「ディクシー・チックス」−「ナタリー・メインズ」=「コート・ヤード・ハウンズ」 |
“好き嫌い”は何からできているのだろうか? 食べ物を好きになる。人を嫌いになる。音楽を好きか嫌いか判断する。それは一体どこからやってくるのだろうか?
そんなことを考えたきっかけはコート・ヤード・ハウンズの音楽アルバム『Court Yard Hounds』を聴いたから。レディ・ガガでもsuperflyでも絢香でもない。マイナーな女性デュオだが、グラミー賞をいくつも受賞してきたカントリーグループ「ディクシー・チックス」から派生した。3人組のチックスのうち、事情があってそのうち2人(マーティ・マグワイア、エミリー・ロビソン)で作ったアルバムだ。
●ディクシー・チックス≠コート・ヤード・ハウンズ
出来は良い。エミリーのボーカルはポップスで叙情性もある。スリリングなチックス・ストリングスもある。3分の2でもここまでできるならチックス・ファンも満足……のはずだが、聴きこんでいくにつれて「何か足りない」と思い出した。いったい何なのだろう?
もちろんそれは、アルバム不参加のナタリー・メインズ、パワフルでソウルフルなリードボーカルだ。彼女はカントリーというジャンルの枠を超えるチックス音楽の柱。3分の1とはいえ柱だから「足りない」のは当たり前なのである。
それでふとチックスの魅力を考えた。カントリーの郷愁とトラッドなリズム、ポップスとロックの味付け、ちょいと年はいっているけどアイドルっぽさ、女性視点の社会的なメッセージ。3人の個性、ユニークな要素が重なり結合しているところだ。
チックスを聴き出したのは1つの事件から。米国のイラク侵攻前夜、ナタリーがブッシュ大統領批判をして放送業界やファンから総スカンを食らった。だが謝らない。すごい女だと思った。しかし、それはきっかけで、聴き出すと3人の個性と要素にハマった。
どこかからきっかけがやってきて興味を抱く。情報を得てその要素が好きになる。これを“好きの構造の第一法則”と呼ぼう。この法則は“愛”に適用できる。
●2つの好きの構造の法則
TwitterやFacebook、mixiで友人を集めるコツは、プロフィールに自分の好きなことをたくさん挙げておくことだ。誰かがあなたを見つけて、要素にひかれたらフォローしようか、友だちになろうかと思う。人は接点を求める生き物なのだ。
「趣味が同じだから」「話していて似た価値観があるから」「出身が同じだから」など、好きなことや相性の一致を求める。要素は多い方が好きが強固になる。
ところがひかれあっていても、ささいな“イヤなこと”で、好きの構造がひっくり返ることがある。実例を挙げよう。リエさん(仮名)がカレとデートに初めて出かけた時のことだ。
「お昼、どうする?」、リエがカレに聞いた。
「何にしようか」とカレ。
「●●ビルに、うどんのお店と韓国料理のお店があるの。どっちにする?」
「う〜ん(しばし考えて)、うどんにしようか」
リエはその日カレを振った。なぜか。ワケはこの短い会話に凝縮されている。
まず、初デートなのにランチの場所さえアテがない。これは“無思考・無計画なオトコ”というシグナルを送った。次に彼女の提示した選択肢で、うどんを選ぶという愚かさを露呈した。うどんは悪くないし、うどんを責めるわけじゃない。だが初デートでうどんかコリアなら、コリアしかない。これは普遍的な鉄則である。キミ、空気を読めよ。
そこで彼女は「カレは人のことを考えないオトコ」という結論に達した。蛇足だが、そのうどんが割り勘だったことがダメ押しになった。
ここで第二法則「嫌いが許容範囲を超えると、好きなものは見えなくなる」が展開される。
もう1つ例を挙げておこう。サラさん(仮名)は有能でジェントルマンな上司Kさんを尊敬していた。ところがある日の飲食店での出来事で、尊敬の念が粉々になった。サラさんの説明。
「もちろんお店の人が悪いの。お汁をドーンとこぼして、それがKさんのズボンにドッとかかっちゃって。でもね、その後が……『店長呼べ!』『クリーニング代全額出せ!』『ひざをついて謝れ!』と言うの。Kさんてそんな人だったの……と引きました」
●好き嫌いを決める3つの脳
好きはきっかけで始まり、要素の重なり具合で強くなる。ところが嫌いが許容範囲を超えると、好きはパッと消滅する。この関係はどうやら脳ウンチク学的にも説明がつく。
好き嫌いを決めるためには、脳の3つの部所が関わる。まず、大脳辺縁系(だいのうへんえんけい)は大脳の古い皮質で、人の本能に関わる部分。ここに「美しい」とか「好き」とか「嫌い」とか、「快」か「不快」かという感覚情報が集まる。好きの要素が集まり重なる場所だ。
そして2つ目は大脳新皮質である。ここは人格・意欲・創造性を司る機能、つまり理性を発揮して「やっぱりこれ嫌い」や「好き」を感じる。「値踏み」もしくは「世間体チェック」とも言える。
だが快・不快を初期判断するのは、大脳辺縁系の奧のアーモンドのカタチをした扁桃核(へんとうかく)とされる。この情動を司る器官が好き嫌いを決めている。良いことが続けば「好き」、不快なことが起きると「嫌い」を発動する。
要するに好きにさせる戦略には3段階ある。ターゲットの扁桃核へ好きになる(不快にさせない)きっかけを働きかけ、好きを持続させる要素を大脳辺縁系へ積み重ね、そして離反させないシナリオで大脳新皮質をコントロールする。どうやらマーケティングらしくなった(笑)。
好きなものから要素が欠けたとき、それの何が好きだったのかが分かる。3分の2のコート・ヤード・ハウンズになって、3人のチックスは単なるポップスではなく、本当のカントリー、真の愛国心を歌っていたと気付いた。何を聴いていたか、自分が本当に何を好きなのかが見えてきた。好きの構造とは、かくもおもしろい。【郷好文,Business Media 誠】
ハァ?『だが初デートでうどんかコリアなら、コリアしかない。これは普遍的な鉄則である。キミ、空気を読めよ。』ハァァァァァァァァァァァァ?何故日本の郷土料理<チョン料理な訳?ワケワカメなんですけど
香川と並ぶうどん県である群馬県在住の者として激しい憤りを感じるのですがっ!
キムチ悪い(気持ち悪い)話だこと…。
ま、チョン女の『リエ』と縁が切れて彼は幸せな事でしょう。
そんなことを考えたきっかけはコート・ヤード・ハウンズの音楽アルバム『Court Yard Hounds』を聴いたから。レディ・ガガでもsuperflyでも絢香でもない。マイナーな女性デュオだが、グラミー賞をいくつも受賞してきたカントリーグループ「ディクシー・チックス」から派生した。3人組のチックスのうち、事情があってそのうち2人(マーティ・マグワイア、エミリー・ロビソン)で作ったアルバムだ。
●ディクシー・チックス≠コート・ヤード・ハウンズ
出来は良い。エミリーのボーカルはポップスで叙情性もある。スリリングなチックス・ストリングスもある。3分の2でもここまでできるならチックス・ファンも満足……のはずだが、聴きこんでいくにつれて「何か足りない」と思い出した。いったい何なのだろう?
もちろんそれは、アルバム不参加のナタリー・メインズ、パワフルでソウルフルなリードボーカルだ。彼女はカントリーというジャンルの枠を超えるチックス音楽の柱。3分の1とはいえ柱だから「足りない」のは当たり前なのである。
それでふとチックスの魅力を考えた。カントリーの郷愁とトラッドなリズム、ポップスとロックの味付け、ちょいと年はいっているけどアイドルっぽさ、女性視点の社会的なメッセージ。3人の個性、ユニークな要素が重なり結合しているところだ。
チックスを聴き出したのは1つの事件から。米国のイラク侵攻前夜、ナタリーがブッシュ大統領批判をして放送業界やファンから総スカンを食らった。だが謝らない。すごい女だと思った。しかし、それはきっかけで、聴き出すと3人の個性と要素にハマった。
どこかからきっかけがやってきて興味を抱く。情報を得てその要素が好きになる。これを“好きの構造の第一法則”と呼ぼう。この法則は“愛”に適用できる。
●2つの好きの構造の法則
TwitterやFacebook、mixiで友人を集めるコツは、プロフィールに自分の好きなことをたくさん挙げておくことだ。誰かがあなたを見つけて、要素にひかれたらフォローしようか、友だちになろうかと思う。人は接点を求める生き物なのだ。
「趣味が同じだから」「話していて似た価値観があるから」「出身が同じだから」など、好きなことや相性の一致を求める。要素は多い方が好きが強固になる。
ところがひかれあっていても、ささいな“イヤなこと”で、好きの構造がひっくり返ることがある。実例を挙げよう。リエさん(仮名)がカレとデートに初めて出かけた時のことだ。
「お昼、どうする?」、リエがカレに聞いた。
「何にしようか」とカレ。
「●●ビルに、うどんのお店と韓国料理のお店があるの。どっちにする?」
「う〜ん(しばし考えて)、うどんにしようか」
リエはその日カレを振った。なぜか。ワケはこの短い会話に凝縮されている。
まず、初デートなのにランチの場所さえアテがない。これは“無思考・無計画なオトコ”というシグナルを送った。次に彼女の提示した選択肢で、うどんを選ぶという愚かさを露呈した。うどんは悪くないし、うどんを責めるわけじゃない。だが初デートでうどんかコリアなら、コリアしかない。これは普遍的な鉄則である。キミ、空気を読めよ。
そこで彼女は「カレは人のことを考えないオトコ」という結論に達した。蛇足だが、そのうどんが割り勘だったことがダメ押しになった。
ここで第二法則「嫌いが許容範囲を超えると、好きなものは見えなくなる」が展開される。
もう1つ例を挙げておこう。サラさん(仮名)は有能でジェントルマンな上司Kさんを尊敬していた。ところがある日の飲食店での出来事で、尊敬の念が粉々になった。サラさんの説明。
「もちろんお店の人が悪いの。お汁をドーンとこぼして、それがKさんのズボンにドッとかかっちゃって。でもね、その後が……『店長呼べ!』『クリーニング代全額出せ!』『ひざをついて謝れ!』と言うの。Kさんてそんな人だったの……と引きました」
●好き嫌いを決める3つの脳
好きはきっかけで始まり、要素の重なり具合で強くなる。ところが嫌いが許容範囲を超えると、好きはパッと消滅する。この関係はどうやら脳ウンチク学的にも説明がつく。
好き嫌いを決めるためには、脳の3つの部所が関わる。まず、大脳辺縁系(だいのうへんえんけい)は大脳の古い皮質で、人の本能に関わる部分。ここに「美しい」とか「好き」とか「嫌い」とか、「快」か「不快」かという感覚情報が集まる。好きの要素が集まり重なる場所だ。
そして2つ目は大脳新皮質である。ここは人格・意欲・創造性を司る機能、つまり理性を発揮して「やっぱりこれ嫌い」や「好き」を感じる。「値踏み」もしくは「世間体チェック」とも言える。
だが快・不快を初期判断するのは、大脳辺縁系の奧のアーモンドのカタチをした扁桃核(へんとうかく)とされる。この情動を司る器官が好き嫌いを決めている。良いことが続けば「好き」、不快なことが起きると「嫌い」を発動する。
要するに好きにさせる戦略には3段階ある。ターゲットの扁桃核へ好きになる(不快にさせない)きっかけを働きかけ、好きを持続させる要素を大脳辺縁系へ積み重ね、そして離反させないシナリオで大脳新皮質をコントロールする。どうやらマーケティングらしくなった(笑)。
好きなものから要素が欠けたとき、それの何が好きだったのかが分かる。3分の2のコート・ヤード・ハウンズになって、3人のチックスは単なるポップスではなく、本当のカントリー、真の愛国心を歌っていたと気付いた。何を聴いていたか、自分が本当に何を好きなのかが見えてきた。好きの構造とは、かくもおもしろい。【郷好文,Business Media 誠】
ハァ?『だが初デートでうどんかコリアなら、コリアしかない。これは普遍的な鉄則である。キミ、空気を読めよ。』ハァァァァァァァァァァァァ?何故日本の郷土料理<チョン料理な訳?ワケワカメなんですけど
香川と並ぶうどん県である群馬県在住の者として激しい憤りを感じるのですがっ!
キムチ悪い(気持ち悪い)話だこと…。
ま、チョン女の『リエ』と縁が切れて彼は幸せな事でしょう。