某月刊誌 1993年8月号掲載 短編「まっしろさん」

 そのマンションに住む子どもはおかしくなるという。


 そのマンションは6年ほど前、ニュータウンブームのさなかに●●●の山の片側を削り、土地を造成して建設された。都市部からは離れつつも、車であれば十分通勤が可能な距離にあるロケーションも手伝い、完成当初から満室になるほどの人気ぶりだったそうだ。1,000戸を超える多棟型のマンションの敷地内には公園などもあり、ひとつの小さな街のような様相を呈していた。地元民が今も住む古い家屋が残る街のそばに、新築のマンション群が生える光景は異様なコントラストを生んでいたという。

 住民は都会を離れて子育てをするために移住してきたファミリー層がほとんどで、日中の公園には母親たちが幼い子どもを連れて集まり、隣近所を訪ねてお茶をしたりと入居も早々にあちこちで母親同士のコミュニティが形成された。

 Dさん一家もマンションの完成と同時に住みはじめた住人だった。Dさん一家は専業主婦のDさんと会社員の夫、10歳になる娘のKちゃん、以前から飼っている猫の3人と1匹暮らしだった。Dさんは夫とKちゃんを朝送り出すと、日中は家事の傍ら、ご近所づきあいという名の母親同士の井戸端会議に参加することが多かった。


 そのことに気づいたのは引っ越して数か月ほど経ってからだった。


 Kちゃんの様子がおかしくなった。以前も年相応のわがままを言うことはあったが、そのマンションに引っ越してからは少し様子が違っていた。飼っている猫のしっぽをわざとふみつけたり、スーパーで生鮮食品売り場のトマトを握りつぶしたりとKちゃんの年齢では不自然な行動が目立つようになった。その場で叱ると一応言うことは聞くのだが、しばらく経つとまた同じようないたずらをする状況にDさんは頭を悩ませていた。

 夫と相談し、環境の変化がストレスになっているのではないかとしばらく様子を見ることにした。ある日、仲良しの母親達との立ち話でそのことについてDさんは軽く愚痴をこぼした。すると、同じくらいの年齢の子どもを持つ母親たちが口々に同じようなことを言い始めたのである。

 蝶々を捕まえては羽をむしって砂に埋める。上階から植木鉢を落とす、通りすがりに赤ん坊の乗ったベビーカーを蹴るなど、引っ越す以前はしなかった悪質ないたずらが増えたのだという。

 Dさんもつい先日、マンションの敷地で恐らく小学生くらいの子どもたち数人が花壇の花を引き抜いて投げ捨てているのを目にし、注意したことを思い出した。

 Dさんたちは、子どもたちが引っ越し後に通い始めた小学校が原因ではないかと考えた。というのも、そのマンションに住む子どもたちは必然的に皆、同じ小学校に通っており、多くの時間をそこで過ごすからだ。その小学校は地元の子どもたちが通う学校として古くからあったが、マンション建設に合わせて校舎を建て直し、教職員も増員して引っ越してきた子どもたちを受け入れた。結果として、その学校に通学する生徒は「地元の子」と「マンションの子」が混在することになった。

 Dさんたちは学校の参観日に合わせて、先生に学校で最近悪いいたずらが流行っていないかを尋ねた。先生は、特にそういうことはないと話したあとしばらく考えてから、実はマンションの子だけでしている秘密の遊びがあるようだと言った。

 その遊びは地元の子どもが参加してはいけないらしく、仲間外れになった地元の子どもが泣きながら先生に相談することもあり、先生の間でも少し問題になっているそうなのだ。 

 Dさんはその日帰宅したKちゃんにその遊びについて聞いてみた。最初は渋っていたKちゃんだったが、誰にも言わないという約束で内容を話しはじめた。


 その遊びは『まっしろさん』という。誰がはじめたのかはわからない。ただ、マンションの子はみんなやっている。『まっしろさん』には大人や地元の子は参加してはいけない。マンションの子どもだけの秘密だからだ。

 『まっしろさん』は鬼ごっこに少しだけ似ている。人数は4人か6人ぐらいではじめるが、特に決まりはない。まず男女に別れる。男の子はじゃんけんをし、負けた子が『まっしろさん』となる。男の子がじゃんけんをしている間に女の子たちは走って逃げる。『まっしろさん』になった男の子は女の子のうちのひとりを追いかけて捕まえる。『まっしろさん』以外の男の子はその手助けをする。女の子のいる場所を知らせたり、逃げることを邪魔したりする。ただし、『まっしろさん』以外は女の子に触ってはいけない。

 『まっしろさん』が女の子を捕まえることに成功すると、『まっしろさん』は女の子に『身代わり』を要求をする。内容は、あるときは消しゴムだったり、あるときは靴下だったりとそのときによって異なる。その『身代わり』を女の子は『まっしろさん』に渡さなければならない。渡さないことは許されない。怖いことが起きるからだ。

 捕まった女の子が『身代わり』を渡してはじめて『まっしろさん』は終わる。何時間かかろうが何日かかろうが『身代わり』を持ってくるまで『まっしろさん』は終わらない。その間捕まった女の子は口をきいてもらえない。


 その遊びの内容を聞いたとき、Dさんは不気味に感じた。子どもの遊びではなく、それ以外のなにかという印象を持った。


 その晩、家族が寝静まった家でDさんは玄関のドアが閉まる音を聞いた。Dさんと夫は同じ部屋で寝ているので、物音の主は引っ越してから子供部屋でひとりで寝るようになったKちゃんになる。

 寝室から出ると、玄関でKちゃんが靴を脱いでいるところだった。たった今帰ってきたようである。

 深夜にひとりで外出していたわけを強く問いただすと、「身代わりを渡しに行った」のだという。誰に会っていたのかを聞いても「まっしろさん」としか答えない。続いて、何を渡しに行ったのか聞くと一言、「ミケ」と飼い猫の名前をつぶやいた。


 リビングには小さな血だまりがあり、そばに転がっていた花瓶には血に濡れた毛がこびりついていた。


 Dさん一家はほどなくして引っ越しを決めた。

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