不登校セラピーのセラピスト紹介
経歴
1998年より成人向けパーソナルトレーナー活動スタート
2005年臨床心理士取得
2005年臨床心理士として子どもの心理サポートスタート
2007年以降 自宅主張型不登校のお子さまの復学に向けたセラピースタート
セラピストプロフィール
臨床心理士とパーソナルトレーナー:萩原 たかひと(貴一)
不登校セラピスト
1979年3月生まれ、大阪府堺市出身
大手スポーツクラブでパーソナルトレーナーを成人向けに活動したあと、臨床心理士を取得。
成人向けから、子どもの心のセラピーをはじめ、そこから不登校のお子さまの身体と心のバランスをとるセラピーを実践。
現在は「国家の未来、地域の未来は子どもが作っていく。そのための親と学校の先生以外の第三のサポートをする」をスローガンに大阪府堺市と大阪市内を中心にセラピスト活動を行っています。
主な活動
- 不登校のお子さまのマンツーマンセラピー
- 不登校のお子さまの保護者の方へのサポート
- 不登校に関係する講義や有料ツールの販売
- 臨床心理カウンセリングの実施
- 学校で学習面で遅れてしまうお子さまへのサポート
主な実績
成人パーソナルトレーニング実施件数月間平均300名
1998年より実施した成人向けパーソナルトレーニングの月間件数が320件を達成。
2004年臨床心理士取得まで成人向けパーソナルトレーニングの年間実施推移
成人パーソナルトレーニング実施回数
1998 1500回
1999 1600回
2000 1820回
2001 1745回
2002 3670回
2003 3470回
2004 3710回
臨床心理カウンセリング実施件数25,900回
臨床心理士取得後のカウンセリング実施件数は2022年現在25,900回。
お客さまの数にして、約6,300人をみさせていただきました。
経歴
学生時代
人と付き合うのが苦手だった学生時代
小学生の頃から、人と楽しく遊ぶ時間と誰にも邪魔されない自分だけの時間とをきっちりと分けるタイプでした。
人とはそれなりに付き合えるのですが、ある一定のラインを超えないように小学生のときから考えていました。
人と深くなりたくないというより、自分の時間を失うのだけは嫌だって思っていたんです。
なぜ、自分の時間を失わないようにしていたかと、今当時の考えをふりかえってみると、自分の人生は自分の時間を持って作れると考えていた気がします。
小学生のときに「この友だちはかっこいいな」って思えたのが、人前でアホだと思われるのを前提におもしろい話ができる人。
勉強ができるとか見た目がカッコいいとかより、「人を笑わせて、全体を和ませられる」人にわたしは憧れ、そのように意識して学校では自己表現していました。
でも、自分の中で2人の自分がいるような感覚もあって、徐々に自分の時間をたくさん持ちたいという意識が強くなり、小学生の高学年になるにつれ、自宅で本を読むとか、友人の誘いを断るなどの、人付き合いへの制限をするようになってきます。
中学時代:クラブ活動のそこそこに自分で勉強をはじめる
小学校高学年から徐々に人と距離を持つようになり、自宅に帰ってからの時間を楽しみにしはじめました。
クラブ活動は軟式野球をし、3年間続けましたが、レギュラーは取れず。
集団で行動する状況で、体調がイマイチな状態を経験し、生まれてはじめて、自律神経失調症になってしまう。
今でも覚えている症状は、唾液が飲み込めない。
野球部のみんなで走っているときに、唾液をいくら飲もうとしても飲み込めず、喉の奥が詰まった感じがして、一年近く取れなかった。
このときに自律神経系の症状は治らず、日常化するために、苦しいものなのだと経験。
のちの自分の人生を決める学問となるとは思わなかった。
自律神経系が影響を及ぼす力は半端ないと感じ、自分の体内に意識を向ける時間が増える。
中学時代は体調がわるくなりながらも、小学生のときに出会った「おもしろい人がかっこいい」という考えをもとに、自分はみんなの前でおもしろいことを言おうとして、目立とうとしていた。
それが本性なのか、演出なのか今でもわからない。
高校時代:退学を考えるほどに人生の苦悩を抱えた
大阪府立の高校に入学し、ごく普通の生活。
高校受験の疲れなのか、一年生のときはまったく勉強をせず、あるときの学校のテストでは英語、国語、理科で全校生徒最下位の成績を叩き出す。
それでもなんとも思わず、40点以上とっていたら、高校は卒業できるとなめた考えをもち、時間がどんどん過ぎていきました。
高校時代がそんなふざけた生き方をしていたため、学校自体が本当におもしろくなく、退学して、自分で何かをやって生きていきたいと望むようになります。
学校以外での活動を増やそうと思って、高校の帰り道にあったスポーツクラブに学生会員で入会。
学校ではクラブ活動を一年生の2ヶ月で陸上部とハンドボール部が生に合わず、やめてしまいます。
この時期から、人との接点を少なくし、自分を見つめる時間を作るようになっていきました。
自分のこころにしたがって、身体が決めたと感じました。
今思えば、不登校セラピーの考え方を実体験しているようにも思えます。
こころにしたがう身体があるというはたらきですね。
ただ、人との接点を少なくし、自分の時間を増やしたのはよかったのですが、環境との接点でわかることが少なくなったと思います。
結果論で判断するしかありませんが、その結果いまの自分の人生があったのはたしかですが、環境との対話がなくなってしまい、現実世界をまっすぐにみるのが難しくなったきがします。
その分、生きることへの悩みは増えましたが、だからこそ見えたことがあるというのはよかったのではと思っています。
大学一回生ではじけ、ある事件が起こる
一浪して京都の大学に入学。一浪時代は、高校生までに築きあげた自分でなんでも取り組むことから、予備校に行かず、独学で大学入学できました。
ずっと孤独のなか、一年間すごしてきたので、大学時代にはじけます。
テニスサークルに入り、授業もそこそこで仲間をつくり、ちゃらちゃらしていましたが、ある事件に巻き込まれます。
はじめてのテストで事件が起こります。
テスト当日、時間ギリギリに大学に到着し、いつもの仲間の近くには座れず、少し知り合い程度の仲間の近くに座りました。
そこで、わたしの気の緩みもあって、横からノートがまわってきたのでした。
当時大学では問題になっていたカンニング行為。
そのノートをわたしは受けとり、もっていたところ、テスト教官がまわってきたところ、注意を受け、テストを中断し、退室させられたのでした。
わたしがすべて悪いのですが、不祥事として、大学の前期(4~7月)のテスト単位がすべてゼロとなってしまいました。
とり返しのつかない行為をしてしまい、かなり反省をしました。
だれかのせいではなく、受けとった自分がすべて悪いのです。
そこからはいつも一緒にいた仲間といるのも気を使うようになり、孤独の道を選択します。
単位がゼロになったので、4年間で卒業するのも危うくなってしまったんです。
そのときに未来を奪われ、就職が新卒でできないという現実の償いをうけ、これからどうしようか思い悩みました。
その事実は当然かわらないし、仲間からの信頼をうしなった。
わたしのこころは痛いほど痛んでいました。
自分がすべて背負うしかありません。
そのとき、学生時代からはたらいていたパーソナルトレーナーの仕事を本格的に行っていくことを決断。
ありがたいことに、たくさんのお客さまに出会えており、就職をする選択もできましたが、経験と好きな仕事を優先していきました。
パーソナルトレーナー活動
大学に通いながら、パーソナルトレーナー活動をしていきました。
新しい知識は、独学で行っていました。
高校時代にきわめた自分でなんでもやっていくスタイルは変わりませんでした。
成人のお客さまを中心に見ていましたが、多くはその当時の中高年の方で、なんらかの疾患や疾患後の後遺症のある方でした。
医学的知識がないと対応できませんでしたので、医学書と向き合いながら、お客さまの症状に対応していきました。
専門の学会があれば、なるべく参加するようにし、新しい知見を触れ合う習慣をつけていきました。
臨床心理士取得
成人のお客さまをみながら、こころからくる身体の症状があることに気づきました。
原因が不明で、疾患の後遺症からきてそうなのに、そこも当てはまらない症状があって、それって疾患とは別にこころからのはたらきによって起こっているのではないと感じました。
そこで必要だと考えたのが、臨床心理学。
臨床心理では、一般の心理学もまなびますが、人をクライアントととらえて、こころで起こっている作用が引き起こす病態を分析する学問体系が入っています。
そのような勉強をし、今まで行ってきたパーソナルトレーニングの内容から修正し、こころを観察、分析する方法を取り入れたのでした。
そして、そのような見方でお客さまをみていると、「自分の子どもが学校に行けてないから見てほしい」という依頼をいただきました。
それまでは成人の方をみる以外の選択肢はなかったのですが、お子さまが学校に行けず、悩んでいるんだという新しい世界に出会えました。
不登校セラピーをスタート
成人のお客さまをみていくと、自分のスキルではどうしようもないと感じる経験がふえてきたんです。
長年、お身体を使ってきており、自己のパターンがあって、筋肉や関節の硬さや弱さ、バランスの悪さがあったりします。
もちろん、そのような症状に苦しんでおられる方には、改善してあげることが大切だとは思います。
成人の方は、神経細胞として完全に成熟しており、自己の内部でシステム化されている見方もあります。
成熟していると、学習しずらいという実感は少しはお分かりいただけるかと思います。
いわゆる「歳とってきて、今までより動きにく、身体が硬く感じる」などの症状です。
学習は人が生きているかぎり続くのは当然なのですが、改善しにくいのも事実です。
そう感じ、現実的にお客さまを改善させる壁にぶつかっていたわたしとしては、お子さまへの出会いが衝撃を受けました。