅のアーチ型で、奥に延々と続くコンクリートのトンネルは、ところどころに無機質な蛍光灯の光が灯っているだけで薄暗く、かなり不気味に思えた。

 同じ感想を口にした編集者の言葉を受けて、試しに入口の電気スイッチを職員が消すと、そこは真の闇だった。「職員が入るときは念のため懐中電灯を持っていくんです」との言葉にも説得力があったという。


 いくつもの曲がり角を曲がり、階段を降り、案内されるまま変位計室や放流ゲート室などを順に見て回った。複雑に入り組んだトンネルは、万が一はぐれてしまったら二度と出られないような気にさせられ、Bさんは不安を感じずにいられなかったという。

 取材も後半に差し掛かり、最後に案内されたのはバルブ室だった。

 普段は管理室で制御しており、緊急時の際のみ手動で操作するために使用するというその部屋には奥行きがあり、取っ手がついた複数のバルブが立ち並んでいた。

 編集者とライターは入口に立ち、室内に立つ職員の説明を聞いていたが、Bさんは撮影のため、部屋の奥のほうまでひとりで進みながらシャッターを切っていった。


 Bさんは部屋の一番奥にあるバルブの影になる位置にポツンと置かれたロッカーを見つけた。

 それはオフィスなどでよく目にする縦長のもので、掃除用具などを入れているのだろうと思った。

 そのロッカーが少し開いていたのだという。

 中途半端に開いていたことから、親切心で閉めておこうと手をかけたBさんは、特に理由はなく、閉める前に中を見たのだという。


 そこには、掃除用具などの類はなく、ロッカーの底に置かれたフランス人形がこちらを見上げていた。


 あまりの異様さから、思わず上げたBさんの声に気づいて編集者とライターが寄ってきた。

 それを見た2人も唖然としていたという。

 平静を取り戻したライターが職員に意図を問うと、次のように答えた。


「自分がここに赴任したときにはもう置かれていました。先代からの教えで、置かないといけないらしいです。どうして置いているのかは私にもわかりません」


 こともなげに話す職員の様子に、Bさんはより一層不気味なものを感じた。

 何事もなかったかのように説明に戻る職員のほうに顔を向けながら、編集者がニヤリとした笑顔でBさんに目配せをした。どうやら撮っておけという意味らしい。帰りの車中で写真を見ながら盛り上がりたいのだろう。

 趣味の悪い提案に辟易しながらも、発注元である版元の人間には逆らえず、Bさんは職員に気づかれないように人形を撮影した。


「それがその取材での53番目の写真でした。帰りの車内で『IMG_0053』のデータを見ても真っ黒なものが映ってるだけで、何も見えませんでした。編集者の方は残念がってましたけど。それ以来、僕が撮影した写真の53番目の写真は決まって真っ黒なものが映るんです。仕事にも差し障りますし、本当に勘弁してほしいですよ」


 ヘアメイク担当の女性が黄色い悲鳴を上げる横でAさんは聞いた。

「でも、どうして真っ暗なんだろうね。もしその人形が呪われた人形だとしたら、幽霊とかが映ってるのが定番じゃない?」

 一瞬Aさんを見つめた後、少し間を置いてBさんは応えたという。

「さあ、どうなんでしょうね……。とりあえずこれでこの話は終わりです」


「こういう仕事やってると、色んな人種で色んな立場の人に取材するじゃないですか。私、わかるんですよね。自分の立場上、こういう風に話してるけど本心は別のところにあるなっていうような受け答え。私、Bくんが何か隠してるなってすぐ気づいたんです」

 Aさんは続ける。

「それに、私はあの写真を見たとき『真っ暗な写真』って思いました。でも、Bくんは『真っ黒なものが映ってる』って言いました。変ですよね。何も映ってないときにそんな表現しませんから。あの写真には何かが映っていて、それを私が気づかないように気を遣ってるような印象でした」


 Aさんは翌日会社で、以前Bさんから送ってもらった「IMG_0053」を改めて確認した。

「やっぱり真っ暗で何も映ってるように見えませんでした。だから、手を加えてみたんです」

 Aさんは画像編集ソフトで「IMG_0053」を開き、画像の明るさを最大まで上げてみたのだという。

 ぼんやりと見えるそれが、なにかわかるまでにしばらく時間がかかった。

 画面の上下に白い湾曲した列が並び、下の列の内側に沿う形で何かが乗っている。


「口の中でした。多分人の口だと思います。口を大きく開けてその中を画面一杯に撮影したような写真だったんです。上下の白い列は歯で、真ん中に映っていたのは舌でした」


 Bさんは、写真に映っているものを伝えてAさんが怖がってしまわないよう気を遣ったのだろう。Aさんはその後、Bさんとの会話の中でそのことに触れることはなかった。


「でも、それから変な夢を見るようになりました。目が覚めたときには内容をあまり思い出せないんですけど、怖い夢です。山の中みたいなところで、大きな口を開けた男の人に追いかけられているような夢です。私も、呪われてしまったのかも知れませんね」


 いまだにBさんから納品される写真データからは「IMG_0053」が欠けているという。

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