マイケル・ハドソン「文明の命運」p.187

政府間帝国主義と民間帝国主義との対比

第一次世界大戦以前は、政府による外国への介入は、民間の貿易や投資の道を歩んできた。政府は、鉱物や熱帯作物など原材料の豊富な土地を武力で奪い、そこに自国民の権益を拡大しようとした。民間資本がイニシアチブをとり、政府の政策がそれに続いた。

しかし、第一次世界大戦後の債務処理で、政府間の債務は民間の海外投資の額をはるかに超え、政府は民間投資家とはまったく異なる戦略的目標を持つことになった。政府の支払い要求は、民間の投資機会を奪っていった。そして、近代史上初めて、国際金融が一国の政府によって支配されるようになったのである。米国政府は、世界の圧倒的な債権者として登場した。主に、米国が参戦する前に発生した武器債務について、同盟国に対してであった。その金融債権は、民間の融資や投資をはるかに凌駕するものであった。

政府が民間の利益より優先されるのは当然であり、したがってアメリカ政府への債務支払いは民間の問題より優先されるべきであるとされた。この考え方は、失業と世界恐慌を引き起こし、第二次世界大戦の舞台となるところまで続いた。世界は、債務国が自国の経済を緊縮させることでしか支払えないほど多額の公的・私的債権者の要求を満たすことに同意し、成長と安定を犠牲にしたのである。外国政府は経済黒字を吸い上げてアメリカ政府への債務を支払った。
不安定化させ、搾取する主な要因が、民間資本ではなく、政府であることを予想した者はいなかった。戦時中、レーニンの『帝国主義:資本主義の最高段階』(1917年)は、将来の紛争の原因を予期していた。世界の平和を願う多くの人々は、政府間の協力によって商業的、金融的な対立を抑制することができると考えていた。

しかし、戦後の金融資本主義の中では、民間と政府の政策が拮抗していた。アメリカの外交は、自国の繁栄と銀行家・投資家の利益を損なってでも、自国の世界的なパワーを追求することが最大の関心事であった。だからこそ、1931年にフーバー大統領が発表した「米国政府間債務とドイツ賠償のモラトリアム(一時停止)」は、世界中の株式市場を急騰させたのである。政府間債権を停止した債務救済は、外国為替の安定を回復し、名目上2億5000万ドルの債務返済を見送った損失を米国に返済する以上に大きな意味を持った。