→「慰安所管理人の日記」をめぐる日韓の報道&読者の反応の無視できない大きな落差(上)
→「慰安所管理人の日記」をめぐる日韓の報道&読者の反応の無視できない大きな落差(中)
9月5日の記事<「慰安所管理人の日記」をめぐる日韓の報道&読者の反応の無視できない大きな落差(中)>に記したように、韓国では8月20日付でこの日記が「日本軍慰安所管理人日記」との書名で安秉直(アン・ビョンシク)教授の解題つきで刊行されました。(下の画像)

私ヌルボ、「その「読まれ方」については(下)に続くということにします」と書いたものの、20日も間が空いてしまいました。
この日記発見については、先の記事でも書いたように、日韓両国の新聞等で大きく取り上げられました。
そして書籍刊行にあたっても、<聯合ニュース>が新刊紹介にこの本を取り上げ、また<オーマイニュース>にもこの本の紹介記事がありました。
しかし、<聯合ニュース>の記事は「朝鮮日報」等の記事をちょっとつまみ食いしたようなもので実際この本を読んだのかさえ疑問な内容です。
<オーマイニュースの記事>も、第4次慰安団の説明と、「日本軍にる組織的動員と慰安所運営の直接的主導を証明するもの」という本書の「意義」に重点を置いたもので、日記の内容に即した部分はわずかしかありません。
一方、<ヘラルド経済>の記事は「韓国人らしい先入観」を保留しつつ、日記の内容を具体的に紹介しています。
シンガポールに移住した後、筆者はタクシー部の事務を担当してから再度シンガポールの菊水クラブで帳場の仕事を再開する。他国で男女が畑仕事をする姿を見て農村生活を懐かしんだり、十五夜の月を見て、いつ故郷の空で月を見ることができるか感傷に浸ったりする一方、行先のわからない人生に対する漠とした不安を表した部分もある。朝鮮植民地支配を正当化するための戦闘映画で知られる「望楼の決死隊」、陸軍将校の未亡人に対する献身を扱った軍人の映画「無法松の一生」などの映画観覧、興南宝くじ8等(50円)に当選した話等の余暇生活もうかがうことができる。
末端ながらも植民地の知識人グループにあった筆者の歴史意識がうかがわれるくだりは、当時の朝鮮知識人の風景と言っても間違いではないようだ。
筆者は1943年早々に書いた日記で、「大東亜聖戦2周年の1943年新春を迎え、1億民草はひれ伏し謹んで陛下の万寿無疆であられることと皇室の一層の繁栄されることを奉祝するものである」とし、東に向かって礼をする。また、8月1日ビルマの独立宣言日には「日本 - ビルマ同盟条約を締結し、英米に宣戦布告をした。今後永遠にわが国を盟主としてビルマ国の隆盛することを祝う」と書いた。
・・・このように、「現在の」韓国人が、「当時の」朝鮮人の意識や生活を、まずはあるがままに読み取ろうという姿勢はいいことだと思います。(ここから、彼を「民族の裏切り者!」と(現在の韓国人の立場から)非難したり、当時の日本の植民地支配や軍国主義を(現在の日本人の立場から)肯定することは、どちらも「短絡的思考」というものです。)
さて、この本を読んだ人たちの感想は?
・・・と思って<教保文庫>・<YES21>・<アラディン>等の大手ネット書店の読者レビューを見てみました。
・・・が、アレレ!? ほとんどないのです! (<教保文庫>には全然ナシ。)
ま、「!」をつけるほど意外なことでもなくて、実は「想定内」だったんですけどね。、
①淡々とした内容でおもしろくない。
②日本軍のひどい行為が書かれていない。
③慰安婦たちの貯金・送金とか、映画鑑賞とか、抱いていた慰安婦のイメージと全然違う。
・・・ということが当然予測されましたから。
一応、その数少ない韓国人読者の感想を見てみます。全3件。これがすべてです。
まず<YES21>は次の1件だけ。
★★★ とても簡単なことだとも言えるが、初めの完全な解題以外は一次資料であるだけで誰かの日記にすぎない。
日本軍性奴隷にされた女性の思いやりなどを感じる人間の日記ではないので、真剣に状況を想像しながら読むとだんだん気持ちが悪くなる本である。
必要でないのなら、お金のムダになる可能性が高い本であることを留意しなければならない。
・・・この読者は自分の慰安婦像に何ら変更する考えはないみたいです。
次に<アラディン>。
★ 翻訳者がニューライトの先鋒で、慰安婦を否定した人ですが、どのような意図で翻訳をしたのか分からないですね。本当に、心が不快です。
・・・韓国の輿論、学者間の対立、自身の学問的誠実さ等々、安秉直教授にもたしかにいろいろ葛藤はあるかもしれませんね。しかし、安直なレッテル貼りは自分の目を曇らせていまうことになるんだけどな。
3つ目は同じく<アラディン>より。
「日本統治期を生きた一般市民の淡々とした記録」と題された長文の感想です。
★★★★ この本は、シンガポール、ミャンマー等で「事業」を展開した一朝鮮人の日記を現代語に再構成したものである。
著者は創氏改名をして、日本帝国の一市民として生きてきた人だ。
彼は日本の勝利のニュースに拍手をし、日本の敗北には残念さを感じる「同化された」朝鮮人だ。
日本に対する反感や、抵抗感はほとんど見られず、ただ時代に順応して生きる人に見える。
彼はビルマで慰安所を経営する。
慰安所の具体的な風景と日常についての描写はあまり入っていない。
ただ、今日営業を何時にした、官公署に行ってきた、誰が訪ねてきた程度の単純な記録が大部分だ。
しかし、その中でも、我々が想像しにくい姿もたまに見られる。
慰安婦たちに代わって故郷に送金をしてあげたりもし、著者自身も朝鮮にいる家族のために送金をする。
慰安婦たちの中には仕事をやめて朝鮮に帰る人もいて、帰ったら無事到着したと著者に葉書を送ったりもしている。
そして、著者は自分の業所で働いていた慰安婦たちと会って別れる時おたがいに涙を流したりもしている。
虐待や告発の記録を期待した人なら失望するかもしれない。
反対の立場で日本擁護論を主張する人々も失望するかもしれない。
極端な両方の立場と想像とは少し違う、ちょっと気が抜けた平凡な日々の記録であるからだ。
しかし、この淡々と感じられる小市民の記録が、おそらくその時に住んでいた「普通の人」の軌跡であったかもしれないという気がする。
内容自体は衝撃的な内容もなく、感動的な話もなく、文学的でもない。
しかし、慰安所を運営していた人の記録だったものが価値として認められると思う。
一日一日何を食べ、どんな人々に会い、どんなニュースを聞いて、どんな事実に一喜一憂しているかを知ることができるという点で、当時のようすを垣間見ることができるという点は重要であるといえるだろう。
ただ、歴史や、慰安婦問題に関心がない人なら、(書籍の価格を考慮すると)退屈して、地味に感じられるかも知れない。
・・・いやー、私ヌルボ、このborntorun7さんのレビューは大きな共感をもって読みましたねー。
こういう読者が韓国にもいることを心強く思います。
ところで、この日記の日本語版はいつ出るのかな?
→「慰安所管理人の日記」をめぐる日韓の報道&読者の反応の無視できない大きな落差(中)
9月5日の記事<「慰安所管理人の日記」をめぐる日韓の報道&読者の反応の無視できない大きな落差(中)>に記したように、韓国では8月20日付でこの日記が「日本軍慰安所管理人日記」との書名で安秉直(アン・ビョンシク)教授の解題つきで刊行されました。(下の画像)
私ヌルボ、「その「読まれ方」については(下)に続くということにします」と書いたものの、20日も間が空いてしまいました。
この日記発見については、先の記事でも書いたように、日韓両国の新聞等で大きく取り上げられました。
そして書籍刊行にあたっても、<聯合ニュース>が新刊紹介にこの本を取り上げ、また<オーマイニュース>にもこの本の紹介記事がありました。
しかし、<聯合ニュース>の記事は「朝鮮日報」等の記事をちょっとつまみ食いしたようなもので実際この本を読んだのかさえ疑問な内容です。
<オーマイニュースの記事>も、第4次慰安団の説明と、「日本軍にる組織的動員と慰安所運営の直接的主導を証明するもの」という本書の「意義」に重点を置いたもので、日記の内容に即した部分はわずかしかありません。
一方、<ヘラルド経済>の記事は「韓国人らしい先入観」を保留しつつ、日記の内容を具体的に紹介しています。
シンガポールに移住した後、筆者はタクシー部の事務を担当してから再度シンガポールの菊水クラブで帳場の仕事を再開する。他国で男女が畑仕事をする姿を見て農村生活を懐かしんだり、十五夜の月を見て、いつ故郷の空で月を見ることができるか感傷に浸ったりする一方、行先のわからない人生に対する漠とした不安を表した部分もある。朝鮮植民地支配を正当化するための戦闘映画で知られる「望楼の決死隊」、陸軍将校の未亡人に対する献身を扱った軍人の映画「無法松の一生」などの映画観覧、興南宝くじ8等(50円)に当選した話等の余暇生活もうかがうことができる。
末端ながらも植民地の知識人グループにあった筆者の歴史意識がうかがわれるくだりは、当時の朝鮮知識人の風景と言っても間違いではないようだ。
筆者は1943年早々に書いた日記で、「大東亜聖戦2周年の1943年新春を迎え、1億民草はひれ伏し謹んで陛下の万寿無疆であられることと皇室の一層の繁栄されることを奉祝するものである」とし、東に向かって礼をする。また、8月1日ビルマの独立宣言日には「日本 - ビルマ同盟条約を締結し、英米に宣戦布告をした。今後永遠にわが国を盟主としてビルマ国の隆盛することを祝う」と書いた。
・・・このように、「現在の」韓国人が、「当時の」朝鮮人の意識や生活を、まずはあるがままに読み取ろうという姿勢はいいことだと思います。(ここから、彼を「民族の裏切り者!」と(現在の韓国人の立場から)非難したり、当時の日本の植民地支配や軍国主義を(現在の日本人の立場から)肯定することは、どちらも「短絡的思考」というものです。)
さて、この本を読んだ人たちの感想は?
・・・と思って<教保文庫>・<YES21>・<アラディン>等の大手ネット書店の読者レビューを見てみました。
・・・が、アレレ!? ほとんどないのです! (<教保文庫>には全然ナシ。)
ま、「!」をつけるほど意外なことでもなくて、実は「想定内」だったんですけどね。、
①淡々とした内容でおもしろくない。
②日本軍のひどい行為が書かれていない。
③慰安婦たちの貯金・送金とか、映画鑑賞とか、抱いていた慰安婦のイメージと全然違う。
・・・ということが当然予測されましたから。
一応、その数少ない韓国人読者の感想を見てみます。全3件。これがすべてです。
まず<YES21>は次の1件だけ。
★★★ とても簡単なことだとも言えるが、初めの完全な解題以外は一次資料であるだけで誰かの日記にすぎない。
日本軍性奴隷にされた女性の思いやりなどを感じる人間の日記ではないので、真剣に状況を想像しながら読むとだんだん気持ちが悪くなる本である。
必要でないのなら、お金のムダになる可能性が高い本であることを留意しなければならない。
・・・この読者は自分の慰安婦像に何ら変更する考えはないみたいです。
次に<アラディン>。
★ 翻訳者がニューライトの先鋒で、慰安婦を否定した人ですが、どのような意図で翻訳をしたのか分からないですね。本当に、心が不快です。
・・・韓国の輿論、学者間の対立、自身の学問的誠実さ等々、安秉直教授にもたしかにいろいろ葛藤はあるかもしれませんね。しかし、安直なレッテル貼りは自分の目を曇らせていまうことになるんだけどな。
3つ目は同じく<アラディン>より。
「日本統治期を生きた一般市民の淡々とした記録」と題された長文の感想です。
★★★★ この本は、シンガポール、ミャンマー等で「事業」を展開した一朝鮮人の日記を現代語に再構成したものである。
著者は創氏改名をして、日本帝国の一市民として生きてきた人だ。
彼は日本の勝利のニュースに拍手をし、日本の敗北には残念さを感じる「同化された」朝鮮人だ。
日本に対する反感や、抵抗感はほとんど見られず、ただ時代に順応して生きる人に見える。
彼はビルマで慰安所を経営する。
慰安所の具体的な風景と日常についての描写はあまり入っていない。
ただ、今日営業を何時にした、官公署に行ってきた、誰が訪ねてきた程度の単純な記録が大部分だ。
しかし、その中でも、我々が想像しにくい姿もたまに見られる。
慰安婦たちに代わって故郷に送金をしてあげたりもし、著者自身も朝鮮にいる家族のために送金をする。
慰安婦たちの中には仕事をやめて朝鮮に帰る人もいて、帰ったら無事到着したと著者に葉書を送ったりもしている。
そして、著者は自分の業所で働いていた慰安婦たちと会って別れる時おたがいに涙を流したりもしている。
虐待や告発の記録を期待した人なら失望するかもしれない。
反対の立場で日本擁護論を主張する人々も失望するかもしれない。
極端な両方の立場と想像とは少し違う、ちょっと気が抜けた平凡な日々の記録であるからだ。
しかし、この淡々と感じられる小市民の記録が、おそらくその時に住んでいた「普通の人」の軌跡であったかもしれないという気がする。
内容自体は衝撃的な内容もなく、感動的な話もなく、文学的でもない。
しかし、慰安所を運営していた人の記録だったものが価値として認められると思う。
一日一日何を食べ、どんな人々に会い、どんなニュースを聞いて、どんな事実に一喜一憂しているかを知ることができるという点で、当時のようすを垣間見ることができるという点は重要であるといえるだろう。
ただ、歴史や、慰安婦問題に関心がない人なら、(書籍の価格を考慮すると)退屈して、地味に感じられるかも知れない。
・・・いやー、私ヌルボ、このborntorun7さんのレビューは大きな共感をもって読みましたねー。
こういう読者が韓国にもいることを心強く思います。
ところで、この日記の日本語版はいつ出るのかな?
「退屈」というキーワードは、韓国での「風立ちぬ」の評価(そうして、日本においても、ある程度の人々の評価)にても認められるので、両者には通じるものがあるかもしれないですね。共通点としては、一人の人間の生き様を、当人の視点から描き出す(出そうとする)ところにあると思います。共感できない生き様について、日記や夢を見せつけられ続けることは、ある種の「退屈」さを感じさせるのかもしれません。
でも、他者にとっては「退屈」だと思われるような日常の一コマ一コマが、それぞれの人生を形作っている非常に大切な部分であり、それが失われることこそが、その人にとっての平和な側面を失うことに繋がるのかもしれません。某日本人が退屈さを嫌った日記を書き綴ったため、退屈ではない日常へと移ろっていきました。匿名でブログを書く身として、他人事ではない心持ですが、「退屈だ」と言われたとしても、自身(ネット上での自分)のスタンスを保ち続けていくしかないのだろうと思っております。
最初の★3つの読者は、「性奴隷」が目の前にいるのに何でこの人間は退屈なことしか書いてないのか?という不快感でしょうか?
「虐待や告発の記録を期待した人なら失望するかもしれない」という記述の中にも、むしろ「退屈な日常」だからこそ看過されているような問題もいろいろあると思います。
主観的には「平和」だとしても・・・。
考えてみれば、個々人の人生という時間軸も、現在の世の中のもろもろという平面も、大体は平穏無事で退屈な日常なんですね。日々の常々のこと、だから当然゛すけど。
私が子どもの頃「退屈」という言葉を強く印象づけられたのは映画「旗本退屈男」からです。なぜそう名乗ったのですかねー?
実はこのテーマに関しても、コチラの記事→
http://d.hatena.ne.jp/bluetears_osaka/20130807/1375832031
以下、実に素早く記事がupされていて、参考にさせていただきました。遅ればせながら、ありがとうございました。極力重ならないような内容で、と意識しながら書いたのですが・・・。
コメントをあまり書いてなくてすみませんが、ハングルの略字についての記事 →
http://d.hatena.ne.jp/bluetears_osaka/20130505/1367725089
や、「韓国のネコ:進撃の高陽市」 →
http://d.hatena.ne.jp/bluetears_osaka/20130606/1370477082
は記事内容といいユーモアといい◎!で、強く印象に残っています。
日本語翻訳版
『日本軍慰安所管理人の日記』(日本語翻訳版)
http://www.naksung.re.kr/xe/index.php?mid=sepdate&document_srl=181713
しかし、足抜けして結婚してた人を呼び戻したから強制性は否定出来ないって、安先生そりゃないっすよw
http://blog.goo.ne.jp/bosintang/e/14599cc9bfa6d5ccfac1e167d559fc85
さらに続くのかな、と期待しています。そこから日本語訳のPDFファイルのリンクも張られています。
しかし、去年の8月にはあれだけ大きく報道されたにもかかわらず、その後のニュースも日韓両国(とくに韓国)のブログ記事等もほとんどないですね。
この慰安所の史実について「強制性は否定出来ない」というのは正しいとしても(←「強制性」の解釈にもよるが)、すると「当時」の「日本」だけの問題ではなくなるでしょうね。
慰安所の管理等への「国(軍)の関与」も否定できない(←誰か否定している?)ですが、では民間の場合はどう問題にされるか?とか、終戦前後のソ連軍のように野放し的な暴行・殺戮等についてはどうなのか?等々も併せて、広い視点から未来に向けて考えることが必要だと私は思うのですが・・・。
韓国の状況を考えると、安先生の発言は「精一杯」のところでないでしょうか?
>犬鍋のヨロナラ漫談
実は犬鍋さんのブログで、小野田発言の記事に冷たいレス返してるのは、私です。このハナシについては、こちらのブログの記事を、参考にさせて頂いたので、なんだか変な気分ですね。犬鍋さんは、取り上げる話題の広さに関しては、通常の排外主義者とは異なっているけども、基本的にどうでもいい発言しかしない人というのが、私の認識です。
安先生が「強制性」と言うのは、韓国社会に媚びたものかと言うと、そうではないような気がします。私の慰安婦問題に関する意識は、何故、慰安婦の主要供給源が、朝鮮半島であったのかと言う一点に尽きます。私は犬鍋さんが、このことに言及することはないだろうなと考えていましたが、やはり、当たっていました。
まあ、こんなトコで。
小野田発言に関する反応が少ないのなら、「慰安所管理人の日記」に関する反応が少ないのも、当然のことと言えるでしょう。
史実を確認しないで「今」の価値観(&思い込み)のまま「当時」を判断してしまうのも一種の「歴史の歪曲」だと思いますが・・・。
炭鉱等の労働者の大きな供給源ももちろん朝鮮半島だったわけですが、やはり貧困が大きな理由でしょう。家父長制の下での女性差別とか。しかしそれだけでもないような・・・。
慰安婦の生活が、平穏なものだったかと言うと、ちょっと疑問で、例えばシンガポールだと、平穏な日常の裏には徹底的な軍事鎮圧がある。小野田氏の発言にあるように、漢口だと、慰安所の外には銃を持った兵隊がいた。慰安婦は日本人軍属のように現地人の恨みを買う存在であったかもしれません。
秦郁彦氏は、慰安所の管理人は、日本人と朝鮮人が半々、その下の、実際の朝鮮人慰安婦募集に関わった「ブローカー」は、ほぼ100%朝鮮人と言っていました。慰安所の管理人は、おそらく、売春管理施設のノウハウは持っているが、実際の慰安婦集めには関わっていない。慰安婦達と管理人が、良好な関係にあるように見えるのは、そのせいでしょう。
読みこんでいくと、意外なことが分かってきます。地道にこの問題を考えていこうとする人間には、やはり一級の資料ではないでしょうか。