「家庭応援条例」の狙い

岡山県議会議員 福島恭子さんに聞く 

子育てに責任持つ保護者応援 

親の悩み気軽に話せる場を 地域・企業に支援を促す

岡山県議会は2月定例議会で、保護者が家庭教育を安心して行えるよう、社会全体で支えることを定めた「家庭教育応援条例」を可決した(4月1日施行)。同様の条例を制定したのは10県目。提案した自民党県議団で、素案の作成から成立まで中心的に関わってきた福島恭子議員に、条例の狙いなどについて聞いた。(聞き手・森田清策)

ふくしま・きょうこ 昭和44年3月、岡山市生まれ。地元の高校を卒業後、上京。広告代理店や芸能プロダクションに勤務。帰郷後、岡山のケーブルテレビ・オニビジョン勤務。平成23年、岡山市議会議員当選、27年、岡山県議会議員当選、現在2期目。

家庭教育応援条例に関心を持つようになったきっかけは。

熊本県議会が全国に先駆けて「家庭教育支援条例」を成立させた後の平成25年、当時、私は岡山市議会議員でしたが、小学校教員から「岡山市でもつくってほしい」と相談がありました。その条例は、子供の教育について父母や保護者に第一義的な責任があると謳(うた)っている、という説明でした。

学校は勉強する場なのに、現状はそうなっていない。しつけは学校がやるものだと考えている保護者が少なくなく、朝ご飯を食べない、着替えもしないなど、学校教育に欠かせない基本的な生活習慣を身に付けていない子供が大勢いるからです。条例はこの状況を打開する一歩に確実になる――。

こんな教員の訴えについては、以前から気づいていましたが、それがきっかけとなって条例についての勉強を始めました。

条例の最大の狙いは、子供の教育については保護者に第一義的な責任があることを明確にすることですか。

家庭といっても、いろんな家庭があります。1人親あるいは事故や病気で両親とも亡くなっているお子さんが「家庭」と聞くと、つらいものがあるかもしれません。

しかし、両親がいないと生まれないのが子供です。その前提で考えたとき、子供にとって家庭は人生の出発点で、幸せを感じる力を身に付ける土台づくりの大切なところです。子供が考える理想の父親・母親になることが一番いいとは思いつつも、それはなかなか難しい。それでも、子供の教育には、保護者に第一義的責任があり、そして地域社会や企業にも支援していただければありがたい、ということです。

家庭教育に対する支援は、これまでも何らかの形で行われてきました。

第1次安倍内閣の時に成立した改正教育基本法(平成18年)の第10条には、「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有する」とあります。そして、家庭と学校・地域をつなぐ「家庭教育支援チーム」が各地に出来ました。

また、岡山県では平成29年、生涯学習審議会が提言書「すべての子どものための家庭教育支援の充実に向けて」を出しています。このように国・県レベルでも家庭教育支援は、まったくやってこなかったわけではないものの、ほとんど知られていません。ここに条例の必要性があるわけです。

素案から修正した部分がありますが、そのポイントは。

最初に問題となったのは、素案の「目的」に合った「子どもが将来親になるために学ぶことを促す」という文言です。これについて「親になることを強制している印象を受ける」という意見が出ました。

もちろん、この文言は「親になりなさい」という意味ではありません。結婚するもしないも個人の自由ですし、子供を生む生まないも自由で強制できるものではありません。しかし、誤解を受けやすいかもしれないというのであれば、表現を変えましょう、ということで「子どもが将来親になる選択をした場合のために学ぶことを促す」と修正しました。

このほか「価値観の押し付けではないか」「公権力が家庭に入るな」という批判がありましたので、そのような誤解を受けやすい文言については修正しました。

「家庭」といった場合、祖父母も入るという意見があります。岡山県の条例では、祖父母という文言は入れていませんね。

 そこは検討しました。私は入れたかったのですが、いろいろな意見を伺う中で、「保護者」に含まれるという意見が強く、それが通りました。

他の自治体の条例との違いは。

一つは「財政上の措置」を明記したこと。それから、施行後3年を超えない期間ごとに検討を加えて、その結果に基づいて所要の措置を講ずる、と社会情勢に応じてカスタマイズできるようにしたことです。

条例が施行したことで、優先して取り組みたいことは。

まず、これまでやってきた家庭教育政策について、全て洗い出したいですね。どこの部署で何をやっているのか、そしてどういう効果を出しているのか。その後、条例が理想として掲げる内容に近づけるためには、どんな政策が必要かについて執行部と話し合わないといけないと思います。

具体的には「家庭教育サポーター」をつくっている自治体がありますが、PTAの会合や学級懇談会のような場所に出向いて、子育ての悩みを気軽におしゃべりできる場をつくるサポーターを訓練し設ける施策は取っていくべきだと考えています。

児童虐待をはじめ、家庭の教育力低下を示す問題が噴出しています。その根本的な原因をどう考えますか。

それこそ憲法に「家族条項」がないことを考えざるを得ません。さまざまな家族や団体があって、社会は成り立っている。その中で、「家族」「親族」という単位をもっと大切にしないといけないが、個人優先となっているのが今の日本です。

もちろん、個人の人権・プライバシーを侵害することは許されません。しかし、個人は1人で生まれ、1人で死ぬわけではなく、家族の一員として生まれてくるわけです。その家族を大事にすることは、親戚だけでなく隣のおばあちゃんも大事にすることにつながる。そんな考え方が日本人に脈々と受け継がれてきましたが、「個人が大事」だけになってその考え方がプツッと切れてしまいました。それが児童虐待から孤独な高齢者の増加など、さまざまな問題につながっているのだと思います。

自己反省の意味を込めて伺いますが、子育てについては子供を自分のお腹を痛めて生んだ母親と、そうでない父親とでは、関心度にかなり温度差があるように思います。

ぜひ反省してください(笑)。子育ては“一瞬”の積み重ねです。0歳から3歳、3歳から6歳とだんだん成長していく。その瞬間、瞬間の喜びは、人生に一度しか味わえません。もちろん、全員ではありませんが、父親はたまに息子と遊ぶことがあっても、仕事優先になっているのではありませんか。

一方、生む壮絶さを味わうからかもしれませんが、ほとんどの母親は、子育てに対する最終的責任は、自分が持たないといけないと自覚しています。この意識の差は、お風呂に入れる、あるいは寝かせつける時にも、子供に伝わります。

ただ、今は働く女性が多い状況になっているのですから、父親の責任意識を高めてもらわないといけません。それでも最近は、“素敵なお父さん”が多くなりました。

国レベルにおける家庭支援法の必要性について、どう思いますか。

必要だと思います。新組織「こども家庭庁」が来年4月、設置の予定です。家庭教育は新組織と密接な関わりがありますから、新組織の動きの中で、家庭支援法のような法律が考えられる可能性があるでしょう。

【メモ】 地元のケーブルテレビ・オニビジョン勤務時代には、瀬戸チャンネル開局から記者兼カメラマン兼リポーターとして、瀬戸町(現在は岡山市に編入合併)を走り回り、地元の有名人だった。児童虐待など凄惨(せいさん)な事件を聞くと、「なんで助けられなかったのか、と思って、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになる」。情にもろく、直球勝負の“肝っ玉母さん”。条例に反対運動が起きても「子供のために絶対にやり遂げる」と信念を貫き通した。