南果歩‥‥退学しようと思ったことも
演劇を学ぶために、桐朋学園短期大学部(東京都調布市/現・桐朋学園芸術短期大学)に入学しました。
大学の規約で、映画や舞台などに外部出演することは禁じられていましたが、2年生になったばかりの私は、小栗康平監督の新作映画『伽倻子のために』(1984年)の主役オーディションを受け、合格しました。
そのことを大学の教授に報告したときは、退学するつもりでした。
ところが規約を改正して外部出演を認めてもらえることになり、私は1年間休学して、映画の撮影に没頭したのです。
初めての映画の現場は緊張の連続だったので、1年後に復学すると、大学生活に物足りなさを感じることもありました。
でも、規約改正第1号の私がそこで大学を辞めてしまったら、次からは適用されなくなると考えて、何とか卒業しようと頑張ったのでした。
1985年3月、卒業公演で『あゝ野麦峠』を上演しました。
卒業式はテレビドラマの撮影が入っていて出られなかったので、卒業公演で撮ったものが、私にとっての「卒業写真」です。
週刊現代2023年3月25日号より