今日、映画「少女は卒業しない」の打ち上げをする夢を見た。生徒がたくさんいて、一人一人が好きなシーンやロケーションを発表したり、未公開シーンやメイキングを皆で見て笑ったりした。

 映画の打ち上げで一番思い出深かった作品は「アイネクライネナハトムジーク」という映画だ。実は僕にとってこの映画は「少女は卒業しない」と関係がある。今日はそこから話したいと思う。

 

 公開から一ヶ月が経ったので裏側を公開していますが、まだ純粋に物語を楽しみたい方はお気をつけください。この文章は良いも悪いも、役に立つか立たないかもわからず、ただただ僕の個人的な話を書いているに過ぎません。この誰のためでもない個人のブログも、今日で最後になってしまいました。LINEブログのサービスが終了するためです。良い機会なのかもしれません。僕自身、自分がなぜこんなに言葉を届けようとするのかわかっていないのだから。今年出版する本の執筆も佳境です。自宅にこもって言葉と向き合うと自分が何者かわからなくなります。しかしこのブログを楽しんでくれる皆さまの存在はすごくありがたかった。皆さまの存在が僕の財産です。今までありがとうございました。では本題に戻ります。


 アイネクライネの打ち上げは、僕がこれまで経験してきた打ち上げとは少し違った。普段の打ち上げでは、皆でご飯を食べてお酒を飲んだりして、最後にキャストと監督がスピーチをしてお開きといった感じだった。ところがアイネクライネの打ち上げでは、キャストスタッフ関係なくマイクの前に立って、現場で自分が最も印象的だった瞬間を語っていった。語った人は次の人を指名する、そんな風にしてマイクが回り、皆でお互いを称賛し合った。僕はこの映画のラストにしか出演しなかったので、打ち上げに参加するときはアウェイな気持ちを感じていたにも関わらず、これまでで最も忘れられない素敵な時間を過ごすことができた。

 そのマイクリレーの中で、僕のことを讃えてくれた助監督がいた。その人を中里洋一さんという。僕の出演シーン、ボクシング世界戦の客席で僕がリングにいるチャンピオンに向かって枝を折り曲げるシーン。中里さんが話したのは、そのリングのチャンピオン側を撮っているときに、チャンピオンの目線の先にいる僕が必死に枝を折り曲げるフリをしているのを見て、なぜだか泣きそうになったという話だった。その話を聞いて、僕はすごく嬉しかった。このアイネクライネの現場が誇らしかった。主演の三浦春馬さんは自分の撮影シーンは終わったにも関わらず、仙台のボクシング会場まで現れて、エキストラに感謝の挨拶をして、僕らのシーンが終わるのを見届けてくれた。その主演の美しさ清らかさが打ち上げ会場にもあった。


 それから数年後、映画「少女は卒業しない」のオファーがあった。僕は、教室に通いづらい作田さんという女の子が唯一安心できる場所、図書室にいる先生の役だった。その図書室には作田さんと先生の二人しか登場しない。誰にも知られない、小さな図書室の物語だ。「カランコエの花」という中川駿監督の前作に感銘を受けて、出演を決めた。

 出演を決めてから少し経ったある日、僕は別の作品の舞台挨拶に参加していた。挨拶が終わり、お客さんが帰っていくロビーに見知った顔を見つけた。

「中里さん!」

「季節くん久しぶり」

「観に来てくれたんですね。ありがとうございます」

「映画とても良かったです。実は今度、中川組で一緒です」

「え!少女は卒業しないですか?めっちゃ嬉しいです」

「僕も嬉しいです。よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

 僕らは再会を喜び、また一緒に映画が作れることを喜び、解散した。

 その夜、僕の頭にはアイネクライネのことがあった。あの打ち上げや撮影のこと、何より映画のことを思い出していた。僕はまた中里さんと同じ現場で群像劇の映画を作れることに妙な高揚を感じていた。

「アイネクライネナハトムジーク」「小さな夜の音楽」

 僕は自宅のテレビで、映画を再生した。その映画を観るのは久しぶりだった。そこには小さな、小さな恋の物語があった。特別華やかでもロマンチックでもない、けれども健気で一生懸命で奇跡的な物語だった。中里さんと現場で再会し、また群像劇に挑戦する。俺たちのアイネクライネナハトムジーク。この高揚する想いや、三浦春馬さん演じる佐藤への憧れを携えて、僕は「少女は卒業しない」に突入した。


 衣装合わせでは衣装部にお願いして、派手な色の服ではなく、全て地味な色の服に替えてもらった。シャツはパリッと糊のきいたものではく、全てシワをつけてクタクタにしてもらった。中川監督は意図を汲み取って、卒業式のスーツを黒ではなく、茶色いものに替えるようオーダーしてくれた。眼鏡をつけ、結婚指輪をはめると、少しずつ物語や生活が見えてきた。この坂口という人物を、世界から見つけ出すのは作田さんだけであって欲しかった。出来るだけ小さな、ふたりの物語であるようにした。


 撮影では、作田さんを演じる中井友望さんの心が揺れ動くその瞬間を何度も見ることができた。みずみずしい情感を持った人だった。その瞬間に立ち会えただけでも素晴らしい時間だった。

 撮影の途中に八百屋で買い物をしていたら、その買い物袋を急遽小道具で使うことになった。中川監督はその場で「今日は僕が作る番なんです」という台詞を足した。その即興力とセンスに驚いた。

 正直に言って、僕は俳優としてサポート役に回るつもりはないし、新しい監督を助けようという気持ちも別にない。そんなに自分が偉いとも演技ができるとも思わない。ただただ良い瞬間に出会いたい。新しい自分にも出会いたい。この映画が良くなればいいと思ってその場に立っていた。僕はまだまだ深いところへ進んでいきたい。


 もう一つ、河合優実さんの初主演作に出演できたことを誇りに思う。彼女とは映画「佐々木、イン、マイマイン」で出会った仲間だ。お互いの主演作を支え合えたことが嬉しかった。

 卒業式のシーンに僕は映っていないが、撮影には呼ばれ参列していた。僕の参加は、中里さんの直訴だったらしい。中里さんは、アイネクライネの客席に座っていた過去の僕を信じ、あの頃とは何も変わっていない今の僕を信じてくれた。その卒業式の会場で、河合優実さんの演技を見つめることができた。遠くからでもわかる凄まじい集中力で、悲しみを背負った少女が立っていた。

「がんばれ」

 心の中で、彼女がラストシーンの最後の最後までやり遂げられるよう願った。最後の場面は彼女が一人で乗り越えないといけないから。何度も何度も脚本を読んで、僕も大好きなラストシーンだったが祈ることしか出来なかった。完成した映画を観た時、二時間を通して彼女の無言に目を奪われた。沈黙の中にある彼女の気持ちを二時間想像して、その目線の先を追った。高校生を演じた俳優たちは皆、透明で躍動していて複雑で才能に溢れていて、観ていて本当に楽しかった。次世代の俳優たちすげえなと思ったし、そこに肩を並べる自分も次世代なんじゃないかとちょっとテンションが上がった。

 映画はどうやら評判がいい。けれども僕は自分がどんな映画に参加したのか未だにわかっていない。それはいつものことだ。自分が参加した映画のことを噛み砕き愛するまでに時間がかかる。それとも僕がみずみずしい感性を失っただけなのかもしれない。卒業式に特別な思い出があったことは人生で一度もない。この映画では少女たちが恋をしている。恋だけが青春だとは思わないが、誰かを想う気持ちやそれを後押しする映画になれば良いなと思う。

 

 卒業式を迎えた皆さま、おめでとうございます。これから新しい生活が待っていますね。僕の経験によると、環境が大きく変わる前の瞬間が、一番暗いです。目の前が真っ暗になることがあります。でも、絶望に負けないでください。いつだって停滞の先には夢が待っています。そのことを信じて、泣きながらでもいいので一歩ずつ進んでください。立ち止まっても全然いいと思います。スマホの電源を切って自分の声に耳を傾けてください。そしていつか自分を認めてあげてください。これは僕にとっても最大の難関なんだけどね。




「少女は卒業しない」の撮影が全て終わった日、
空にウサギが飛んでいました。
さようなら。寂しいけれど、終わります。


2023.03.26
藤原季節