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誰にどんな価値を届けているのかを忘れずにデザインする。サンフランシスコで働くデザイナー 灰色ハイジさんの軌跡。 

インタビュー

2020/10/25

誰にどんな価値を届けているのかを忘れずにデザインする。サンフランシスコで働くデザイナー 灰色ハイジさんの軌跡。 

今回インタビューをしたのは、サンフランシスコ在住、スタートアップスタジオ・All Turtles所属のデザイナーである灰色ハイジさんです。

サンフランシスコでデザイナーとして活躍する灰色ハイジさんが、どのようなストーリーや意思決定の元、今のキャリアに辿り着いたのか。幼少期の原体験からお話を伺いました。

灰色ハイジ

本名・濱崎奈巳加。サンフランシスコ在住。スタートアップスタジオAll Turtlesのシニアデザイナーとして、新規プロダクトのデザインを主導する。大学在学中から多くのウェブサイトのデザインを手がけ、プランナーとしても多様な広告のデジタル施策の企画に携わる。渡米後はフリーランスとしてブランディングやパッケージデザインなどへ領域を広げながら、現地のデザイナー養成所Tradecraftを経て現職。デザインの現場で使われる英語を紹介する「デザイナーの英語帳」をはじめウェブ上でさまざまな発信を行っている。

14歳の時に外の世界で感じた、今に繋がる原体験

──今回はハイジさんがサンフランシスコでデザイナーとして活躍されている現在までのキャリアについて伺いたいと思います。まずは、幼少期から学生時代のことを教えてください。

出身は新潟県弥彦村です。小学生の頃は漫画を読んだり、ゲームをしたりと家の中で遊んでいました。そして中学校に上がると不登校になり、14歳の頃から2年間ほど家に引き籠るようになったんです。そのタイミングで元々家にあったパソコンに父がインターネットを接続してくれました。そこからネット上のチャットで、村では絶対に会えないような人と話せることが刺激的に感じ、インターネットに没入するように。

また漫画を読んでいたこともあったからか、イラストを書くことが好きだったんですよ。そのイラストを世の中に公開したくて、Webサイトを作り始めたり、当時はpixivのようなプラットフォームがなかったので、自分で日本中からイラストを募り、オンライン展示会を開催したりと。そのような原体験が今のキャリアに繋がっています。

──どのような経緯で京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)に入学されたのですか?

元々は漫画家やイラストレーターになりたかったんです。しかし、14歳の時にWebデザインという言葉からデザインに出会います。オンライン展示会などで、デザインの力を通して、他の人のイラストをよりよく見せたり、印象を変えられるということに惹かれ、初めてデザイナーになりたいと思い、美大を目指しはじめることに。当時の京都造形芸術大学の受験形式はいわゆるAO入試のようなプレゼンテーション入試がありました。そこで私は架空のお茶のペットボトルのデザインと、そのブランドのWebページを作成してプレゼンテーションを行った結果、合格をいただき入学に至ります。

──大学時代で今につながっていることはありますか?

私はコミュニケーションデザインコースに所属していました。コミュニケーションデザインの領域が広かったので、大学時代にプロダクトデザインなど、デザインの幅を広げることができました。また産学連携の授業で、参加企業の新規ビジネスやプロダクトをグループで創り出すなど、今と似たようなことも当時は行っていますね。

──14歳から興味があったWebデザインとの関わり方はどのようなものだったのでしょうか?

幅広くデザインの授業を選択できる中で、引き続きWebデザインに関する授業も履修し、課題の一環でWebを作成していました。

また大学4年生になると、はてなという会社でアルバイトとしてWebサービスのデザインに関わるように。はてなの創業が京都だったというご縁もあり、教授がはてなの社員さんを授業に連れてきてくれたんです。その授業の打ち上げでお話をした際に、当時アルバイトの募集は行っていなかったのですが、「働かせて欲しい」と直談判したことがきっかけです。その当時は、以前ReDesigner Magazineでも取材されていた池田さんもいらっしゃいましたね。

デザイナーからプランナーへ、揺るがない意思

──新卒で博報堂アイ・スタジオに入社されて、どのように過ごしたのでしょうか?

当時の就活生にとって、特に広告業界は憧れの就職先でした。また、大学でも広告に関する授業が多く、面白いなと感じていたんです。元々Webも好きだったので、広告とWebのどちらもやりたいと思うようになりました。

そこで博報堂という広告代理店のグループ会社である、Web制作に特化した博報堂アイ・スタジオを知り、ウェブデザイナーとして入社します。当時は毎年配置換えがあったので、年によってチームも変わり、幅広い業務を行いました。約3ヶ月でキャンペーンサイトをローンチさせたり、半年から1年間で何千ページもあるコーポレートサイトを作成したりと。

──ウェブデザイナーからプランナーへと領域を広げていると思うのですが、なぜプランナーにも興味を持たれたのですか?

中学時代に戻るのですが、コミュニティサイトの作成や、オンライン展覧会の企画と設計も行っていました。そのような経験もあり、ただ側だけを作るのではなく企画・設計の部分にも興味があります。なので元々、アイ・スタジオの面接で将来どういうことをやりたいのかと聞かれた時に、「私はデザインとプランナーどちらもやりたい。」と答えていました。

実は博報堂アイ・スタジオを入社して2、3年目の頃に辞めようと考えていたんですよ。それに気づいたのか、博報堂本体の方に「君なんか辞めそうだね。やめるんだったらうちに来る?」と言われ、CMや映像の企画ができるとのことだったので、博報堂本体に出向することに。それがプランナーになるきっかけです。

最終的に誰が見るのかにこだわり、価値を直接届けたい

──そこからSIXに出向されているとのことですが、どのような経緯があるのでしょうか?

博報堂本体に引っ張ってくれた先輩が直属で私を見てくれるようになり、その先輩がクリエイティブエージェンシーのSIXを立ち上げるとのことだったので、半ば自動でついて行きました。SIXの仕事としては、Google、PlayStation、Pokémon Goなどのプロモーション映像に使用されるUIデザインを手掛けていました。なので、博報堂時代ではインタラクティブプランナーを名乗っていたのですが、UIデザイナーも名乗るようになります。

──非常に大きな案件だと思うのですが、その時に大切にされていた価値観はありますか?

広告の仕事は直接ユーザーの顔を見ることができません。またターゲットであるユーザーは、よく「20代女性、30-50代の男性」などと数字で表されることが多いと思います。

ですが、私はWebサイトを作成していたこともあったからか、最終的にどんな人が見るのかということを意識していました。実際に作品が公開されユーザーの反応があり、届いているという事を実感できた時は嬉しく思いましたね。

──博報堂とSIXで経験を積まれてからLiBに転職されたと思うのですが、どのような背景から転職されたのでしょうか?

まず前提として大学生の時にWebと広告で迷っていたこともあり、次はWebやデジタルプロダクトの仕事がしたいという気持ちがあったんです。また、体調を崩したしまったこともあり、働き方をデザインすることもテーマにありました。

そんな中LiBには、デジタルプロダクトの仕事ができるという点。会社員とフリーランスの両立が行いやすい点が決め手で転職をしました。

当時、LiBでハイジさんが手掛けたデザインのイメージ

──改めてデジタルプロダクトやWebをやりたいと感じたのはなぜですか?

やはりユーザーの顔を直接見たい、そして直接届けたいという想いが強かったからですね。広告の仕事はプロダクトのプロモーションがメインで、プロダクト作りそのものには関われていなかったんです。なので実際に人が触れるモノ、それ自体を作りたいということがモチベーションでした。

──当時はフリーランスで働くデザイナーとしてはパイオニアだと思うのですが、会社員とフリーランスの両立はいかがでしたか?

今思うと働きやすいとはいえ、大変でしたね(苦笑)。ただありがたいことに多方面から様々なお声掛けをいただきました。それまではロゴ制作に関する直接的なアウトプットは行っていなかったのですが、不思議なことに会社立ち上げの際のロゴの制作の依頼が多かったんですよ。そういった多方面からの依頼が、ブランディングなど新しい領域のデザインを手掛けるきっかけとなりました。

ハイジさんが手掛けたロゴデザイン

渡米を決意、現地の実践型デザインスクールへ

──そこからアメリカに渡り、現地のデザインスクールであるTradecraftに行かれたと思うのですが、どのような背景があったのですか?

実はLiBに入社する前後で結婚し、LiBの方々に融通を効かせてもらいアメリカと日本を行ったり来たりする生活を送っていたんです。しかし、やはり一緒に住みたいという気持ちからLiBを退職しアメリカに渡ることに。

元々不登校だったということもあり、義務教育レベルの英語すらも分からなかったので、渡米してからは6週間ほど英会話スクールに通っていました。しかし、日本語でもデザイン以外の話が出てこないのだから通常の英会話学校では英語が伸びないと思ったんです(笑)。そこでデザインの話ができる現地のデザインスクールを探すようになりました。

──デザインスクールの中でもTradecraftを選んだのはなぜですか?

一番の決め手は3ヶ月間のプログラム内容が面白いと思ったからです。デザインスクールと聞くと座学のイメージが強いと思います。しかしTradecraftは、架空の課題ではなく現地のスタートアップのプロダクトのデザイン案を考えるといった、実践的で就職をゴールとしたプログラム内容に魅力を感じたんです。また、これまでUXデザインに関してしっかりと学べていなかったので、足りないところを補うという意味でプロダクトデザインを専門的に行っているTradecraftを選びました。

ハイジさんがTradecraftでホワイトボードチャレンジを行った時の様子

同じ哲学を持つサンフランシスコ現地企業との出会い

──Tradecraftを出てスタートアップスタジオであるAll Turtlesに就職を決めた背景をお聞かせください。

私は基本的に欲張りなので、大学時代に広告とWebの両方をやりたかったように、ブランドとプロダクトデザインの両方をやりたいと思っていたんですよ。大きなテックカンパニーでは基本、ブランドとプロダクトデザインが分かれています。

しかし私は「プロダクトデザインはブランドデザインのフィロソフィを踏襲すべきで、逆にプロダクトのアイデンティティもブランドに反映されるべきである」と思います。

そんな中、All Turtlesの共同創業者であるJessicaが講演で「ブランドとプロダクトデザインを一緒にするのは特殊に思われるが、一緒にやるべきである」とコメントしていることを知りました。私が目指すところと同じところを考えている人が組織の重要なポジションに就いている。これが最終的な決め手です。

ハイジさんの当時のブログがこちら
https://blog.haiji.co/entry/join-all-turtles

──スタートアップスタジオとはどのような仕組みなのでしょうか?

よく例えられるのが映画のスタジオです。映画のスタジオでは一つの映画が完成したら、また同じメンバーやスタジオで別の作品を作るじゃないですか。その仕組みと似ていて、スタートアップスタジオでは連続的に様々なプロダクトを作ります。

スタジオという形で複数のプロダクトを手掛けることで、ナレッジが溜まる。All Turtlesにはそういった特徴があります。最近はコロナの影響でリモートワーク化してしまったのですが、インキュベーション施設のように、一つのビル内に支援先のスタートアップのメンバーも入居して、インハウスのようにプロダクトを作っていました。

All Turtlesのサイトから:https://www.all-turtles.com

現在All Turtlesは、明確なミッションを持ったサービスを創り出す「プロダクト・スタジオ」と呼んでいる。2017年に、Evernoteの元CEO、Phil Libinが創業。サンフランシスコと東京に拠点を置きつつ、世界中のメンバーが多岐なスキルを持ち寄ってコラボレーションしている。

──All Turtlesで働く上でのやりがいをお聞かせください。

多くのスタートアップを支援するという構造もあり、ブランドデザイナー、UXリサーチャー、UXライターなど様々なバックグラウンドを持ったプロフェッショナル達と関わるので、毎回刺激と学びを得ることができています。

ハイジさんがAll Turtlesで手掛けたプロダクト
Twisty Tongueのサイトから:
https://twistytongue.com/

スタートアップスタジオという形態は日本では馴染みがないので、クライアントワークと混同されがちです。しかし、私の働き方はインハウスデザイナーのような感じです。インハウスデザイナーとしてプロダクトをグロースまで手掛けることができる。スタジオという形態でクライアントワーク的に様々なプロダクトに携わることができる。両方の良い点を吸収できています。

また、支援するプロダクトのフェーズとして0→1が多いので、元々企画・設計の部分にも携わりたかった私としては大変ですが、やりがいを感じます。

デザインの力を掛け合わせ、一貫して価値を届ける

──最近書籍を出版されたと思うのですが、出版にいたる経緯をお聞かせください。

2020年の6月に出版しました。自分がアメリカに渡ってデザイナーをやりつつ英語を学んでいた際、「デザインの文脈でこの単語はどのように使うのだろう」と疑問に思うことがよくありました。ですが、直接的に学べるものがなく、TradecraftやAll Turtlesで学ぶしかありませんでした。なので、将来似たような境遇や近しい体験をする人の役に立ちたいという想いから日々のデザインの文脈での英単語の学びをnoteで公開していたんですよ。将来、出版できればなあと考えていたところ、お声をかけていただき出版することになりました。

ハイジさんの書籍:デザイナーの英語帳

──様々な環境に身を置かれてきていると思うのですが、これまでのキャリアを振り返って、一番重要だったと感じる意思決定はどのタイミングだったのでしょうか?

一つ挙げるとすると、14歳の時にデザイナーになりたいと思った原体験ですね。自分の中でデザインは、絵を描いてそれを公開するという手段の一つでした。

元々あるもの、他の人の何かに対して、デザインの力を掛け合わせることで、よりよく見せることができたり、変えられるということに面白いと感じました。例えばブランドデザインであれば、既存のプロダクトの良いところを探し、デザインの力でそれをより良く見せるという点で繋がっています。

──これからどのようなデザイナーであり続けたいというのはありますか?

これからデザインする対象は変わるのかもしれないのですが、対象が変わっても誰にどんな価値を届けているのかという観点を忘れずにデザインしたいですね。手を動かす見た目のデザインだけでは満足できないので、プロダクトデザインやブランドデザインなどの領域を掛け合わせながら、企画の部分にも携わっていきたいです。

──最後に、キャリアに迷われているデザイナーにアドバイスをお願いします。

繰り返しになってしまうのですが、どういうきっかけでデザインをやりたいと思ったのか、自分の原体験を見つめ直す。一度周囲の声をシャットアウトして、自分の想いに耳を傾ける。自分は何をしたかったのか、何が好きだったのかなどを思い返して見ると、過去の自分に答えがあるのではないかと思います。

編集部より

最後までお読みいただきありがとうございます。

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この記事を書いた人

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