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生活保護をもらい続ける在留邦人はニュージーランドに住む価値はない [在留邦人批判]
このブログを開設し、8年が経った。
このブログを閲覧しにやって来る人は、少ない日で200人、多い日はそれ以上、読みにやって来る人の8割はリピーターである。このブログに何を求めているのか、書いている人は恐怖を感じている。
月末になると、次の記事を書こうか否か、迷う。毎日やって来る数百人の期待に応えるべきか、毎日やって来る数百人の期待に背くべきなのか、迷う。
SF界の巨匠・筒井康隆が「日本てんかん協会」から抗議を受けたことで、「日本てんかん協会」へ対し、筒井は明確な返答を避けた。筒井は明確な返答をできる準備をしていたが、返答をしなかった。14歳だった私は、この理由が理解できなかった。返答はできるのに、あえて、返答はしない。これは、どのようなことなのか理解できなかった。
しかし、40歳をすぎた私は、この意味を、骨の髄まで理解できる。私が同じ立場でも「日本てんかん協会」に返答はしない。あえて、返答しないという形の返答の仕方がある。年をとるって素晴らしいことだと、SFファンの私は思います。SFは「純文学」に匹敵する美しき文学の世界です。私が今日もこのブログを更新する原動力は、そこにあるのかなと。皆さんには理解できないと思いますが、私には骨の髄まで理解できるので、それを根拠に、今日もこのブログを更新します。
ブログ開設から8年を期に、500件の投稿のうち、半数に当たる260件を削除した。
8年・500件の投稿の中で最も閲覧数の多かった「東大附属 銀杏祭に行ってみた」も、削除した。毎年400名が受験し、合格者は75名、倍率5.5倍と、中学受験生には狭き門である東大附属の文化祭を3回に渡り掲載したが、このブログに残す役割りは終わったと判断し、すべて削除した。そのため、過去の投稿を検索しても、その記事に辿り着けない。当該記事に辿り着けないときは、そのような事情があることを、ご理解いただきたい。私は意地悪で当該記事を削除したわけではなく、自分の過ちを認め削除したわけでもなく、ここに残す意味を感じていないことが当該記事を削除した理由である。
その一方で、「NZESCニュージーランド教育サポートセンター」代表の伊藤 博秀(ヒロ・伊藤)さんの個人名を用いて掲載した記事は残してある。伊藤さんの名前をモロに出して書いた記事のため、伊藤さん本人か、伊藤シンパから痛烈な批判が来るかと期待していたが(?)、誰からも批判は届いていない。
ミスター伊藤は、アンウェル(体調不良)でホスピタルにイン(入院)しているので、まだ、アーティクル(記事)をリードして(読んで)いないのかもしれません。
他方、このブログに子供の名前を記載し、通学する学校と、(大まかな)住まいを掲載したことで、このブログの運営元である「シーサー」に苦情を入れた「私」と称する在留邦人については、未だに「私」が誰なのか特定できていない。
改めて当該記事のどこに問題があったのか自己検証をしたが、苦情を入れる理由が特定できない。
そもそも、当該者を特定できるだけの個人情報は記載しておらず、当該者は日本人でありながら日本語の読み書きができない在留邦人の子女なので、このブログも読むことはできず、苦情を入れることもできない。
そーなると、子供の母である「ヘリコプターママ」が苦情を入れたのではないかと、性格の悪い私は疑ってしまうのだ。
しかし、性格の悪い私は「ヘリコプターママ」の氏名を記載していないので、「私」を称る人の個人情報を記載していない。
個人情報を記載していない人が「私」を名乗り、苦情を入れてくる。そして、当該記事を削除しろと言ってきた。運営元の「シーサー」も、削除しないと強制削除すると脅してきた。たとえ、運営元による強制削除であっても、そこには明確な「著作権」が存在し、強制削除は明確な権利侵害であり、法律違反である。
ここを、どのように捉えるべきか。「ヘリコプターママ」のご主人である「匡(ただし)氏」は、どう、思いますか?
『私、アスペ(ルガー症候群)だから、人の気持ちがわからない』と言うヘリコプターママなので、『それなら、徹底的に叩いてやろう』『二度と再起できないほど、灰になり、塵(ちり)となるまで叩き潰そう』と思った。しかし、このブログを日常的に読みに来る数百人の読者はわかると思うが、私はとてもやさしい人間なので、そこまでの暴挙に出ることなく、子供の名(姓は記載していない)、通学する学校、(大まかな)住まいを記載しただけである。この情報だけでは、とてもではないが、個人の特定はできない。
それも嫌なのであれば、インターネットはやらなければ良い。インターネットなんか「百害あって一利なし」ですから。「ヘリコプターママ」のご主人である「匡(ただし)氏」も、そう、思いませんか?
ニュージーランドには、特殊な考え方、極めて偏りある一方通行の人しか住めない。理由はどーあれ、「実の母」から逃げ、ニュージーランドへやって来た日本人ほど、日本へ対する偏見が強い。「実の父」に対する不満を語る人はおらず、他方で、「実の母」に対する不満を語り出すと100時間は話し続ける。人間の「怒り」は、凄まじいエネルギーだ。
私がニュージーランドに残っていても、邦人女性からは実母の悪口を永遠に聞かされ、実母からは娘を(日本へ)帰国させるよう、説得される。なぜ、それを、部外者の私に言うのか。「母 対 娘」の対立を避けたい理由もあるが、日本・NZ双方の考え方を間違うことなく正確に理解し説明できる人物が、私以外にいないからである。これは実際に、私が受けた仕打ちである。
在留邦人は日本に感謝すべきであり、ニュージーランドに感謝すべきことは1つもない。
日本での失敗があり、それゆえに、ニュージーランドで成功を掴んだとなれば、成功の秘訣は失敗した日本にあったからだ。十代後半から二十代前半は年齢が持つ危うさから、一生取返しのつかない失敗をしてしまう人はいくらでもいる。「失敗は成功のもと」とはよく言ったもので、適切な失敗の積み重ねがない人に、未来の成功は訪れて来ない。何の結果も出していないニュージーランドを「成功の地」と絶賛することは間違っているにも関わらず、そのことに永遠に、永久に気がつかない。それが、トンチンカンな言動につながるので、ニュージーランドの民は当然のごとく、日本にいる母親にも通じない。故に、両方の意見が正確に伝わる私に文句を言いに来る。
ニュージーランドの邦人社会は、約30年前、私が世界の僻地で惨めな高校生をやっていた当時と、何も変わっていない。人間の歴史など、100年程度では何も変わらない。その中の30年なんて、どーでもいい話しです。
在留邦人は、最下層の最下層、人間のクズ、クズの中のクズ、核廃棄物以下の存在である。
在留邦人に人権が存在することが、私には理解できない。「自由の国・ニュージーランド」の民であれば、『神様が間違って作った人間』と、差別されることは間違いない。これは、ニュージーランドの民が同性愛者に対し投げかける差別的発言である。同性愛者であることが判明し、職場を解雇された実例は無数に存在する。そのため、ニュージーランド社会はこの問題に敏感に反応する。日本人が想像できない、凄まじい差別社会だからだ。
在留邦人に、子供の手本となる人物は、1人として存在しない。手本となる大人に出会えないニュージーランド在住の子供たちを哀れに感じるのだ。なぜなら、私もそのうちの1人だからである。そこに「キラキラ」したニュージーランドは実在しない。まさに「悲劇」である。
この8年間の最大の変化は、ニュージーランドを批判する在留邦人が増えたことにある。
このブログに感化されたわけでないと信じているが、「キラキラ」一辺倒だったニュージーランド生活を内部から批判する日本人が増えた。在留邦人は貧しい人しかいないので、生活保護(Benefit)を受けることを、何とも思わない。『もらえるものをもらい、何が悪い』という考えだ。外国人(正確には「外国籍」の外国人)に生活保護を給付することを、もう少し細かく説明すると、出産費用や医療費、年金を日本人を含む外国人に給付することを、ニュージーランドの民はよく思わない。ニュージーランドは裕福な国ではないので、外国人に給付できるだけのカネはない。ニュージーランドの民は、誰も、口(くち)に出しては言わないが、内心では外国人批判をしている。この批判が、人種差別を引き起こす「ヘイト」につながる。
現地での生活に深くコミットした私には、この深層心理が骨の髄までわかるが、現地に住んでいても現地生活に深く入り込んでいない在留邦人には、永遠に、永久にわからない。「夢の中のニュージーランド」に「ヘイト」は存在しないが、世界の僻地にあるド田舎の島国に「ヘイト」は、確実に存在するのだ。オークランドを中心に東洋系住民を狙い撃ちした襲撃事件は、その一端である。
私は、「NZESCニュージーランド教育サポートセンター」代表の伊藤 博秀(ヒロ・伊藤)さんに、『ニュージーランドに長く住んでいたので、ニュージーランドの良いことばかりは言えない』と伝えた。伊藤 博秀(ヒロ・伊藤)は不満を感じつつ、私の発言を理解してくれたと思う。真面目に、まともに住んでいれば、どのような環境でも、その地を絶賛することはできなくなる。「全体として良い方向」「全体として悪い方向」という流れを掴むだけで、「ニュージーランドのすべてが正しく、日本のすべてが間違っている」など、決して口(くち)にすることはできない。そのような発言をする前に、そのような考えを持つことが「差別」である。
それを立証する根拠として、夢を抱き、ニュージーランドへやって来た日本人の完全帰国は増えている。手間とおカネを掛けて取得したニュージーランドの永住資格をあっさり捨て去り、日本へ完全帰国してしまう。そして二度と、ニュージーランドへ戻ることはない。日本へ帰国後に、ニュージーランドを思い出し語る人は、1人もいない。それなりに流暢に話していた子供たちの英語も、綺麗サッパリ、消えてなくなる。ニュージーランドの記憶も、すべて消えてなくなる。
大嫌いな母親、殺したいくらい憎んでいる母親がそこにいても、日本人にとって日本という地は特別な土地なのである。それを知るためにニュージーランドへ行ったことに価値があった、人生の経験となれば美談であるが、私はそのような美談を聞いたことは、1度もない。
ニュージーランドを絶賛にする日本人は、ニュージーランドを売り物に巨万の富を稼ぐ、日本人の留学エージェントだけである。
このブログには、ニュージーランドで生き抜くために必要なニュージーランドと宗教の関係性について、多々、記述しているが、それらの閲覧数は非常に少ない。限定的に、ニュージーランドの政治体制についても記述しているが、それらの閲覧数も非常に少ない。他方、特定の在留邦人に関する個人情報、邦人女性と母親との関係について記述した内容の閲覧数は極めて多い。このブログを読みにくる人たちが考えていることが手にとるようにわかってしまうので、性格の悪い私は「気持ち悪い」と思った。それを思うたびに、『ニュージーランドに住む人は人間のクズ』と思うことが、今後も、永遠に、永久に変わらないと断言できる。これは私の経験であり、私の過去である。あなたの経験でも、あなたの過去でもない。そのため、私は「あなた」から批判される理由はないのである。
『ニュージーランドは、日本とは異なり、多様性を受け入れる自由な社会』と豪語する在留邦人にこそ、私の経験と過去を受け入れてもらいたい。それを受け入れても、あなたの過去も、現在も、未来も、何も変わりません。
2023-03-01 00:00
在留邦人は「フィリピンのルフィ」と同じことをしている [在留邦人批判]
2021年度のオーストラリアの国政調査で「(自分は)無神論 または 無宗教」と答えた人の割合は 38.9%、10人のうち4人は神の存在を信じておらず、信仰心もないことが判明した。他方、10人のうち6人は信仰を持ち、そのうち、2人に1人は「(自分は)キリスト教徒であり、キリスト教を信仰している」と答えた。
ニュージーランドでは、48.2% が「(自分は)無神論 または 無宗教」と答え、オーストラリア以上に宗教離れと信仰心の欠如が加速している。ニュージーランドに居住する2人に1人(外国人を含む)は、神の存在を信じていない。キリスト教を信仰する人は 37.3% 、実に10人のうち4人以下と、記録が残る統計調査としては過去最低を記録した。
ここまで宗教離れと信仰心の欠如が進んでしまうと、宗教を土台とした社会制度は機能しない。
同性婚や内縁関係が法的に認められ、安楽死は合法化された。ニュージーランドは、宗教を土台とした宗教立国なので、ニュージーランドの社会制度は、既に崩壊している。
社会制度の崩壊は、規範意識の崩壊を意味する。規範意識が崩壊すると、どうなるのか。犯罪が増え、学校教育は機能しない。地域コミュニティーは崩壊し、統制も機能しない。そう、これらは、ニュージーランドが現実的に抱える社会問題である。
ニュージーランドは世界でも数少ない「安楽死」を認める島であるが、これも宗教と、強靭な信仰心が、その土台に存在する。キリスト教徒は生命は地上に舞い降り、生命が肉体を離れると天へ戻ると信じている。キリスト教ではこれを「帰天」または「召天」と表記する。日本で40年間、ニュージーランドで20年間、JCF(Japanese Christian Fellowship)で、日本人にキリスト教を布教したケン・ラウンドヒル先生と、ベティー・ラウンドヒル先生もお亡くなりになった際は「召天」という言葉をもち追悼された。ケン先生・ベティー先生がニュージーランドの宗教離れ・信仰心の欠如を知ることになれば、酷く、悲しまれることでしょう。私は、ケン先生・ベティー先生が悲しまれる姿を、見ることはできない。
ニュージーランドで「安楽死」が議論された際、高齢者は概ね、この法案を支持した。余命が半年早くなっても、1年遅くなっても、自分は天へ戻る準備ができているので大きな差は生じないと判断した結果である。この裏づけとして、強靭な宗教観が存在する。
H・クラーク政権で副首相 兼 財務相を務めたマイケル・カレン博士は、無神論者を痛烈に批判した。古い世代のニュージーランド人は、自らを形成する構成要素に「宗教と信仰」という概念が骨の髄まで染み込んでいる。
マイケル・カレンは、末期の肺癌であることを公表した際に(余命宣告された時は)安楽死を選択すると公言した。天へ戻る日が半年早くなっても、1年遅くなっても、自分には天へ戻る準備ができている、という意味である。安楽死を選択する前に、肺癌で死亡したが、私にはこれが「キリスト教徒として平均的な死に方」と感じた。
在留邦人は「(ニュージーランドは安楽死を認めているので)日本も安楽死を認めた方が良い」「自分で死期を選べた方が良い」とする意見が、多々、聞かれるが、私はそのような軽々しい発言をする在留邦人に、自らの思想を下支えする強靭な宗教観や信仰心が裏づけとしてあるのか問いただしたい。
日本は、宗教を基準に社会が動く宗教立国ではない。クリスマスも、キリスト教最大行事の「イースター」も公休日にならない。元日も店は営業を続けている。
ニュージーランドは宗教を基準に社会が動く宗教立国なので、クリスマスもイースターも、店は営業ができない(例外的に、一部の「薬局」・「ガソリンスタンド」・「デイリー(コンビニ)」は、人の生死に直結するため特別営業ができる)。クリスマスもイースターも、酒の販売は禁止になる。私がいた1990年代のニュージーランドでは、教会で礼拝が行われる日曜日の午前中は、酒の販売が禁止になっていた(これは法改正により現在は廃止となった)。
ニュージーランドでは、宗教で認められた公休日に営業を行うと、小売営業法(Shop Trading Act) の規定に伴い、$1,000ドル(10万円)の罰金刑になる。つまり、働きたくても、働くことができない。法律が、働くことを禁止している。働くと処罰を受ける。この裏づけに「宗教」が存在する。
「日本人でもなければ外国人でもない在留邦人」は、ニュージーランドのことを何も知らないので『ニュージーランド人は、家族と過ごす時間を最優先に考える』と、トンチンカンなことを言い出す。平均的なニュージーランド人は家族と過ごす時間の前に「宗教」を優先する。すべての前に「宗教」が存在する。社会は宗教を基準に動く。自分も宗教を基準に動かないと生きていけない。これが、ニュージーランド人の DNA に刷り込まれていると解釈して間違いない。間違っても、在留邦人が言っているトンチンカンな発言は、信じてはいけない。
ニュージーランドの「安楽死」は、簡単な原則で成立していない。簡単な原則で成立していないので、この法案が議会を通過し法律として制定されても、施行までに2年間を要した。法律の公布と施行が即日行われることが通例となるニュージーランドの法制度では、考えられない異常事態である。
安楽死法案を議会へ提出したACT党のディヴィッド・シーモア議員は『多くのニュージーランド人は、この法案の本質を勘違いしている』と説明する通り、この法案を議会へ提出した明確な理由が存在するのだ。私も、多くのニュージーランド人はこの法律の本質を勘違いしていると思う。在留邦人に至っては、この法律の本質を、まったく理解していない。
安楽死法案は、なぜ、議会を通過できたのか。端的に言えば「宗教が後押しをした」からである。
ニュージーランドは上から下まで、右から左まで、ゆりかごから墓場まで、すべてが「宗教」という巨大な膜に包まれている。この巨大な膜から離れ出ることはできない。
ニュージランドで生活している人はわかると思うが、ニュージーランドの、特に高齢者には、助け合いの精神がいきづいている。ボランティアやチャリティー活動に熱心に参加する。これも「宗教」がその土台にあるので、高齢者ほど無給での活動に従事する。
私はクライストチャーチのキリスト教学校に通ったが、学校がチャリティー活動で寄附金集めを始めると、中学二年生の女子生徒が1人で、40,000ドル(400万円)を集めてくる。こんなの普通にある。400万円を集めてくる生徒が何人もいる。では、本当に中学二年生の女子生徒が1人で400万円もの寄附金を集めることができるのかと言えば、それは無理な話しなのである。400万円の出どころは、中学二年生の女子生徒のじーちゃんとばーちゃんにある。じーちゃんとばーちゃんは、自分が所属する教会に行き、寄附を呼び掛ける。そーすると、あーら不思議! 2週間で400万円が集金できちゃう! これが、ニュージーランドの、典型的な助け合いの精神である。じーちゃんとばーちゃんが集めてきた400万円を学校に持って行くのが、中学二年生の女子生徒(孫娘)の役割り。当の女子生徒は、家でテレビを見ながらポテトチップスを食べているだけで、自分では1ドル(100円)も寄附金を集めていない。これが、ニュージーランドの寄附金集めの実態であり、これらをすべて可能にするカラクリこそ「宗教」にある。ニュージーランドは「宗教」が最優先される宗教立国であり、「宗教」こそがニュージーランドの「血液」である。
「同性婚」は、法的に認められることになっても、同性愛者の結婚式を認める教会は1つも存在しない。『神に祝福されない結婚を歓迎する者は存在するのか』と、プレスビテリアン(スコットランド長老派教会)も、アングリカン(英国国教会)も、バプテスト教会も、ローマカトリック教会も、イスラム評議会も認めない。これ、信仰心のない在留邦人に言っても『だから何だ』となるが、「宗教と信仰」が DNA に刷り込まれているニュージーランド人には、痛く響く。『神に祝福されない結婚は結婚ではない』と。これが、在留邦人が永遠に、永久に理解できない、ニュージーランドの「宗教と信仰」の関係性である。「宗教と信仰」は、目に見えないが、確実に、そこに存在している。だから、ニュージーランド人には響くが、在留邦人には響かない。響かない在留邦人は、ニュージーランド人の心の様子がわからないので、いつものお得意の「妄想」で、この世に存在しないお話しをでっち上げるわけだ。
ディヴィッド・シーモア議員は、自らの信仰について公表をしていないが、2018年10月30日付の twitter 投稿に『ニュージーランドにはキリストの再来が必要』と書き込みをしており、イスラム教徒も仏教徒もこのような発言をすることがないので、そういうことだと思います。
私の疑問点は、シーモア議員が「福音派」なのか否かという点にある。福音派であれば伝統的なキリスト教徒、そうでなければキリスト教の中でも「新興派」と呼ばれる新興宗教(New life Church)に属する。「新興派」と呼ばれるグループの代表格が「エホバの証人」「モルモン教」「統一教会」である。「新興派」は、ニュージーランド国内でもデリケートな扱いで、福音派は決して、新興派と関わりを持たない。「新興派」は、キリスト教の名を掲げるも、その活動はキリスト教とは無縁なのである。自分たちが理想とする世界を幻想的に描くだけで、そこにキリスト教の概念は存在しない。どこかの島に居住する在留邦人と、本質は同じです。宗教立国・ニュージーランドでも「新興派」の存在は無視できないほど大きな勢力になっている。大きな勢力になるほど、政治への意見は厳しく、大きなカネが動く。
2022年9月に行われたスウェーデン総選挙では女性首相のマグダレナ・アンデション率いる社会民主労働党が大敗し、退陣に追い込まれた。スウェーデンでは、反移民政策を掲げる極右政党が躍進し、政権奪還に成功した。ヨーロッパの中で最も移民に寛容な姿勢を持つスウェーデン政府に対し、スウェーデン国民は「NO」(移民廃絶)の審判を突きつけたのだ。今後は、移民・難民の流入に厳しい姿勢をとる政策へ転換し、国内の引き締めを図ることになる。
ニュージーランドは「ミーハー」なところがあり、白人主体の国で新しい動きがあると、それに追随する動きが強い。近年では「アイス・バケツ・チャレンジ」(←意味のわからない人は Wikipedia で調べてください)は、その代表例である。白人の国で人種差別が起きると同じことはニュージーランドでも必ず起きる。アメリカで特定人種を狙い撃ちした人種差別「ヘイト・クライム」が起きると、ニュージーランドでも同じことが起きる。
コロナになってからニュージーランド国内では、アジア系住民を狙い撃ちした襲撃事件が激増している。
2022年10月、マッセー大学は「健康と老年に関する調査報告書」の中で、55歳から80歳のアジア系住民を狙い撃ちした襲撃事件が激増している結果を発表した。オークランドに居住する高齢アジア系住民の2割(正確には 19%)は、人種差別を経験している。
私にとって、ニュージーランド国内で起きる人種差別は「そよ風」が吹くようなもので、何とも思わない。『また始まった』『いつものことか』と思う程度だ。ニュージーランドに人種差別や嫌がらせがなければ、そこは、ニュージーランドではない。しかし、私が在住していたころは、さすがに高齢者を狙い撃ちした襲撃事件は起きていなかった。いつもやられるのは、私のようなティーンと決まっていたからだ。この報告書では、"人種差別は人権に違反する行為のため、社会的な支援および加害者は処罰を持ち対応する必要がある" と結論づけているが、差別論者がこの報告書の中身を知るわけない。
「地上の楽園ニュージーランド」を絶賛する在留邦人に至っては、この報告書の存在すら認めません。
2023年1月19日、在留邦人が大好きなアーダーン首相が辞任を表明したが、私に驚きはなかった。『まぁー、そーなるだろーなー』って、思った。
『まぁー、そーなるだろーなー』の根拠は、後任の労働党首に就任したクリス・ヒプキンス氏の存在である。新型コロナ対策担当大臣として、連日、テレビに出ていたため、「ミーハー」なニュージーランド人には、ウケが良い。後任党首を選ぶ議員総会では、ヒプキンス氏以外に出馬する議員もおらず、無投票で党首に選出されたことから、これは明らかな「党内クーデター」である。
ニュージーランド政界は、党内でゴタゴタが起きると、党内クーデターが勃発する。党首降ろしが加速する。その反主流派に推されたのが、ヒプキンス氏であり、そのため、他の党首候補者はいない。
通常、党内クーデターは、党首が外遊中に反主流派が結託し、党首の帰国と同時に辞任を求めるが、コロナで外遊が制限される中では通常のやり方がとれないため、2023年1月18日開催された「労働党ネイピア大会」で、反主流派がアーダーン首相に辞任を迫り、その翌日に、アーダーン首相は首相辞任を発表した。党首が党内で支持を得られなければ政治家として終わった証拠である。アーダーン首相は身内に首を取られたのだ。これはよくあるニュージーランドでは典型的な「党内クーデター」である。
冒頭のグラフは、2022年初頭から急速に支持を回復する野党・国民党の支持率に対し、急激に支持率を落とす与党・労働党を示している。さすがに頭の弱いニュージーランド人も「アーダーンは終わった」「労働党は死んでいる」と判断した結果である。選挙に怯える労働党の現職議員が「アーダーン降ろし」を計画することは、当然の結果である。ここで、アーダーン首相の首を取らないと、自分の首が取られてしまう。
アーダーン首相は表向きは「家族との時間を大切にしたい」と、いつもの模範的な回答で辞任を表明したが、あのね、ニュージーランドでは自らが退く時、自分の経歴に傷がつかないように「家族」という言葉を用いるの。日本語で言うなら「一身上の都合で」と言うのと同じである。
元ニュージーランド首相のジョン・キーも、辞任を表明した時は「家族との時間を大切にしたい」と言ったことを、偏差値が2しかない在留邦人は、忘れている。キー元首相は、チャッカリ転職に成功し、現在は ANZ 銀行の会長職に就いた。年俸は、200,000ドル(2000万円)。労働時間は、1ヵ月で40時間(←1週間で40時間じゃないYO!)。
ニュージーランドの英雄であるアッシュリー・ブルームフィールド(前・保健省事務総長)も、『家族との時間を・・・』で、任期を1年残し退任した。年俸、470,000ドル(4700万円)の事務総長職を手放し、新設されたオークランド大学医学部集団医学講座教授に就任した。こちらの年俸は、200,000ドル(2000万円)。年俸が半分以下になっても、辞めたくて仕方のない嫌な仕事なのだろう。
「日刊ニュージーランドライフ」主宰の長田雅史は、ジョン・キー首相辞任の際に『日本の政治家で「家族との時間」を優先して辞める人はいません』『ニュージーランド人は、なんと、心のやさしい人たちなのでしょう』と、絶賛していたが、私はそれを見て『あのー、それ、ニュージーランドの人なら誰もが使う典型的な "Excuse"(言い訳)なんですけど』と、おしえてあげたかったが、『ニュージーランドはすべてが正しく、日本はすべてが間違っている』と、一方的に思い込んでいる偏り激しい性格の長田に伝えても、私の助言を無視するので何も言いませんでした。ここまで頭が悪いと、かわいそうだなと思いました。
在留邦人が大好きなアーダーン氏も、ニュージーランドでの評価は必ずしも高いものではない。
2022年8月、イギリスの左派系大衆紙「ガーディアン」は『海外で人気のアーダーン首相は、その人気を国政に生かせるのか』と、痛烈に皮肉る記事を掲載した。左派系大衆紙なので、アーダーン首相を支持して良いはずが、公共放送の "BBC" も徹底的に王室批判をするように、イギリス人は身内に厳しい。さらに、追い打ちをかけるように、2022年12月には『アーダーン首相の支持率が急落 2023年の支持率はもっと下がる』と、決定打を打った。「ミーハー」なニュージーランド人は、この記事をしっかり読んでいる。ニュージーランドの「中(なか)」のことは、ニュージーランドの「外側(そとがわ)」から見ると、良くわかる。これ、お豆さんなので、知っておいて損はありません。
2019年から2022年の間に、ニュージーランドの7名の政治家・官僚に対する過激投稿(発言)5438件を調査した結果、9割(正確には 93%)は、アーダーン氏へ対する内容であった。
この調査を行ったオークランド大学の C・ウィルソン博士は『(アーダーン首相とその他6名との)あまりの差に驚いた』『過激思想・過激投稿(発言)は増える傾向にあるが減る傾向は見られない』『このうちの8件は訴訟案件に該当』と、アーダーン首相を狙い撃ちした批判は、ニュージーランドの日常である。
長く内縁関係を続けたアーダーン首相も、政界引退後に法律婚を選ぶと公言しているので(実際には2020年の段階で法律婚を選択すると公言していたがコロナで延期となった)、親にも、社会にも、学校にも反発していたムスメも、漸く大人になったのか、長く続いた「中二病」がやっと終わったのかと、ニュージーランドの民はアーダーン氏を微笑ましく思うことだろう。在留邦人も、いつまでも反社会的思想を持たず、大人しくなった方が自分のためになると思います。40歳、50歳、60歳なっても『自分は中二病』とか『アスペ(ルガー症候群)だから人の気持ちがわからない』と言っても、イタイ だけで、誰も同情しません。在留邦人って、ゴミにもなれないクズだと、心の底から思う。
邦人女性はアーダーン首相に自分を投影している。邦人社会は「圧倒的な女社会」であり、30代から40代の邦人女性が多数を占め、内縁関係で法律婚を選ばず、子供を産んでいる。特定の支持政党もなければ、信仰心もない。
アーダーン首相が、かつて信仰の対象としたキリスト教新興派の「モルモン教」の信仰を前面に打ち出す主張に転じていれば、これだけの支持は得られていない。宗教を基準に社会が動くニュージーランドでは、宗教を前面に打ち出すことはプラス面であり、同時に、マイナス面でもある。
ニュージーランドで「法律婚」を選ぶことは、非常に手間が掛かる。同時に、おカネも掛かる。日本のように、婚姻届1枚で結婚はできない。同時に、離婚届1枚で離婚もできない。自分を形成する構成要素に宗教的理由がなければ、誰も、法律婚は選ばない。在留邦人は「都合主義者」なので、自分の都合の良い形に、ニュージーランドの社会制度を組み換えてしまう。『ニュージーランドでは、法律婚も、内縁関係も、同等の権限を持つ』は、事実であるが、その背景に存在する「宗教的理由」を説明できる邦人を、私は、1人も知らない。
都合の良いように、ニュージーランドの制度と、日本の制度を組み換え、この世に存在しないお話しを作っているだけ。これが、在留邦人お得意の「妄想」である。
今年度は珍しいことに、野党・国民党も同じくネイピアで党大会を開催したが、こちらは党首交代とならなかった。世界最大の家庭用品メーカー「ユニリーバ」出身、ニュージーランド航空社長を務めた C・ラクソン国民党首は、ビジネスの厳しさを骨の髄まで叩き込まれている。「プロ経営者」の C・ラクソンは、ニュージーランドの「なんでも緩い」「なんでもいい加減」「なにごとも手抜き」な社会環境では、国際社会で生き残れないことを骨の髄まで熟知している。
さらに "極右であり極左" である「ACT党」が、支持率を 10% 台に乗せてきた。既存政党を信用できない「新興派」が「新興政党」に期待を寄せる表れである。ACTの主張は、一般大衆受けするのだが、私はこの不気味な政党を信用できない。
在留邦人が大好きなアーダーン氏が辞任した労働党は議席の確保ができず、議席数削減を最小に留める以外に選挙戦術がない。過半数をとれる政党はないので、第三政党が主導権を握ることになる。第三政党が、極左の「緑の党」になるのか、極右であり極左である「ACT党」がとるのか、ここが争点になる。
ニュージーランドの有権者は「ニュージーランドは地上の楽園」と、微塵にも感じていない。既存政党に希望が持てない無党派層は、新興勢力に救いを求める。「安楽死法案」を通した「極右であり極左」である ACT党は、その象徴的存在である。ニュージーランドの「無宗教・無神論」と「無党派層」は、常に密接した存在である。政治と宗教は、切っても切れない納豆のような関係であることを忘れてはいけない。
今年は選挙年なので朗報がある。
ニュージーランドの政治家は、選挙期間中にしか仕事をしないので、2023年10月の総選挙へ出馬表明をしている現職議員に、面倒なことを頼める。『子供が地元の公立校に入りたいが学区域外なので入れない』『滞在許可の申請をしているがイミグレの返事が遅い』『隣の家の犬がうるさい』と、何でも良いので口利きをしてもらうと、けっこう、あっさり、やってくれる。選挙権がなくても、言えば、やってくれる。新人候補者に言っても職権がなく意味がないので、現職議員に言うと裏からやってくれる。ニュージーランドの有権者はそのことを熟知しているので、この選挙期間を有利に使う。私も現地校の先生から『政治家は選挙の年だけ使え』『あいつらは当選したら何もやらない』と、100億回くらい言われたので、骨の髄まで染み込んでいます。『何でも裏口ってあるんだな』と、思いました。実際に、裏口も抜け道もある。ニュージーランドで生き残るには「コネ」「ツテ」「地縁・血縁」を使わないと、生きていけない。ニュージーランドは、ほとんど人が住んでいない世界の僻地にあるので「友達の友達」まで遡ると自分の知り合いに辿り着く。その過程で政治家を取り入れると「友達の友達」を繋いでくれる。それが、2023年9月末まで、誰にでも無料開放されているようなものです。この機会を使わない手段はない。
ニュージーランドは、すでに、選挙戦へ突入しているので、現職議員に口利きを依頼すれば「殺人」以外は、だいたいやってくれます。
それと、ニュージーランドの「選挙権」を有する在留邦人は、投票登録(Electoral Roll) を行っていただきたい。ニュージーランドには、住民登録制度はないので、誰が、どこに住んでいるのか、役所は把握していない。そのため、選挙があっても、投票券は送られてこない。投票したい人は、自分で、投票登録をしないとできない。「日刊ニュージーランドライフ」主宰の長田雅史のように、投票に行こうとしたら、投票登録をしておらず、投票に行けなかったというオチのないオチは イタイ ので止めましょう。在留邦人って、(ニュージーランドで)生活保護をもらう方法や、いくらもらえるのか、おカネの計算は瞬時にできるのに、選挙にはいかない。選挙へ行く前に、投票登録も終えていないので、投票所に行っても投票はできない。
私がニュージーランドで上手くやれなかった理由は「尊敬できる大人に出会えなかったこと」だと思うんです。在留邦人って、最下層の、ゴミにもなれないクズしかいないんで。皆さんも、そう、思いませんか?
在留邦人の皆さんも、私を敵対視するのではなく、私からの助言を素直に聞き入れ、ニュージーランドの選挙年を、最大限、有効活用していただきたい。「素直さ」って、人が生きる人生で、最も大切な要素だと思う。
私からの助言を有効活用し、自分に利益が出れば、私を敵対視することはなくなります。そうなると、世の中は、少しだけ良くなる。そんな日がニュージーランドに訪れることを、切に願いますが、たぶん、そんな日は、やって来ないと、性格の悪い私は思います。なぜならそこに、在留邦人がいるから。
2023-02-01 00:00
在留邦人は包茎おち〇ちんから出てきたチンカス [在留邦人批判]
このブログを読み返えすと『やっぱり面白い』と、自画自賛です。
在留邦人が描く「嘘」と「偽り」だらけの「夢の中のニュージーランド」と異なり、嘘も偽りも一切なく、ニュージーランドの実情が読み解ける書き物は、私のブログだけだなと、自画自賛している。やっぱり私は「レベチ」だなと。
たくさんの人が私の書き込みを批判するわけですが、私は私の評価をできるので、客観的に、多角的に、多様性の中を注視し、常に中立的立場で、自分に厳しく、人にも厳しく(!)、自分が書き込む内容が間違っていないことを骨の髄まで理解している。常に一方通行で、激しい思い込みと偏りある偏見に満ちた在留邦人との大きな違いです。
このブログを読む人が私を攻撃してくると、私の自己肯定感はパワーアップしてしまうので、なるべく、私を攻撃しない方が良いと思います。
過去にも何度か、在留邦人の本性を暴露する書き込みをしているが、アクセス数が桁違いに多い。
ついに私も「ガーシー」になったのかと、名誉なのか迷惑なのか、わかりません。私はガーシーのように再生回数でお金をもらっていないので、嬉しくも悲しくもありません。幸運なことに、お金に困る生活をしていないので、在留邦人のように「嘘」「デタラメ」「妄想」で、汚いカネを稼ぐ必要がないんです。
在留邦人って、皆、仲が良いけれど、皆、仲が悪いので、どの人も自分以外の在留邦人を信用していない。25歳を過ぎて日本各地からやって来た在留邦人の素性を知らない。自分も都合の悪いことは隠すが、相手も都合の悪いことを隠している。在留邦人が最も信用しない人は、在留邦人なのである。
そこで私が、ピンポイントで特定の在留邦人を狙い撃ちする書き込みは、ノーリスク・ハイリターンで失うものはなく、どの在留邦人にとっても、有益な情報源なのだ。それが、このブログに集まるアクセス数の多さに比例する。やっぱり私のやっていることって「レべチ」だと思うんですよね。皆さんも、そう、思いませんか?
私のような正確な情報で、内容が密で、読みやすい日本語ブログがあれば読んでみたいと思いますが、残念ながら、私のブログ以外でそのようなブログは存在しません。
薄れゆく記憶の中で、私が惨めな高校生をやっていた世界の僻地にあるド田舎のニュージーランドで困ったことは、日本語がわからなかったことにある。
現在も状況は変わっていないが、在留邦人の多くは、関西圏(主に、京都・兵庫・大阪)の出身者である。人口比に対し、北陸の出身者も多く在住する。この人たちの話す日本語が、まったく理解できない。初対面の私に対し『じぶん、どっからきたん?』と聞いてくるが、私は、この日本語が理解できない。『どっからきたん』は、「どこからきた」かと思うが、『「じぶん」、って、なに?』って思った。
関西人(主に、京都・兵庫・大阪)は「YOU(あなた)」に相当する日本語として「じぶん(自分)」という言葉を用いることを、ニュージーランドで初めて知った。日本人同士でも異なる日本語を使用する。そのことを、在ニュージーランドの関西圏出身者はまったく理解していないので、いきなり関西弁で、自分のカルチャーを前面に出し、初対面の私に話しかけてくるので日本語が通じないのだ。
それなら、ルー大柴の話す「ルー語」で、『ユー(あなた) は、 ジャパン(日本) の、ホエア(どこ) から、カム(来た) したの?』と、聞いてくれた方がわかりやすい。
多くの在留邦人は認識をしていないが、在留邦人の話す日本語は「ルー語」である。
『イミグレーション(入国管理局)に、アプリケーション(滞在書類)を、アプライ(申請)しに行きました。デスク(受付)でアクセプト(受理)してもらえませんでした。何がプロブレム(問題)だったのでしょう』という日本語を普通に使うので、何を言っているのか理解できない。
ルー大柴が、『イエスタデー(昨日)、マイリトルシスター(妹) と、トゥギャザー(一緒に) して、ストロベリー(イチゴ) を、イート(食べ) しました。デリシャス(美味) でした』と言うのと、何も変わらないのだ。
このやり取りを、初対面の日本人同士が即興でやり取りしなくてはいけないので、本当にくたびれる。
これが、私がニュージーランド嫌いになった一(いち)要因であることは、紛れもない事実である。在留邦人には日本語が通じないのだ。
もうひとつ、カチンとくることは、関西人は初対面の私に「アホ」と、すぐに言う。初対面の私に対し「はよ、死ね」と、言われたこともある。これが、関西人の挨拶(?)らしい。『ずいぶん、失礼な人だ』と思ったが、日本語の通じない関西人に文句を言っても日本語が通じないので、私の学校にいたパラグアイからの留学生(ものすごい金持ち)とやり取りするよりも難しかった。
関西人とは日本語が通じない。私は関西人に、良い印象がない。それは、ニュージーランドで出会った関西人の責任である。
私のことを批判する在留邦人は、私に迷惑を掛けた関西人を批判すべきである。
京都出身の人はわかると思うけれど、京都って、観光で行くから楽しい町で、そこに住み生活することは、厳しい土地である。古くからの仕来りが根深く残り、地元感情が強く、新しいことは全否定される。商売をやっている人はそこを離れることはできないが、商売をやっていなければ京都に住みたくない京都府民はたくさんいる。京都の人間が、流動層の多い東京や横浜にやってくると『こんなに自由に生きているのか!』と、同じ日本に驚く。その現実を知る私は『それって、ニュージーランドの若者が、ニュージーランドを語る時と同じジャン!』って、思った。ニュージーランドで、ニュージーランドを良く言う人って、留学生からお金を巻き上げる留学エージェント以外にいない。留学エージェントは、ニュージーランドを売り物にしないと、カネが稼げないので、都合良く、調子良く、ニュージーランドを担ぐ。本音では、ニュージーランドのことを、よく思っていなくても。
ニュージーランドの人はニュージーランドを良く思わない。ニュージーランドの人は、ニュージーランドの悪口しか言わない。チャンスを捕らえ、ニュージーランドを離れたいと願うニュージーランド人は、国民の5人に1人、100万人を超えている。ニュージーランド人の4人に1人が海外に住んでいる実情を考えると、それは、概ね正しいことだと思う。"ニュージーランド LOVE" の、在留邦人は、永遠に、永久に、認めないお話ですけれどね。
ニュージーランドからの直行便が出ていない関西・北陸地方の人たちが、なぜ、世界の僻地にあるド田舎のニュージーランドに魅了されるのか、まったく理解できない。
でもね、ニュージーランドへ行くと、本当に関西人しかいない。あちらこちらで関西弁が聞こえてくる。『ここは、梅田か? 三宮か?』と思うほど、関西弁しか聞こえてこない。だから私は、彼ら・彼女たちの話す日本語が理解できない。何を言っているのか、まったくわからない。そのわからない日本語を話す関西人のお世話を、問答無用で、強制的に、逃げても追いかけて来てやらさせられたのが、この私です。
その私が、関西人を良く思うわけがない。
「NZESCニュージーランド教育サポートセンター」代表の、伊藤 博秀(ヒロ・伊藤)さんという方は、「馴れ合いと助け合いは別」と話していたが、その言葉を、ご自身が面倒を見る留学生に、骨の髄まで叩き込んでもらいたい。自分が面倒を見ている生徒でも、現地校でのお世話は、何の関係もない留学生に丸投げですから、私が不満を持つわけです。
留学生をやったことがない人に、留学生の苦労は理解できない。
私がこのブログに何度も書いている『留学生は何でもやる必要はないが、何でもできなくてはいけない』という言葉の意味も、留学未経験者には理解できない。留学生は誰も助けてくれず、現地では粗末な扱いを受けるので、状況によっては、死んでしまう。死なないためには、何でもできなくてはいけない。
留学生は、好むと好まざると、他の留学生のお世話をさせられる。
思い出してもらいたい。あなたが通った学校で、クラスメイトの中で仲の良かった生徒は何人いただろう。多く見積もっても、2割もいないはずだ。1クラス40人学級で8人、1クラス30人学級で6人だ。この人数でも多いくらいだ。他の生徒は顔と名前は一致しても、ほとんど話しもしたことがない生徒である。
留学生になると、学内に日本人が10人いれば10人、20人いれば20人の世話をしなくてはいけない。これは、どの学校でも共通している。現地校の教員は『同じ国から来た生徒が助け合った方が良い』と、判断する。伊藤さんも同じことを考えるので『馴れ合いと助け合いは別』という言葉が出てくる。
では、初対面の、日本のどこから来たのか、なぜその学校へ進学したのか、日本で何をやってきたのか過去を何も知らない日本人留学生と、いきなり仲良くなれるのか。なれない。オールラウンドに誰とでも仲良くなれる人は、この世に存在するのだろうか。そんな人は、この世に、1人として存在しない。これを留学生は強制的にやらされている。
私にも好みがある。自分の時間を割いて何かを手伝ってあげてもお礼も言わない、無視してその場からいなくなる日本人の世話はやりたくない。しかし、学年が上がれば上がるほど、この役割りから逃げることができない。
ニュージーランドの学校には「リーダーシップ教育」(Educational Leadership) という、上級生が下級生の面倒を見ることで模範例を示し、次の代のリーダーを育成する慣例教育がある。オークランド大学には「リーダーシップ教育専攻」の修士課程も設置されている。『自分さえ良ければ、他人は、どーでもいい』と考えるニュージーランドの国民性では、人々はバラバラに行動をとるため、連帯感も協調性もなく、目的が達成できない。ニュージーランド人との人付き合いは、辛抱強くないとやっていけない。農業国という立地から、食うに困らず、危機感がなく、国民感情が緩く、生産性は低く、競争力もない。放っておけば、悪い方向にしかいかない。学校教育の中でリーダーシップを学び、連帯感を持たせ、協調性を養い結果を出す。これが、ニュージランドの教育の中心にある。
英国のパブリックスクール(名門私立校)では、なぜ、学校教育の中でラグビーを重視したのか。心身を鍛え、植民地という厳しい環境下で活躍できるリーダーを育成するためにラグビーを導入したからだ。ラグビーは試合が始まるとコーチは指示を出せない。キャプテン(主将)がすべてを判断し選手へ伝える。審判の判断を選手へ伝え、選手の意見を集約し審判へ伝える役割を担う。ラグビーでキャプテンの存在が大きな理由は、このリーダーシップにある。
大英帝国の植民地で活躍できる人材を育成するために、パブリックスクールでラグビーを導入した。労働者階級のスポーツであり、お金で選手が移籍するサッカーを、パブリックスクールは嫌う。ラグビーは、超保身的なスポーツであり、現在もアマチュア主義を貫き、プロ化を目指していない。なぜか。お金で選手が移籍すれば、連帯感も、協調性も失われ、チームで活躍できるリーダーは育たない。ニュージーランドラグビー協会(NZRU) は、海外移籍したラグビー選手をニュージーランド代表チームに入れない。「裏切り者」だからだ。この歴史観と思想は、大英帝国の植民地であるニュージーランドへ移植され「リーダーシップ教育」として、学校教育に引き継がれた。
どの学校でも「リーダーシップ教育」は取り入れているので、現地校の教員は、留学生の面倒を留学生に見させている。「リーダーシップ教育」は、留学生のお世話にかぎらない。私は、現地校の生徒に勉強をおしえたこともある。学内の仕事を手伝うこともリーダーシップ教育では求められる。図書館の蔵書を整理する生徒、コンピューター室でコンピューターの管理をする生徒、解剖用の実験動物の世話をする生徒もリーダーシップ教育の一環として学内の仕事に従事している。学校にお客さんが来校した時は、在校生として話しをしたこともある。学校見学にやってきた進学希望の親子に、学校生活の話しや学内設備の紹介をしたこともある。校内で迷う進学希望の親子を目的の教室まで案内する。車を駐車場へ誘導する役割も立派な「リーダーシップ教育」である。『自分さえ良ければ、それでいい』と考えるニュージーランドの国民性では、誰も、駐車場へ誘導してくれず、安全が保てない。これらはすべて、上級生の役割であり、リーダーシップ教育は、協調性を養う重要な教育である。そう、在留邦人が大嫌いな「協調性」を養う教育を、ニュージーランドの学校は最重視するのだ。
日本にいれば『この生徒とは性格が合わない』と、避けることができても、現地校にいるかぎり、それは避けて通れない。現地校の教員が『日本人が日本人の面倒をみることがリーダーシップ教育の一環である』と判断すれば、留学生はそれに従わなくてはいけない。ここで私が日本人のお世話を拒絶すれば、教員は私に対し「上級生としてリーダーシップを発揮していない」と、悪い評価を下す。事実、私は日本人のお世話を拒絶したことで、教員から最低評価をくらい、ケチョンケチョンに叩かれた評価報告書が送られてきた。多くの生徒は、この評価報告書を大学進学時の内申書として提出するが、私は最低評価をくらったので、この評価報告書を提出することができなかった。
ニュージーランドは「推薦状」の評価が絶大なチカラを発揮する信用社会なため、推薦状に書かれた内容は「クロ」を「シロ」に変えるチカラを持つ。実際に私も、推薦状1枚で「クロ」が「シロ」に変わる瞬間を、多々、目撃している。『礼もなければ感謝もない日本人の世話はできない』と言っただけで、私は最低評価を受けた。私の努力は徒労に終わった。
留学生をやったことがない留学エージェントは、この「徒労」の意味を理解できない。理解できないから、現地校の様子が良く見える。受験がなく、アウトドア教育が充実し、嫌いなことはやらず好きなことだけを選び個性を伸ばす教育が行われていると、大きな勘違いしている。そりゃーそーだ。自分がやったことがなければ何でも良いように解釈を変えてしまう。"Prefect" を「生徒会」と、メチャクチャな解釈に変えてしまう。過去も経験もなければ、嫌な記憶しか残っていない日本の学校と、自分の中に存在しないニュージーランドの学校を、無理やりくっつけ、別のお話しを作り出してしまう。これが「妄想」です。在留邦人お得意の「妄想」です。ニュージーランド人に「妄想学校」のお話しをしても、『そんな学校はニュージーランドにない』『それがニュージーランドであるなら、そこはニュージーランドではない』となってしまう。そりゃーそーだ。「妄想学校」は、妄想の中にしかない。ニュージーランドにも、日本にも、アゼルバイジャンにも、トルクメニスタンにも、「妄想学校」は存在しないのだ。
伊藤さんがお金をもらい面倒を見る日本人留学生が、学内で問題を起こした(とする)。留学生担当の学校職員は、伊藤さんの電話番号を知っているが連絡はしない。すぐそばにいる他の日本人留学生に告げ、『この問題児(の日本人)を何とかしろ』となる。そこに動員されるのが、この私です。私が『その留学生のことは知らないので手伝えない』『何かを手助けしてもお礼も言わずいなくなる日本人留学生の手伝いはできない』と伝えても、『おまえがやれ』の、一点張り。本来、これは伊藤さんの仕事だが(そのために伊藤さんは留学生の保護者から高額なエージェント料を受け取っている)、勤労意欲のないニュージーランドの学校職員が、イチイチ、伊藤さんの電話番号をさがしだし、電話を掛け、いつ来るのかわからない伊藤さんを待つより、すぐそばにいる私に(伊藤さんの)仕事を丸投げする。これが、現地校で起きている日常であるが、伊藤さんはその事実を、現在に至るまで知らない。なぜなら、伊藤さんは現地校の生徒ではないからだ。留学経験もなければ、現地校での修学経験もない。何も知らない「自称・留学エージェント」なのだ。
何年か前に、私は伊藤さんと、直接、お話をさせていただく機会に恵まれ、名刺をいただいた。今でもその名刺を保管しているので、フルネームで、漢字で、名前が書ける。名刺交換って、悪口を書く時に役立つので、捨てない方が良いです。
在留邦人って、ファーストネーム(下の名前)しか知らないので、漢字でフルネームを書ける人は存在しない。日本へ帰国してしまうと、名前の検索もできなくなる。在留邦人に、名前はないのだ。
伊藤さんは典型的な在留邦人なので、大好きなニュージーランドを離れ、生活拠点を東京へ移しても、ニュージーランドを大絶賛する姿に辟易(へきえき)した。あのね、生活拠点を東京に移しても、広島出身、観光ガイドから出発し、クライストチャーチで日本人向けの観光会社を設立するも事業に失敗し、まったく経験のない留学ビジネスに飛び込み、「時代の流れ」という幸運を掴み、留学ビジネスに成功した伊藤さんの言葉に説得力はない(ここまでは伊藤さんが公表している自分史である)。
私にもずいぶん、『現地校の先生と知り合いだから何でも知っている』と、しつこいくらい力説していたが、現地校の先生と称する人たちは、留学生集めの営業担当の職員で、教員ではない。学校では、営業担当の職員が点数をつけるのか? 成績表をつけるのは、教員資格を持たず、学科指導を行わない営業職の学校職員か? 点数をつけるのも、成績表をつけるのも、教員資格を持つ教員である。生徒に点数をつけない営業職の職員と仲良くなっても、何の意味も価値もない。
伊藤さんはニュージーランドが大好きな一方通行の頭がおかしな人だと思い、私は話しを止め、その場を立ち去った。伊藤さんは、とにかく拘りが強すぎて、人の意見をまったく聞かない。『ニュージーランドが、絶対に、正しい』と、一方的に信じ込んでいる人と話しを進めても時間の無駄に感じ、私はその場を離れたのだ。伊藤さんにとっても、私と接する時間は無駄に終わっただろう。それは本当に申し訳なく思うので、ここに謝罪したい。伊藤さんが目の前にいれば、おでこを地面にくっつけ土下座し、その場でゲロを吐いて謝罪します。
伊藤さんと面識ある読者は多いはずなので『ねーねー、伊藤さん。あおいちゃんが「ニュージーランド大嫌いブログ」に、伊藤さんの悪口を書いてるよ』と、チクってください。チクるなと書き込んでも、チクるのが在留邦人ですから、在留邦人って、どーしよーもないクズです。包茎のおち〇ちんから出てくるチンカスだと思っています。
伊藤さんはヘルス(体調)がノットグッド(悪い)で、ホスピタル(病院)に イン・アンド・アウト(入退院)をリピート(繰り返し)しているので、あまりストロング(強烈)なチクりはノーインプット(入れない)した方が、メンタル(精神) のために、グッド(良い) だと、 シンク(思い)し ます。シック(病)はフィール(気)からとセイ(言う)なので。
ニュージーランドが大好きで、ニュージーランドを絶賛する伊藤さんが、なぜ、日本へ帰国し、日本の公的医療制度に頼り、東京の病院に入院しているのか、大きな疑問です。
私の悪口を伊藤さんにチクるより『ねーねー、伊藤さん。ニュージーランドが大好きで、ニュージーランドの永住資格を得て、ニュージーランドの公的医療制度の恩恵に預かれ、ニュージーランドで生活保護も受けられるのに、何で日本に戻り、ニュージーランドより質が低い東京の病院に入院しているの?』って、聞いてあげたほうが、よろしいかと思われます。
伊藤さんからの回答を、私に伝えにこなくていいです。まったく興味がないので、余計なお世話はやらかさないでください。本当に迷惑なのでやめてもらいたい。でも、在留邦人には日本語が通じないので、とてもとても困ります。
2023-01-01 00:00
在留邦人は母になってはいけない [在留邦人批判]
2022年11月に投稿した内容について、このブログの運営元である「シーサー」から削除要求がされた。
削除理由がわからない私は、そのまま掲載を続けたが、『(自主的に削除しないと運営側で)強制削除する』『(当該者との間で)法的問題が生じる』と、内容の信ぴょう性に関わらず、とにかく「削除しろ」「削除しろ」「削除しろ」に、辟易(へきえき)した。
ゴネることが嫌いな私は、削除はせず、該当箇所を「非公開」とした。以後、「シーサー」から連絡は届いていない。
改めて、私の書き込み内容のどこに問題があったのか自己検証をしたが、削除要求がまったくわからない。
同じことは「日刊ニュージーランド」主宰の長田雅史の記述についても、長田本人が苦情を入れ、私が長田雅史を「キチガイ」「精神病者」「包茎」と記述したことについて、返答するまでもなく、通知と同時に強制削除されてしまった(当時の運営元は「ソニーネットワークコミュニケーションズ」)。
こちらについても、削除理由がまったく理解できない。私が長田雅史のことを「包茎」と記述した箇所に、問題があったのだろうか。
当時の運営者である「ソニーネットワークコミュニケーションズ」は、長田雅史のおち〇ちんを確認し『これは真性包茎ではなく、仮性包茎であり、明確に「包茎」と断定はできない」と、判断したのだろうか(注:仮性包茎は保険治療の適用外=治療の必要性がない)。これこそ「プライバシーの侵害」に相当すると思うのだが。
性格の悪い私は、法廷闘争に発展した際の展開を想定していた。
海外に住む日本語の読み書きができない未成年の在留邦人が、どのような法的手段に転じるのか。裁判費用は捻出できるのか、弁護士費用は出せるのか、そもそも、どこの裁判所で審理が行われるのか、自分自身のケーススタディとして、この法廷闘争に乗ることは、私にとって有益なのではないかと考えたのだ。
この件に関し、ニュージーランドは無関係なため、民事訴訟を起こすとなれば日本以外にない。
訴状には、原告の氏名と現住所が記載される。これにより、原告が特定できる。原告は、日本語の読み書きができない在留邦人の未成年の子女であり、日本語で訴状は書けない。弁護士を雇うおカネもない。「法テラス」を利用し訴訟を起こす準備をしても、常識ある弁護士であれば「バカバカしい」と、依頼は受けない。
仮に、無償で引き受けてくれる人権派弁護士を見つけても、日本語の読み書きができない在留邦人の未成年の子女の「母」が代理人となれば、 (#゚,_ゝ゚) バカジャネーノ? と言われ、オワリ。
仮に、訴状を準備できたとしても、人権派弁護士は訴状内容から、明らかな虚偽を指摘するため(実質的な原告が子女の「母」であることから)、明らかな虚偽を認識しながら同調する弁護士は「弁護士職務基本規程 第75条 」により、弁護士法違反になる。そのため、人権派弁護士でも、この訴訟を受けることはない。ここまでのやり取りを、日本語の読み書きができない在留邦人の未成年の子女が、論破できるのかなと。
日本国籍を保有しながら、日本語で訴状も書けないって、日本人として「死んでる」と、性格の悪い私は思います。私は、日本語でも、英語でも、完璧な訴状を書けますが。
一般的には「警察を呼ぶ」「裁判を起こす」と言えば、言われた相手(被疑者)は驚くが、実際のところ、警察は「何でも屋」ではなく、裁判所もバカバカしい稚拙な案件は門前払いにするので「脅迫」の域を出ない。「脅迫」は立派な刑事事件であり、立件対象となる。
そのことを熟知する性格の悪い私は『警察に言いたければ好きなだけ、納得するまで、永遠に言い続ければよい』『裁判所に訴えそれで満足するなら、死ぬまで訴え続ければよい』と、思ったのだ。
私が名(名前)と在籍校、住んでいる大まかな地域を記載した人物は幸せ者だと思う。
娘を溺愛する母親が、常に上空から娘を気遣う「ヘリコプターママ」として、ブンブン飛び回り、身の回りの世話から、食事の世話、送迎から修学支援、生理周期の確認に、性の悩みまで、すべてを解決してくれる。娘は思考停止で生きていける。こんな母親は、なかなか、いないぞと。
世界の僻地にあるニュージーランドというド田舎で惨めな高校生をやっていた私は、25kg の荷物を背負い、新宿駅から1人で成田エクスプレスに乗り、2時間を掛けて成田空港へ行き、1人で搭乗手続きを行い、鬱鬱とした気分でニュージーランドへ渡航した。
帰国時は、受託手荷物の乗り継ぎ手続きを取ったにも関わらず、カンタス航空の失態で荷物が積まれておらず、職員に文句を言って荷物を取り返し、午前6時開港の成田空港到着後は空港内で1時間も待ち(注:早朝は上り列車が運行していない)、また、2時間を掛けて新宿駅まで戻った。この間、親の送迎はなかったが、私は1度もそれを不満に感じたことはなかった。
25kg の荷物を背負ったことがある高校生はわかると思うが、背中は内出血で腫れ、1週間は収まらない。これが、私が惨めな高校生をやっていたニュージーランドでの生活だった。
私にはニュージーランド人の留学エージェントがいたが、この人に会ったのは、年に2回だけ。
1回目は空港に迎えに来てくれたが、その後は、一切の連絡が途絶えた。2回目はこちらから連絡を入れ『高額なエージェント料を支払っているのに何もしないのは酷くないか』と、苦情を入れた。ニュージーランド人のエージェントは『あーだ』『こーだ』と、はぐらかし、『日本の都道府県とはニュージーランドの地方議会は同じ仕組みなのか』『日本人と商売をしたいので紹介してくれ』『日本人の短期留学生は(夏休みの)3週間で 10,000ドル(100万円)を落とす。この商売に乗りたい』と、無理やり話題を変えてきた。私は怒り(いかり)、そのまま退席した。以後、ニュージーランド人エージェントからの連絡は途絶えた(それ以前からも途絶えていたが)。
私が在籍したキリスト教学校は、現地在住の留学エージェントの監視下にない外国人留学生は在籍できない仕組みになっていたが(これは現在も同じ規定である)、私はエージェントなしで在籍した。学校には内緒にしていたが、時効なのでここに記述しておこう。
エージェント料は、年間 6,500ドル(65万円)。これは、学費ではない(学費は 13,000ドル(130万円))。
65万円を支払い、エージェントから連絡がきたのは1年間で2回だけ(うち1回は私から要求した面会)。
これが、ニュージーランド人との、平均的な商売の進め方であり、平均的なお金のやり取りである。ドケチで、極度にお金に細かく、すべてが雑で、いい加減で、やる気がないニュージーランド人とのビジネスには、コリゴリした。この感想は、現在に至るまで変わっていない。
日本人の留学エージェントは『留学は成果ではなく経験である』としているが、1年に 65万円 を支払い、自分の親と同じ年齢のパケハとケンカをして喜ぶバカはいない。私は、日本人留学エージェントに申したい。『だったらオマエが代わりに 65万円 を支払え』と。私の代わりに 65万円 を支払ってくれる留学エージェントがいたのなら、私がこのような記述を残すことはない。
私と在留邦人はレベルが違う。私はレベチ、在留邦人はムチ(無知)。このレベルの差が、私のブログに群がる読者の多さに比例する。私は在留邦人が「嘘」「デタラメ」「妄想」で描く美しいニュージーランドに住んでいない。そんなニュージーランドは、ニュージーランドに存在しない。
在留邦人は現地に住んでいても、現地での生活歴がないので、私が記述するような具体例がない。すべて「嘘」「デタラメ」「妄想」で綺麗に整えられたニュージーランドだけを描きだす。それは、実に美しい世界です。汚いものが1つもない幻想的な世界。
もし、ニュージーランドが美しく、幻想的な世界があるのなら、詐欺師のイーストウインドの田中は存在せず、詐欺師の田中にお金を出してもらい「ニュージーランド大好き社」を設立した 野澤哲夫 社長 は私から逃げ回ることなく、私の書き込みを読めない在留邦人の子女がその内容について苦情を入れることもない。
皆さんも、そう、思いませんか?『在留邦人の言うことって、おかしーよなー』『在留邦人の言うことは、ぜんぶ、嘘なんじゃね?』って。実際に、嘘のデタラメで妄想なんですけれどね。
私の興味の対象は、このブログの読者である「ヘリコプターママ」にある。
「ヘリコプターママ」は、原発事故をきっかけに日本を離れたとしているが、これは嘘で、一番の理由は「母親からの逃避」である。自らの母親の過干渉からの逃避にある。
母は娘を思い、良い学校へ入れ、良い大学へ入れ、良い職業に就かせることが母親としての務めであり、その通りに実行した。これは、母だけが持つ「母性」である。
娘である「ヘリコプターママ」は、小学生の時から進学塾に通い、良い学校に入り、良い職業に就いたが、その職業が向かないことに気がついた。この段階で二十代後半になっており、後戻りはできない。鬱鬱とした日々を過ごす中で、「3・11原発事故」が起き、これを理由として日本を離れた。これで世間体が通る。
「ヘリコプターママ」は、母親から離れ大喜びで飛び跳ねているが、巻き添えを食らった夫と娘・息子は、ニュージーランド生活に辟易している。それが理由で、慢性的に体調が悪い。体調が悪い一番の理由は精神的な問題にある。この家族は「ヘリコプターママ」以外、ニュージーランドでの生活に向いていない。「ヘリコプターママ」はニュージーランド生活を楽しむわけではなく、「母親からの逃避」を喜んでいるだけである。「母親からの逃避」ができれば場所はどこでもよい。「実母」のいない地が、最良の地なのだ。
ニュージーランド国内でも「ヘリコプターママ」の存在は、子の自立を遅らせ、諸問題を解決する能力を失うと、社会問題となっており、「成人期以降に重大な不安障害を引き起こす」と、精神科医が警告している。この不安障害が、ニュージーランドの国民病である「鬱病」と「自殺」を引き起こす。適切な失敗の積み重ねがない人には、将来の成功は訪れない。これは、在留邦人が大嫌いな日本でも、在留邦人が大好きなニュージーランドでも、在留邦人がまったく知らないトルクメニスタンでも同じなのだ。
この「ヘリコプターママ」以外にも、実母を「毒親」と称し、痛烈に批判する日本人女性が多く存在する。私がニュージーランドという僻地で惨めな高校生をやっていた約30年前にもいた。もう、とにかく、母親に対する悪口が凄まじい。同じことを英語では言えず、日本人をさがして母親の悪口を言いにくる。私は『また、始まった』と、逃げ回ったが、在留邦人は精神病者しかいないので、逃げても追いかけてくる。逃げても追いかけてくるって、ホラー映画でしか見たことのない世界だ。
在留邦人は母親になってはいけない。
日本に住む一般的な女性にこのようなことは言えないが、在留邦人は、精神異常者である。脳が正常に機能していないキチガイである。キチガイが子を生み育てていても、キチガイになるだけである。
在留邦人が母親になっても、自らが「毒親」と称する母親のやってきたことしかできない。大嫌いな「毒親」のやり方を踏襲する。もう、言っていることも、やっていることも、メチャクチャ。なぜなら、脳が正常に機能していないキチガイだから。
ニュージーランドは格差が大きく、見た目の差別が根深く残る社会である。現地でも太った子、吃音の子は、例外なくイジメの対象になる。年配の人は「左利き」を「低脳」と判断し『あの子は脳に異常がある』と、差別する。年寄は差別をしないと思ったら大間違いだ。斜視(しゃし)の子も同じ。誰も、絶対に口(くち)に出して言わないが、誰もが斜視に対し、差別意識を持っている。もっと細かい人は、歯並びが悪いだけで差別の対象にするので、ドケチなニュージーランド人も高額な治療費の掛かる幼児の歯科矯正を重視する。すべては「差別」を回避する行動である。これらは、経験則により、現地の民の DNA に深く刻まれている。誰も、口(くち)に出して言わないので平穏に思うだけで、ニュージーランド人の差別意識は内面に深く存在するのため、より厄介である。
日本人がニュージーランドで生活していくことは、マイナス面が多くある。誰もマイナス面を実証的にも計量的にも証明しないので、私が実例と実数を用いて説明しているわけです。
在留邦人の子女は、ニュージーランド生活に疲れている。子女だけでも親から解放してあげることが、親としての最大の務めである。
親が子にしてあげられる唯一の行いは、これからやってくる「大失敗」への備えである。
失敗には「取返しのつく失敗」と「取返しのつかない失敗」がある。準備不足は人生の常であり、失敗もまた、人生の常である。それが、二十代に入ると、一気にやってくる。二十代とは、それだけ危うい年代なのだ。ここで「取返しのつかない失敗」を「取返しのつく失敗」へ変えてあげる。これが、親としてできる唯一の行いである。
「大失敗」の原因は、明らかにされており、一番にして最大の原因は『思い込み』である。「これはこうに決まっている」「文句なしに正しいことをしている」と、在留邦人お得意の偏りある一方的な判断が最も危険な人生の悲劇なのだ。生(なま)のファクトを疑うことなく、その中に誤りの原因が潜んでいても追及しない。在留邦人が最も得意とする「一方的な倫理の展開」である。あなたの周りにいる在留邦人は、皆、このタイプだから、日本でも、ニュージーランドでも、トルクメニスタンでも成功しない。何をやっても失敗者である。永遠に、永久に、負け組である。これを、自分の子に伝えてあげることが、親としての最大にして、唯一の務めなのである。財産を残す、不動産投資を行う、アップルウォッチを買ってあげることが、親の務めではない。
在留邦人のお母さんは子女の手をとり、『よく聞いて。あなたは、私になってはいけない』『私のように、後戻りできない、大失敗を犯してはいけない』と、「しくじり先生」となり伝えてあげることが親としての務めなのだ。
その結果、『お母さんは頭がおかしい』『お母さんはヘンな人』『お母さんといると自分が壊れる』と、思う子に育ち、なるべく早く母から離れ、永久に母のもとへ戻らない子に育てば、大失敗したあなたの育児は大成功と言える。大失敗したあなたの育児が大成功した時、あなたは既に「毒親」になっているのだ。
2022-12-01 00:00
見えない「私」からの苦情 [在留邦人批判]
ひさしぶりでもないが、アダルト動画を観ていた。
佐伯由美香という、容姿端麗なセクシー女優の作品だ。
佐伯由美香は、変態が驚く変態である。自らも変態であることを認め
「ヘンタイの周りにはヘンタイが集まる」
「ヘンタイは街灯に集まる蛾(と同じ)」
「ヘンタイを全力で出すとヘンタイがついてこれない」
「(性癖は)"S"(サディズム)でも "M"(マゾヒズム)でもなく "H"(ヘンタイ)」
「本物の変態は普通の裏側が狂っているわけでずっと狂っているわけではない」と、筋金入りの変態である。
数々の裸の女を見てきた私からしても、完璧な変態である。美しき変態。なかなか、このクラスの変態はいないぞと。
美しき裸の世界が「AV新法」で衰退しないことを切に願うだけだ。この業界のことなので、次のことを考えているはず。景気に左右されず、戦争が起きても衰退しないアダルト産業は日本の宝である。日本は自動車でも、機械でも、医療でもなく、エロチズムで食っていくべきなのだ。
「AV新法」は、業界つぶしの法律なので、メーカーどころか、セクシー女優も戦々恐々で、日本の個性をつぶしてしまう。「若い女性を救う法律」と言えば聞こえは良いが、その中身は、裸の世界でしか生きていけない女たちを殺す法律である。性産業に救われる女たちは、世間が想像している以上に、多く存在している。
私は「ヤクザ」と「裸の女たち」から、エロエロなことを、いや、イロイロなことを学んだ。学校でおしえてくれない実学だ。アウトローな世界に生きる人間たちは、人が生きる人生を切り抜ける術を知っている。だから私は「ヤクザ」と「裸の女たち」の言葉を素直に聞くのだ。
「ヤクザ」と「裸の女たち」の言葉には、あなたの人生が少しだけ良くなるヒントがある。そのヒントをつかんでも、あなたの人生が劇的に良くなることはないんですけれどね。
皆さんも機会があれば「完全プライベート映像 業界最強ド変態ビッチ女優とガチ中1泊 佐伯由美香ちゃんと初めての二人きりお泊まり」を観てやってください。タイトル通りのド変態な女がよだれを垂らしながら、白目むき出しで、性行為をしています。
私がこのVを見ている間に、1通の電子メールが届いた。
ド変態女の性行為を観たかったのだが、送信元がこのブログの運営社である「シーサー」であることに注視し、電子メールを確認した。
これより1つ前の投稿に、人の名(名前)、通う学校、住まいの地域を記載した。そのことに関する内容だった。
シーサーが『すぐに返信しろ』と言うので、私はすぐに、以下の3点の内容と共に返信をした。
①当事者間で対応について、「私」と名乗る当該者が誰なのかわからず対処できない
②当該記事に氏名は記載しておらず、それゆえに、当人を特定することはできない
③当該記事に記載した「名(名前)」については、Webで誰もが閲覧でき、かつ、確証がとれる情報のため「プライバシーの侵害」に当たらない
2時間くらい後に、シーサーから返信があり「当該記事を削除せよ」「削除しない時は(運営側で)強制削除する」「(削除しない時は当事者間で)法定闘争に発展する可能性がある」と、一方的な主張に辟易した。
個人を特定できず、誰もが自由に閲覧できる情報を書き込むと「プライバシーの侵害」に当たるとは、理解できない。
私の書き込みをシーサーが強制削除すれば、明確な「著作権侵害」に当たる。これを、どのように捉えるべきか。
シーサー側は、苦情を入れてきた当該者に説明できる内容を記載しろと返信を送ってきたが、そもそも、当該者が誰かもわからず対処できない。
皆さんもお母さんに言われたと思います。『人とお話する時は相手の目を見て話しなさい』と。
私には相手がいるのに、相手が見えない。見えない相手と話し合えと言われても、話しができないのだ。せめて、苦情を入れてきた相手の氏名と連絡先は開示してもらいたい。
対処に困った私は当該記事の全文は削除せず「プライバシーの侵害」と称される(?)箇所のみを「非公開」にした(削除はしていない)。その旨をシーサー側に報告した。以後、シーサーから連絡はきていない。
私はしばらく考えた。当該記事のどこに問題があったのか。
唯一、考えられる箇所は、顔写真を入手した娘の容姿に言及しなかったこと。ロリコンで美少女フリークの私が見ても、この娘の容姿については何も書けない。可愛くない娘を「可愛い」と書けない。そこだけは、譲れないんです。「嘘も方便」という諺(ことわざ)もありますが、ニュージーランドで「絵に描いたような模範生」「宿題を忘れたことがない」と称された私は、嘘はつけません。そこだけは、ご理解いただきたい。
私の書き込みに苦情を入れてきた当該者の「私」とは、誰なのか。
私が名(名前)を記載した人物は、日本語の読み書きができないので、このブログを読むことはできない。そのお母さんが文面を読み、苦情を入れたとすれば、それは当人の問題ではない。私は、お母さんの姓(名字)も、名(名前)も、記載していない。お母さんはこの件に無関係なので、苦情を入れることはできない。
『私、アスペ(ルガー症候群)だから、何を言われてもわからない』というお母さんでないことは確かである。だって、『何を言われてもわからないアスペ』が、私の書き込みを読み、腹を立て、運営元を調べ、自分のことでない苦情を入れたとすれば、『何でもわかるアスペ』となってしまい、医学会はひっくり返る。『何でもわかるアスペがいたら、それ、アスペじゃねーよ!』って、精神科の専門医もびっくりです。私もびっくりしてしまう。
皆さんの中で、この苦情を入れた人物が誰なのかわかる方は、その方にそっと、お伝えください。『あなたのことは何も書かれていないので、苦情は言えないよ』と。『名(名前)を記載された人は、複数人いるかもしれないので、当人とは断定できないよ』と。
その前に、日本語の読み書きができない人は苦情を入れることもできないと思いますが。
2022-11-11 00:00
「在留邦人は犯罪者」と強く認識しよう [在留邦人批判]
警察官の前で大麻を吸引し厳しく叱責された自称・韓国籍の "Yon Slowalker" が、私をニュージーランド警察に通報すると書き込みをしてから1年が過ぎた。この間、ニュージーランド警察から連絡は届いていない。
この1年の間に私は、警視庁の警察官から3度、職務質問(職質)を受けた。深夜2時に、一般道に停めた車の中にいただけで、警察官がパトカーから飛び降りて来てイロイロと聞かれた。エロエロな話が好きな私も、イロイロな話に応じることは無駄な時間なので、上手く誤魔化した。しばらくのやり取りの後、不貞腐れた表情を浮かべ警察官は帰って行った。
約30年前、世界の僻地にあるほとんど人が住んでいないド田舎のニュージーランドで『絵に描いたような模範生(←実際にその通りです)』『宿題を忘れたことがない(←実際にその通りです)』と言われた私を捕まえることは、なかなか難しいぞと。警察官がパトカーから飛び降りて来て職質を掛ける。私は警察官に捕まらないように、エロエロなことを、いや、イロイロなことを考えながら生きている。深夜2時に、一般道に停めた車の中で、私は何をしていたのでしょうね。
私はニュージーランド警察の捜査対象にされることに関心があった。
警視庁の捜査対象にならない私を、何事もスーパースローに動くニュージーランドで、何事もいい加減で、間違いが多く、単純なことが正確にできないニュージーランドで、どのように捜査対象になるのか、ワクワク、ドキドキ、心をトキめかせたのだ。どのような法的根拠を用いて捜査を行うのか、どのような司法手順を踏み手続きをとるのか、大きな関心があった。たぶんそこには、私の知らないニュージーランドがあると、知的好奇心を抱いたのだ。
しかし、残念なことに、ニュージーランド警察の捜査対象から外された。私の、ワクワク、ドキドキ、心のトキめき、そして、大きな期待と夢を、返してもらいたい。
私が惨めな中高時代を過ごしたニュージーランドを思い返すと、大口を叩くヤツほど、何もしていない。在留邦人も、パケハも、外人も、私に嫌がらせをしてきた人間は多々いるが、大口を叩くヤツほど何もしない。彼ら・彼女たちは大口を叩くことに優越感を覚える。「自分は勝ち組」と、誤った認識を持つ。この「認識」が「妄想」になるので厄介なのだ。
私は、日本人の(平均的な)感情を理解し、パケハの(平均的な)感情も理解できる。それ故に、在留邦人からも、パケハからも、文句を言われるサウンドバッグ状態になった。在留邦人はニュージーランドの、パケハの文化を理解できない。他方、パケハは日本の、日本人の文化を理解できない。両者の文化を間違いなく正確に理解できる私に両者は文句を言いにくる。15歳の、16歳の私にヒステリックに文句を言いにきて楽しいのかと思った。これが、楽しいんですよ! 奥さん! 楽しくて止められないので、私のところに文句だげが集中する。これが私が経験したニュージーランドの惨めな中高時代である。
日本人はニュージーランドの文化を、パケハの文化を理解できない。他方、ニュージーランドは、パケハは、日本の、日本人の文化を理解できない。両者は同じ認識を持つ必要はないが、両者は共存しなくてはいけない。両者が共存できていないから、両者の事情がわかる私のところに、それぞれの文句が届いたことは、私の「心の傷」として深く残っているのだ。
ニュージーランド警察は、私に関する個人情報を持ち合わせていないのだろうか。私は在留邦人が妄想で語るニュージーランドを体感したわけではなく、現地校に通い、NZQAにも試験結果が登録された過去を持つ卒業生である。返済不要・全額給付型奨学金審査にも合格したので、学校には私の名前が入った賞状が届いている(が、日本人は「お金持ちの国」から来ているので給付対象外)。全額給付型奨学生を出すことは、教員の指導力が評価されることから、学校にとって名誉なことである。ニュージーランド教育省が発行した在籍証明書は現在も所持している(注:ニュージーランドの学校は個別に卒業証明書を出さず教育省の一括管理で在籍証明書を発行する)。
キラキラした妄想だらけのニュージーランド生活を語る在留邦人に、この意味は通じない。実態とかけ離れたキラキラした嘘だらけの妄想話ですからね。
ニュージーランドで "ASD"(自閉症・アスペルガー症候群)は 「精神障害」として扱われ、外国人が滞在許可を申請しても却下される。申請条件に「精神が良好で健全である」という項目があるからだ。実際に、ブラジル国籍、フィリピン国籍の人が "ASD" を理由に却下されている。
日本の滞在許可を不正取得し、2017年に神奈川県大和市の精神病院で死亡したニュージーランド人男性について、在留邦人は日本の体制を猛批判したが、ニュージーランドも精神疾患を抱える人の扱いは非常に難しいので、最初から滞在許可を出さない。実際にこの件は、在留邦人と死亡男性の遺族だけが日本の体制を猛批判をしたが、外交問題を扱う駐日ニュージーランド大使館は何の抗議も声明も出していない。
私が不思議に思うことは、在日中国人・在日韓国人を猛烈に批判する人(たち)は、何故、在留邦人を批判しないのか。
在留邦人は悪いことをやっている。犯罪者である。それなのに、何故、在留邦人は批判されないのか、差別されないのか。
上野や秋葉原に行くと、在日中国人・在日韓国人を痛烈に批判するビラが無数に貼られている。少なくなったが、朝鮮学校に通う生徒が襲撃を受けることもある。それなのに、海外で悪いことをしている在留邦人だけは批判対象にならない。私はこれを非常に不思議に思うのだ。
2022-11-01 00:00
続・精神分裂病と在留邦人 [在留邦人批判]
ニュージーランドから書き込まれた、ある書き込みを読んでいた。
執筆者曰く「日本人が日本の悪口を言うことは良い」が「日本人が海外の悪口を言うことは良くない(らしい)」。
とりわけ、執筆者が住む大好きなニュージーランドの悪口を日本人が言うことは良くない(らしい)。
イーストウインドの田中は「日本は人間が住む土地ではない」と言った。
私は「ニュージーランドは人間が住む土地ではない」と言う。
田中の意見は通り、私の意見は通らない。この違いは、何か。
執筆者曰く「ニュージーランドの悪口を見てもグッとこらえる」「(書かれていることは)確かにその通りであるが(書き方が)大げさ」であると。
性格が悪い私はその書き込みを読み『書かれている内容に納得しているのならそれが事実なのではないか』『どーか、これは、私へ対する悪口ではありませんように』と、神にお祈りしました。旧暦の10月である「神無月」は、神様が出雲に集まり神議り(かみはかり)を行う月なので、お祈りをしても、神様はいらっしゃらないんですけれどね。
約30年前、私はニュージーランドという世界の僻地にあるド田舎で惨めな高校生をやっていたわけですが、その当時の出来事を中心に、ここに書き綴るわけです。1998年10月以降は、一度も、ニュージーランドへ渡航していない。約30年に渡りニュージーランドの悪口を言い続けているのは、世界中で私くらいだろうなと。
皆さんは在学していた高校の悪口を、卒業から30年が経っても言い続けているでしょうか? そのような人がいれば、性格の悪い私は、お友達になりたいと思いません。
もう1つ、これは "Youtube" に投稿された自称・日本人女性による投稿である。
この人が非常に興味深いことを述べていることに注視した。
動画投稿者曰く:
*2020年4月1日から日本の水質基準項目は変更された。
*東京都(水道局)は水質基準項目を改悪し「有機フッ素化合物」を入れるようになった。
*「有機フッ素化合物」は「発がん性物質」や「流産」の可能性があり、赤ちゃんは「下痢」をする危険な物質である。
東京都水道局は、水道水にフッ素を添加していない。東京の水道水にフッ素は入っていない。東京都は過去に、一度も、水道水にフッ素を添加していない。
現状、日本の水道水にフッ素を添加している自治体は、1つも存在しない。
過去に実験的に、米軍統治下の沖縄(1945年 ~ 1972年)と、京都市山科地区(1952年 ~ 1964年)で、水道水にフッ素を人工添加したことはあるが、現在、この実験は行っておらず、既に終了している。
京都の実験では、水道水にフッ素を人工添加したことで子供の虫歯が 40% 減少したとする調査結果が報告されたが、科学的に有意な結果とまではいかず、フッ素の人工添加による健康被害も証明されておらず「迷った時はやらない」が基本姿勢である日本国では、水道水へのフッ素添加は行われていない。
この自称・日本人女性は、東京の水道水に有機フッ素化合物が添加されたという話を、どこから入手したのだろう。
遡ること2019年6月、東京・多摩地区の地下水から基準値を超える高濃度の有機フッ素化合物が検出された。発生源は不明。
東京都は地下水のくみ上げを停止し、河川からの取水に切り替えた。この結果、フッ素は検出されていない。
では、基準値を超える高濃度のフッ素はどこから混入したのか。
多摩地区の自治体は地下水汚染の発生源を特定するには莫大な費用が掛かることから、独自調査は行っていない。実はこの問題、調査費用以上に、厄介な問題が絡んでいる。
ジャーナリストの調査では、高濃度のフッ素の混入地は「在日米軍横田基地」の消火訓練で使用された消火剤が地中に染み込み、地下水に混入し、井戸水から検出された可能性が高いとしている。この報道について、在日米軍は公式発表を行っていない。
沖縄県では水道水から基準値を超える高濃度の有機フッ素化合物が検出されている。その発生原も「在日米軍基地」とされているが、在日米軍は公表をしていない。
この報道について知りたい方は、文春オンライン【「21世紀の枯れ葉剤にならないといいが…」東京・多摩地区の地下水は汚染されていた】【消された水汚染: 「永遠の化学物質」PFOS・PFOAの死角(著:諸永裕司)】を参照していただきたい。
この自称・日本人女性も、いつもの「妄想」で、意地悪なお話に仕立て上げたのだろう。
さらに興味深いことに、この自称・日本人女性は、ニュージーランドのオークランドに住んでいると話している。
オークランドでは、1966年から水道水に「有機フッ素化合物」を添加している。つまり、水道水に、人工的にフッ素を加えている。添加量はオークランド市が公表しており 0.7ppm ~ 1.0ppm。
オークランドに暮らす 94% の人は、フッ素が人工添加された水道水を飲んでいる。これについて、この自称・日本人女性は、何も発言していない。
この自称・日本人女性は、フッ素が添加されていない 6% の地区に住んでいるのか。それも公表していない。
ここまで東京の水質を悪く言うのなら、自分がオークランドのどの地区に住んでいるのか公表してもらいたい。
ニュージーランド国内では「ウェリントン」、「ロワー・ハット」、「アッパー・ハット」、「ポリルア」、「ダニーデン」の水道水には、フッ素が人工的に添加されている。普及率は 100% 。
この地域に住む人は、好むと好まざると、フッ素が添加された水道水を飲んでいる。この自称・日本人女性が語る「発がん性物質」「流産」「下痢」を起こす「毒が混入された水」を飲んでいることになる。
「日刊ニュージーランドライフ」主宰の長田雅史も『東京の水は臭くて飲めない』『ニュージーランドの水はおいしいからそのまま飲める』と、毒が混入された水をガブガブ飲んでいた。長田は、フッ素樹脂加工されたフライパンは体に有害と、日本から重くてかさばる鉄のフライパンを買い込み持ち込んだ。その鉄のフライパンを洗う水はフッ素が添加され、フッ素の入った水道水で調理し、フッ素の入った水道水を飲んでいる。
これ、オチですか? オチとして弱すぎませんか?
精神分裂病の典型例である「偏りある激しい思い込み」って怖いですね。
ニュージーランド国内でも、クライストチャーチの水道水にフッ素は添加されていない。理由は「おカネがない」から。
水道水にフッ素を人工添加すると、年間 6300万ドル(63億円) の費用が掛かる。クライストチャーチに、63億円もおカネがあるわけない。
クライストチャーチでは、"Regional Rates"(地方税)と呼ばれる不動産に掛かる固定資産税で水道代を賄うので、各家庭に水道メーターはついていない。メーターがないので、水道代もない。プールがある家でも、浴槽がある家でも、水道代は掛からない。
クライストチャーチでホームステイをしたことがある人なら『家にプールがある!』と驚くが、家庭用プールの設置費用は安く、水道代は無料なので、ミドルクラスの家ならプールがあるのは普通のことである。食器洗い機がある家なら、例外なく、プールもある。どちらも使用に際し、水道代は掛からない。
これが理由で、夏の間、仕事に行く前から庭に水を出し、帰って来るまで9時間も水を出し放しの家庭が多くある。夏場は散水しておかないと芝生が焼けてしまう。これを全ての家庭でやられると、世界の僻地にあるド田舎でも、水不足になる。
そこで、クライストチャーチ市役所の職員が水を出し放しにしていないか、抜き打ち検査にやって来る。いきなり知らない人が庭に入って来るので驚く。これ、けっこう高い確率でやられるので、ひと夏に数回は、抜き打ち検査を受けることになる。
世界の僻地にあるニュージーランドらしい ホッコリ♪ する情景ですね。知らない人が、いきなり、家の中に入ってくるわけですから。
クライストチャーチの著名な歯科医師(?)が、水道水へのフッ素添加は自治体任せではなく、国が主導し行うべきであると提言していた。この著名な歯科医師(?)は、私の知り合いです。お父さんも歯医者さんである「デンタル・ファミリー」の出身なので、「末(すえ)は歯医者」と、運命が決められており、学校の先生も、同級生も「おまえは歯医者だ」と、未来を決められていた。実際に本人も歯医者になった(←歯医者あるある)。お父さんが開業した歯科医院 兼 自宅 を引き継ぎ、歯科院長として立派にやっている(らしい)。この辺りは日本の歯医者さんと同じですね。子女も自分が卒業した出身校に通わせているので、この辺りも日本の歯医者さんと同じですね。出身校では "Prefect" に選ばれ "Deputy" を務めていたような記憶があるが、私とは出身校が異なるため、よく覚えていない。
日本人の留学エージェントは、ニュージーランドでの生活体験がないため、"Prefect" のことを「生徒会」と訳しているが、"Prefect" は「生徒会」ではない。
"Prefect" は「代表生徒」「模範生徒」を示す意味で、主に、下級生に対し処罰を与える権限を持つ生徒を意味する(が、実際に処罰を下す "Prefect" は存在しない)。
そもそも、ニュージーランドの学校には「生徒の会」である「生徒会」は存在しない。「生徒会」が存在しないのに、"Prefect" を「生徒会」と訳すことは間違っている。
日本の学校にある「生徒会」は「生徒の代表者」を選ぶための生徒会選挙がある。ニュージーランドの学校で "Prefect" を選ぶための選挙はあるのか? "Prefect" は、誰が選んでいるのかわからない。必ずしも「成績優秀」「品行方正」「スポーツ万能」な生徒が選ばれるわけでもない。『何でコイツが "Prefect" に選ばれたの?』という生徒が、何人も混ざっている。理解できない。選ばれた顔ぶれを見ると、教員に対し「YESマン」ばかりなので、教員にとって扱いやすい生徒が選ばれることは事実である。
"Prefect" は、日本の学校に存在しない制度のため、日本語で説明することが非常に難しい。ニュージーランドでも各校ごとに "Prefect" の選出方式や役割は異なり、共通方式は存在しない。
ニュージーランドの学校でも "Head Boy"(首席男子代表)と、"Head Girl"(首席女子代表)以外は、誰が "Prefect" に選ばれたのか、誰も、何とも思わないので、教員も生徒も、誰も知らない。これが "Prefect" の実態である。
これが日本人の留学エージェントに伝わると「生徒会」に変わってしまい『ヘッド・ボーイは生徒会長です』になってしまう(←ヘッド・ガールはどこへ行ったの?)。これ、おかしくねーか? って、性格の悪い私は思います。
これが、ニュージーランドで生活体験のない在留邦人が語る「嘘」「デタラメ」「妄想」で仕立て上げた『夢の国・ニュージーランド」の実態である。「夢の国」だから、好きなように仕立てることができる。「嘘」「デタラメ」「妄想」、何でもあり。だって、夢の国ですから。
ニュージーランドの出身者なら「ニュージーランドが夢の国なら、そこは、ニュージーランドではない」と答える。これが、正論だからである。
私はニュージーランドで、惨めな高校生をやっていたわけですが、その頃、周りに、これだけ多くの精神分裂病を患う日本人がいる認識を持つべきであった。
彼女たちは(←在留邦人のほとんどは日本人女性)は、精神病である。キチガイである。英語も通じなければ、日本語も通じない。あらゆる言語が通じず、意思疎通が図れない。
現地の民は日本語が通じないから会話が成立しないと日本人女性を私のところに連れて来たが、頭がイカれた女(たち)なので、私とも何も通じなかった。この認識を持つべきであった。『日本人女性は精神分裂病』『精神が分裂する病気』とは普通は思わない。私だって思わない。しかし、これが、邦人社会の実情である。
あのね、自分だけだからね。自分はおかしくないと思っているのは。
パケハは、英語が通じないから日本人とコミュニケーションが取れないと勘違いするが、在留邦人は、英語以前、日本語以前に、コミュニケーションが取れない。なぜなら、精神分裂病であるから。
私がニュージーランドの悪口を書き込み『ニュージーランドは人間が住む土地ではない』とすることは、それほどいけないことなのだろうか。
私の書き込みを読んだ人が「ニュージーランドに行かない」「ニュージーランドを離れる」「在留邦人は精神病」と、正しい認識を持つことは、有意な結果を招くと解釈できないのだろうか。
ニュージーランドで生き残るには、スマホを持つことでも、スマートウォッチを持つことでもなく「正しい情報を正確に知る」ことである。それだけで「あなた」は、命を守ることができるのだ。
2022-10-01 00:00
精神分裂病と在留邦人 [在留邦人批判]
9月に入った。「人間よ、今年もあと4ヵ月だ。おまえはこの8ヵ月の間、何をしてきた」と、神に言われるような気がする。
「夏休みは終わるのに、夏休みの宿題は終わらない」と、文教地区に住む私の耳には聞こえてくる。
ニュージーランドの学校は休みに入ると、学年が上の上級生以外は、まったく宿題が出ない。遊んで過ごすことが許されるので、生徒たちはまったく勉強ができない。もう、悲惨なくらい、可哀そうなくらい、勉強できない生徒が量産されてしまう。ここに莫大な税金が投入されているので、ニュージーランドの教育大臣だけが "Headache" と、頭を抱えている。ニュージーランドの生徒は、20年前よりも、頭が悪くなっていることは、計量的に証明されているので、教育大臣が頭を抱えてしまうのだ。
私はクライストチャーチの名門校に通ったので、勉強のできる生徒は、皆、家庭教師をつけて勉強していた。
学校から「この生徒はここが弱いので補完してほしい」「次の課題はこれを用意してほしい」と、家庭教師向けのプリントが渡される。学校の勉強は限定的なため、家庭教師・個人教授の先生の支援が前提になっている。
家庭教師をつけて勉強していた生徒は、皆、医学部に入った。医学部に入れなかった生徒は、歯学部か薬学部に進学した。
器楽を履修する生徒で個人教授をつけない生徒は存在しない。個人教授をつけないと器楽は履修できない。
在留邦人の中には『個人教授をつけなくても音楽は履修できる』という人がいる。自己経験がないこと、こうなってしまう。やれやれ、またかと、タメ息しか出てこない。
『制度上履修はできても、個人教授をつけないことを音楽科教員はよく思わない』『履修はできても成績が残せない』が、正しい言葉であり、正しい意味である。
ニュージーランドで良い成績を残したいのなら、家庭教師・個人教授をつけることが前提である。
ニュージーランドは、日本以上に、教育格差の大きいことを強く認識すべきである。
「勉強はやらなくて良い」「頭が悪くても生きていける」は、魅力的な言葉かもしれないが、ニュージーランドの民で、それを認める人は1人もいない。絶賛しているのは、ニュージーランドのことを何も知らない在留邦人だけ。
ニュージーランドの教育格差がここまで広がってしまった理由は「自由」ではなく「怠け」である。
ニュージーランドでは、高校中退者は減少傾向にあるが、依然として高い水準にある。高校生の10人に1人は卒業前に中退しており、大学生の3人に1人、看護学生の3人に1人は卒業前に中退している。
高校中退者は無資格で中退するため、進学も就職もできず、「ニート」になる。15歳から24歳の「ニート」は増加傾向にあり、ニュージーランドの大きな社会問題になっている。
2022年9月、ニュージーランド首相府は若年層対策として 5300万ドル(53億円) を拠出する緊急対策費を決定。このうち、2300万ドル(23億円)が「ニート対策」に使われる計画案を発表した。
ニュージーランドでは「働きもせず、学校にも行かないニート」が、社会問題になっている実例を証明する予算だ。
オークランドを中心に商店を襲撃し商品を略奪する強盗事件が急増し、この加害者に14歳以下が含まれることから犯罪対策費と、とにかく、ニュージーランドの犯罪は急増傾向にあるので「犯罪対策(Crime Package)」としての予算が組まれた。
これに対し、メディアは「たった53億円で解決する問題か」と、冷ややかな対応だ。野党からも「もっと予算を増やし根本的な対応が必要」と、ニュージーランドの「ニート問題」は社会の根深い位置から悪影響を与えているのだ。
2022年7月に、日本へ帰国した長田雅史は驚いていることだろう。娘の日本語力が、驚異的な速度で向上していることに。これは、他の在留邦人も同様である。日本へ完全帰国した邦人子女は、驚異的な速度で勉強力が向上している。特に、算数の計算力は、親が追いつけないほど向上している。ニュージーランドは算数の弱い国なので、先生でも簡単な計算問題を間違う。間違って習った生徒も間違う「負の連鎖」が続く。
同時に、驚異的な速度で英語が抜けている。もう、怖いくらい、英語が抜けている。
でもね、安心してください。来年は、まだ、大丈夫。再来年、2024年の夏までに、娘の英語力は、完全に消えてなくなる。もうこれは、確実に断言できる未来です。もうね、全ての英語が消えてなくなる。同時に、ニュージーランドの記憶も、全て消えている。自分は生まれてから、ずっと、大阪で暮らしていたと思うようになる。子供の能力は急激に伸びるが、急激に消える。どこの家庭でも「うちの子は天才」と思うことも、計量的に証明されている。もう怖いくらい、全ての英語力は消えてなくなる。親の立場からすれば「ニュージーランドの生活は何だったのか」と、不信になり、鬱病になること間違いなし。親になって初めてわかる「親子あるある」ですね。
ニュージーランドの報道を見ても、暗いニュースしか流れて来ない。
大人の8人に1人、子供の10人に1人が、健康障害をもたらす「肥満」に分類される「デブの村・ニュージーランド」では、肥満による弊害で、膝(ひざ)を悪くする子供が増加している。子供の膝の手術が追いつかないと、「デブの村」らしい ホッコリ♪ する報道だけが虚しく流れてくる。
肥満児は野菜を食べる量が少なすぎると、農業が主たる産業であるデブの村の栄養学者が嘆いている。
『食う物には困らない』と、在留邦人が絶賛するニュージーランドの食育環境を、ニュージーランドの栄養学者は絶賛していないのだ。
しかし、朗報もある。「デブの村・ニュージーランド」では、4歳児の小児肥満が減少傾向にある。これは歴史的快挙と、ニュージーランドの医学会はお神輿を担ぐ勢いで踊っているが、依然として、4歳児の3人に1人は平均体重より太った「過体重」にある。親が肥満だと、子も肥満児になる。「デブの連鎖」が止まらない「デブの村・ニュージーランド」らしい ホッコリ♪ するニュースですね。
さらに、暗いニュースを飛び越え、ニュージーランドの民には、どストライクで突き刺さる衝撃的なニュースが飛び込んできた。
2022年6月の補欠選挙で初当選した38歳の新人議員(男性)が、23年前に寄宿寮で起こした「イジメ」について吊るし挙げられている。
下級生を寄宿寮で殴り、怪我を負わせ、下級生は鬱病になり、現在も精神疾患を抱えている。イジメの加害者である人物を、国民の代表に選んで良いのかと、23年前に寄宿寮で起きた事件を、よく見つけてきたなと。
当の新人議員は『俺たちの時代じゃ日常的なことだ」と、ニュージーランドの陰湿なイジメ体質を支持し、謝罪もしていない。
私もこの新人議員と同世代なので、ニュージーランドの陰湿なイジメ体質は骨の髄までわかる。このイジメ体質が骨の髄までわからないと、ニュージーランドでは生きていけない。特に寄宿寮は「イジメの温床」と言われ、暴力や窃盗は当たりまえ。同性に対する強姦やフェラチオ強要など、性被害の報告は日常的であった。実際にそのようなことが寄宿寮内で起きていたのか不明であるが(私は寄宿寮に住んだことがない)、このような話は、寄宿寮を併設する学校に通った私のような元生徒であれば、誰もが知る事実である。
同様の事件は、大学内の学生寮でも起きている。オタゴ大学が名門学生寮で起きた強姦事件をもみ消した「セックス・スキャンダル」は、その代表例である。
ニュージーランドの民であれば、ニュージーランドの陰湿なイジメ体質は骨の髄まで理解しているので、メディアは食いつく。『あー、また、始まった』とね。同様に、一般市民も、『はいはいはい、いつものイジメですね 自殺者を出すニュージーランドの陰湿なイジメですね』となる。それゆえに、この報道は、ニュージーランドの民に、どストライクで突き刺さるのだ。
このイジメ報道はニュージーランドでは大々的に報じられ、連日、トップニュースになるのだが、「夢見る夢子ちゃん」である在留邦人は、一切を語ることがない。「ニュージーランドは地上の楽園」ですから、23年前に寄宿寮内でイジメがあったこと、イジメの加害者が国民の代表である国会議員になったこと、イジメの被害者が精神的苦痛を受け苦しんでいることなど、ニュージーランドの報道はすべて、でっち上げですから、「キラキラしたニュージーランド」以外は公言しない在留邦人は語ることはありません。「ドス黒いニュージーランド」は、在留邦人の知るニュージーランドじゃないからね。
ニュージーランドでは、12月・1月の長期休暇に向け、予定を組む人が増える時期だ。
私は、ニュージーランド人に休みはいらないと思っている。ニュージーランドでは、1日・8時間しか働けない。「働かない」ではなく「働けない」。なぜなら、労働組合が8時間以上の就労を認めていないからだ。令和になり4年が経つが、ニュージーランドでは、社会主義的な影響力だけが色濃く残っている。ニュージーランドは、本当に、21世紀に入っているのだろうか。
では、ニュージーランド人は、1日・8時間を働くのか。1日・8時間は働かない。長くて、1日・3時間が限界だろう。まず、30分遅刻して来る。ニュージーランドでは30分の遅刻は遅刻に入らない。そこから、3時間のおしゃべりタイムが始まる。労働組合との交渉で、1日・3時間だけは働く。この3時間だけは働くよ。ランチに1時間、就業規定より30分早く帰る。ニュージーランドでは30分の早退は早退に入らない。やっぱり、どー考えても、1日・3時間しか働ない。
これは、労働組合の権限が厳しい社会主義国のフランスと同じ仕組みであり、かつてのフランスも、1日・3時間しか働かなかったが、現在は1日・6時間は働くようになった。ニュージーランドの人も、1日・6時間は働いてもらいたいものだ。それだけで生産性が向上し、物価高騰による食糧危機を脱出できるはず。だって、ニュージーランドは農業国であり、生産する酪農品の90%を輸出しているわけですから。それで生産性の低さから、国内で購入する牛乳より、海外で購入するニュージーランド産牛乳の方が安いという逆転現象が発生してしまう。ニュージーランドに住む人なら『牛乳を作っている国の牛乳は、何でこんなに高いんだ』と感じているはず。
ニュージーランドの高校生は、進学に必要な学年末試験が控えている。
高校生は、1科目・3時間の試験を受ける。"Sitting Exam" と呼ばれる記述式の試験であることから、教室で座って試験を受ける。1科目・3時間も座りっぱなしなので、お尻と腰が痛くなる。
学校はこの試験日程から逆算し、時間割を組むのだが、生徒によっては、1日・2科目・計6時間の試験を受けることがある。私は飛び級をしていたので、試験日程が他の生徒と異なり、2日で4科目・計12時間の試験を受けたことがある。2日で4科目・計12時間の試験を受け、学年で3番目か4番目(?)の成績をとった。言語に不慣れな外国人留学生が、成績上位に上がることは稀なので、教員たちは驚いていたが、驚く教員たちの顔を見て、私が驚いた。
留学生は助けてくれる人が誰もいないので「何でもやる必要はないが何でもできなくてはいけない」。
現地生であれば、親が何でもやってくれる。留学生には代わりにやってくれる人がいないので留学エージェントに相談すると『あたしにも自分の生活があるんだから自分でやれ!』『夜遅くまで働いたら日本と同じじゃない!」と、ヒステリックに怒鳴られる。だから「何でもやる必要はないが何でもできなくてはいけない」。
何もできない留学生は、どんどん、落ちぶれていく。精神的におかしくなる。コンプレックスと被害妄想の塊で、在留邦人と同じ気質になってしまう。実際に私の周りにも精神的におかしな留学生がたくさんいた。
ニュージーランドでアジア系住民のカウンセリングと公衆衛生を担当する「アジアン・ファミリー・サービス(AFS)」は、アジア系住民の 44.4% は、鬱病に直面していると報告している(韓国人に限定すると 64.1%)。私はその数字を示されても『まー、そーだろーねー』としか言えない。精神的におかしな外国人留学生がたくさんいたので『まー、そーだろーねー』としか言えない。
私は海外留学を希望する高校生にオススメできない。現地で生活する苦労を知っているので、同じことができる人はいないと確信しているからだ。忍耐強い私でも『ニュージーランドの生活は、二度と、御免だ!』と、心の底から叫びたい。もう、二度と、ニュージーランドには行きたくない。まぁ、二度と、ニュージーランドに行くことはないんですけれどね。
留学エージェントは、この苦労を知らない。すべて、妄想の作り話。だから、『海外留学は経験だ』『日本の受験地獄から解放される』と、都合の良い言葉だけを並べ、留学生の保護者から、100万円単位のお世話料を受け取っている。そして、何もやらない。
料金に見合った見返りがあるのかと言えば、ない。何もない。だから私は、海外留学はオススメできない。日本で真面目に勉強をしていれば良い。それだけで、ニュージーランドで学ぶ学力以上の学力がつく。多くの人は、真面目に勉強していないから学力が伸びないだけであり、ニュージーランドに行けば、悪い頭が良くなるわけでもなく、勉強しない自分が勉強をするようになるわけでもない。
私の周りにいた留学生で、日本人留学生だけで20人くらいいたが、現地に残る日本人の元留学生は1人だけ。これは滞在許可の問題ではなく、苦労した元留学生ほど、現地に残りたくない。強いトラウマだけが残ってしまう。
在留邦人は、日本に強いトラウマがある。特に「母親」に対する強い憎しみがある。それで、日本を離れた。同じことは私にも言えるのだ。私はニュージーランドの生活に、強いトラウマがある。不幸な記憶しかない。「不運」ではなく「不幸」な記憶しかない。その人が現地に残るわけない。
在留邦人がニュージーランドを絶賛する理由は、ニュージーランドに強いトラウマが存在しないから。そりゃーそーだ。ニュージーランドで何もやっていないんだもの。トラウマになる理由がない。
ニュージーランドの「中の事情」を知る私には、ニュージーランドに残りたい理由が1つも存在しないのだ。ニュージーランドには、トラウマだらけの記憶しかない。23年前、寄宿寮でイジメを受けた被害者と同じトラウマしかない。
私は在留邦人は、全員、精神分裂病だと思っている。
「統合失調症」と言えば体裁は整うかもしれないが、精神が分裂する「分裂病」に変わりない。
日本での強いトラウマから「日本」という言葉を聞くだけで被害妄想を抱く。「母親」の言葉だけが聞こえてくる。日本の食べ物は「添加物の味がする」と言い出す。妄想も幻聴も幻臭も、典型的な分裂病の症例である。
既に脳が正常に機能していないので、何も知らないニュージーランド人には普通に見えても、数多くの在留邦人・日本人留学生を見てきた私にすれば『また、分裂病か』となってしまう。分裂病者の中にいれば、自分が分裂病であることがわからず、隠し通すことができる。故に、ニュージーランド人からすれば、何の不信感も抱かない。この状態を在留邦人は歓迎するので、分裂病だけがどんどん進行してしまい、手のつけられない状態になってしまう。その処理をさせれたのが私ということだ。その私が、ニュージーランドに良い記憶を持つわけない。在留邦人には、この意味がわからない。なぜなら、分裂病だから。
ニュージーランドの学期末試験は超簡単なので、評定が低く、オーストラリアの一部の州を除くと、この試験結果を採用する国はない。アメリカの大学も、イギリスの大学も、ニュージーランドの学力の低さを認識しているので、この試験結果は採用していない。日本の大学は、定員割れの田舎の短大くらいしか採用していないので、非常に不利な試験なのだ。このあたりの事情を深く考慮した上でニュージーランドへの留学を判断してもらいたい。「経験を積む」ためだけに、年間400万円、3年間で1200万円を使うだけの価値はあるのか、ニュージーランド留学に価値はあるのか、厳しく判断してもらいたい。何も実情を知らない、過去もなければ記憶も経験もない留学エージェントと、その留学エージェントを束ねる "ENZ"(Education New Zealand) の口車に乗ってはいけない。彼女たちは良いことしか言わない。都合の悪いことは、すべて、もみ消す。都合の悪いことをもみ消さないと、ニュージーランドで日本人が生き残ることは不可能である。
ニュージーランドの1科目・3時間を費やす学期末試験は、超簡単なので、勉強しなくても良い点数が取れる。私は、かってにカンタベリー大学中央図書館に入り、試験勉強をやった。過去問もなく、勉強のやりようもない。例外的に「微分積分学」の担当教員だけは、3年分の過去問を用意してあったが、ニュージーランド人はケチなので、過去問は有料で貸し出しをしていた。貸し出し料は 5ドル(過去問を返却すると返金される)。本当にケチな教員だなと思ったが「借りた物は返さない(借りパク)」が当たり前のニュージーランドでは、妥当な金額だと思った。
この教員は、日本人以上に規律を重視する神経質で非常に細かな性格の人物であったが、同じ学校に通う実の息子(←ニュージーランドあるある)は、学内で不祥事を起こし、退学処分になった。停学(Suspended) ではなく、退学(Expelled) になった。数学教員の息子は何をやったのだろう。人でも殺したのだろうか。数学の先生をやっているお父さんは、他の生徒を指導するより、自分の子を指導した方が良いのではと思ったが、おそらく、自分の子を指導するより、他所の子を指導する方が負担が軽く、成果が出るのだろう。親になって初めてわかる「親子あるある」ですね。
カンタベリー大学には3つの図書館があるが、「マクミラン・ブラウン図書館」(Macmillan Brown Library)は、明るくて綺麗な図書室であるが、扱う図書が特殊なため、ほとんど利用する学生がいない書庫のような図書室である。ウロウロしていると職員に声を掛けられるのでモグリは侵入できない。「EPS(Engineering and Physical Sciences)」と呼ばれる工学部内にある専門図書館は狭くて、暗くて、倉庫みたいな図書室なので、長くいると鬱病になりそうで入れない。モグリが入れるのは中央図書館だけになる。
中央図書館の4階は、人文学系の開架図書室になっているので、日本語の本が、かなりの数、揃っている。日本の大学から送られてくる献本がたくさんある。世界の僻地にある誰も知らないローカル大学にまで、日本から献本が送られてくることに驚いた。同じことをニュージーランドの大学ではできない。私は試験勉強はやらずに日本の小説ばかり読んでいた。後日、韓国人のタクシー運転手の車に乗車した際、その韓国人運転手は中年の人であったが、なぜか日本語が上手で、その韓国人もカンタベリー大学中央図書館の4階にかってに入り、日本語の本を読んでいると話していた。『モグリをやっているのは私だけじゃないのか』と、腹を立てたので、よく覚えている。
カンタベリー大学中央図書館は、貸し出しを受けなければ誰でも自由に入れるので「住居侵入罪」で逮捕されない。学食も誰でも利用でき、書店 兼 文具店で買い物もできる(少しだけ割引になる)。広く市民に開放された図書館ではないが、かってに入っても何も言われない。リンカーン大学の大学院生はカンタベリー大学中央図書館で図書の貸し出しを受けられるが(学部生は貸し出し不可)、この仕組みを知っている院生も、ほとんどいない。モグリをやっていると、悪い知識だけが増えていく。
ニュージーランドは、私のように、現地校を卒業した卒業生の意見を重視すべきである。実情を語ってくれる、生の情報を提供してくれる卒業生を大切にするべきである。
何も知らない、何もやったことがない、外側から見ただけの妄想しか抱かない日本人の留学エージェントと、ENZの日本人職員の言うことは、最初から聞くべきではない。何もしらなければ良いことしか言わない。何もしらないんだもの。こんな妄想だらけ、嘘で、ペテンで、丁稚あげた作り話を聞いて、同じく妄想を抱く日本人留学生を見ると「可哀そう」と、心底思う私がいる。
私と同じく現地校を卒業し「ニュージーランドで苦い経験」をしたニュージーランド人は、ニュージーランドを捨て去る。野党第一党のニュージーランド国民党は「ニュージーランドを離れたいと考えるニュージーランド人」は、国民の5人に1人、100万人を超えていると公表している。2022年度だけで、10 - 20万人のニュージーランド人がニュージーランドを離れ、二度と戻って来ない。
『中身を知っている人の意見』を熟知した上で、間違いない選択をしてもらいたい。なぜ私が、ニュージーランドの中の事情を知る私がニュージーランドに残っていないのか考えていただきたい。
在留邦人のように手遅れな人間にならないように。
2022-09-01 00:00
「嘘・デタラメ・妄想」の次はボッタくり! 在留邦人が隠す汚れたニュージーランドの姿 [在留邦人批判]
このブログを続けることに飽きていることは、10回か、20回か、30回くらい書いているが、その気持ちは変わっていない。
当初の私の目的である、イーストウインドの田中を抹殺すること、「日刊ニュージーランドライフ」主宰の長田雅史と、その娘を土に埋めることは、私が手を加えるまでもなく自滅したので、もうやることがない。
そこで、イーストウインドに関するいくつかの書き込みを削除したところ、アクセス数が激減した。多くの人がこのブログに何を求めていたのか、書いている人が、一番、知りたい。
この書き込みも投稿すると、直後にアクセス数が急上昇する。『どれだけ私のファンがいるんだ』と、書いている人は心配しています。
在留邦人の書き込みを見ても、私のパクリばかりで、一つも面白くない。
「ニュージーランドは社会主義国家である」と、車の中からラジオ実況のような動画を "Youtube" に投稿していた人も、私からの批判を受け、配信を停止した。ニュージーランドのことを「社会主義国家」と定義づけするのは私と、大多数のニュージーランド人くらいで、在留邦人はニュージーランドのことを「社会主義国家」と言うことはない。そもそも在留邦人は「社会主義」の意味を理解できていない。
在留邦人は、私にお月謝を支払わないのに、私から良質な情報を搾取し、如何にも自分が見つけた「特ダネ」と言わんばかりの書き方だ。だから、私のパクリだと、瞬時にわかってしまう。
1998年10月以降、一度もニュージーランドに入国していない私の持つ情報力が最も正確で、確かで、嘘がない。この事実に、書いている人が、一番、驚いている。
継続はチカラなりとはよく言った言葉で、過去にブログを書いていた人たちもネタ切れでやめてしまい、動画投稿していた人たちもネタ切れでやめてしまい、24年間、一度も、ニュージーランドへ入国していない私が続けており、在留邦人より正確で、確かで、嘘のない情報提供をしていることに、やっぱり私はレベチだなと、深い悲しみを感じるのだ。
ここへ書くまでに、在留邦人二名の悪口を 6,000字くらい書いたのだが、安倍(元)総理が暗殺されたこともあり、私が暗殺されると悲しむ人がたくさんいるので、全てを消した。ここが、家族と不仲な人ばかり、日本を恨んでばかりの在留邦人と、私との、決定的な違いである。
ニュージーランドの報道を見ても、明るい話題は1つも見られない。
物価高騰は国民生活を直撃し、インフレ率は 7.3% と、32年ぶりの高い上昇率を記録した。
もともとニュージーランドは、生鮮食品以外の全てを輸入に頼る、ハワイとよく似た輸入社会のため物価は高く、驚きの数値ではないが、このインフレ率に給与が追いつかないことが問題になっている。
「貯蓄」という概念が存在せず、物価高騰の続くニュージーランドでは「死人が出る」と言われるほど、国民生活はひっ迫している。
ニュージーランド首相府は緊急対策として、ニュージーランドの人口の半数に相当する 210万人を対象に 3カ月分・350ドル(35,000円)の特別給付手当の支給を開始した。この 35,000円で何とか食いつなげというわけだ。この手当が、さらなる騒動を引き起こした。
休業補償金と同じく、ニュージーランド首相府は2日以内に受給資格者の銀行口座へ 1ヵ月分に当たる 116ドル(11,600円)を振り込んだのだが(振込が遅れると商店が暴動を受け商品が根こそぎ奪われる)、既に死亡している人や、受給資格のない海外在住者にも振り込んでしまった。ドジっ子のニュージーランドが、またやっちまった!
中東のドバイに22年間住んでいるニュージーランド人にも 11,600円を振り込んでしまったので、受け取った本人が『このカネはなんだ! やばいカネなのか!? 』と、驚いて連絡を入れてきたことで、ことが発覚した。
ニュージーランドの税制では、183日以上、ニュージーランドを離れる人は納税者番号である "IRD"番号を抹消しなくてはいけない。しかし、海外在住者のほとんどは、この手続きを行っていない。このことから、受給資格者が知らない間に、ニュージーランドの税務署から給付金が振り込まれていた。
給付業務を担当するデビッド・パーカー国庫庁担当大臣は、誤送金は給付対象者の 1%に当たる 20,000件以下であることから、既に振り込んでしまった海外在住者にも受給資格を認めた。パーカー大臣はニュージーランド人であることから『ニュージーランド人にカネを返せと言っても無理』なことを承知している。ニュージーランド首相府の金庫番であるロバートソン財務大臣に至っては『想定内の間違い』と、謝罪すらしていない。
山口県阿武町の誤送金で4630万円が振り込まれた詐欺事件で、在留邦人があれだけ「アナログ社会の日本」を叩いたのとは比べものにならない事態に発展している。ニュージーランドはアナログ以前の、給付対象者すら確認していない。確認していないから、何事もスーパースローに動くニュージーランドで、2日以内に給付金の送金業務が終わるのだ。
なぜ、在留邦人はこの件に触れないのか。自分も低所得で 35,000円を受け取る受給資格を得ているからだ。自分が損をしなければそれで良い。自分さえ良ければそれで良い。これが、在留邦人のホンネである。
在留邦人だけが『ニュージーランドの給与は毎年上がるので問題ない』としても、私が見るかぎり、現地の民からそのような声は、一切、聞こえてこない。
ニュージーランドで給与が毎年上がる人は、最低賃金で働く非正規の労働者だけであり、週40時間を働く人は自動的に正規労働者となってしまい、正規労働者は年俸制のため、給与は上がらない。
ニュージーランドの求人広告を見るとわかるが、給与水準は「目安」で示されるだけであり、実際の給与額は入社前の最終面接で決まる。実際に自分がいくらの給与を得られるのかは、実際に働くまでわからず、給与保障もない。ここで交渉決裂することが多く、人事を悩ませている。
ニュージーランド人の転職が多い理由も「年俸制」にあり、年俸制に満足する労働者は、ほぼ、存在しない。
年俸制の労働では給与は、ほぼ、上がらないので、転職することで、次の会社との交渉時に賃上げを要求する。労働者側は、これしかできない。
しかも「雇用」は経営側ではなく「労働組合」が握っているので、労働組合に入っているかぎり失業することはない。会社がつぶれたら、同業他社に移ればいいだけ。同業他社なので業務も同じく、新人教育の必要もない。この橋渡しをしてくれるのが「労働組合」という存在である。
そのため、同じ会社に10年を超えて在籍している人は奇特な目で見られる。『おまえ、給与アップ、いらないのか!?』って、思われちゃう。給与アップは入社時以外は、ほぼ、不可能なので、転職を繰り返さないと、給与は上がらない。そうなると人材難が発生し、ベテラン社員から新入社員への知識・技術の伝承は乏しく、経営は安定しないのだ。
ニュージーランドには、240万人分の仕事しかないので、職業選択の自由はない。オーストラリアに行けば 1,300万人分の仕事があり、イギリスに行くと 3,000万人分の仕事があり、日本に行くと 6,000万人分の仕事がある。
ニュージーランド最大手の ANZ銀行と、キーウイ銀行(旧・郵便銀行)は、2022年度単体で、20,000人のニュージーランド人が職業機会を求め、ニュージーランドを離れる試算を発表した。ニュージーランドの試算なんて天気予報と同じくハズレますから、信用しなくていいです。「ニュージーランドは地上の楽園」ですから、ニュージーランドを捨て去ることなどありえません。ニュージーランド最大手の銀行が発表した報道なんて「日刊ニュージーランドライフ」の嘘つきブログと同じく、「夢の中のニュージーランド」を描いた妄想話と断言できるのだ。
在留邦人が大好きなアーダーン首相が率いる労働党は移民流入には消極的な姿勢を保ち、選挙対策では移民流入数の削減を掲げている。コロナで移民流入数は激減したのでこの政策はあまり重要視されていないが、独立法人の「ニュージーランド生産性委員会」(NZPC)は、永住者を対象に、6年ごとの審査による永住資格の更新制導入を提言している。独立法人は政府機関から独立しているため、政権交代による政策変更に影響を受けない。日本では区市町村に設置されている「教育委員会」と同じ性格の組織である。
NZPCは、永住資格を得ても「使えない外人」が多数存在することから、6年ごとに学歴(学位)や有資格を基準に、人材不足業種への配置転換を求める提言をしている。この提言で、最も影響を受けるのが在留邦人である。在留邦人は、日本人向けの仕事しかできないので、NZPCから『おまえ、いらない!』と、永住権がはく奪される可能性が高い。NZPCは『使えない外人」から「使える外人労働者」への政策変更を提言しており、これは安楽死法案と同じく、議会で法制化される見通しである。実際に、永住資格を得て社会保障を受けながら、生活保護を受けながら何をやっているのかわらない、永住資格を持っていても永住していない、納税もしなければ、消費も行わない外国人永住者は多数存在し、それを「永住者」と呼べるのかと、NZPCは「使えない外人」に厳しい姿勢をとっている。そして「外人永住者はいらない」「必要性ある人材は有期採用の外人労働者だけ」と、政策提言をしている。有期採用の外人労働者であれば、滞在許可が切れたら社会保障費の負担がなくなる。『外人永住者はいらんべ?』『外人労働者だけでいけるべ?』と、NZPCは在留邦人が大好きなアーダーン首相に提言している。労働党は外国人移民の流入に反対の立場をとることから話も早い。労働党は移民の削減に積極的であることを踏まえると、次の移民政策の中身が見えてくる。アーダーン首相は、外人に優しくないことを、決して忘れてはいけない。
SNS調査会社の "InterNations" は、外国人が移住しやすい52ヵ国の国別ランキングを発表。最上位はメキシコ、次にインドネシアと台湾が続くのだが、ニュージーランドは下から2番目の51位。最下位はクウェート。
これは調査会社の意向に偏りが激しく重視すべき指数ではないが、気になる人は気にしてください。私は気にします。
ニュージーランドが52ヵ国中の51位になった理由は、物価高騰、ガソリン価格の高騰、住宅価格の高騰と、ニュージーランド国内でも厳しい批判に晒される内容が占めている。
また、貧富の差が拡大し「金持ちはより金持ちに、貧乏人はより貧乏に」と、私がここに書き綴ることがそのまま反映される結果となった。
この調査結果を、イギリスの左派系新聞社 "The Guardian" が『100% 純粋はデタラメか?』と報じたため、ニュージーランドにも伝わることになった。「100% 純粋」(100% Pure) とは、ニュージーランド観光局が外国人観光客・外国人留学生の誘致に用いるスローガンであり『純粋とは偽りか?』と、"The Guardian" は揶揄しているのだ。
イギリスには、48,000人のニュージーランド人が居住しているので、この手の報道は現地で大々的に報じられ、ニュージーランドに伝わる。イギリスのメディアは、公共放送の "BBC" でも王室批判をガンガンやるように、同胞に対しても容赦ない。「同級生なのに性格が悪い野郎」って、どこの学校にもいる。私の学校にもいたし、私も嫌がらせを受けたし、他の人からすると『おまえが一番性格が悪い』と、私が言われると思いますけれどね。
イギリスはニュージーランドを格下に見ているので容赦ないが、ニュージーランドはイギリスの顔色をもの凄く意識する社会である。
2018年12月、イギリス人女性の "Grace Millane"(当時22歳) が、オークランドで強姦され殺害された。観光シーズンであることから、アーダーン首相は遺族に弔意を表明した。過去に何度も外国人旅行者を狙った強姦殺人事件は起きているが、特定の遺族に首相が弔意を表明することはなかった。私は、ひっくり返りそうになった。ここまでイギリス政府に忖度するのかと驚いたのだ。実際にここまでやらないと、イギリスのニュージーランド叩きは凄まじいものがある。それはたぶん、イギリス人はニュージーランドの「デタラメ」と、大げさな表現による「ボッタクリ」を、認識しているからだと思います。
「コロナの優等生」だった(←過去形)ニュージーランドも、死亡率では世界最高水準に達し、オーストラリアのメディアが叩きに叩きまくっている。
政治決断で都市封鎖を断行した国は、コロナ感染者数と死亡者数が急拡大しており、打つ手がなく、野放し状態になっている。
コロナ感染者の急増に病院はひっ迫しており、医療従事者の感染も報告され、スタッフの減少に伴い、看護師資格を持たない看護学生が患者対応に当たっている。まさに「学徒動員」。「コロナの優等生」は、どこへ行ってしまったのか。
この「学徒動員」に対し、看護師の労働組合である「ニュージーランド看護師協会」(NZCN)は、猛反発を表明。「正規の看護師資格を持たない看護学生を病院に配属するな」と、表向きの反発を強めているが、そこはニュージーランド、こんな表明は表向きの発言であることはニュージーランドの民なら誰もが理解している。理解していないのは、在留邦人だけ。
労働組合は圧力団体なので、政治に圧力を掛けることは当然のことである。看護師組合の目的は、看護学生を保護することではなく、この圧力による政権交代の実現にある。自分たちの都合の良いように政治を動かす。これが、ニュージーランドで労働組合が生き残れる、唯一の理由である。
ニュージーランドの労働組合組織率は日本と同等にあるが、労働組合が持つ「労働規約」が凄まじい厳しさで「組合員の雇用は何があっても守る」と、意思表明が凄まじい。公選で選ばれる政治家は、労働組合の意見を無視すれば選挙で落ちてしまう。統一教会に支援されないと選挙で落ちてしまうどこかの国の政治家と同じ構図なのだ。その労働組合の支持を得ているのが、在留邦人が大好きなアーダーン首相の労働党である。
当初の私はこれより先、コロナ対策の野放し状態を謳歌する在留邦人が日本へ帰国後に感じた「日本の違和感と在留邦人に厳しい日本人」について、批判的投稿を 6,000字まで書いたのだが、飽きたので全てを消した。日本語の通じない在留邦人に対する批判的内容は、童貞喪失に失敗した男子学生のようで、虚しいと思ったのだ。
ニュージーランドで18歳から21歳くらいの男子を持つ母親は『うちの息子は童貞を捨てたのか』と、とても心配する。生殖能力がないと「男」として認められないニュージーランドでは、男子の性体験を非常に重視するのだ。
息子に彼女ができると、親は飛び上がって喜ぶ。『すぐに連れて来い!』『どんな女の子なのか審査する』と、息子よりも親の方が喜ぶ。親が喜ぶ理由は『これで息子も童貞を捨てられる』と、思うからだ。
これは、初めての彼女に対し行われる「慣例儀式」ではない。異性であれば、どの交際相手にも行われる慣例儀式である。
息子が適切な性経験を積み、子を儲ける。これが、ニュージーランドの親にとっては最重視する課題であり、息子にとっては最大級の「親孝行」である。
そのため、結婚(法律婚)はしたが子が授からない、子が授からないので養子を迎えることは、ニュージーランドでは3階級くらいの「降格」を意味する。
日本ほど、養子を迎えることに偏見を受けないニュージーランドでも「実子がいない中での養子縁組」には、厳しい批判が根強く存在する。実子がいる中で、2番目の子が養子は大丈夫。しかし、実子がいない中での養子縁組には根強い偏見がある。誰も、そのことは言わない。決して言わない。でも、皆、そう、思っている。『それって違うよな』ってね。
生殖能力を持たない同姓婚など論外。同姓婚が法律婚に昇格したことで、同姓カップルが次に求めることは、養子を迎えることである。無神論者は、それでいいじゃないか、何が問題なんだ、と言うが、キリスト教右派が社会を牛耳るニュージーランドでは「考えられない」「馬鹿げた行為」と、凄まじい批判の嵐である。教会が、どのような理由があっても、同姓カップルの結婚式を認めない背景には、宗教と生殖能力を巡る複雑な社会構造がある。それだけ、ニュージーランドでは「生殖能力」が重要な位置を占めるので、不妊治療や、内縁・同棲関係が、社会制度的にも法律的にも整備が進み、国民の代表者である国会議員にも多くの教養が求められる。言い方を変えると、ニュージーランドは、それだけ複雑な社会構造を持つ国であり、マイノリティーには、生きにくい国である。
ニュージーランドで現地男性と交際したことがある人はわかると思うけれど、男女関係になると、相手の両親に食事に招かれる。あれは、単にお食事をすることが目的ではなく、食事中に、相手の女を厳しく審査しているのだ。挨拶に始まり、食前のおしゃべり(の内容)、食事中のマナー、食後のおしゃべり(の内容)、帰宅時の挨拶まで、厳しく審査される。女が帰ったあとで、あの子は、どーだ、こーだという家族会議が行われる。ニュージーランドの子だと早い子は中学生から、これらの審査が始まるので、中高生の彼女でも、例外なく自宅に招かれるのだ。
その後も、自宅に招かれ家人と同等の扱いを受ける人は、概ね「合格」の女である。その後のコンタクトがない女は、残念ながら「不合格」。相手の両親と食事をしたことがない交際関係など論外である。
ニュージーランドは田舎社会だから、日本人が思うよりも、人間関係が複雑である。人と人との距離が遠く、人と人との壁が厚い。これを突破できるか否かが焦点であり、これを突破できない人は、ニュージーランド人の中にも数多く存在する。そのような人たちが、日本人を含む外国人を交際相手・配偶者に選んでいる。
結婚したカップルに子供が授からないと、その人たちはとても悲惨な扱いを受けるニュージーランドでは、性体験を非常に重視する。性体験の失敗により、その後の性生活に支障をきたす人たちは、統計上に現れる実数より多く存在する。とりわけ男性はプライドが高く、性行為に失敗すると、その後の性生活に支障を来す。特に母親たちは、それを肌感覚で熟知しているので、息子の性体験を非常に重視する。日本の若い女子からすると「マザコン」と言われのだろうが、ニュージーランドの男子で「非マザコン」は、存在しない。特に母親の息子に対する愛情は凄まじいものがある。誘拐の多いニュージーランドでは、14歳の誕生日を過ぎるまで、子は親の監督下での行動に制限され、17-18歳まで、親は子の付き添いをする。大学生になっても息子の送迎を行う母親はザラであり、息子のデートに付き添う母親もいる。ニュージーランドの親子関係を知る人なら「マザコン社会」を一瞬で理解できるだろう。過保護・過干渉な母親が多く「ヘリコプターママ」の存在は、ニュージーランドの社会問題である。母親と嫁が対立し、結果的に離婚する家庭は、実数に現れるより多く存在する。このあたりのデリケートな指数は、決して、統計上に現れないから、在留邦人は知らないだけ。
20歳前後の息子を持つ母親たちが集まると『うちの息子は童貞を捨てたのか』が話題の中心になる。日本では、この手の話題はご法度なので、できません。日本でも、多くの母親たちは同じことを考えていると思われるが、やっぱりこの話題はご法度、禁句扱いなのだ。ニュージーランドでも公の場ではされないが「息子の童貞問題」は、母親たちの重大な悩みである。
日本から来た女子学生で、現地の白人男性にメロメロになり、白人の彼氏ができたと自慢してくる人たちをたくさん見てきたが、現地の性事情に精通する私にしてみれば『性の対象にされて嬉しいのか』『やり逃げされる女が喜んでいる』『おカネをもらえない "prostitute"(←意味は自分で調べろ)』と、日本の女子学生を見ては腹を抱え笑っていたので、やっぱり、私の性格の悪さって当時から筋金入りだったと、いまさらながら自分の性格の悪さに呆れています。皆さんも、私のような性格の悪い人間にならないでください。在留邦人は、私以上に性格の悪い人しかいないんですけれどね。
オタゴ大学の名門学生寮で長年に渡り強姦事件が放置された理由。性被害に会う女子学生が存在する理由。オタゴ大学が強姦事件の事実を認めない理由。ニュージーランドの性事情が理解できると『まー、そーだろーねー』としか言えない私がいる。ニュージーランドでは、童貞を捨てることが「男」への登竜門なので、隠された性文化を肌感覚で理解できる人には、『はいはいはい、そんなもん、皆、知ってますよ』と、なってしまう。「童貞を捨てるためであれば強姦する」。田舎社会なので、皆、同じ生活なので、イチイチ、何かを言う必要もない。ニュージーランド人は、他人のことを、イチイチ言わないは、事実である。
在留邦人はニュージーランドのことを何も知らない「夢の国・ニュージーランド」の村民だから、嘘・デタラメ・妄想でお話を作っているだけ。在留邦人って本当にオメデタイ人たちだなって、性格の悪い私は思います。
2022-08-01 00:00
在留邦人が日本で失敗した最大の理由 [在留邦人批判]
クライストチャーチの出身校が同窓生向けに学校情報の提供を始めた。メールアドレスを登録すると、広報誌(Newsletter)の最新版を配信するというので登録をしてみた。
これまでも広報誌はオンライン上で読むことはできたが、いつ更新されるのか不明で、不定期に確認する煩わしい作業が省けると思ったのだ。
メールアドレスを登録してみたが、そこはニュージーランド、オンライン上の広報誌は最新版に更新されているが、更新情報は届かない。『この緩さがニュージーランド!』と、在留邦人は絶賛するのだろうが、私は絶賛できない。広報誌が最新版に更新されていても、更新情報は届かない。これは「緩い」ではなく「無能」である。
言葉には、それぞれ意味がある。似たような言葉でも、同じ意味にはならない。「緩い」と「無能」は、異なる言葉であり、異なる意味を持つ。
約30年前、私はクライストチャーチのキリスト教学校で惨めな高校生をやっていたわけですが、そのころから在留邦人・日本人留学生とは、日本語が通じなかった。日本語を学ぶ現地生と日本語は通じたが、在留邦人・日本人留学生の話す日本語は通じなかった。この感覚は、2022年になっても変わっていない。
ひさしぶりでもないが、出身校のホームページを見てみた。教員名簿を見ると、私の1学年下の後輩1名と、2学年下の1名が、現職の正教員になっている。1人は数学科の教員、もう1人は理科の教員。どちらも成績優秀な(元)生徒で、いつも表彰を受けていたのでよく覚えている。
数学科の教員になった子は、確か、数学オリンピックのニュージーランド代表だか、代表候補になった(元)生徒だと思う。数学能力って、十代が最大で、二十代に入り数理学的な能力を伸ばせる人は、ほぼ、いない。高校時代の手柄を勲章に母校の数学科教員になったことは正しい選択だと思う。
理科教員の後輩の子は、私の同級生と結婚している。ニュージーランドらしい狭い範囲の狭い人間関係である。地元の高校を卒業し、地元の大学に進学し(クライストチャーチには大学が2つある)、出身校に勤務し、出身校の人と結婚し、出身校の近くに住み、学校の人と同じ教会に通うので親同士も知り合いだから『あの子の親は真面目な人だから、あの子となら付き合ってもいい』と、早くから親公認の交際に発展する典型的なニュージーランドの男女関係である。ニュージーランドは社会も狭いが、人間関係は、より狭く、同じ学校に通う人との結婚が、ものすごく多い(同時に離婚も多い)。そのくらいしか男女の出会いがない。そこから漏れた人が、日本人を含む外国人と結婚している。だから、真面目な現地の人は、外国人と結婚しない。日本人を含む外国人と結婚する人が不真面目とは言えないが、少なくとも「真面目な人」ではない。その人は「良い人」かもしれないが「真面目な人」ではない。「悪い人」ではないかもしれないが「真面目な人」ではない。それゆえに、配偶者や交際相手が誰なのか、相手の存在がわかってしまうと、その人の隠された内面がわかってしまう。どこでも田舎って、そんなもんだと思いますけどね。
出身校の学費を見ると、現地生の学費は 25,000ドル(250万円)、外国人生徒の学費は 40,000ドル(400万円)と記載されている。約30年前、私がこの学校に通っていた当時の学費は 13,000ドル(130万円)だったので、私立の名門校としては安い学費を維持している。
ニュージーランド人の1人あたりの平均所得は 55,000ドル(550万円)、1世帯あたりの平均家計所得は 100,000ドル(1000万円)なので、所得の「平均」に位置する家庭では、この学校に子女を通わせることはできない。
ニュージーランドでは、70,000ドル(700万円)を超えると高額所得者に位置づけられ、所得税率がグッと上がるのだが、私がいた約30年前は、年間所得が 54,000ドル(540万円)を超えると高額所得者と規定されていた。約30年前の高額所得者が、現在は平均所得者へ格下げされているので、それを考えると、私の出身校の学費は「安い」と判断できるのだ。
私はこの学校に在学時、親から2年分の学費を預かり、資産運用をして、3年分の学費に増やした。午前8時から午後3時30分まで授業があり、午後4時に家に着き、銀行は午後4時30分まで営業しているが、そこはニュージーランド、午後4時を過ぎると銀行員は帰り支度を始めるので、業務を受け付けてくれない。『もう帰るから、明日来い』と、普通に言われる。まだ営業時間終了まで30分もあるのに。社会全体が午後5時で機能停止する「9時・5時(17時)社会」なので、取引に使える時間は、実質、30分くらいしかなかったが、高い利回りを出し、2年分の学費を3年分に増やすことに成功した。学費負担が軽くなったことを親に報告をすると、うちの親はとても驚いていたが、驚く親の顔を見て、私が驚いた。
会計学担当教員は「元銀行員」という不思議な経歴を持つ人物であったが、私の資産運用に対し『もっと上手く利回りを出せ』と、ずいぶん、手厳しい指導を受けた。日本の学校で教員と生徒が金儲けの話をしていれば、他の教員から白い目で見られることは当然のことであるが、これは、ニュージーランドの学校でもまったく同じである。
「元銀行員」という不思議な経歴を持つ教員だったので、銀行内でどれだけの不正が日常的に起きているのか、実例を用いて説明してくれたことはよく覚えている。一度、授業中に、元勤務先の銀行に連れて行ってもらい、元同僚を講師に、話を聞かせてもらったことがある。ニュージーランドの学校でよくある「いきなり社会科見学」。先生が自分の車(または学校の車)を運転し、車で通学している他の生徒の車に分乗しお出掛けする「いきなり社会科見学」は、どの学校でも見られる日常的な授業風景である。日本の学校では、高校生が車を運転し通学していないので、できません。
元同僚の銀行講師から何の話を聞いたのかまったく覚えていないが、スクエアにある銀行本部の上層階にある会議室に通され、エアコンが効いていたので『ニュージーランドにもエアコンってあるのか』と、驚いたことだけは覚えている。また、元同僚という銀行員が背広を着ていたので『ニュージーランドの人で背広を着る人がいるのか』と、驚いた(注:一般的なニュージーランドのビジネスマンは背広を着ない)。
私はニュージーランドで惨めな高校生をやっていたが、これは私の歴史なので、他者の干渉は受けない。私の歴史は、あなたの歴史ではない。あなたの歴史は、私の歴史ではない。私がどれだけ、あなたが大好きなニュージーランドを批判しても、それが私の歴史なのだ。
オーストラリアに住む在留邦人が "twitter" に「ニュージーランド在住の日本人で「ニュージーランド大嫌いブログ」を知らない人はいない」と、酷評していた。名誉で迷惑な書き込みだ。とにかく私を「キチガイ」と言いたいらしい。その書き込みの中で、パースの教会に出入りしていた日本人もキチガイだった、海外在住の日本人はキチガイばかりと、私を批判しているのか肯定しているのかわからない書き込みをしていた。自分の書き込みに絶対の自信があるのなら、"twitter" の投稿を非公開にせず、堂々と、私のように公開すればいいのにね。私を批判しながら、自分の書き込みは公開しない。公開できない理由があるのか、おまえが一番キチガイだと、性格の悪い私は疑ってしまうのだ。
以前もこのブログに書いたニュージーランドで不動産投資をしているおじさんが『学校では不労所得(の方法)を教えてくれない』と投稿している。当たり前のことだ。学校はお勉強をする場である。働かずしてカネを稼ぐ方法を教えるわけない。在留邦人が絶賛するニュージーランドの学校でも「不労所得」のやり方など教えるわけない。バカじゃないのかと思った。そんな常識的なことも理解できないのかと悲しくなる。本当にバカなんだなって。在留邦人はバカで、常識のカケラすらないんですけどね。
私が惨めな高校生を終えて約30年が経っても、やっぱり在留邦人って「人間のクズ」「核廃棄物以下の存在」「最下層の最下層」だと思います。皆さんも、そう、思いませんか?
ニュージーランド不動産おじさんも『人の意見は聞かない』と、意固地になっている。
ニュージーランド不動産おじさんは日本語で書き込みをしているので、見ている人が「日本人」であることを認識した上での投稿である。
その一方で、パケハの言うこと、それに、大好きな中国人妻の言うことは素直に聞き入れる。それで、大やけどはしていないだけである。
在留邦人は、日本人向けの意見と、外国人向けの意見が、まったく異なる。このことに、在留邦人は気がついていない。「裏アカウント」を持ち、海外生活の「毒」を裏アカに吐き続けるのは、それが理由である。キラキラした海外生活を発信し続けないと、自分が食っていけない。『やっぱり何でも日本の方が良い』となってしまうと、日本人相手の商売が成り立たず、お金が入ってこない。現に、日本人相手の商売が成り立たない在留邦人は帰国ラッシュを迎えている。「日刊ニュージーランドライフ」主宰の長田雅史もその1人である。帰国決定後からのニュージーランド批判が凄まじい。『あれあれあれ? あのキラキラしたニュージーランドライフは、どこへいったの?』と、恐怖を感じるほど、ニュージーランド批判しか見られない。これが、在留邦人の本当の姿である。
約30年前、私の周りには現地生活に困っている日本人や日本人留学生がたくさんいた。現地の民は『頭のおかしな日本人が困っている。おまえが助けてやれ』と、私に言いにくる。私は『日本人とは日本語が通じないから助けたくない』『助けてあげてもお礼も言わない見知らぬ人を助けられない』と言っても、現地の民は納得しない。『おまえがやれ』の一点張り。しぶしぶ、助けてあげると問題は解決するが、日本人はお礼も言わず、どこかへ消えてしまう。それを見た現地の民は『ほら、上手くいったじゃないか』と言うが、それは私がやったから上手くいっただけで、問題を抱えた日本人は何もやっていない。
その一方で、現地のパケハ(白人)が手助けしてくれると、飛び上がって喜ぶ。『日本人でこんな親切な人はいない!』と、飛び跳ねて喜ぶ。そして「ニュージーランド LOVE!」「パケハ LOVE!」になる。現地の女性には見向きもされない最下層に位置するパケハ(男性)からすれば、こんなに嬉しいことはない。然したる努力もしていないのに、簡単な手助けをすると日本人女性は大喜びし、飛びついてくる。すぐに男女の関係、性的関係になるので、パケハ(男性)と日本人女性のカップルは非常に多い。同時に、破局する確率も非常に高い。
私がニュージーランド不動産おじさんに『おじさん、そこにある箱は宝箱だよ。開けたら財宝が入っている』とおしえても、日本人である私からの助言を受けた意固地のニュージーランド不動産おじさんは『それはゴミ箱だ!』『 ゴミしか入っていない! おまえは嘘つきのキチガイだ!』と、私を総批判して、敵対視して、総攻撃を仕掛けてくる。これが実際に、私が約30年前に在留邦人と日本人留学生にされた仕打ちなのだ。このカルチャーは現在に至るまで現地に残っている。
同じことをパケハが言えば『日本人でこんな親切な人はいない!』と、飛び跳ねて喜ぶ。「LOVE LOVE ニュージーランド LOVE」になっちゃう。これが、私が約30年前にニュージーランドという世界の僻地で惨めな高校生をやっていた頃の日常である。
海外生活を体験する在留邦人は、謙虚さを取り戻す。日本では意固地で人の話は聞かない、動かない、何でも反対する日本共産党の支持者のような人たちが、海外生活を経験することで素直になり、人の意見を聞き入れ、実行に移し、協調性を持ち行動するようになる。これって、典型的な日本の学校で学ぶ「義務教育」なんですけれどね。
学校の先生も、実家の母親も、生徒や子供が社会に出て苦労しないよう、幼少期から青年期に掛けて厳しく指導する。これは、在留邦人が大好きなニュージーランドでもまったく同じである。おカネの使い方から時間の使い方、言葉遣いに身だしなみ、学校生活から私生活まで、厳しく指導する。生徒や子供が社会に出て苦労しないよう、自分が悪役になっても構わないので厳しく指導する。それが教員としての、母親としての、務めである。
大人は大人に厳しい目で見る。一般常識はあるのか、基礎教養はあるのか、正しい言葉遣い・振る舞いはできるのか、人に対する礼儀はあるのか。一挙手一投足を厳しく確認する。なぜか。それが、大人の世界だからだ。これらができていなければ批判されるのは本人ではなく、その指導者であり、親である。それゆえに、学校の先生も、実家の母親も、厳しく指導するのだ。それらを全て批判し、否定し、聞く耳を持たなかった人たちが、在留邦人である。
在留邦人が日本で上手くやれるわけない。一般常識はなく、基礎教養もない。挨拶もできず、人に対する礼儀もない。『おまえは学校で、家庭で、何を学んできたのか』と、怒られる。そりゃーそーだ。在留邦人は逃げるだけの人生で、学校でも家庭でも逃げ続け、何も学んでいない。常識もなければ、教養もない。そんな人間が厳しい日本社会で上手くやれるわけない。結果、在留邦人が流れ流され辿り着いたのが、世界の僻地にあるほとんど人が住んでいない孤島である。
二十代半ばで社会に出るまでは学校という閉ざされた空間で、準備期間を過ごす。すべては、社会に出るまでの準備期間である。在留邦人は、この準備期間を批判し、否定し、反発してきた人たちである。
社会に出ても、10年間は見習い期間である。在留邦人は、この期間も批判し、否定し、反発してきた人たちである。自分では正しいことをしているつもりで、大失敗を犯している。激しい思い込みに基づく大失敗は、取返しがつかない。適切な年齢で修学も、就労も経験していない、一般常識も基礎教養もない在留邦人が、日本社会で上手くやっていけるわけない。それ以上に、ニュージーランドでは上手くやれないので、ニュージーランドにいても、日本人相手の仕事以外は何もできない。実際に在留邦人を見てよ。日本人相手の仕事か、単純労働以外は何もできない。大口は叩くが、実際には何もできていない。
パケハの言うことだけはよく聞く在留邦人に対し、パケハは良い印象を持つ。ラジコンカーのように、右に行けと指示すれば右に行き、左に行けと指示すれば左に行く。こんな操作が楽な人間は、世界の僻地にあるド田舎のニュージーランドにいねーわ、となる。まったく同じことを私が言っても、在留邦人も日本人留学生も意固地なので何も聞かない、何もやらない。代わりに私がやることで、自分がやった気になるので、礼もなく、どこかへ消えてしまう。私が全て代わりにやっているので、良い結果だけは付いて来るので、私とパケハも、在留邦人・日本人留学生をめぐり意見が一致しない。この感覚は、2022年になっても変わっていない。
日本人でも外国人でもない。それが、在留邦人という存在である。「在留邦人」とは誰なのか。「在留邦人」は「在留邦人」である。「在留邦人」は、日本人ではない。しかし、外国人でもない。「在留邦人」は「在留邦人」としか答えられないのだ。外国人と「在留邦人」について話すことは不可能である。外国人の中に「在留邦人」という存在がないからだ。
「学費」という概念が存在しないニュージーランドの教育界で、年間250万円も掛かる私立校に通わせる家庭があるのは、学校という閉ざされた空間で、厳しい指導を受けさせることにある。保護者から年間250万円の学費負担をいただき、大切な子女を預かる私立校には「教養」という概念が存在する。幼少期から青年期に掛けて、厳しい指導を受けないと、大人になっても、大人になれない。在留邦人を見てよ。顔も体も大人でも、中身がクズ、人間のクズ、最下層のクズしかいないじゃない。
『ニュージーランド人は、他人について、とやかく言わない』と公言する在留邦人の発言は事実である。
ニュージーランドで「学費」という概念が存在しない公立校で、生徒1人・1人に、厳しい指導なんかやらない。「ペイしない(給与に見合った見返りが期待できない)」からね。私が公立校の教員なら、指導する生徒には何も言わない。厳しく指導をしても何も変わらず、生徒は文句ばかり言い出す。自分の給与が増えるわけでもない。その生徒が社会に出て成功しても失敗しても、それは私の責任ではないので、指導にも身が入らない。やってもやらなくても同じなら、負担の少ない方を選ぶことは当然のことである。それなら、何もしないが「善」と判断する。これが、ニュージーランドの公立校の指導方針である。
他方、私立校はどうだろう。シャツの第一ボタンが外れていたらボタンを掛けなおすまで厳しく注意される。髪の毛が長ければ切るように(女子の場合は結ぶように)厳しく指導される。靴下が下がったままであれば、靴下を上げるまでその場を離れることはできない。白いシャツの下に赤いインナーシャツを着ていればその場で脱がされる。教員を呼ぶ際に "Excuse me(us)" が抜けていれば、教員は返事をしてくれない。来校者に対し、一礼し、敬意を払わなければ、あとで呼び出しをくらう。これら全て、社会の一般常識として、ニュージーランド社会で最重視される、最低限のマナーである。それゆえに、私がクライストチャーチの出身校の名前を出せば "Good School" と称賛される所以だ。学校名がわかる人は、その学校に子女を通わせる親の教養レベルまでわかってしまうので、見たことも会ったこともない、うちの親も褒められ『Youの親は真面目で正しい人だね』と言われる。
「学費」という概念が存在しないニュージーランドで、年間250万円の学費負担が生じる私立校へ通わせる家庭があるのには、明確な理由が存在するのだ。
ニュージーランドの人は『何も言わないが良いことではない』ことを理解している。理解していないのは、日本で失敗した在留邦人・日本人留学生だけだ。
いつも思うことは、在留邦人・日本人留学生は、なぜ、ニュージーランドで出来ることを、日本では出来なかったのか。私には理解不能なのだが、わかる人がいれば私にではなく、在留邦人・日本人留学生におしえてあげてください。たぶん、あなたの助言を素直に聞き入れる在留邦人は、この世に1人もいないと思いますけれど。
2022-07-01 00:00
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