「必勝のしゃもじ」で思い出した、「玉砕」寸前の日本軍守備隊に与えられた「感状」のエピソード。
1944年、中国雲南戦場で四万人の中国軍に包囲された日本軍拉孟守備隊1300人に対して、武器弾薬や食糧と共に軍司令官からの「感状」が投下された。(続く)
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「感状」とは、軍司令官が戦功のあった人間や部隊に付与する賞状であり、当時の日本軍人には最高の誉れであったが、守備隊からは「感状など落としてもらわなくてもよい、それよりも、弾薬を、薬品を、食糧を」との返電があったそうだ。(続く)
また、重慶の英国大使館の軍事補佐官から大使館付武官へ送られた、44年8月27日の日付の書簡の中に次のような記述がある。「孤立した日本軍の守備隊に空中投下した物資の中には、セルロイド人形のような玩具や紙製の扇子などが入っていた」(Kunming Monthly News Summary for August )(続く)
最前線で戦う人たちに妙な物を送りつける“習慣”は約80年経っても変わっていないようだ。
【参考文献】
「戦場体験」を受け継ぐということ
──ビルマルートの拉孟全滅戦の生存者を尋ね歩いて
koubunken.co.jp/book/b202021.h