『無門関』にある公案のなかでも比較的論じられることのない「女子出定」だが、これはなかなか示唆に富んでて面白い。三昧にひたってる女性を、果たしていまどきの学者風情の宗教者が呼び戻すことができるだらうか? といふ痛い問ひ。そらみんな触れんわな。
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会話
返信先: さん
厳然たる伝承と実践があるのですが
いかんせん現代のモラルとか社会事情に合わないものもあり
限定された部分のみの伝承になるでしょうね
返信先: さん
スキルもさうですが、それ以前のなんといふか、つまり「出定」させられるだけの「タマ」(尾籠な意味でなく)がないと、結局はむつかしいんぢゃないでせうか。房中術以前の、大人の「弾指」のレヴェルについてはよく存じてますんで。
返信先: さん
呼吸、神道では息長とか息吹と言いますが
日本の見て悟れ方式じゃなく、大陸的な誰でもある程度まで修練すれば出来るようになる方式でやればどうにでもなりますね
返信先: さん
どちらにも良いところがあり、どちらにも悪いところがある
まあでも大陸は何でも難しくいうし
日本は簡単にいう
どちらも一長一短でもあるし
木の根元と枝葉、花実の関係でもある
返信先: さん
「観」ですか。実はギルドを辞めることについて立卦したときに出たのが「風地観四爻」でした。「国の光を観る」と出たので、結果的には書紀造化神の光をみることになったのかなと。『名法要集』に出てくる唯一の『周易』の引用文も観卦からですし、「観」には深い意義を感じますね。
返信先: さん
見ると観るの区別を私は厳密に分けています
宮本武蔵も意味合いは少し違いますが見と観には非常に注意していますね
風地観というのはそのまま天之御柱、国之御柱になります
意義は深いです
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