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婦人科部長の闘病記 Part22
原三信病院婦人科便り22
原三信病院 婦人科 片岡 惠子
どうもどうもどうも~
片岡です。
夏休みに広島に行って参りました。
うちのムスメ、修学旅行にコアラとカンガルーの国に行ってきたものの、昔の中学生定
番である広島の原爆ドームは未体験だということが判明し(長崎にはかろうじて小学校
の修学旅行で行った)日本人たるもの、死ぬまでに一度は見てみなくてはならぬ、と親子
で広島へ。
今だから話しますが、幼い頃、長崎の平和の像のレプリカに赤いマジックで水着(ヒ
゙キニ)を書き込み、親にこっぴどく叱られた不謹慎な私も大人になりました。子供の時
は、周りのおばあちゃん、おばちゃんの、子供がかわいいと言っては泣き、イヌがかわい
そうだと言っては泣きしていたのを見かけて、なんでこんなに涙もろいのでしょうと不思
議に思っていましたが、いや~。
原爆ドーム。号泣。
泣けます。
大人になるってことはいろんな経験を積むということでもあり、そのたくさんの経験から 暑い中、得体のしれない爆弾や迫る炎から逃げ惑い、大切な誰かとはぐれ、おおやけどや 大けがを負い、誰かの亡骸を抱えて呆然とする心情が簡単に想像できて、めっちゃ泣けました。 きっとあの涙もろいおばちゃんたちは、酢いも甘いもかみ分けた、オトナの女性だったに違いない。
やるせない。
原爆記念館の本館が工事中で、別館だけの見学になったのですが、そこに広島赤十字病院 の、原爆投下直後の奮闘も展示されていて、こちらも涙なくしては回れませんでした。一 緒に行ったオットもムスメもちょっとうるっときたらしいのですが、あまりにも私がごん ごん泣いており、その姿にどん引きしてせっかくの涙が引っ込んだとクレームが来ました 。えろう邪魔してすみません。だって泣けたんだもん。
しかし、思うに、どれだけのことがあの瞬間、出来たでしょう。
一番ぐっと来たのは、原爆が落とされた翌日、広島赤十字病院の建物に、あり合わせの布 で作った、あの赤い十字の旗の写真です。きっとご自分たちの家族やおうちのことも心配 だったに違いないのに、少ない物資、少ない人員でありったけのことを頑張ったと思います。 ほんとうに泣けました。おおやけどに塗ったという、赤チンが切ない。
ワークライフバランスが叫ばれる昨今、世の中は「個人の人生」や「個人の幸せ」に
偏重しつつあって、私も例外ではなく、プライベートを大事にしたいという気持ちが
強いのですが、この世を動かしたり人を感動させるなにかって、やっぱり尊い自己犠牲や
献身なんだよなー。もちろん、きれい事だけでは人生は済まないし色々と七転八倒するの
が生きているということだと感じるので、少しずるをしたり楽をしたりしても全然、いい
と思う。必要だと思う。
でも残念ながら、ずるや楽は世の中を明るく照らしはしないなあとも思うのでした。
もし機会があればぜひ皆様も原爆ドームをご覧になってください。インドに行くよ りお手軽に世界観が変わりますよ。