不信 兵士は飢え、司令官は酒 インパールの記憶
【栃木】「戦場体験放映保存の会」が2004年から集めてきた元兵士の証言録画は、1800人余に及ぶ。このうち10人ほどがインパールの記憶を語った。
事務局次長の田所智子さん(56)が説明する。「その大半の方が、軍の上層部や作戦を主導した第15軍司令官の牟田口廉也に今も批判的な感情を持っていましたね。それだけ無謀な作戦で苦しめられ、死線をさまよったという記憶が残っているからでしょう」
歩兵第58連隊の元曹長・佐藤哲雄さん(103)=新潟県村上市=は語気を強め、戦いを振り返った。
「最初から勝てる見込みはねえ、と思っていたけどもな。(3千メートル級の)山を越えられるか、越えられないか、それ自体が難しいと思ったからな。でも、そんな山があることは、将校の人たちは百も承知だったはずだよ。だいたい物資がねえんだから、日本は。(物資輸送や援護の)飛行機は1回も来ねえもんな」
そして、軍司令官らの話題に及ぶと、佐藤さんの柔和な表情が険しくなった。
「前線で次々兵隊が死んでいっても、牟田口は、おまえ、メイミョウで酒飲みしてたんだよ。そこに行ったとき、そんな話が聞こえてきたんだ」
メイミョウはビルマ(現ミャンマー)北部にあり、15軍司令部が置かれていた。植民地支配をしていた英国が避暑地に使っていたといい、日本占領後は高級将校専用の慰安所や料亭などが設けられていた。
先の大戦に詳しい半藤一利さんは、授業形式に語り下ろした「昭和史」で、牟田口を「非常に功名心の強い突撃型の軍人」と評している。そして、牟田口を冷やかした歌を紹介し、こきおろした。
《牟田口閣下のお好きなものは、一に勲章、二にメーマ(ビルマ語で女性の意)、三に新聞ジャーナリスト》
半藤さんは続けた。
「どうしようもないですね。こんな方が指揮を執っているんです」
宮城県栗原市の菅原利男さん(99)も、牟田口に厳しい目を向ける。
「司令官がダメなんだよ。何でもっと早く撤退命令を出さなかったのか。まあ、自分の名誉もあったんだべね」(中村尚徳)
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