2009年に起きた郵政不正事件で検察による冤罪に巻き込まれながらも、その後、官僚のトップである厚生労働事務次官まで務め上げた村木厚子(むらき・あつこ)さん(63)が8月に『日本型組織の病を考える』(角川新書)を上梓しました。
2015年に、37年間務めた厚生労働省を退官した村木さんが、改めて冤罪事件を振り返るとともに、公文書改ざん問題やセクハラ事件など昨今の不祥事を重ね合わせて「日本型組織の病」について考えた内容です。
同書では、「ずっと仕事をし続けていきたい」と思っていた村木さんの原点や、女性が圧倒的に少ない職場でどのような思いを抱きながら働いてきたかもつづられています。
大学卒業後、国家公務員となり当時の労働省に入省。日本初のセクハラ研究会を作り、男女雇用機会均等法をいかに根付かせるかなど、「女性政策」に取り組んできた村木さん。女性たちが働きやすくなるためのレールを敷いてくれた“先輩”でもある村木さんに4回にわたってお話を伺いました。
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最後に「いい顔」をしていたいから
——「厳しくてもやりたい仕事、頑張れる仕事をしておいたほうがよい」と書いていらっしゃいました。村木さん自身も「どんなことがあっても働き続けたい」ということで公務員を目指されたとのことですが、そのあたりから伺いたいです。
村木:日本の会社はこれからどんどん変わっていくと思うんですが、今は学校を卒業して会社に入って、その会社の中でキャリアを作っていくという積み上げ型ですよね。だからやっぱり、積み上げるところから下りないほうが、自分がやってきたことや努力というのが次へつながっていくから、簡単には会社をやめないほうがよいかなと思うんです。
もうひとつは、私はすごく単純で、最後にいい顔をしていたいなと思うんですね。
——「いい顔」ですか?
村木:はい。例えば、若いときに職場の先輩を見て、「素敵だな」と思う人と「なんだかくたびれてるな」と思う人、なんて言うのかな、人相がよくなる人と人相が悪くなる人っているんですよね。
単純に偉くなるとかではないのですが、私が「ああいう人になりたいな」って思う人って、仕事を一生懸命やっていたんですよ。それで、もしかしたら仕事を一生懸命にやったほうが人相がよくなるのかも、というか楽しそうにしている。生き生きしていているなと思う人は、仕事を一生懸命やっている人だなと思ったんです。
それが原体験としてあるので、大変なこともあるんだけれど、「まあそこそこでいいかな」とか「サボったほうが得」と思っていると人相が悪くなるんじゃないかという、ある種の”恐怖感”のようなものがあるんです。
単純にラクなほうが楽しそうに見えるかというとそうでもない。不思議なことにラクをしよう、サボろうと思っている人のほうが顔が楽しそうじゃなかったんです。
「出来の悪い係長だった」
——なるほど。確かに上司や先輩を思い浮かべると一生懸命やっている人は見ていても気持ちがいいというか、素敵だなあって思います。一方で、ニュースを見ていると「管理職になりたがらない女性が多い」と聞きます。管理職になっても仕事と家庭の両立のしわ寄せが一気に女性にくるからだと思うのですが、村木さんはどう思いますか?
村木:難しいですよね、「背負う」って。「背負う」ってすごく難しいし、管理職になったら「あれもやらなきゃ」「これもやらなきゃ」というストレスも増えるかもしれないし、大変だから躊躇(ちゅうちょ)する気持ちもすごくよくわかります。
でもね、ちょうど男女雇用機会均等法*ができたころ、民間企業の女性たちと勉強会を開いていたんですが、そのときに先輩にあたる女性が言っていたのが「30代は子育てとの両立で大変ね。40代は責任も重くなって、胸突き八丁。50代は、会社の中でこんなに自分の意見が通っていいのか怖いくらい。60代、定年後は天国よ」と言っていたんです。それが私は心の支えで、大変だけれど、その先に結構よいことが待っているらしいって思って、励みになったんです。
*1985年成立、翌86年施行。採用や配置・昇進定年・解雇などで企業が男女で異なる取り扱いすることを禁じている
——実際どうでしたか? その通りでしたか?
村木:そうですね。ちょっときれいごとに聞こえるかもしれませんが、私、出来の悪い係員だったの。その次に、出来の悪い係長だったんだけど、出来の悪い係長になったときに「今だったらよい係員になれるのにな」って思った。課長補佐になったときもフーフー言っていたんですが、「今だったらよい係長になれるのにな」って思ったんですよ。
だから、負荷がかかってもうひとつ上の仕事をやることで、出来の悪い係長だったはずが、いつの間にか悠々やれる自分になっているというのがあって。こういうものなんだって思いました。
いつもちょっと負荷がかかることをやらされて、いつも苦労しているように思ったけれど、ちょっとずつ成長しているんだと思ったんです。それで成長しているということが、途中からひとつの支えになりました。権限を持ったり、もっと上になったりすると「あとはよろしく」って言って帰れる。
そういうのが見えてきたから、やっぱり先輩たちが言った通りにちょっと大変だったけど、ちょっとずつ階段を上っていってよかったかなって思うようになりました。
「普通に階段を上がっていっていいんだ」
——そうなのですね。よく出世すると「見える景色が違う」と言いますが、それは本当ですか?
村木:出来の悪い係長が課長補佐になったときに、「なぜ、今ならよい係長になれると思うのか?」というと、もっと全体が見渡せるようになったり、係長の仕事の意味が、その上のポストに上がったときに初めてよくわかるものなんですね。本当は、そのポストになったときにわかるのが一番いいんですよ(笑)。そういうことができる優秀な人もいるんだけど、そのときは目の前のことに一生懸命だから。
でも、上になると「えっ!」というくらい、下のポストでやらなきゃいけないことの意味がすごくよくわかるようになるんですね。やっぱり、ポストが上がるごとに進歩している自分がいる。いつも一段遅れているんだけれど、上がっていくじゃないですか。仕事ってそういうものなんだと思ったら、「じゃあ、普通に階段を上がっていっていいんだ」と思うようになったんです。
——「見える景色が違う」というのは、例えば14階なら14階の景色が見えることだと思っていました。でも、今のお話だと1〜13階の構造も見えるし、13階もよく見えるということなのですね。
村木:そうですね。10階でいくら背伸びしても見えないじゃないですか。14階に行くと広い範囲が見える。それは別に、自分の背が高くなったり、偉くなったりしたわけじゃなくて、そこにいることで自然に見えてくるものが必ずあるんですよね。
上のポストになるとか、責任を持つというのは、ストレスもあるかもしれないけど、はるかにたくさんのものが見える。少なくとも、前のポストでやっていたことについては、同じことをやろうと思えばもうぐっとゆとりができちゃう。それって、結構すごいことですよね。
■連載をはじめから読む
【第1回】村木厚子さんが“仕事の階段”を上がって見えたこと
【第2回】村木厚子さんがおじさんばかりの組織でやってきたこと
【第3回】拘置所で村木厚子さんを救ったモノは?
【最終回】村木厚子さんと“叩きすぎ”社会について考えた
(取材・文:ウートピ編集部・堀池沙知子、写真:宇高尚弘/HEADS)