山奥のロッジとその裏で暗躍する機関を描いたホラー?映画、The Cabin in the Woodsをレビュー及び 評価、感想、解説、考察。
あらすじ
デイナら五人の若者は、休暇に山奥の小屋で過ごすことになる。ひとしきり楽しんだ彼らは、夜半に秘密めいた地下室を発見。
そこで古びた日記を手にしたデイナがラテン語の呪文を唱えたところ、なんとゾンビの家族が墓穴から這い出してきた。
ひとり、またひとりと、次々に襲われる若者たち。彼らは命を落としながらも、必死に生還を試みる。
だがそんな彼らをモニタごしに眺める、奇怪な監視者らの存在で物語は混迷を極めていく。
ホラーパート

さて一応本作はホラーという分類ではあるので、ホラーパートについて解説しよう。
- 素人の唱えたラテン語で蘇る、ありきたりなゾンビ
- 絶叫と血しぶきの、目新しさゼロの演出
- 逃げ道を塞ぐ、ご都合主義の見えないチカラ
まったく見れたものでなく、史上最低の出来である。
が、本作の制作陣にとってこの評価は、
と言わしめるに充分だろう。
何故ならば、「狙い通り」だからだ。
意図してチープなシナリオと古臭い演出を用いていることに気付けるかで、本作への評価は真逆になる。
未だ見たことも無い、最高にクールな仕掛けが施されているのだ。
詳しくは後段の考察部で解説するが、本作をホラー映画として期待している方には肩透かしであるとだけ言っておこう。
逆にこの映画を純粋なホラーとして楽しめてしまっているパターンに陥っている方は、もっと穿った姿勢を保つ必要がある。
本質はそこにはない。
秘密組織
山小屋で起きる惨劇を常時モニタリングする、謎の組織。
彼らはあの手この手を尽くして、若者たちを血の生贄に捧げようと試みる。
どうやら世界各地でこの組織は暗躍しているらしく、またこの儀式における成功率はかなりばらつきが見られる。
果たして彼らの目的は何なのか?
それは作中である程度明言されるものの、真の意味合いを探るためには、いくらかの理解力を必要とするだろう。
先のまったく読めない展開
未だかつて、こんなにも先の読めない作品があっただろうか?
多くのコアな映画ファンは、視聴した作品が、悲しいことにこれまでの傾向からある程度の結末が読めてしまう方も少なくないだろう。それがホラーであれば、尚更だ。
しかし本作に於いてその心配は無用。完全に見通しの立たない展開に、久方ぶりの喜ばしい感情が爆発するのではないだろうか。
忘れかけていた情熱を取り戻す、素晴らしいシナリオである。
評価
久しぶりに映画で大笑いさせて貰った。
すべてのホラーファンに捧げたい一作である。
以下、考察及びネタバレ注意。
テーマは「ホラー、或いはすべての映画への挑戦状」
この構図に気付けるか否かで、作品へのイメージはガラッと変わる。
テンプレ通りの駄作

まず山奥へ向かったデイナたちを、謎の組織とは完全に切り離して考える必要がある。
彼らが一般的な数あるホラーにとっての、”ありきたり”の集大成のような成り立ちであることに気付いただろうか。
これは古くからある作品へのディスリスペクトではなく、その構造を盲信的に後追いする、近代の間抜けな映画制作者への風刺だ。
例えばお色気シーンといえば、”13日の金曜日”だろう。
昨今でも無駄にセクシーな場面を長回しする手法は多く見られるが、それが効果的に機能している映画など片手で数えるほどだ。
あれらはジェイソン登場作だからこそのもので、その本質を理解しないイミテートには何の価値も生まれない。
そうした無駄な聖杯を崇めている間の抜けた制作者を、本作は痛烈に批判している。
思い当たる作品がいくつも浮かぶのではないだろうか?
制作者

では地下で暗躍する謎の組織は、何を暗喩しているのか?
答えは簡単で、
である。
・化学班
・技術班
・電気班
・開発班
これらは全て映画制作スタッフをそのまま置き換えるのみである。
モニタ前で指示を出している管制室のふたりは、監督で間違いないだろう。
つまりここでの二重構造は、
というカタチになる。
なので作中で見えなかった組織の目的とは、「つつがなくテンプレホラー映画の撮影を終えたい」という、この一点のみである。
テンプレの追求

シッターソンとハドリーは、ロッジの若者らが不測の行動を取るたびに軌道修正を行う。
その執念は異常なほどで、ガスや薬物に仕込んだオブジェクトと、事あるごとに彼らをテンプレ通りに運ばせようとしている。
では何故、テンプレートをそこまでして求めているのだろうか?
視聴者も対象

作中で犠牲者が出るたびに、謎の石板に血の贄が注ぎ込まれる。
ふたりめが倒れ伏した時には地揺れが起こり、
とシッターソンらは言った。
この”お客さん”とはそのままの意味、つまり視聴者である我々なのだ。
本作がこのシーンで何が言いたいのかを代弁しよう。
「間抜けなテンプレホラー映画を観て喜んでいる間抜けな視聴者どもは、少しは頭を使えよ」
大笑いさせてもらった。
ガソリン屋

道中の寂れたガス屋の店主である、謎の協力者モーデカイ。
彼は何者だったのか?
笑いをかみ殺せない管制室、もとい監督ら。
段々見えてきただろうか?
つまりモーデカイをひと言で表すならば、
これに尽きる。
恐らく業界の実体験だろうが、特にアメリカ人はフィクションと現実の線引きが苦手な者が多いそうだ。
彼らは意地の悪いヒールを演じた女優に罵詈雑言の電話をかけ、或いは近所の悪魔崇拝者を滅するために、ヴァチカンの神父を演じた俳優を派遣するように映画制作陣に依頼するという。
妄想と現実がこんがらがった愚か者を笑い者にする監督ら。
モーデカイの表したのは、こういった間抜けな視聴者になるなよ、という警句だ。
日本は失敗ゼロだ

個人的に最もツボなのが、”日本の失敗”だった。
未だかつてミスをしたことのない日本が、作中ではなんと失敗してしまう。
高くかっていただけに、シッターソンらも不穏な空気を感じている。
しかしそもそも、裏の意味でいうところの”失敗の定義”とはなんなのだろうか?
日本の誇る和ホラー作品は世界一。かつてはそう呼ばれていたことは記憶に新しい。
しかし今や欧米の手法にかぶれ、安易なCGに頼りきった体たらくによってその評価は地に堕ちた。
失敗知らずの日本の敗北。
本作では暗に、
そう謳っている。
なお、日本の中継モニタに向かって酷い罵倒を繰り返しているのは、「歴史ある和ホラーをテンプレ駄作に堕落させた間抜けども」に対するものである。
愚か者

五枚の石板の前に突如現れた謎の女性。彼女はマーライがデイナよりも先に死ぬことで、調和=テンプレが保たれると説いた。
しかし”愚者”とされたマーライだが、実際には彼の石板の前で死んでいったのは彼女の方だった。
これは本当の愚者が誰であるかを指し示したシーンになる。
では、彼女はいったい何者か?
組織の長と見られる彼女は、シッターソン達=監督よりも上位の存在、つまりは映画制作すべてを取り仕切るCEOのようなものだ。
つまり本作が言いたいことは、
この次第である。非常に笑える。
古き神々

さて最後に残った謎である、「古き神々」と、その蘇りによって引き起こされた世界の終わりとはいったい何なのか。
これは単純な視聴者層の支持とは少し違う。
我々を指すのは石板に血が注がれた時に明示されていたように、画像で見えている階にあたる位置が正しい。
作中では下層へいくほどその力は強くなり、
という位置付けになっている。
では視聴者層よりも大きなパワーを持った、古き神々の蘇りとはいったい何を指すのか?
それは、
である。
他にも「行政処分」「配給停止」など色々考えられるが、”映画を終わらせる意思を持つ者”として考えると、資金援助をしている企業とするのが最も近いように感じる。
このようなセリフがあった。
いくつか歴史上、不遇な運命を辿った映画は思い当たるだろう。
数多の映画が、不幸な道のりを辿った。
その多くが資金を理由にしており、スポンサーという後ろ盾の偉大さを感じさせる。
そう、視聴者よりもスポンサーを喜ばせる為に、彼らは必死にテンプレ映画を撮影していたのだ。
そして手順を守れなかったキャビンの世界は、無残にも終わりを告げるのだった。
補足として付け加えると、作中で言う「世界の終わり」とは、
このいずれかを指す。
このあたりを鑑みると、「ホラージャンル、終わったな」という意味合いが最も強い。
いずれにしろ、強いメッセージとしては、
という意思が強く込められている。
ご都合主義

笑いどころのピークであるラストシーンでは、ご都合主義を痛烈に批判したつくりになっている。
かなり既視感の満ちたエンディングに、あれもこれもそうだったな、と思いを巡らすのもひとつの楽しみである。
終わりに
純粋な視聴者ほど、損をする本作。
斜に構えたひねくれ者には、最高のスパイスになる一作だった。


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