渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

売国奴 人を呼ぶのに 自己紹介

2022年12月16日 | open






自民党議員などは、本来右翼から
したら国を売る売国奴で右翼テロ
で暗殺の対象になりかねない。
売国奴ほど他者を非難する時には
売国奴と叫んで何故か自己紹介す
る。
アメリカのポチ強化の為に使えな
いミサイルを国民の血税で買う事
こそが売国奴のやる事だ。


終了

2022年11月20日 | open


ラスマス。
こういうのは普通に1番コンビで
5番を入れに行く。そしてフット
にアップ。
手玉で9も蹴って真ん中に出す。

5-9(ゴック)を撞くのはとんでも
なく久しぶりだが、本当に玉筋
が悪くなる。仲間内で言い合う
冗談で「育ちが悪い」というやつ
だ。
やはり、実際に良くないゲームだ
と痛感する。
自分でやってて何だが、玉筋がと
ても汚い。
いくらかつては5-9育ちとはいえ、
正直好きではない。
ケリーズ・プールのカス博打玉よ
りはましだが、やはり賭け玉の質
性がもろ出しになるゲームだ。
映画『ハスラー』(1961)でも出て
来たのがリングゲームというもの
で、日本では5-9とかそれを発展
させたジャパンとか呼ばれている。
ちびちびとセコくむしり取って行
ゲームだ。
映画『ハスラー』のエディでさえ
街の玉撞き場でチンピラがやる
5番1ドル9番2ドル(1961年の日本
円で360円・720円。現在価値は
約10倍)のゲームで、「こんな
まどろっこしいゲームではなく、
10ラックのマッチでどうだ?
1ゲーム10ドル(3,600円→2022
年で約36,000円)で、10ゲーム
総取りならば100ドル(36,000
円→360,000円)だ!」と言う
シーンがある。
そして、街のチンピラハスラーを
すべてリングゲーム5-9の9番落と
しのやり方で速攻で10ゲーム連取
して打ちのめす。多分10分とかか
っていない。
チンピラはびびって100ドル払っ
て逃げるのだが、店の常連客(工場
労働者風)たちに囲まれて、「本物
のプールシャーク(賭場荒らし)に
用はねえ」と両手の親指を折られ
てしまう。よくある話だ。
下手したら、殴り殺されたり射殺
されたりする。
映画『リバーランズスルーイット』
は実話だが、シカゴ大学の教授
マクリーンは若い時に天才フライ
フィッシャーだった弟を酒場の
ポーカー賭博場で亡くした。
拳銃のグリップで殴り殺されたの
だった。
ビリヤード場では、ハッスルの
詐欺行為、賭場専門家の撞球師
が身分を装ってカモる詐欺行為
=プールシャークは殺されても
文句言えないという暗黙の掟が
アメリカ合衆国にはあったし、
今もある。
詐欺かっぱぎ行為は詐取であり、
強盗行為なので、無法者は殺し
てしまえ、となるのがアメリカ
人の発想だからだ。
アメリカの民主主義意識とは、
暴力を背景に自己権益の確保
安寧を得ようとするものだ。
そのため、今でも自衛の為の銃
器保持、携帯が認められている。
「自衛」の為に武器を保持して
よい。
日本は一切法律で禁止。
これはむしろ日本が異常であり、
このシステムは新たに敗戦によ
り作られたものだ。
敗戦までは日本でも誰でも拳銃
を町の銃砲店で買えたし、刀の
登録制度なども存在しなかった。
戦後に日本の武装解除と牙抜き
の為に銃刀法は作られた。市民
の安全の為、などという大デマ
を信じきっている国民は大間抜け
だ。アメリカが日本を支配する
ために無理矢理作られたのが
日本の銃刀法なのである。
日本の警察はアメリカのポチなの
で、日本の元首相が殺されようと
も、真相を突き止めたりはしない。
真相など分かりきっているから。
真犯人と黒幕を捕まえる為には、
またアメリカ相手に開戦しない
ならない。

5-9ゲームの高得点の例としては
1ラックで16点取り=二人からだ
32点。1点100円ならば1ラック
の総取りが1ゲーム3,200円。
そういうのを延々とやる。
昔、売り出し中の来日フィリピン
人のプロプレーヤーが態度マナー
が悪く、くそ生意気なので日本の
撞球師が取り囲んで都内某所で
スボコにしたゲームも5-9だ。
リングは繋がっている。
数人撞きで裏で組まれたら手が
出ない。ボッコボコにした。
次に顔を見せた時に「この台で
撞いていけよ」と言うと首を横
に振って逃げて行った。有名な
奴だが、日本では殺される事は
ないが、本国フィリピンでは
簡単に数万で殺人を誰でも請け
負うのでブルったのだろう。
ブラジルなどは子どもさえ路地
裏ではピストルを持ってる。
サタディナイトスペシャルを。
そして、残念ながら、日本の
プロプレーヤーたちは、全員が
5-9を日常的にやっていたのが
2000年代初頭までの実態だった。
つまり、日本のプロはバクチ打ち
だったのである。
ごく普通に店舗経営者もプロも
「賭け玉をやらないと上手くな
らない」などと世迷言の大タワケ
を当たり前の事であるかのように
言っていた。
『ハスラー』を観ていないのか。
あるいは、観ても理解できない
バカタレなのか。
「残忍なローマ兵」にはならな
いでとサラが願って、失望して
自殺してまで訴えた意味さえ解
っていない。
映画『道頓堀川』では、武内は
息子に言う。「玉撞きはバクチ
や。バクチは己だけやのうて、
周りの者みんな地獄に連れて行
くんや。だからやめいと言っと
るのが分からんのか」と。
バクチは金こそが一番という物
だ。人の尊厳や命など二の次に
なる。バクチは人を人ではなく
する。
だが、つい最近まで日本のプロ
はこれだったのだ。実態が。


金を賭けてなくとも、種目が種目
なのでリングゲームの5-9は玉筋
がとても汚くなる。
コンビ、キャノン、バンク、空コ、
スリークッション、マッセ、ハード
ドロー、押し抜き…。
どんな玉使ってでも5と9を落とし
に行く。台上にある限り何度も。
目的は点数稼ぎだ。ひと玉が玉
ではなく金なのだ。1球が50円
だったり100円だったり、その
4倍、8倍だったりする。たった
1個の玉が。極めて扇情的であり
猥褻だ。ひとつの玉が玉として
不動の価値ではなく、可変して
人間の欲を煽り立てる仕組みに
仕組まれている。ゲームの存在
そのものが汚い。まるでシステム
そのものが詐欺のようなものだ。
マスワリ以外では平玉順取りなど
しない。マスワリでもできる限り
5と9を途中でサイドに入れに行く。
そして台上に戻して、また得点を
重ねる。ワンラックで。

もうですね。
好きではないゲームです。
金を賭けずとも自分でやってて
言うのは何だけど。
心がどんどん濁って行く。
目的は種目の勝負ではなく、
搾り取る事だからだ。
規定ラック先取り勝負は剣道の
三本勝負のようなものだが、
リングゲームは1ラック1点では
なく、いくらでも点数が可変加
算する事がルール上可能なゲー
ムだ。

結局、リングゲームというのは
バクチであり、スポーツとして
正式なビリヤードの種目になら
ない背景が、今更ながらよく分
かりました。
ピン倒しみたいなもん。
5-9、ジャパンの類はスポーツ
たり得ない。
やってもスポーツの持つ清冽な
精神は宿らない。
つまり、人はやらないほうが良い。
人の大切な何かを失う。
そうした性質がゲーム自体に存在
する種目だ。これは物理的に。

映画鑑賞 『野蛮なやつら』(2012)

2021年01月17日 | open
やっぱ、映画観るときゃこれにポップ
コーンだよなあ。
 
ひゃーいいとこ。


とか思ってたら、のっけから、麻薬組織
に首チョンパされた死体がゴロゴロ出て
来る映画だったぁ〜。
しかも、ナレーションの白人女がとんで
もなくへったくそ。
これは超弩級のZ級かも・・・。
しくったか。


シェー・ウィガムがマイケル・J・
フォックスにしか見えない(笑)。


まあ、オリバー・ストーン監督とジョン・
トラボルタの悪役ぶりに期待して最後
まで観ることにしよう。2012年作品。
オリバー・ストーン監督作品ならば、
『プラトーン』(1986年)は絶対に
見逃すなよ、映画ファン。
って、もう観てるだろうけど。
おいらも何度も観た。『ハスラー』程
ではないにせよ。
くっそリアルすぎるのがなんともアレ
だったが。
『プラトーン』で注目すべきは、デビュー
間もないジョニー・デップだ。
主役を食いまくりの天才的演技だった
ので、セリフシーンはすべて大幅に
カットされた。
このベトナム戦争映画は、アメリカでは
黒人が高校に行くのも珍しかった時代
を舞台としていた。
1964年、全米初の大学進学した黒人
女性は白人たちから「猿が人間社会に
来た?」と猟奇的に扱われていじめら
れて自殺した。黒人たちは高校にさえ
進学できないのがアメリカ社会だった。
大規模な公民権運動が起きたのはその
後だが、「公民権」である。黒人はまだ
奴隷の延長と米国白人は見ていたのが
私が子どもの時代のアメリカだ。アメリカ
インディアンなどは奴隷どころか虫以下
の扱いだったし、これは今でもそう
であるのが米国社会だ。黒人大統領は
出たが、アメリカインディアンで大統領
が登場した時、初めてアメリカ合衆国は
民衆の国家となったといえるだろう。
ベトナム戦争の時代。アメリカ合衆国
とは虚飾の「民主主義国家」だったので
ある。
それは今でも全く変わらない。
トランプ大統領を見てみるがいい。
この映画の題名「野蛮なやつら」とは
まさに、トランプのような種族の事だ。
栄誉あるアメリカ合衆国大統領にあり
ながら、暴力で民主主義体制を破壊する。
あれがアメリカ人のアメリカ人らしい
もっともアメリカンな姿なのだ。
彼こそがUSA。彼こそが大統領である。
あんたが大将よりも上だ。
あれを大統領にした米国人民たちは
大いに恥じるべきだろう。
そもそもアメリカ人は恥じることを知ら
なすぎる。
それは、暴力でしか国家を運営できない
未熟で野蛮で粗野で未開な国家作りを
北米人がやったからだ。
アメリカには夢がある。
すべての人種、国家を超えた人々を
受け入れて、そして互いに助け合って
築く国の姿をアメリカは素地として
持っている。
だが、それを壊して我が物顔で専横を
決め込もうとする人間たちが多すぎる。
それがアメリカ合衆国に巣くう「野蛮な
やつら」だ。

1986年、『プラトーン』でアメリカ合衆国

の真の姿を描き切ったオリバー・ストーン
監督は、骨のある映画監督だと思う。
『プラトーン』がなぜ歴史的な作品か。
それは、アメリカの「悪」と「罪」を
アメリカ人自身が描いた初めての戦争
映画だったからだ。
それまでのアメリカ産戦争映画は、
インディアンに襲われた市民の窮地に
騎兵隊がやって来てインディアンを皆
殺しにしてヒャッハ~!いいぞ~!
拍手喝采!の戦争映画ばかりだったから
だ。
すでに西部劇では、その見直しがされた
作品は少数ながら出てきていたが、
アメリカが行なった国家戦争は、アメ
リカによる戦争賛美の作品しか(「しか」
である)存在しなかったのだ。
それは、真実を描くと困る連中がいる
から。その連中が国家的軍需産業を
動かしているから。
アメリカという国は、構造的に10年おき
ごとくらいに国家的戦争をしないと
成立しないシステムになっている。
戦争を起こして参戦できないような
状況ならば自国民を大量に殺害して
でも戦争理由をこしらえる。
そういう国がアメリカ合衆国なのだ。
これは映画ではなく、現実世界の話だ。

そのアメリカに戦争で負けた日本国は

アメリカのポチとなった。
現政府与党、とりわけ自民党をはじめ
とする保守陣営層は、売国奴であり、
全員米国のポチなのだ。
民主主義者ではない。
そして、社共は、旧ソ連・中国の手先
だ。社共のうち「社」は風前の灯だった
が、過去日本では二度政権与党となって
いる。
戦後アメリカが作った疑似民主主義体制
の「予定調和」の体制の中で。
 
ということで、『野蛮なやつら』を観た。
存外面白かった。
しかし、最後が抒情的過ぎる。
「野蛮なやつら」は感傷的な良い意味で
使われていた。
がっかり。
しかし、映画は映画としては面白い。
あくまで映画として。
 

本格科学冒険漫画『20世紀少年』

2020年10月31日 | open


浦沢直樹の『20世紀少年』を全巻最初
から読んでみることにした。
主人公ケンヂは、実社会では私の一学年
上だ。
この作品で語られるテーマは、昭和の心
が全開だ。
平成だが、まだこの作品が公開された
世紀末2000年(物語の時代設定1997年)
当時は、バブル開始前から続く昭和の息
吹、つまり20世紀のハートが世の中にも
あった。
現実世界では、それから20年以上が過ぎ、
世の中は極めて無機質になっている。
それは近未来の事として2000年時点で
本作品でも描かれている。
何が無機質って、人々のマインドが。
これほどエゲツない人間たちばかりが、
大手を振ってまかり通る世の中になると
は、前世紀末の90年代末期には想像だに
しなかった。

科学は発達している。
しかし、人間はどんどんみすぼらしく、
心根が小汚くなっている。時を追う毎に。
これは確実な事実だ。
ネット脳は意図的に作出されたものでは
なかろうか。愚民量産の為に。
だとしたら、まんまと大衆はハメられて
いる。
自らを検証しようともしない、良市民ぶ
った自警団気取りの大衆が如何に危険な
存在であることか。
多分だが、今の時代ならば、この『20
世紀少年』は広く読まれなかったことだ
ろう。
今は、ほぼ全体が「ビリーバット」に本人
たちがなろうとしている時代だから。
というか、「友達」体勢は目に見えない
形で完成しつつあるから。
この作品の本旨を全うしようとしたら、
本当に抹殺される。これは夢物語ではな
く。
「忖度政治」はそれのほんの一つの現れ
でしかない。
この国は「完成」されつつある。
異を唱えて言動を為すと消去される方向
に力学が働き、国民はそれを「善」である
と思い込むように洗脳されている。
現実世界でそれなのだ。
漫画作品の中の話ではない。

作者浦沢直樹は、安倍が首相時代に安倍
を批判的に描いてパージされるうねりが
ネットを中心に生まれた。
確実に「友達」は完成しつつあるのだ。

恐ろしいのはアメリカだ。
浦沢直樹が2000年時点で描いた通りの
自作自演の自国民を殺して事を進める
爆破テロが2001年9月11日に起きた。
よくあそこまで稚拙なねつ造を全世界の
人間が本当にテロリストの仕業だと信じ
るかと思う。全てにおいて嘘まみれだ。
オイルマネーで戦争を開始するために、
アメリカの権力者はツインタワーを攻撃
して、ペンタゴンに無人機を激突させた。
その機とされた本物の旅客機は米空軍が
事前に撃墜している。
ツインタワーへの航空機激突により、関係
ない離れたビルが爆破崩落した。オイル
ネー絡みでビル崩落保険に入っていて、
オーナーは富を得た。
ツインタワーは、航空機激突直前に下の
ほうの階から爆破音が発生し、貿易セン
タービルの鉄鋼が溶解した。航空機燃料
で溶解したと米政府は説明する。航空燃料
でビルの鉄骨が溶解?
笑わせる。
ならば、何故、飛行機突入一週間前に、
地下に見知らぬ集団が特殊部隊の行動の
ような態勢で入って何の作業をしていた
のか。

浦沢直樹の『20世紀少年』で描かれた
世紀末の世界が、現実の世界でアメリカ
で起きた。
そして、アメリカのポチである日本は、
アメリカ程派手なことはせずに、じわり
じわりと手を進めて来た。
手始めに、警察庁内部に警察庁官僚OBか
らも「民主主義を逸脱し過ぎだ」と批判
されたJCIAとも呼べる謀略組織を作った。
そこのメンバーが持つ名刺は「内閣事務
官」という表向きの名刺で、内閣情報調査
室にも出向したりする。国産ロケット打ち
上げにも深く関与している。
活動内容は、世論操作、ネット操作、
芸能関係のスキャンダル作出(世論操作の
一環)、政財界および企業体への作為的謀
略、そして、◼️◼️の実行等々である。
これは、私の想像や創作ではない。

日本は、そういう国になってしまった。