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婦人科部長の闘病記 Part13

原三信病院婦人科便り13

原三信病院 婦人科 片岡 惠子

新年明けましておめでとうございます。

くどいようですが、12年に一度の大幸運の年のはずだった2017年が静かにしずか~に終わってしまいました。片岡です。皆様お元気ですか。お元気ですね。
漏れたらしい国家機密も不発に終わり(婦人科便り12参照)、無事に年が明けてほっとしております。ミサイルも戦争もごめんだよ!平和が一番。

ところで、平和が一番。で思い出す人がいます。

もう20年以上前、私がまだ医学部生だった頃(そこ!年齢を計算しな~い)。
当時は5年生になると(知らない人もいるかもしれないので注釈を入れると、医学部は6年間勉強します。6年生まであるわけだ) 基礎配置と申しまして、あちこちの研究機関に遊びに、もとい実体験しに行く期間が設けてありました(現在は色々カリキュラムが変わっていると思いますが)。 私は病理という、摘出された組織を顕微鏡によって悪性なのか良性なのか、はたまた別の病気なのか結論を出す講座に配置されまして、 そこでスーダンから来た大学院生のお手伝いをすることになりました。

彼、日本語と英語とフランス語とドイツ語とスワヒリ語と色々話せて、非常に穏やかな好青年、しかもイケメンだったのですが、周囲の学生から「王子。」と呼ばれていました。 よくよく聞くと、スーダンの政府高官のお家柄で、国に帰ればそれこそ「王子。」のお血筋だと言うではないですか。調子に乗った私が
「先生はスーダンでは王子さまなんですね」と彼に話題を振ったところ、
彼はとてもとても悲しい顔をして
「・・・そうだね。でも、今、国に帰ったらきっと殺されるなあ」と
まるで世間話でもするように小さい声でこう答えたのでした。

スーダン、それは今、コンゴという国。
ちょうどその頃コンゴ紛争が起きていました。つまり、彼の国は上を下へ、の大騒ぎの革命の真っ最中で、 彼の家族、親戚はそのとき既に皆殺しの憂き目に遭い、日本に留学していた彼ただ一人が生き残っていたという悲しい事実を、 平和ぼけ久しい日本人の私は知らなかった。あほ丸出しです。彼は無知な私にも優しく研究とはなにか、を教え、 たぶん非常にデリケートな話題を提供してしまった私にも最後まで紳士でした。

その後、彼は一通り研究を終え、優秀な成績で博士号を取得すると、自由の国アメリカへ行ってしまわれました。 亡命ってやつですね。今頃元気で過ごしているのでしょうか。ああもう、やっぱり平和が一番。 平和の上に私たちの生活や希望や計画や、その他もろもろのことが成り立っているのですよね。
個人の関わりもそうだけれど、力尽くで勝ち取った何かの関係は、恐らく見た目上解決が早いです。 でも、きっと後でまたもめたり「こんちくしょー」と思った負けた側が力を蓄えたときに立場が逆転しそうです。
やっぱり気が長いようでも根気強く話し合いと理解を重ね、落ち着くところに落ち着いた関係性の方が、長持ちしそうに思うのでした。