キャラハン邸

大分県中津市の地方史 大分県中津市の地方史


明治時代、キリスト教布教のため来日したアメリカ人宣教師、ウィリアム・ジャクソン・キャラハンが大分県北部にキリスト教布教のために赴任した際、大分県中津市金谷森ノ丁の奥に(現在のさくら書店・山国橋(213号線)のふもと堤防の下にあり書店建築の際埋め立てられ、現在の高さになりました)明治期に建てたアメリカ式の洋風住宅がありました。

設計監督はキャラハン、施工は中津の大工さんと伝えられています。


この事は重要です。 明治期に中津に洋風建築ができる大工さんが誕生したとの事を現わしています。  中津の建築技術の革新と言えます。

全国に現存する宣教師館の中でも最も古い部類に入るものとされています。建築学的に高く評価されていて近代建築資産しての評価は高いと聞いています。


1993年(平成5年)に中津市から大分市の日本文理大学キャンパス内へと移築復元されました。 キャラハン離日(昭和10年・1935年)後も宣教師館として使用されていたそうですが、約40年前は高校生相手の下宿屋さんでした。先輩が下宿していたので遊びに行った事がありましたが、あまりの汚さと隙間風による寒さにビックリ!その後、賄い飯のまずさの噂で後日下宿する人がいなくなりしばらく空家になっていたと記憶しています。

  

売却されるとの噂が立った時に「キャハン邸」と言われ始めますが、当時までは「異人屋敷」「異人館」とよばれていました。

一部の市民の間で保存活動がありましたが、一般市民の関心は薄く、機運が盛り上がりませんでした。

日本文理大学で復元保存され、大分県民資産となり、新たな有効活用されよかったと思っているのは私だけではないと思います。


しかしながら、中津においての文化財資産、観光資源としておしかったのはたしかです。



 写真は当時近くに住んでいた、知り合いのおばあさんの御主人が保存活動に努力され涙を流しながら撮った写真と言って笑いながら委託されました。

このばあさんは若かった時は「原節子に似ている」と言われていたそうです。

亡くなったおじいさんは「そりゃ、ヨン様に似ていた」と・・・

以前を知っている私は沈黙を守り、黙認しました。

 昭和30年代後期までキャラハンが中津に持ち込んだ「キャラハン豆」があったそうです。 しかしながら外側が固かったために敬遠され、しだいに無くなり、現在ではまぼろしの「キャラハン豆」とよばれています。 どなたか知っている人がいらしゃいましたら教えてください。




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