第114514話 アーセナル・コマンド・アカデミー【4/1限定】


 不安や期待、というものは少なからずあるものだと思う。

 何をするにおいてもそれは付き纒い――馴染みがないことを前にすれば、余計にそれは色濃く心に影を落とす。

 だからこそ、紛れもなく今の自分にとってはそれはとても強いものだったのだ。転校、などという人生の一大事においては。

 ……先程までは、の話だが。


「……大丈夫か?」


 こちらを覗き込む精悍な黒髪の男性を前に、そんな意識は掻き消されていた。

 これは心理的に――というよりある種の物理的に。

 そう、完全に物理的に。


 つまりは、痛い。痛かった。

 鼻が。痛い。

 すごく痛い。


 悪いのは自分なんだけど。

 鼻を思いっきりぶつけてしまった。そのゴツゴツとしながら弾力ある身体に。ぶつかっても一切揺らがない重量の物体――というか肉体に。

 鼻が痛い。ジンジンする。

 あと、


「あ、あの……手を……その、あの……」


 衝突と同時に背中に回された手に落ち着かない。

 というか当たり前に、見知らぬ他人との身体的な接触やパーソナルスペースへの踏み込みは恐ろしいものだ。

 それが自分よりも頭一つ以上高い異性ならなおさらであり、更にその異性が戦闘用とも言うべき強靭な肉体を持ち合わせていれば本当になおさらだ。というか普通に怖い。

 こちらの抗議の声を聞いた彼は、その深い隈が刻まれた目を申し訳なさそうに反らして、


「……すまない。咄嗟だった。……これは決して女子生徒にみだりに触れる意図でも、何か悪しき魂胆があった訳でもない。事故だ。……とはいえ、重ね重ねだがすまない。不配慮の誹りを免れぬだろう」

「い、いえ……別に……」


 鉄のように冷えて角張った声と、四角四面な物言い。

 強烈に生気が薄く抜き身の刃のような冷えた眼差しと相俟って、心理的な距離感を感じさせるには十分だ。つまりはまあ、言ってしまえば怖い。怖いということだ。

 その、人間性を硝煙に擦り切り尽くしたような男性は暫し考えるように口を噤んでから、ゆっくりと声を発した。


「ところでその制服は、他校生と思えるが……本校に何か要件が? どなたか、親御さんや生徒に用事でもあったのだろうか? それなら取次を行うが……」


 言葉は優しさのあるものだが、外見と混ざると完全に職務質問めいている。警備員さんなんだろうか。


「えっと……その、急な転校で服が用意できなくて……」

「……そうか。君が例の転校生か。話は聞いている」

「え……?」

「俺が担任のハンス・グリム・グッドフェローだ。担当としては社会科、だろうか。承知のことだと思うが本校は幅広い年齢層を受け入れており、年齢ではなく学力に応じてクラスが振り分けられる。俺も場合によっては社会科の更に一分野の、法規を――」


 言いかけて、また止まる。

 表情の変化が乏しいから、何か機械が停止したふうにも見える。ターミネーター。多分何かそんなの。


「すまない。時間が差し迫っていたな。続きは歩きながら話そう。必要な要件は説明する」

「は、はい……」


 教師、というのがあまりにも似合わない。

 三日三晩徹夜でテストの採点でもしていたんだろうか。きびきびと歩くが、なんだかそれでもとても低血圧な感じだ。何となく空気が冷えてるというか、重いというか。

 そのまま念仏じみた口調で、廊下を歩きがてら施設を説明していく彼が、また、立ち止まった。


「そうだ。言い忘れた」

「え?」

「――ようこそ、ハイランド学園へ。君の来訪を心より歓迎する。こうして出会えたことを、喜びと共に感謝したい」


 そして、振り返ると共に差し出される右手。

 ……握手、のつもりなのかな。

 面白くもなさそうな表情のまま、ゴツゴツとした手のひらは、こちらの応答を待つように止まっていた。


「……何か?」

「いえ、あの、その……ちょっと、意外で……もっと大事なこと以外は、気にしない人なのかなって……」


 必要な言葉以外、無駄なことを口にするという気持ちもなさそうに見えたし……雑談もしなさそうだし。

 事務的というか官僚的な話し方だから、仕事でだけしか生徒と関わらないふうな教師に見えたんだけれど――


「……? 大事なこと、だろう?」

「え?」


 僅かに困ったように眉を顰めて、そんなふうに見つめてきていた。

 戸惑っている……のだろうか。多分。何となく。心なしか眼差しがつぶらな瞳みたいになった気がするし。

 そして、


「転校という不安がある中で、門出を歩み出した君にとって――君のその最初の一歩をしっかりと迎え入れること以上に大事なことなど、ある筈がない」


 そう、なんだか憮然とというか厳然とというか、とにかくしっかりと頷くように言い切った。

 恥ずかしげに誤魔化そうとした笑いもない。

 何も取り繕おうとする気配がないから、多分、それは本気で言っていることなんだろう。きっと。

 本心で、歓迎するつもりなんだろう。


(……悪い人じゃ、ないのかな?)


 なんだかほんの少しだけ、担任に対する緊張が和らいだ気がした。



 ◇ ◆ ◇



 ……で。


 廊下のロッカーに鞄やら何やら詰め込んで(制服なのは旧“王国”式だがこの辺は旧“新大陸”式だ)から目指した教室の前で。

 なんだかドアの向こうが騒がしい。


「いややっぱりハンスさんが時間通りに来ないなんておかしいですよ! 何かあったんじゃ……猫を庇ってトラックに跳ねられたり、猫を庇って戦車に跳ねられたり、猫を庇って戦闘機に跳ねられたり……」

「どれだけ猫を助けるんですの」

「大変だ……このままだとハンスさんが器物損壊で賠償責任を負わされちゃうかも……!」

「壊す方の前提なんですの!? 跳ねられてるのに!?」

「ゴリラなんですよ! ハンスさんは! 鉄のゴリラなんです! 王子様だけど肉体はゴリラなんです!」

「……………………」


 ドアの向こうから名指しされた鉄のゴリラ王子は、なんだか捨てられた柴犬のような瞳で扉の向こうを見つめていた。なおどっちにしても獣だ。美女と野獣かな?


「やっぱり駄目だ! 見てくる! ごめんマーガレット、エルゼ先生が来たら適当に――」

「ちょっと、メイジーさん!」


 そして扉が開き、勢いよく茶髪の少女が飛び出し――


「わぷっ」

「すまない、遅くなった。……大丈夫か?」


 立ちはだかる板……胸板……じゃなくて立ちはだかる壁に激突して跳ね飛ばされていた。

 なんというか、視覚的な衝撃性というか視界における質感とか重量感はすごいのに気配が薄ぼんやりしてるのが悪いと思う。モブっぽいというか。控えめというか。

 記念すべき本日の犠牲者二人目だ。

 いやまたキャッチされているけど。反射神経いいんだろうか。


「……へ」

「無事か、メイジー・ブランシェットよ」

「……へ、へへへへへへへ。へへへへへ、へへへへ、でへへへへへへ。でへへへへへへへへへへへ」

「……大丈夫ではなさそうだな。脳震盪か? ……保健室に」


 犠牲者……。


「保健室!!!!!!」

「――!?」

「ほっ、ほほっ、ほけっ、ほけんしつ!!!!! 保健室!!!!!!! 保健体育!!!! 実践!!!!! 駄目だ過呼吸になる!!!!! なります!!!!! なった!!!!! 今なったよ私!!!! あっ公式が供給過剰すぎる胸筋過剰すぎるエッッッ!!!」

「落ち着いてくれ。呼吸を整えて――」

「ラッ、ラマーズ法!? は、早いですよハンスさん……それは早いですよまだですよその前が済んでないですのでへへへへへへ、へへへへへへへへ、ふひゅひゅひゅ……きゅう」

「………………………………」


 犠牲者……犠牲者?

 どちらかというと被害者は鉄のゴリラの方に見える。何かセクシャルなあれそれの。ハラスメントの。

 しかし憮然とした無表情のまま気にした様子もなく、


「誰か、衛生兵……ではなかった。保険委員を。彼女をアシュレイの下に――」


 落ち着き払ったままに鼻血を出した(鼻を勢いよくぶつけたからだ。きっと。多分。そう信じよう)少女を地面に横たえ、彼は生徒に指示を出していた。

 スヤァ……と眠りにつくようにとても一生分の幸福を噛み締めているとでも言わんとばかりに目を閉じた茶髪の彼女は、そのまま永遠の眠りに落ちようかというほどに安らかな顔だ。いや嘘。めちゃめちゃ袖を握ってる。離す気がないぐらい握ってる。ゾンビかな?

 死にかけのシオマネキか陸に打ち上げられたスッポンかウツボかウツボカズラか。いや最後のは関係ないか。

 ともかく全宇宙全並行世界の力を集めたぐらいの感じに万力じみてなんか袖を握ったまま、でへでへ笑って倒れた少女を引き剥がそうと格闘していると――


「はーい、席についてくださいねー? 先輩は不純異性交遊を直ちに取りやめて次のクラスに向かってくださーい。これからは生物じゃなくて物理の時間なんですよー?」

「していないが」

「してたら警告じゃ済ましてませんから♡ さ、席についてくださいねー。今日も要点絞ってバシバシ行くんで、判らなかったら手を挙げるか、何となく目線と顔色で訴えてくださいねー」


 桃色髪の小柄な先生が来た。

 小さいけど凄い美人で、スーツを着込んだ上で如何にもできる人みたいに眼鏡をスチャッとかけていた。できる人みたい。それは本当に。

 ただ、


「うっす、先輩!」

「はい何ですか、フェレナンドくん」

「早弁ってどっからが早弁になるんスか!」


 苦労してる感じなのはなんか判った。


「………………えー、今のがバカの見本です。こうなりたくなかったらそこの転校生さんもしっかり勉強してくださいねー?」


 急に話を振られても、その、困る。居心地が悪い。

 ただ、クラスは何となく賑わったみたいで……赤髪の彼もウィンクと共に親指を立てていた。

 多分、緊張を解そうとしてくれた……くれたのかな? そう思うことにした。屈託のない笑顔だった。


 それはさておき――公式だとか図だとかが黒板に書かれていくのだけど、


「……」


 困った。

 内容の難しさはさておき、困った。困ってしまった。

 机の上には、ノートとペンしか出せていない。

 窓際の一番前の席に据えられたせいで、隣にいるのは如何にも運動部――ジョックそのもの、のような授業を退屈そうに聞いている金髪の男子一人であり、


「なんだよオマエ。何見てるんだよ」

「……別に。見たくて見たわけじゃ……」


 そう言うと、余計に不機嫌そうに睨み付けられた。

 特に教科書を出そうという様子もない。だから余計に困った。

 不良、なのだろうか。転校早々に隣がそんな人だと、いきなり気持ちが萎えてくる。

 授業を中断させることになってしまうが、ローズレッド先生に呼びかけた方がいいのだろうか。転校生という身分でそれをするのは、なんだか大きな壁があってとても気持ちが重い。


 それでも、真面目に授業を受けないと――と、なんとか意を決そうとしたときだった。


「すまない。失礼する、エルゼ」

「おっと始業時間を守らない不良教師が一人登場ー。……で、なんです? 避難訓練の日程でも間違えました?」

「転校生に、これを。……もしかしたら、と思って。念のために職員室から予備を集めてきた。本日の教科分はある筈だ」

「それはそれはご丁寧に。……授業はどうしたんです?」

「小テスト中なので問題ない」


 そう頷いて、紙袋を下げた彼はこちらへの会釈と共に教室をあとにした。

 ……気にしてくれていた、のだろうか。


 そして、


「……なんだよ。よかったな、オマエ」


 隣の彼も、どうも一応は気にしてくれていたようだ。こちらへ差し出そうとしていた教科書を引っ込めていた。

 多分……悪い人ではないんだろう。彼も。

 頬杖をついたままノートだけとっていて、エルゼ先生に笑顔で怒られていたけど。



 ◇ ◆ ◇



 音楽の教師――ヘイゼル・ホーリーホック先生は、それはまた独特の人だった。


「はい、んじゃあ今日の授業はここまで。レポートは次までだが――ま、とりあえず何かしら好きなアーティストを決めてくれたらいい。具体的にどういう曲が好きとか書いてくれたら、その技法の解説とかするぜ?」


 ハスキーボイスと共にウィンク。

 軽薄そうな振る舞いと、僅かに髭を生やした伊達男。

 複数クラスでの合同なので、見知らぬ――いや同じクラスの人も見知らぬ人なんだけど――女子生徒たちが黄色い声を上げる。


「って名目で、授業中に聞きたい曲を流せるんだ。いいだろ?」


 軽そうで、感覚派で、楽しさ重視。

 そんな感じの先生だった。そういうのもあって生徒人気は高いようで――……まあ、楽しい授業って言ってもいいんじゃないだろうか。

 楽器を教えるときには真剣な顔をしている、というのもポイントが高いのかもしれない。わからないけど。


 色々と情報が多いからか、なんだか目眩がしてくる。

 そんな気持ちで、音楽教室から戻ったあとも特に席を離れることもできず、既に出来上がってしまっている輪に加わることもできず――特に音楽の授業は席が定まっていなくて好きな人同士が固まる形式だったからだ――次の授業の教科書を取り出しているときだった。

 ひら、と落ちた小さな紙。

 デフォルメされた猫の絵と共に、『Fight!』と書かれている。……誰が描いたのだろうか。ぼんやりとして素朴で、やけに微笑ましい猫の絵だ。


「……おい、転校生」

「えっ、あ、はい! なんですか!?」


 イラストを眺めていたら、突然呼びかけられて思わず背筋が伸びた。

 見上げる――……見上げるほど、でもなかった。

 あまり高くない位置に、その人の頭がある。紫色の、陽射しに透かすと燃えるように彩られる髪色の少年だ。顔立ちはすごく、威圧感とか圧倒感があるぐらいにしっかりとしているふうな雰囲気がある。


「その分では、校内の案内もまだだろう? 僕はクラス委員のハロルドだ。簡単に掻い摘んで説明してやる」


 不機嫌そうなオーラと共に、校内の見取り図が机に置かれた。既にいくつか書き込みがされていて、多分、彼は前もって用意しててくれたんだろう。


「その目はなんだ? ああ、オマエはこう言いたいのか? エレメンタリースクールほどに見えるのによく馴染んでいる、と。……フン、残念だったな。僕はこれでも――」

「そんなこと言ってないじゃないですか! 外見で人を決め付けるなんて最低です!」


 誰もそんなことなんて言ってない。

 それどころか、ちゃんと準備をしてくれてたなんていい人だな――と思っていたのに。


「ほう? ……フン、まあそうだな。ああ、その言葉はお前にも引っかかるか」

「なっ――」


 チラ、とこちらを眺めて不躾なセリフを言う。

 損した。

 こっちは、別に何も言うつもりも無ければお礼を言おうとでも思ってたぐらいなのに。


「お兄ちゃん、次のクラスの用意をしろって……」

「ん、ああそうか。……悪いがまたの機会だ、転校生」


 そう言って、彼は去っていく。

 弟……らしき彼よりも大きい少年と、他に二人ほど大きい女子と男子を連れて。

 そうして取り囲まれていると、少年王のようにも見えるし貴族の跡取りにも見える。随分と高圧的で失礼な貴族の、だけど。

 ……それでも残された校内見取り図を見てみると、細かく色々なことが書かれていた。どこは危ないとか、どこは気を付けろとか、どこが近道だとか、どこの自動販売機が安いだとか。全部手書きで、読みやすい字で書いてある。


「相変わらずっスねー、ハル先輩パイセンは。ま、あれでいて面倒見はいいっスからあんま誤解しないでやってくださいよ」


 肩を竦めながら、こちらの頭越しにその見取り図を眺めてくる赤髪の青年。


「貴方は……」

「あ、フェレナンドっス! 朝の覚えてるっスか? 爽やかこと、超爽やかフェレナンド! ヨロシク!」

「は、はぁ……」


 そのまま満面の笑みでシェイクハンド。

 どうも結構、ぐいぐい来るタイプらしい。眩しい笑みと共に、当然のように隣の机に腰掛けた。

 そこはあの、金髪の人の席なんだけど……。


「ふぇれなんど……転校生さん、困ってる……よ?」

「ええー、そうっスか? オレとしては打ち解けてくれたらなーって思ったんだけどな……」


 透明感ある少女へ、残念そうに首を傾げる彼だったが……違う。そうじゃない。別にそれを嫌がった訳ではなく――と言おうとすれば、来てしまった。

 非常に不機嫌そうに見下ろしてくる、その席の本来の主。

 自分の机が平然と尻の下に敷かれたことに、当たり前だけど思うところはあるようで……


「オマエみたいなバカに絡まれたら萎縮するだけだろ、赤髪」

「お? あ、喧嘩売ってるんスか? あー喧嘩売りたいんだオレに。いい度胸っスね、レポート再提出のヘンリー。全員落としてねえレポートをぶっこけさせるヤツは何やっても度胸ってモンが違いますわ」

「あ?」


 そのまま立ち上がって向かい合った二人は、


「赤点の赤髪が偉そうだな、テメー」

「赤点の赤髪すらも通ったレポート落っことすのに偉そうにするヤツほどじゃあねーっスね」


 ずい、と顔を合わせていた。

 額と額をぶつけ合うぐらいの距離で睨み合っている。……正直、少し怖い。二人とも身長がそれなりあるので、なおさら怖い。


「二人とも、あのね、そういうのは……」


 ふわふわとした無重力オーラを漂わせた女の子が、それを止めに入ろうとしているけど小さな彼女の手では止められそうにないみたいだ。

 教室の他の人を見回そうとしたときに、スッ……と黒い影が現れる。

 本当に、黒い影だ。影のように音もなく近寄った黒髪の青年が、向き合う二人に向けて冷ややかな笑みを浮かべていた。


「ご自分たちの愚かさをひけらかして友好さを表すのも手法の一つですが、打ち解けていないのに行われても恐ろしいだけでしょう。……改めるべきでは?」

「あ?」

「お?」

「いえ、失礼。ですがそのまさに協調性を見るに、愚かさと友好さを示すいい事例になったようですね」


 肩を竦めた冷静で皮肉的な声の彼と、二人の間でまた一触即発の空気が流れるが――びっくりしたのはそれだけじゃない。

 更にもう一人。

 同じように影のような青年が、スッと現れた。完全に同じだ。鏡写しに瓜二つな彼らが、それぞれフェレナンドとヘンリーに向かい合っている。双子だ。この二人。


 どうも、普段から仲が悪いのだろうか。


 そしてクラス中の視線が集まり、注目されてしまう居心地の悪さ。

 転校生にはいくらなんでも荷が重くて、置き去りにされた気分ながらも輪の中心に据えられてしまっていて、本当にどうしたらいいのか。

 そんな気持ちのままいれば、意外な助け船が出た。


「……馬鹿なの、二人とも。四人とも。……怖がらせたいの? そんなに、転校生さんの初日を嫌な気分にさせたいの? ……そうしたいなら、わたしも、そうするよ?」


 ス――と冷や水を浴びせるような目線を向けた幼い少女。思わずこちらも気圧されるぐらいで、


「わ、わりい」

「ごめんっス」

「……ええ、すみません」


 彼女の視線に散らされていく。

 ……実は怖い子、なんだろうか。クラスの実力者的な。それとも怒ったお母さんというか。

 ごめんね、と何度も彼女は頭を下げてきて、


「い、いえ……別に……」


 そう返すしかなかった。

 その子がラモーナさん。双子がハインツとローランド、ということだけは判った。


(なんか……どっと疲れたような……)


 嵐のような、と言おうか。

 誰も彼も個性が強すぎる。強すぎる上に衝突している。闇鍋みたいだ。カレー粉で調整されてない闇鍋みたいなクラスだった。

 保健室に連れて行かれた人は戻って来てないし、それはそうとやっぱり騒がしい。

 ……こうなると、遅刻なんてしそうにならなければよかったと思った

 。多分、それのせいで普通はやられる筈の転校生の紹介の時間がなかった。おまけにいきなり移動教室なんかを挟んだから、ますます誰かが話しかけて来てくれる状況が作られなかった。


 この先の学生生活はどうなるんだろう。


 ほんの少しだけ暗澹とした気持ちになっていると――また一人、机の前に誰かが立っていた。


「……だいじょう、ぶ?」

「えっと……」

「フィア。フィアは、フィア――……フィア・ムラマサ」


 中性的な――というか。

 声変わりも前の少年みたいでもあるし、少女みたいでもある。あまり性別が判らない感じのその子は、クラスを見回しながら掠れるような声で呟く。


「賑やか、だね――……」

「あ、そうですね……本当に。賑やかです、このクラス。びっくりするぐらい」

「楽しい――……ね?」


 そう問われて――……本当に申し訳ないけど、上手く即答はできなかった。

 楽しい。

 楽しい……とはまだ思えていないけど。楽しくなってくれたらいいなとは、思う。


「あァ、数学の時間だ。席につけクソガキども。蹴り飛ばされてえか」


 物凄く不機嫌そうな青髪の青年が、教室に入ってくる。

 どこからどう見ても教師に見えず、それも数学担当なんて多分百人に聞いても誰もそうは思わないだろうなあ……というバンドマンのような先生だったが、


「……あー、転校生。お前、この範囲のどこまでが分かんだ? 先に聞いとく。こっからわからねえってとこがあったら今の内に言いな」

「え、あ、は、はいっ」


 でも、多分、この人も悪い人ではないのだろう。

 授業は、正直判りやすかった。あと親切だった。

 そう言うと、なんだか苦虫でも噛み潰したような顔をされた。……素直ではない人なのかな。わからないけど。



 ◇ ◆ ◇



 それからいくつかまた、授業があった。

 というか――思っていたが、やっぱり個性が強い。強すぎる。この学校は。


 廊下で見かけた体育の先生は、褐色肌のオリエンタルな王子様みたいな顔で、肉体がびっくりするぐらいガッチガチのゴリラ・オブ・ゴリラ。ゴリラ三乗式みたいだし。

 化学の先生は、常に白衣を来た如何にもなマッドサイエンティスト系の銀髪の女性で、博士号をいくつも持っている上に医師免許を持っていると言うし。

 あとなんか、職員室で痴話喧嘩――……夫婦喧嘩している美男美女の先生がいるし。


 この世の特異という特異を煮詰めたような学園だ。

 正直胸焼けしてしまう。

 普通の学校には絶対にいるはずがない、と言えるような人たちが集まっている。実在性とかなんかが怪しい。というか怪しいと思わなければ常識が壊れそうだ。数学のロビン先生がチョークを弾いて三人ぐらいに跳弾させたあたりでちょっと気が遠くなった。


 そして加えて――校内に聳え立つ大規模な講堂兼教会。


 煉瓦造りの重厚なその建物は、他と比較しても少し異様だ。悪目立ちするわけではなく、学園の中に溶け込んではいるが――……溶け込んでいるというより、隠されていると言った方がいいのだろうか。

 特に大きく堅牢そうな建物が、周囲の木々に紛れるように鎮座している。

 そこだけは年季をすごく感じさせて、重く厚い造りの扉が、ぽっかりと日常に空いた異界じみていた。


「ああ――……そこには入らない方がいいねぇ。は、は……敬虔なる神の家の門戸は常に開かれるが、開かれた扉に入るべきかは――……そうだな、ああ、また別の話だろう?」

「っ、貴方は……」


 それを眺める自分の背後から囁かれた、甘く妖しい声。

 思わず身を縮こめるように身体を離すと、その銀髪の神父服の青年は、なおのこと愉快そうに頬を上げてから両手を広げた。


「おれかい? ああ、見ての通りしがない神父さ。そうだろ? 大切なのはおれが誰かってことじゃなく――そこがどこか、って話さ。は、は――……言葉は着ている服じゃなく、その色を見るべきだ。誠実さは瞳に宿るとも、言うもんなァ――……」


 世界の枠を溶かすように、奇妙な揺らぎを持った声。


「は、は……それとも何か秘密の相談かい? いいさ、そうなら応じよう。懺悔室は、特に、誰にでも開かれるべきだ――罪を犯していない者なんていないのさ。そう、誰でも……だ。そうだろ?」


 神父というよりも、その対極か。

 或いは邪教の司祭のような彼が、緩やかにその長い腕を伸ばし――


「何をやっとるか!!! 授業はもう始まるのだぞ!!」

「……おや。怖い怖い服務指導の先生に怒られたら、あァ、まあ――ここまでだね」


 怒鳴られた。

 凄いハゲ頭の。凄い火傷顔の。凄い傷がある先生。

 確か副校長。副校長というか、教師というか、それはもうほとんどマフィアなんですよ。


「は、は。……大丈夫さ。いずれ、必要になる。その時とやらは、来訪と共に名乗りを上げるさ――……ああ、そうだろう。なあ?」


 また奇妙な呪文や預言めいた言葉を発した神父が、教会の内に消えていった。

 何かの災厄や不吉を隠した箱のような、重厚な扉の閉まる音。

 麻痺していた現実味というのが遅れてやってきて――取り戻されようというとき、やっぱり逃げてった。隣の怒り顔のハゲ頭の副校長先生の頭部に浮かび上がった血管を前に、現実味先輩と現実感先輩は若干居心地が悪そうに離れていく。待って置いてかないで。


「全く忌々しい。……本校の神父も牧師も胡散臭く、何故あんなのを雇っているのか。会長から校長をどうにかするように――……」


 自分の世界に没頭しそうになっていた彼は、こちらをチラと眺めて、


「うん? そうか、あのグッドフェローの奴が言っていた転校生か。道に迷ったのかね? 次の授業はなんだ?」


 この人も、まあ、優しかった。

 顔は物凄く怖いけど。

 意外に皆、優しい学園なのかもしれない。



 ◇ ◆ ◇



 そして一人ぼっちの昼休みを追えて、午後。

 壮大な眠気との格闘に何とか勝利――――判定勝ちって言ってもいいんじゃないですかね。多分。

 何回かダウンは取られたけど。多分テンカウントは取られてないし。いやテンカウントだったかもしれないけど。怒られてはいないから。


「現代文は終わりだが……このまま古典の時間にも入ろうと思う。規定通りの休憩時間は設けるので安心したまえ。……さて、ここまでで何か質問はあるかね?」


 きっちりかっちりと授業を行った、灰色髪のマクシミリアン・ウルヴス・グレイコート先生は教科書を畳みながらそう問いかけるが、応じられる人はいない。

 教えるのも上手だし判りやすいし音読の声もいいんだけど、だからこそ何か非常に眠くなる。冗談や雑談を入れないからそうなのかもしれない。

 ほんの少しとっつきにくくて、真面目な先生なのかな――と思っているところだった。


「はい、兄さん!」

「何かな、メイジー・ブランシェットくん。……それと、学園では兄さんではなく先生と呼びなさい」

「ハンス先生の今週末の予定とか知ってますか!!!!」

「………………当人に聞きなさい、メイジー。お兄ちゃんはメッセージアプリではない」


 この人も苦労してるみたいだ。というか兄妹なんだ。あんまり似てないけど。


「ケチ兄さん」

「お兄ちゃんはケチではない。あと先生と呼びなさい。そんな子に育てた覚えはないぞ」

「育てられた覚えないですけどね。うるさいなあ」

「…………………………」


 その狼のような金色の目を見開き、そして、


「ああっ、グレイコート先生が倒れましたわ! 衛生兵メディック! 衛生兵メディックはいらっしゃいます!?」


 本日二度目の保険委員の出番だった。

 というかそんなに流行ってるのか、衛生兵呼び。朝もグッドフェロー先生がそんな感じにしてたけど。

 クラスの皆も見慣れているのか、特に動じた様子はない。後ろの席のエコー・シュミットさんは平然とサンドイッチを食べている。……いや凄いなこの人。


「あ、うん、何かな……」

「呼んだらすぐ来ましたわ!? 早すぎませんこと!?」

「いや……ははは。メイジーくんの様子がどうかなって、心配になったからなんだけど……元気そうだね」

「少しはあの元気を注射で吸い取ってほしいですわ……」


 そんな銀髪のマーガレットさんと、保険医のアシュレイ先生の視線を向けられたメイジー・ブランシェットさんは大きな力瘤アピールで応じていた。

 多分、何となくクラスの中心っぽい。

 かと思ったら二クラス合同なんかだと、全然大人しそうにしているし少し居心地を悪そうにしている。……意外にも人見知りをするんだろうか。だとしたら少しだけ親近感が湧く。


 ……なんて。息継ぎのために、一旦教室を抜けて。


「……ふぅ」


 自動販売機で買ったミルクティーを飲みながら、整理する。

 ようやく一日も終わりかけに近付いてきていて、頭の中で振り返る余裕が出てきていた。


 社会科担当で担任のハンス・グリム・グッドフェロー先生。

 物理担当で、出来る女のエルゼ・ローズレッド先生。

 生徒から人気が高い音楽のヘイゼル・ホーリーホック先生。

 結構怖い感じだけど優しいかもしれない数学のロビン・ダンスフィード先生。

 化学のマッドサイエンティスト感が凄い小柄で老婆みたいな銀髪のローズマリー・モーリエ先生。

 現代文と古典のマクシミリアン・ウルヴス・グレイコート先生。

 ザ・マッスルオブマッスルのユーレ・グライフ先生。

 副校長のコルベス・シュヴァーベン先生。

 保健室のアシュレイ・アイアンストーブ先生。

 教会のアーネスト・ヒルデブランド・ギャスコニー神父。


 クラスメイトは、委員がハロルド・フレデリック・ブルーランプと、マーガレット・ワイズマン。

 あと賑やかなフェレナンドと、実は怖いかもしれないラモーナと、自由人のエコーと、不思議なフィア。運動部のヘンリーと、ハインツとローランドの双子兄弟。

 ハロルドの弟と、ハロルドに妙な感じで話しかけるカタリナ・バウアー。クラスの非主流派のまとめ役みたいな感じ。あと、大きな身体を縮込めて編み物をしているサム・トールマンと彼の気の強そうな幼馴染のゲルトルート・ブラック。


 色々と……話してない人もいるけど、こんなところかなと思ったときだった。

 同じく自動販売機に来た、目が覚めるほどの淡い炎髪の美人。

 すれ違う生徒が目を奪われるような美人の彼女が、自動販売機のボタンを押しながらふと口を開いた。


「……どう? 少しは慣れましたか?」

「えっと――」

「ああ、その、私はウィルへルミナ・テーラー。……ウィルマ、と。そう呼んで頂いても差し支えはないです」


 その優雅な身のこなしは、令嬢じみている。

 それなのにナイフみたいに硬質の美貌と雰囲気で、どことなく二面性を感じさせる女子生徒だった。


「騒がしい、ですよね。……私もそう思いました。私も、転校生だったから」

「そうなんですね……」

「本当に……色々と驚いたわ。多分、貴女もこの先驚くことになるとは思うけど――」


 ふう、と漏らされた吐息。

 なんだかそれで、仲良くなれそうな人だなと思った。

 何となくだけれど。多分、この人も話してみたら色々とあって、でも、悪い人じゃないのだろう。


 ……そう。悪い人じゃない。


 この学園にいるのは、そんな人ばっかりだ。

 個性は強いけど、悪い人じゃない。中にはそうでない人もいることはいるけど――……多分、知り合ってみたら、話してみたら、嫌いになれなさそうな人が多いのだろう。

 だから、なのか。


「……でも、なんか、夢みたいです」

「夢?」

「こんなふうに平和で――……明るくて」


 そんなふうに思ってしまった。

 まるで有り得ない嘘の中の――夢の中にいるような、そんな。

 そんな生活だな、なんて思ってしまった。


 ……多分。ここで終わったら、だが。


 次に襲いかかったのは衝撃だった。

 これは心理的に――というよりある種の物理的に。

 そう、完全に物理的に。


 強烈な振動と爆音。


 地震のように廊下が揺れて、校舎が身震いして、サイレンが鳴る。

 現実感を置き去りに。

 それはたちまち、逆に、追いつくように襲いかかってきていた。雑踏の建てる足音と、遠雷のような轟音。サイレン音。


「何をしてるの……逃げるわよ!」

「え、でも、だって……え、これ、いきなり、えっと」

「いいから走りなさい! 死にたいの!?」


 ウィルへルミナがこちらの手を引く。

 生徒たちも、廊下に避難を開始していた。

 速やかに。滑らかに。

 それが日常生活の一環のように、あまりにも慣れきった退避の様子だ。


 そして――。


 腕を組みながら、廊下で窓の外を眺める一人の男性。

 余裕そうな態度と裏腹の油断のない瞳を抱えて、それらをスーツに包み込んだという裏のある美男子。

 彼は避難に向かおうとするこちらの混乱を言い当てるように、僅かに頬を吊り上げた。

 校長――――確か、校長だ。

 彼は、コンラッド・アルジャーノン・マウスは、この学園の校長を務めている男性だ。


「……ああ、転校生の君にはまだ教えられていなかったかね。この学園が、年齢層を問わずに広く人材を集める意味だ。全ては、人類の未曾有の事変に対して対抗する人材を育成するためにある」

「え、え……?」

「ある日、訪れた外宇宙からの脅威。それを打破するために我々は解析し――作り上げたのだ」


 視線の先に――彼が指し示す。

 空を飛ぶ巨大な人型。

 重力を置き去りに、大地を遠く、晴天を裂いて、虚空を分かつ。

 銃鉄色ガンメタルの巨人。


「アーセナル・コマンド――力場による不可視の重装甲と、その圧力による急速戦闘機動を両立する人型機動兵器」


 それがまるで祝福のように――或いは福音のように。

 頬を歪めた彼は、実に嬉しそうに大いに頷いた。


「見たまえ。あれがその、頂点だ」


 空を駆けるは、銃鉄色ガンメタルの古狩人。

 両腕の外に備えた一対の光刃が宙を切り取り、視界を撫で斬る。あまりにも大いなる、そして高らかなるその凱歌。

 古来から受け継がれし鎧というものの発展形。

 鎧であり、盾であり、それは即ち刃である――――外敵を打ち滅ぼすための、刃である。


『……生徒の退避は完了していないか。承知した。ここで食い止めてみよう』


 その外付けのスピーカーから漏らされた訥々とした声。

 それには、覚えがある。

 忘れる訳がない。

 この学園でまず最初に出会った、あの――


「ふ、ふ。我が校の誇る上位九名――人類の最高戦力にして、生徒を守る教師たちの一人。あれが、ハンス・グリム・グッドフェローの正体だ」


 そして、そんな言葉を背後に。


『――――目標を確認。殲滅を開始する』


 その不毀なる剣が、振り下ろされた――――。





 『アーセナル・コマンド』ファンディスク――――。


 『アーセナル・コマンド・アカデミー 〜愛、忘れていますか〜』


  絶賛発売延期中! 計画頓挫中! 筋肉増量中!



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【100万PV感謝】乙女ロボゲーのやたら強いモブパイロットなんだが、人の心がないラスボス呼ばわりされることになった 読図健人 @paniki

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