第一線で活躍するキーパーソンが、ミレニアル世代に向けてキャリアの極意を語るスペシャルライブトーク「BIキャリカレ(キャリアカレッジ)」
第2回に登場したのは、著書『1分で話せ!』が大ヒットしているYahoo!アカデミア学長の伊藤羊一さん。キャリアのスタートは「東大卒業後に日本興業銀行に入行」という華々しさだが、実は20代は鬱々とした時期が続いていたそう。
伊藤さんのブレイクスルーポイントとは? 仕事をどんどん楽しめるようになる行動習慣とは? イベントの後半では、参加者の質問にも“快答”。聞き手は、HARES代表で複業研究家の西村創一朗さん。
西村創一郎さん (以下、西村) : 伊藤さんと言えば、すごくエネルギッシュで楽しく働く大人の代表格。現在はYahoo!アカデミア学長として次世代リーダー育成を促進されているだけでなく、ご自身の会社も立ち上げて、幅広く講演活動なども行なっていらっしゃいますね。
伊藤羊一さん(以下、伊藤):会社の名前は「ウェイウェイ」なんだけど、完全にノリで決めたんだよね。一見「Way&Way」みたいな、「いろんな道進んでいこーぜ」みたいな意味っぽいでしょ。全然違う。友達と行ったカラオケで、「今度会社作ろうと思ってるんだよね。なんて名前がいいかな〜」「だったらウェイウェイがいいっすよ!」「いいね、それ。ウェイウェイ〜♪」って(笑)。
でも自分の会社があるおかげで、ヤフーの顔以外でできる活動も広がって楽しくやっているわけです。でも、こんなに情熱的に仕事できているのは最近のことで、基本的には浮き沈みの人生。20代なんてどん詰まりの時期もあったんですよ。これ、僕のライフラインチャートです。
西村:たしかに、かなりアップダウンがありますね。
伊藤:子どもの頃は結構テニスが強くて、誰でも知ってるプロ選手たちとジュニア時代に試合していました。
西村:すごい!
伊藤:学校のテニス部は基礎練中心だったので、学外のテニススクールにも通っていてね。学外で練習しまくっていたので、「部活に出席してこない」という理由で高1でクビになったんです。「今からクビを発表する。伊藤」って。なんじゃそりゃ?!って感じですが、むちゃくちゃ恥ずかしくてショックだった。
さらに1週間後に失恋してドン底に。このダブルパンチでひねくれて、斜に構えて世の中を見る人生が始まるんですね。
ものごとに真面目に取り組むことができなくなって、「受験なんて所詮バカがやることだろ?」と斜に構えまくってました。
西村:でも、東大に行ってらっしゃるじゃないですか(笑)
伊藤:姉貴が勉強するのを横目で見て勉強法が分かっていたというだけですよ。受験はほぼ暗記ゲームだと思っていて、その暗記ゲームに対応する受験脳は備わっていた。
でも、受験脳が備わることと本当に頭がいいこととはイコールじゃない。だから、受験がうまくいったからといって、大学生活やその後の人生がうまくいくわけでもなく。なんていったって斜に構えてますからね。
でも就活は苦労しませんでした。なぜなら僕が就活したのが1989年。日経平均株価が3万8000円台を付けたバブルの絶頂期でしたから。斜に構えた姿勢を修正するチャンスを失ったまま、社会に飛び出してしまいました。
得意先でトイレにこもり、ずっと吐く毎日
西村:日本興業銀行(当時)に入ったんですよね。
伊藤:順調そうでしょ? ところが、斜に構えたままだから新人研修でつまずくんですよ。半年間の研修後、同期160人が集められて「この中に4人だけ不合格者がいる」と言われたんです。「バカがいるわ」と思ったら、最初に呼ばれた名前が「伊藤」(笑)。補習を命じられ、さらに2年間で8科目の必修の通信教育プログラムも、やる気ないからやらないんです。結局、8科目中1科目しか終わりません。仕事する気がないから、毎日飲み歩き。
「俺はまだ本気出していないだけ」状態で、反省することもなく、ひたすら内にこもる。結果どうなったかというと、26歳から鬱になっちゃったんですよ。
引きこもり続けた結果。26の時、鬱になった(写真はイメージです)。
Shutterstock/ M.Vich
西村:仕事が原因のメンタル不調というのは、今ほど話題になっていなかった時代ですよね。
伊藤:完全に「サボり病」だと思われていました。出社しようとしたら吐いちゃう。やっとお客さんとこに行っても、クライアントのトイレにずっとこもって、上司が先に帰っちゃうみたいな。大袈裟でなく、毎日吐いてました、俺。
西村:そこからどうやって復活を?
伊藤:あるお客さんが僕を信じてくれて、仲間が助けてくれたという経験ですね。
僕が就職した直後にバブルが崩壊したので、不動産融資も全部ストップ状態だったんですが、当時まだ新しくて小さな会社だったマンションディベロッパーさんを担当したらすごく熱心に話をされて、「伊藤さんに賭けます」って言われたんです。
「こんな俺に賭けてくれる会社があるのか」と、この言葉にビビッと来て。今思えば、先方は伊藤だろうが山田だろうが誰にでも頼りたい状況だったと思うんだけど、それでも頼られたことが嬉しかった。
で、上司に相談したら、「よし、伊藤が俺を説得してくれたら、俺が社内を駆け回って全部説得してやる」って言ってくれたんです。えーできないよと思ったけれど、周りの同期や先輩が「だったら手伝うぞ。やったろうじゃん」と助けてくれて、結果、融資が成立したんです。そしてこの融資成立が、冷え込んだ不動産業界を刺激して、第6次マンションブームのきっかけにまでなっちゃったとも言われています。この一件で、「俺、仕事していいんだ」と思えたんですよね。
西村:初めて「認められた」と思えた。
「仕事をちゃんとやれば仲間は助けてくれる」
伊藤:そうそう。それまでは自分で勝手に閉じこもっていたんだよね。何か思い切ってやってみて「お前は全然できないんだよ、バーカ」と打たれるのが怖かった。でも、えいやっとチャレンジしてみたら、打たれるどころか皆助けてくれるし、一緒になって結果を喜んでくれる。「自分からちゃんとやらなきゃダメなんだな」と初めて気づくわけです。
西村:それが社会人4年目の出来事だったんですね。
伊藤:3〜4年無駄にしたのかな。いや、無駄ではなくて、その期間にグツグツと溜めていたものが、解き放たれて今も続いている感じだな。
「仕事をちゃんとやれば仲間が助けてくれる。社会とつながれる」という成功体験を得てからは、逆に仕事から離れられなくなってね。とにかく仕事漬けで、元旦すら完全には休めない体質に変わりました。
二つ目の大きな転機は、2011年の震災後に東北の物流復活を仕切り、有事のリーダーシップとはなんたるかを知ったこと。「リーダーシップとは決断することであり、何かをする、と同時に、何かを捨てること」なんです。「水が入荷しました! どこに送りますか」と判断を求められた時に、「全部東北優先で行くぞ!」と決められるかどうか。正解はない中で、いかに自分を信じられるか。
その後、コミュニケーションスキルの訓練が重要だと気づいて自分で勝手に教え始めて、グロービスで教えるようになり、ヤフーに誘われて、今はリーダー育成の教育を生業にしています。5年前には思いも寄らなかった転換だけれど、今の仕事は自分の天職だと思っています。
「譲れない想い」を見つけよう
西村:天職を引き寄せるために必要なことは何なのでしょうか?
伊藤:自分の信念というか「譲れない想い」は誰にでもきっとあると思うんですよね。それを見つけ出すことが大事。“決める”んじゃなくて“見つける”こと。
自分の頭の中をできるだけ言葉にしていけば、「譲れない想い」が見えてくるはず。例えば、「人を笑顔にするのが好き」とか「人前で目立ちたい」とか「お金儲け第一」とか、何でもいいんですよ。譲れない想いは人の数だけ違います。この会場にいる人の譲れない想いは、全員違います。なぜなら歩いてきた道が違うから。
僕は20代の鬱経験があるから、僕なりの「譲れない想い」にたどり着いたわけです。この「譲れない想い」を見つけようとしないと、仕事の選択肢が増えた時に迷うことになる。そこで選択する時に、自分の判断軸がないとダメなんです。
西村:改めて伊藤さんの「譲れない想い」あるいは「信念」とは?
伊藤:3つあります。一つは、「人は変われる」。これは僕自身がダメダメ人間から変われた経験があるから、若い人にも伝えていきたい。「人は変われる」という信念があるからこそ、Yahoo!アカデミアの学長を楽しくやっているんです。
次に、「 人間関係はフラット」。人の社会的立場によって突然態度が変わる人とか、大嫌いなんです。その人は変わらずその人であり、人として尊重し合いたいという思いがあります。
最後に「仲間は裏切らない」。これも、僕自身が変われたきっかけからつかんだ信念です。
西村:全部“人”に関わる信念なんですね。
伊藤:そう言われてみればそうですね。事業をやっていた時も教育に携わり始めてからも、基本の姿勢は変わってないなと思います。
でもね、最近また転機があったんですよ。とある雑誌を人に見せられ、フランスのステーションFっていうインキュベーションセンターの写真を観たんだけど、それ観た瞬間、涙がとめどなく溢れてくるの。「リーダーシップとかインキュベーションとかプレゼンテーションとか、いろいろやってきたけれど、俺がやりたかったことは全部つながっていたんだ。人が自分でやる気になって形にして、それを人に伝えていく。その一連の流れを応援していきたいんだ、俺は」と。全部つながった瞬間、パーッと解き放たれて。
西村:「解き放たれる」という感覚だったんですね。
伊藤:それまで僕はどうしても朝起きられない体質で、布団から出てエンジンをかけるために、まず猫パンチとか子熊のケンカとかの動画で癒されて、やっと起き上がったら次に「ウィニングイレブン」で一試合やんなきゃダメだったんです。
しかも、人間相手じゃ負けるから、最弱設定したコンピュータ相手で「10-0」くらいで圧勝して「よっしゃー!」と起きてたんです。
西村:まさかの一面ですね(笑)!
伊藤:30年以上そんな感じ。それがこの解放の涙を境にしてピタッと必要なくなった。あれからネコ動画は1回も観ていないし、ウィニングイレブンもやっていない。朝5時に目覚める体質に変わって、仕事の効率も上がりましたからね。「歳を取ったらもう変われない」なんてことはない。51歳で目覚めることもある。目覚めるためには、一生懸命足元のことをやり続けているということが条件になるとは思いますけどね。
西村:勇気が湧くお話でした。ここからは質問タイムです。
Q1 転職経験も豊富な伊藤さんが考える「転職でハッピーになる人・後悔する人」の違いとは?
伊藤:僕はいつも「この会社に行きたい」という気持ちで動いてきましたね。行きたくて行っているから楽しいわけです。転職を考える時は、現状への不満やネガティブな理由もあるとは思うけれど、「行った先で何をしたいか」は描いたほうがいい。ユートピアを求めての転職はうまくいかないんじゃないかな。
西村:「ここではないどこか」を求めるのではなく、「行きたいどこか」を見つけるということですね。
伊藤:すごくささやかな動機でもいいと思うんですよ。「この会社のCMの雰囲気が好き」とか「ウェブの記事を読んで、社員の話に共感できた」とか、小さくてもいいから「好き」の理由があることが大事。しかも、1社に熱烈に決め込まなくても、10社くらい行きたい会社があったっていいわけで。転職エージェントから勧められた候補から選ぶ、みたいな受け身の動きより能動的に選ぶほうがうまくいく気がします。
結局、転職先でいいことばかり起きるわけじゃないじゃない。その時に「自分で選んだ会社だから」と思えると乗り越えられる。選ぶには信念が必要だから、さっき言ったような「譲れないもの」発見はやはり意識したほうがいいですね。
Q2 うまくいく複業の共通点とは?
伊藤:複業自体が目的になってしまうとよくないと思います。自分がやりたいことを求められるままやっているうちに複業になっていたのが理想。僕も、前職で社内の営業マン向けにプレゼンの指導をやっていたら、「うちでもやってくれない?」と呼ばれたりと、「やりたいことを夢中でやっていたら外からお呼びがかかった」みたいな感じで広がっていったんですよ。
Shutterstock/shigemi okano
西村:複業は目的ではなく結果であると。声をかけられた結果として形を成していくものだということですが、「声をかけられる人になる」ためのコツはありますか?
伊藤:3つあります。一つは、コンテンツのクオリティを高くすること。基本ですね。2つ目は、ちょっとテクニカルですが、「ビックリさせる」って大事です。「えー、そこまでやるの?」みたいに相手の期待値を上回って驚かせる。驚かせると口コミが生まれるんです。3つ目は、これは今の時流に反するかもしれないけれど「全部受ける」。つまり、できるだけ依頼は断らない。これ、大事です。
西村:来た仕事はできるだけ受ける、というスタイル。でも、まったく専門外というのが来た時にはどうしますか?
伊藤:実際にあったんですよ、最近。数カ月前に、日経から「『量子コンピュータが経営ビジネスに与える影響』についてのセミナーの基調講演をやってほしい」という依頼があって。人違いかなと思ったんだけど、「伊藤さんです」と言われて、受けることにしたんです。量子コンピュータのことなんて全然知らないから死に物狂いで勉強して、自分なりの言葉で話してみたら、結果として「分かりやすくて、すごく面白かった」と好評だったんです。
西村:きっと専門外だからこその視点や解説の平易さが多くの人の胸をわしづかみにしたのでは?
伊藤:自分の枠を努力して広げたことで、芸がまた一つ増えることになるかもしれない。ちなみに僕が人前で講演するようになった最初のきっかけは“自分で主催”だったんですよ。5年くらい前に、「プレゼンって大事だからセミナーやってみるか」って飲み会のノリで企画してみたら、100人くらい集まっちゃったんですよ。その反応で「あ、ニーズあるんだ」と分かって、さらに熱を入れていったという感じ。アウトプットしてみたら、よくも悪くも反応が返ってくるから、次にやるべきことが分かるよね。
西村:「声がかかる前に、試しに自分でやってみて反応を見る」というのもいい方法ですね。
伊藤:なんて言って、いまだに人が集まらなくて焦ることもしょっちゅうだから(笑)。それでも失敗を恐れずチャレンジするってことです。
Q3 やりたいことが多過ぎて、全部始めると全部中途半端になりそうです。
伊藤:全部やればいいと思います。中途半端になりますよ。僕も、なります(笑)。今だって、未読のメッセージがたまりまくってます。でもね、どんなにとっ散らかっていても、本当に大事なやつは埋もれずに残っていく。自分にとって優先度が低いやつは自然に淘汰されていきます。だから、全部中途半端なまま走っていけばいいんです。
西村:僕もまさに去年は、いろんなことを全力でやろうとし過ぎてオーバーヒートしました。「中途半端なままでいいじゃん」と考え方を変えてから、うまくいくようになった気がします。あと、一旦収束したかに思えたプロジェクトが、いろんな巡り合わせで2年後に復活したことも。「中途半端でよし」と割り切っていい、というメッセージは安心しますね。
伊藤:周りへの迷惑が気になるとは思うんだけどさ。「あいつはいくらメールしても返事返ってこない」とキャラ立ちしたら成功ですよ(笑)。
Q4 「20代にやっておけばよかったな」と思うことは?
伊藤:今日みたいなイベントに行くことかな。僕は一切行っていなかった。人と会うのが怖かったから。指されて意見を言って自分の未熟さが露呈するのが怖かった。イベントに限らず、同期会にも行かなかったし、本当に仲の良い数人としか話さなかった。
西村:今は「もったいなかった」と思っていらっしゃる?
伊藤:映画をあまり観ていないことや、教養を身につけられなかったことは後悔していないけれど、「人と会わなかった」ことだけはめちゃくちゃ後悔しています。なぜなら、人はやっぱり人から学ぶから。人が一番。 本を読むのは大事ですが、やっぱり人と触れ合うことが最大の学びで人生を豊かにするって、今の僕は心底思っているんです。
西村:今25歳だったとして「こういう会社に行ってみたい」ってありますか。
伊藤:ウェイウェイみたいに、企業に勤めながら自分の会社を作ります。大企業に勤めながら実現しにくいことをやるための会社。複業的に。「会社の方針と合わないからできない」という理由で諦めることが格段に減るでしょう。自分の会社をつくってみてその良さを実感しているから、もっと早くやればよかったと思っています。
Q5 オンとオフの切り替えは? 超多忙な伊藤さんはどうリフレッシュしていますか?
伊藤:仕事とプライベートの切り替えスイッチはないです。常にオンエア状態。だから、リフレッシュも必要ないです。ただ、「オンとオフ」という感覚はあって、それはテンションの切り替えですね。今みたいに人前で話している時は全開のオンにして、終わった途端、オフモードにする。だから、イベントの前の打ち合わせに行くと大抵、「伊藤さん、今日体調悪いですか?」と心配される(笑)。違うのよ。まだオンにしていないだけ。
このオンとオフを“自分でコントロールしている”というのがすごく大事です。コントロールできないと、雰囲気に巻き込まれたりして心身が荒んでいくから。
西村:コントロールする力はどうやって身につけられますか?
伊藤:自分自身を客観的に見つめる力、いわゆる「メタ認知」のトレーニングですよね。最近、Yahoo!アカデミアでも実践している「マインドフルネス」はまさにそれ。「今ここに集中する感覚」が磨かれていきます。
あと、日記を書くのもおすすめですね。その日一番印象的だったことを書き続けるだけでも、1日1日ケリがついていく感じでスッキリするんですよ。
3つ目は、やはり「人と会って話す」こと。今日、僕は西村さんと話して、西村さんが何を考えているのかを認識する。「西村さんの考えを知ってからの、自分の考えは?」と一歩引いて見つめてみる。インプットだけでは人は成長しなくて、いかに自分のものにしていくか。そのための客観力を意識的に鍛えていくといいと思います。
- 伊藤羊一(ヤフーコーポレートエバンジェリスト/Yahoo!アカデミア 学長/株式会社ウェイウェイ代表):1990年日本興業銀行入行。企業金融、企業再生支援などに従事後、2003年プラスに転じ、流通カンパニーにて物流再編、マーケティング、事業再編・再生を担当。 2012年執行役員ヴァイスプレジデントとして、事業全般を統括。2015年4月ヤフーに転じ、企業内大学Yahoo!アカデミア学長として、次世代リーダー育成を行う。グロービス経営大学院客員教授としてリーダーシップ系科目の教壇に立つほか、KDDI ∞ Labo、IBM Blue Hub、MUFG Dijitalアクセラレーター、Code Republicほか、さまざまなアクセラレータープログラムにて、スタートアップのスキル向上にも注力。
- 西村創一朗(複業研究家、HARES・CEO、ランサーズ複業社員、NPO法人ファザーリングジャパン理事):1988年神奈川県生まれ。大学卒業後、2011年に新卒でリクルートキャリアに入社後、法人営業・新規事業開発・人事採用を歴任。本業の傍ら2015年に株式会社HARESを創業し、仕事、子育て、社外活動などパラレルキャリアの実践者として活動を続けた後、2017年1月に独立。独立後は複業研究家として、働き方改革の専門家として個人・企業向けにコンサルティングを行う。講演・セミナー実績多数。2017年9月〜2018年3月「我が国産業における人材力強化に向けた研究会」(経済産業省)委員を務める。プライベートでは3児の父、NPO法人ファザーリングジャパンにて最年少理事を務める。
(取材、文・宮本恵理子)