日本では、自己実現と仕事は必ずセットで語られる。
例えば、学校教育において、生徒に「将来の夢」を考えさせたりするが、これは「将来なりたい職業」のことを指すという暗黙の了解がある。「ゲームの達人になりたい」とか「漫画をずっと読んでいたい」といった職業に結びつかない夢は、夢とはみなされない。「自分の夢は仕事以外の時間で実現して、仕事自体はなるべくその夢の実現の邪魔にならないものを選びたい」という極めて現実的な考え方には、指導が入る。
昔、TBSで「愛しの仕事さま」という就活番組が放送されていた。この番組名の裏には、「仕事で自己実現をしている人は輝いている」という思想が間違いなく存在している。また、村上龍の「13歳のハローワーク」はよく売れたが、この本も「好きなことを仕事にする」ということを強く推奨していた。この本の中では、「趣味は老人のもの」とまで言われており、「仕事を仕事と割りきって、趣味で自己実現をする」という道は邪道、という立場を取っていることがわかる。こういった考え方が、今の日本社会ではどうしても主流である。
僕は、好きなことを仕事にすること自体にそこまで否定的なわけではない。仕事が好きで好きでしょうがないという人は、他人に迷惑をかけない範囲で好きにやってもらったらよいと思う。しかし、好きなことを仕事にすることこそが絶対的な善であり、そういう価値観や生き方をしていない人はかわいそうだ、そういう風にするべきだ、というような風潮には断固として反対したい。人生の目的を仕事の外に置き、仕事以外の方法で自己実現をするという生き方はもっと認められてよいし、そういう人たちの考え方が尊重されるような世の中でなければならないと思う。
僕がこのように考える理由は2つある。1つ目は、全員が全員、好きなことを仕事にできるというのはどう考えても現実的でないということだ。みんなが好き勝手な職業についたら、それでは社会が回らないということは小学生だってわかっているはずだ。本当に好きなことを仕事にできる人は全体のほんの一部しかいないにもかかわらず、それを全員に目指せと言うのは、酷な話である。
もう1つの理由は、「好きなことを仕事にするのが幸せ」という思想が、やりがい搾取や労働力のダンピングの原因になる、ということだ。以前、アニメ業界の低賃金長時間労働についての記事の中でも書いたが、「仕事が好きだ」という人は、どうしても経営者から足元を見られやすい。仕事の好き嫌いに関係なく、対価は正しく払われるようにしなければならない。
そもそも、仕事としては成立しないような夢のかたちはたくさんある。自己実現と仕事をセットに語らなければならないとすると、そういうものを実現しようとすることがよくないことのように思われてしまう。例えば、「死ぬまでに一冊でも多く漫画を読む」とか、「文化系女子にちやほやされたい」といった夢も、夢の形としては存在していてもよいはずである(ちなみに、後者は僕の夢である。文化系女子のみなさん、ちやほやしてください)。
仕事で自己実現をしなければならない、というのは完全にまやかしだ。仕事で自己実現ができない人も、別に仕事以外で自己実現をすればいいのである。仕事と自己実現を切り離そう。人生は仕事のためだけにあるのではないのである。
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