会話
返信先: さん
⇒挨拶としてながくつかわれてきたため、日本語の「安寧」ほどおもい語感がなくなっている。韓国では幼児でも
「安寧!」「安寧!」
と挨拶しあうのである。(^^)
もちろん、そのとき「安寧」などという漢字をあたまにおもいうかべる人はいない。
このように、挨拶など毎日くりかえされる表現は、⇒
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⇒たとえその語源がかたい漢語表現だとしても、言葉としての重みがどんどん失われていく。
日本語の「さようなら」なども、もとは武士などがつかう、おもくかたい挨拶表現だった。
「左様ならば(それでは)おいとまいたします」
この「左様なら」の部分を民衆がまねして、挨拶表現としてひろく⇒
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⇒ひろまったものだろう。
しかし現在日本語人が「さようなら」をいうとき、
「これはもと武士のことばで」
などと語源を思い浮かべる人はまずいまい(^^)
こういう
くりかえし日常つかわれるために形態が変化
せずのこった古語表現
を、わたしはかってに「化石化表現」とよんでいる。
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ことばのシーラカンスみたいなものだ。
どの言語にも化石化表現はあるが、日韓語を比較してみると、どうも日本語のほうが相当におおいように感じる。
化石化表現は現代日本語の文法では分析しにくい。そもそも古語だし、日本では共通語が西の言語から東の言語にうつった時期があることも影響⇒
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⇒している。
おはよう
「はやく」が「はよう」になるウ音便といわれるこの現象も西の言語のものなので、東の言語をもとにつくられた現代日本語文法では分析しにくい。
日本語の非母語話者には、これが「はやい」という形容詞を語源にしているとはわかりにくいのだ(感覚的につかむ人はいる)。
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「韓国語も漢語を多用しているのに漢字を捨てたのはまちがっている」
のようにいうネトウヨがいるが、余計なおせわでしかない。
韓国語が比較的容易に漢字を捨てることができた理由は別に述べている。
言語学の素養もないくせに他国の言語・文字政策を上から目線で安易に批判するネトウヨどもの⇒
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⇒はずかしさ。
無知な人間がそれをさらけだしながら傲慢に他国の言語政策にイチャモンをつけるさまは、みているこちらがはずかしくなるほどだ。
なんどでもいおう。ネトウヨこそが日本のはじだ。
(了)
引用ツイート
しんぺい★심페에
@shimpei_jp
【韓国語が漢字を捨てられたのは何故?】
韓国語も日本語同様に漢語が大量に含まれているのに、なぜ漢字を捨てても大きな支障が生まれなかったのかという問題。
まず
・もともと韓国語は漢語のみを漢字表記し、固有語に漢字を当てなかった
ここが日本語とまず違う。
日本語は「いたい」という⇒
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