「デザインで北海道にスポットを当てたい」
そう語るのは、札幌出身でデザイナーの小野寺千穂さん。
そして、こう続けます。
「デザインだけでは何もできない。デザインはあくまで、思いの種を持つ人たちの背中を押したり、支えたりする水のような存在。そんな存在として、共にここで生きていたい」
かっこよくも優しい小野寺さん。東京で12年活動した後、北海道にUターン。転機は2011年3月11日でした。その経緯と、デザインにこめる思いを伺いました。
#札幌discover フレーム
「ちほっしゅさんのクリエイティブがヒントに」
私が小野寺さんを初めて知ったのは3年前。
あるデザイナーから「ちほっしゅさん(小野寺さん)をご存知ですか?すごいんです」と、教えてもらったのが最初でした。
当時は、東京オリンピックのマラソンコースが東京から札幌に変更された直後。覚えている方も多いと思いますが、著名人がテレビで東京との比較でしょうが「札幌の沿道には何もない」と発言したことをきっかけに、SNSを中心に騒ぎになった「札幌dis」。論争が起きる中、若きクリエーターら3人が「dis+cover= #札幌discover 」として、札幌・北海道の魅力を再発見し、SNSで発信するムーブメントに転換させました。
当時私は、その3人に話を聞きました。
ひとりは、意味のない分断を嫌う十勝・浦幌町の古賀詠風さん(左下)。
もうひとりは、言葉を巧みに操り短い言葉・ハッシュタグに思いを込める上川町の絹張蝦夷丸さん(最前列真ん中)。それぞれ、暮らしている町の地域おこし協力隊です。
写真は、当時札幌局の旧会館で行われた「#札幌discover」関連イベントで撮影しました。
一緒に写るのは、私たちに「#札幌dis」を華麗に跳ね返す彼らの存在を教えてくれた株式会社トーチ代表の佐野和哉さん(右下)と、全道のクリエーターや活動者のサポートを続けているクリプトン・フューチャー・メディア ローカルチーム マネージャー服部亮太さん(左上)です。
そしてもうひとりは、帯広市の出版社ソーゴー印刷に勤めるデザイナーの青坂さつきさん(写真左)。
スケジュールの都合でイベントへの参加が難しいと伺い、イベント前日、帯広市内でお会いして、経緯について教えてもらいました。
(写真は後日、右下に写る服飾デザイナーの小野寺智美さんも交えて近況報告をした際のものです)
この帯広で、青坂さんが「すごいんです」と紹介してくれたのが、今回取材したデザイナーの小野寺千穂さんでした。
当時の取材メモによると…
discoverフレームのアイデアは、胆振東部地震の時にちほっしゅさん(仲間内での小野寺さんの呼称)がひとりで始めた「Go!北海道」フレームからきている。
自分たちが持つ写真と共通メッセージが書かかれたフレームを組み合わせて、自分たちの思いを発信できる仕掛け。SNSで多くの人が使っていた。私もこのクリエイティブを強烈に記憶していて、ちほっしゅさんにSNSで連絡をした上で、私たちもフレーム形式にした。
この時、青坂さんが制作したキービジュアルがこちら。
縦横バージョン。
さらにその後、 #北海道discover 、 #道東discover など版もつくられました。
文字とハッシュタグが書かれたフレームをフリー素材としてSNSで提供し、誰もが写真を好きに入れ替えられる仕組みになっています。
青坂さんが参考にしたという、小野寺千穂さんが胆振東部地震のあとに作成したフレームがこちらです。
「行くこと、それが応援になる。Go!北海道」
今回、小野寺さんにこのフレームをつくった時の思いも聞きました。
―――どのような経緯で制作したんですか?
▶きっかけは、胆振東部地震の2年前に起きた熊本地震。当時目にした「GO別府」というキャンペーンでした。
地震の前、大分の別府温泉に旅行する予定で予約していましたが、地震後、「迷惑になる」と思いキャンセルをしました。ただ、その後に別府のキャンペーンが打ち出され、もう一度予約を取り直してお邪魔したんです。
胆振東部地震も、広い北海道、特に当時私が暮らしていた道東は被災地とも離れていたので、何かできることはないかなと考えた末に、勝手にロゴをつくりました。
やるならフレーム形式にして、北海道の写真と自由に合成できるようにと思って作りました。それが、SNSで私が思っていた以上に拡散されたという感じです。
―――みなさんが使ってくれたのを見て、小野寺さんはどうおもったんですか?
▶本当にありがたいなって。
北海道の人って本当に北海道が好きですよね。もちろん私もですが。そんな北海道愛が溢れていて泣きそうになりました。すごいなって思いましたね。
―――東日本大震災を機に生き方を変えた小野寺さんが、自分たちが暮らす地域が被災した時にクリエイティブを発揮したのも何か不思議なめぐりあわせだなと思ったのですが、どうですか?
▶北海道に帰ってきて私は当事者意識が芽生えたんですよね。
あの時も自然と「自分のスキルでなにかできるんじゃないか」という発想がわきました。東京で暮らしていた頃とは明らかに違う意識で、北海道のために何かしたいというモチベーションだけでつくりました。
ふるさとではあるものの、もし東京に居続けたら、そうは思えていなかったかもしれませんね。
デザイナー人生の転機
「脱消費的暮らしへ。北海道に帰ろう」
小野寺さんは札幌の高等専門学校を経て、1999年に東京の会社にデザイナーとして就職。「成長したい」と上京。周囲のデザイナーらに圧倒されながらも努力を重ね、日々忙しく、充実の日々を送っていました。
その生活に違和感を植え付けえたのが東日本大震災でした。
当時、渋谷のオフィスビルで仕事をしていました。
電車は止まり、コンビニには食べ物もない。
不自由のない豊かな暮らしを享受できる場所だと思っていた東京が、こんなにも脆いものの上につくられたものだったのかと気がつき、ショックを受けたといいます。
この年、様々なことが重なり小野寺さんは北海道に帰ることを決めました。
この時の思いを、小野寺さんはこう語っています。
何かに寄りかかって生きている感じがしたんですよね。豊かさをただ享受しているという感じでしょうか。
無性に、「それでいいのか」と疑問が湧いて…。もっと自分で作り出せる環境に身をおかないと、このまま消費しているだけの人生になる。自分がダメになるような気がしたんですよね。
そんな消費的な暮らしから脱却したいと思ったんです。そう決めて、2011年の年末には北海道に帰っていました。
東京で勤めていた職場に所属したまま札幌に帰った小野寺さん。当時は珍しかったリモートワークで仕事を続けました。
その後、縁あって日高の浦河町に移住。そこで、「独立」を選びます。
”町制100周年”が思い出させてくれたこと
ローカルに暮らしているのに、ローカルの人たちとの時間がつくれていない―。
小野寺さんに新たな葛藤が生まれました。
その思いから2014年、個人事務所を設立します。
独立後の最初の仕事は「浦河町100周年」を記念するロゴのデザインでした。
今回の取材で小野寺さんに「この生き方でいいんだ!と思えた作品を紹介してほしい」とお願いしたところ、「私の原点」として紹介してくれたのが、このロゴした。
この作品は、デザインの持つ力をもう一度思い出させてくれたといいます。
―――独立最初にこの仕事ができたのはそんなに大きかったんですか?
▶東京時代、大きな仕事をさせてもらったんですが、いつしか「誰のためにやっているのか」とか、「本当に自分がやっていることが人の役に立っているのか」と思うようになっていたんです。
ただ、100周年のロゴをデザインした時は明らかに違って、担当の役場の方がめちゃくちゃ喜んでくれたんです。目の前で喜んでくれる人を見たのが久しぶりで、「自分のデザインがこんな風に役に立つんだ」と、初心に立ち返えることができたんです。そこから急に未来が明るく見えたので、ここがスタートです。
―――小野寺さんの喜びも伝わってきますね。
▶本当に、とても嬉しかったです。
その後、ロゴはピンバッジになったり、のぼりになったり、住民票に印刷されたり、ラッピングバスや職員のIDカードのストラップになったりと、地域の盛り上がりに貢献できたという実感を持てたんです。
その時に、素晴らしい資源が原石の状態でゴロゴロある、いわば宝の山ともいえる地域を「もっと見えるようにしたい」と強く思ったんです。自分も協力できる、したいと強烈に思ったことを覚えています。
(住民票をもつ記念ロゴ担当の浦河町・真下さん)
デザインはスポットライト
地域資源がもっと見えるようにしたい
その後、小野寺さんは次々と地域資源のデザインに取り組みます。
鵡川のししゃも。襟裳のうに。釧路の酒蔵のお酒などなど。
私自身も改めて小野寺さんの作品を調べていて「これもそうだったのか!」と思わず声をあげてしまうほど、発見がありました。みなさんも知らず知らずのうちに小野寺さんのデザインにふれているかもしれません。
実は最近、私たちNHKもロゴを制作して頂きました。
ことし2月に開局80周年を迎えた室蘭放送局のロゴです。
老朽化で撤去されたモニュメント「FURAI」をモチーフにしたもので、モニュメントの球体が80周年の0と重なり、小野寺さんは「導かれるように作った」と教えてくれました。ありがとうございました。
北海道で、共に
これからも地域にスポットライトを当てていきたいという小野寺さん。
最後に、デザイナーとして心がけていることを聞きました。
▶クリエイティブってつくる作業そのものだけではなく、どれだけ時間と気持ちを寄り添わせたかも大事だと思うんです。
地域のクリエイターとして、デザイナーとして「本質」をつかみ、「信頼」をつくる時間を一番大切にしながら仕事をしていきたいと思っています。
―――それが、社名にこめた思いでもあるんですね。
▶アイヌ語で水という意味の「wakka」を社名にしました。大地に水が染み込んで、芽が育っていくということになぞらえました。
デザイン、つまり自分はただ水をまく存在。大切なのは各地の種を持つ人たち。思いの種を持つ人たちのそばで、力になりたい。応援したいということです。
覚悟、たくましさ、豊かさ、そういうものを持っている北海道のみなさんとこれからもたくさんの仕事をしていきたいと思っています。
東日本大震災が気がつかせた、人と地域を見つめる大切さ。
失われた命の重さを忘れない。
ひとつでも多くの命を守る。
その為にも災害に備える。
これらに加えて、時間が経っても忘れてはならない大切なことが小野寺さんの生き方にこめられていると感じました。
今後の地域での仕事にも注目していきたいと思います。
札幌放送局アナウンサー 瀬田宙大
2022年3月10日
この内容は、3月11日のほっとニュース北海道でお伝えする予定です。