第9999話ワタヌキⅣ(限定公開)
朝から吹き荒れていた突風に、昼過ぎから降り出した雨が重なり、外はさながら春の嵐の様相を呈していた。
バチバチと窓を叩く雨音に封じ込められ、僕とギーは二人だと息苦しいほどの広さしかない部屋への滞在を余儀なくされていた。つまり僕の私室である。
「ああ……桜、散っちゃうね」
カーテンを押しのけ、窓の外を覗きながらギーが呟く。
ほんの二日前に満開だとテレビで報じていたばかりの桃色の花びらは、はたしてこの嵐にどれほど耐えられるものだろうか。
台風のような横風に窓がガタガタと震える。
徐々に大きくなっていく雨粒が極端に視界を狭め、外の風景もまっ白に霞んでいた。
「うん、散っちゃうね」
ジムへの道すがら、高台の小学校に見える桜が色をつけ始めていて、僕は案外とその風景が好きだったので、なんとなく残念だった。
「でもさ、春の雨って冬の寒さを洗い流してくれるみたいで私は好きなんだよね」
振り返ったギーはそのままベッドに腰掛ける僕の隣に座った。
薄着の彼女と肩がぶつかり、ほんのりと温かい。
もともと、暖房を入れる程に寒くは無かったのだけど、雨が降り始めて更に体感気温は上がった。それでもギーの肩の方がずっと温かくて心地いい。
お互いの体温が交換され、平らに均されたころギーが口を開く。
「寒い季節っていうのが、ずっと前からダメなんだよね。今ではそんなこと無いけど、昔は変温動物だったじゃない。ある程度より寒いと目の前が真っ白になって気絶しちゃうの。あれは嫌な感覚だったなあ」
そうしてゴロンとベッドに転がり、天井を見つめる。
服の裾からは真っ白い肌が見えていてドキドキするのだけれど、彼女の視線は正面から見つめ合い、視線を外さないことを言外に強制していた。
「寒い地区に住んでる野生のトカゲとかはどうしてるんだろうね。そんなトカゲだって、多分寒いのは苦手だろうし、こんな風に冬と春の境目に降る雨のことが好きなんじゃないかな」
微笑んだ彼女は、手を伸ばして僕を布団の中に引き込んだ。
肩や手だけじゃない。全身の皮膚が触れあって脳にまで鳥肌がたつようにゾクゾクする。
「だからね、初めて会った時は本当に辛かったんだ。故郷より寒くて、家も無くて、下手したら死んじゃうのかなって。それを救ってくれたアっちゃんへの恩を一生忘れないでいようと思ったんだよね。一生は終わって、それでも忘れられなかったけど」
ギーは僕の胸に鼻をすり付けて大きく息を吸った。
そのくすぐったさに僕ももだえてしまう。
「二人で棲んでいた期間は、今思えば本当に短いけど、たくさん思い出があるよ」
「わりとすぐにメリアが来たからね」
「そうそう。それもアっちゃんが連れてきたんだよね。そしてモモックもやって来て……なのにあなたは他の女と結婚して出て行ってしまいました! 最低!」
ギーはキャーキャーと笑いながら僕をつねる。
「ちょ、痛いよ。でも、だってしようがないじゃないか」
「そう。しょうがなかった。私とあなたは血の温度さえ違う別の生物だったから」
急に真顔になったギーは布団を使って顔を隠す。
なんとなく彼女を傷付けてしまった気がして、僕は頭を掻いた。
昔からずっと、こういう性格でやってきていろんな人を傷付けてきた。
思い出を笑って話す彼女にも、過去から数え切れない傷を付けてきたのだと思うものの、いま気にするべきはこれからのことだ。
「あの、ごめんね」
僕の謝罪にギーは顔を出すこと無く、腕を突き出してきて僕をつねった。
「先に言っておくけど、アっちゃん以外の匂いは覚えてないからね。残念でした!」
「それは……」
なんと言っていいのか解らず言葉に詰まる。
残念というのは違うし、かといって別にいいよというのはかつて愛してくれた人たちに失礼な気もする。
窓と扉に区切られた宇宙船の様な部屋に沈黙が満ちると、耐えきれなくなったのはギーの方で、ズルズルと布団から這い出てきた。
それでも自分から言葉を出すことは躊躇われ、僕もギーも無言で互いをつつき合ったりくすぐったりして声を出させようという遊びに興じる。
と、ギーの携帯電話がボン、と鳴った。
笑いをこらえながら電話を手にしたギーは一瞬固まったあと、恥ずかしそうに顔を抑えてゴロゴロと転がる。
「お義母さん、ちょっと前に帰ってきてるって」
言われて僕も吹き出す。
母親は仕事で夜まで戻らないはずだったのに!
おそらく、玄関にあるギーの靴を見た瞬間に母は察したはずで、扉を叩きも、声を掛けもしなかった。
それはいい。気を使ってくれたということで感謝もする。
だけど……どうしても気恥ずかしさがあるし、なぜ帰宅の報告を僕じゃなくてギーにするのだ。いや、それは単純で僕が携帯電話を居間に置いてきたからだ。
母の性格からして、帰宅の連絡は事前に入っている筈だ。気づかなかった僕が悪くて、母に落ち度はない。
それでも、いったいいつ帰ってきたのか。
十分前なら別にいいけど、三十分前だったら、僕たちはもう少し騒がしかった。
ギーも概ね同じ事を考えているらしく下唇を噛んで足をバタバタ動かしている。
ポン、とギーの携帯電話から再び音が鳴る。
「……あ、雨がヒドいからお義母さんが泊まって行けって」
ギーは携帯電話を傍らに置くと、服を着て身だしなみを整え始めた。
「あれ、帰るの?」
泊まっていけばいいのに。
確か、ギーの歯ブラシや着替えも母がどこかへしまっていたはずだ。
「泊めて貰うから綺麗にしてるの。挨拶しなきゃでしょ」
ああ、そうですか。
ギーを一人で行かせるわけにもいかない。
僕も慌てて脱ぎ散らかしたズボンなどを拾い集めて足を通すのだった。
迷宮クソたわけ イワトオ @doboku
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。迷宮クソたわけの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます