ボクが生まれて最初に目にしたのは、当然のようにかしずく彼の姿だった。
『おはようございます、お嬢様。私は貴方に仕える下僕の一人。何なりとお申し付けください』
最初に耳にしたのはそんな言葉だ。勿論、聡明なボクは一言一句違うことなく覚えている。
彼はボクと同じ魔族だった。魔力の海より生まれ、知性と魔導を頼りに構築され誕生する、生まれながらの魔導種族。
この種族に大きな見た目の共通点はない。あからさまに悪魔のような者もいれば、人間という下等生物と代わり映えしない者もいる。残念なことにボクは後者であったけれど、まあ些細な問題だ。
ボクという偉大な存在。魔力の海よりこぼれ落ちる雫のような他の魔族と違い、ボクは魔力の海そのものだった。
この世に偏在する知識が凝集され、奇跡的な確率の末に誕生した、生まれながらの覇者にして統べる者。
【主羅統娘】なんて尊ばれるようになったのも、ボクの偉大な力がそうさせたんだろう。
ネスキス・ルインザルテ・オリエルトが支配者であることは、初めから分かりきったことだったのだ。
だからボクはその尊称と共に、世界の全てを統べるべく行動を開始した。
小さかったんだ。
ボクという存在を前に、最初に下僕を名乗り出た彼は、あまりにも小さくて。だから頭の片隅に追いやって、そのまま無数の下僕の一人になってしまうのも、仕方なかった。
『もう限界です、お嬢様。お暇を頂きたく存じます』
ボクの中で彼の存在が浮上したのは、そう言われた時だろう。無数の下僕に囲われていたボクは、ただ一人こちらを見返す彼の瞳に、ひどい苛立ちが湧き上がったのを覚えている。
どうしてそんなことを言う? 君の主はボクだ。ボクが蔑ろにしようと、踏み躙ろうと、君がボクの物でなくなるなんてありえない。
けれど彼の決意は固いようだった。せっかくこのボクが優しい声でねぎらってあげたのに、彼は頑として辞めると言って聞かなかった。
だからボクは、彼を拘束した。分からせてあげないといけなかった。
ボクに統制できないものなんて、何一つ存在しちゃいけないんだ。
それからの一ヶ月は、いやに生活の質が落ちたのを感じた。側近の下僕に問い質してみれば、あらゆる雑用を一手に引き受けていた下僕がいなくなったからだと震えながら答えた。
それが彼だ。彼はボクが目を向けていない間も、ずっとボクに尽くしていた。まあ、当然ではあるのだけれど、ちょっとだけ気分が高揚した。
彼を監禁している地下室。そこへ鼻歌交じりで踏み込んで、その日の調教を少しだけ優しくしてあげるくらいには、気分が良かった。
一ヶ月後。完全にボクを主人だと理解した彼を、側近の一人に加え入れた。
彼は有能だ。別にボクの側にいてもいなくても働くけれど、ボクが何かを欲しがった時いの一番に献上してくれる。
それがどんな困難な代物でもだ。深海の初衣、天空の瞳、霊峰の落涙、大地の夢。今まで多くの下僕に命じて、けれど欠片も持って帰ってこなかった財宝の数々を、彼は一人で手に入れてきた。
なんとも評価し難いことに、あの威張り散らすトカゲおばさんの鱗や、卑しい勘違い女の髪の一房までも手に入れてきた。ボクが命じたとはいえ、一体どういう手段を使えば入手できるのだろう。
いかに世界の叡智を秘めるボクでも、その方法だけは分からなかった。
初めは蟻のように小さかった彼は、ボクの中でどんどんと大きくなっていった。
一時間以内に三つの世界の最高のデザートを用意しろと要求した。彼は疲労困憊になりながらも成し遂げた。
暇つぶしに呪われた竜王の封印を解いたから倒してこいと命じた。遠見の魔導で眺める彼は無様に転げ回りながらも必死に戦い、成し遂げた。
新しい魔導技術を構築したから整理しておけと命じた。三十万弱の新技術を作ったけれど、彼は変に鋭い科学的知見から分類を見極め、成し遂げた。
なんでもいいからボクを笑わせてみろと命じた。彼は困り果てた顔をして、けれどどこからともなく道具を取り出し……正直、今思い出すだけでも噴飯物だ。彼は成し遂げた。
彼は、実に使える男だった。多くの働きを当然のものとして受け止めたボクだが、やっぱり多少は報いてやらないと気分が悪い。
側近の一人から重役へ、重役からまとめ役ヘ。最終的に常にボクの側にいることを許される執事役、世話役に任命してあげた。
彼は喜んでいた。当然だ、世界の主たるボクの手足となれるのだから、これ以上の喜びはないだろう。無邪気に笑う彼に、ボクもつい頬を緩めてしまったものだ。
それからも彼はボクの側にいて、ボクの言うことを何でも聞いてくれた。
どこか楽しいところに行きたいと言った。彼は「下僕の皆には内緒ですよ」と人差し指を立て、ボクを女帝や聖王が治める世界につれていってくれた。
なにか面白いものが見たいと言った。彼に手を引かれ導かれたのは、かつて世界であった星々が輝く、ボクも知らない極光の夜空だった。
今日のボクの気分に合う服を選べと言った。ずらりと部屋一杯に並ぶ服の森の中から、彼は今日の気分にぴったりの物を選んでくれた。
読書をするから椅子がほしいと言った。彼の返答も聞かず、ボクは彼の手を引いてソファに座らせ、その上に乗って本を読み始めた。
驚く彼が苦笑して、微笑む様が背中越しに感じられた。それがどこか、気分が良くて、そのまま寝入ってしまった時もあった。
ボクに家族はいない。そもそも魔族に家族と呼べるものはない。
生まれた時から、ボク達は一人だ。一人で生まれ、一人で歩み、一人で滅ぶ。そういう風にデザインされている。
きっと神がそうしたのだろう。神は、ずっとボク達を見ているから。知性体をこよなく愛する超越神は、今もどこかでほくそ笑んでるに違いない。
……けれど。きっと父がいたのなら。きっと兄がいたのなら。きっと叔父がいたのなら。こんな気持ちになっていたかもしれない。
彼の手を引いて、彼に手を引かれて、同じ時を歩むボクらは。
血の繋がりはなくても、きっと特別な繋がりはあるんじゃないかって。ボクはボクらしくもなく、そう思ったんだ。
『お嬢様。実はお嬢様に、ぜひ紹介したい人がいるのです』
そんなある日のこと。彼はボクの前に、婚約者だという女を連れてきた。
ボクは理解できなかった。婚約者? 誰の? 君の? ボクがいつ許した?
恥ずかしそうに、けれど幸せそうに笑う君は、何だ? ボクは彼のそんな表情、一度だって見たことはなかった。
何を話したかなんて、覚えちゃいない。ボクは朗らかに笑う彼にまとわりつく虫をどう排除するのか、それで頭が一杯だったから。
彼が■■■を見送って帰ってきた瞬間、ボクは彼を牢屋にぶち込んだ。
そうだろう? 分からせなきゃいけない。彼が誰のものなのか。ボクの許可がなければ、呼吸一つすら自由にしてはいけないんだと、骨の髄まで分からせてあげなきゃいけなかった。
それには三ヶ月も時間がかかった。彼が泣いて、許しを乞うて、それでも何度でも分からせてあげて、ようやくボクの従順な犬になった頃、調教を切り上げた。
もう彼の瞳にはボクしか映っていない。もう彼の耳はボクの声しか届かない。
もう彼は、ボクの下からいなくならない。これまでも、これからも、ずっと、ずっと、ずーっとボクの側にいるんだと、ひどく安心したのを覚えている。
約束したんだ。永遠の約束。ボクと、彼の、二人だけの指切り。
…………なのに、彼は脱走した。ボクに黙って、あの■■■に会いに行ったんだ。
ボクは追いかけた。内心では無理にでもあの■■■を排除しておくべきだったと悔やんでいた。
彼にまとわりつく■■■は忌々しいことに卑しい勘違い女の右腕の身内だった。行きも、帰りも、いつだって、あの■■■の横にはエルフの真祖が控えていた。
まあ、エルフの真祖はいい。勘違い女に騙されているだけの本当の主を知らない可哀想なやつだし、彼にどこか似ていたから。
でもあの■■■は駄目だ。ベタベタと彼にすがりついて、汚らしい淫売の言葉を吐いて。彼に匂いがつくじゃないか、ボクは手を出せない状況に苛立ちを募らせるしかなかった。
たった一回きりだったから、我慢できたんだ。二度目なんて許さない。ましてや彼の意志でそれをやってるなんて、絶対に許してはいけない。
ボクは追いかけ、森の家に入った彼を窓から監視して、目の前であの■■■を肉の一片も残さず吹き飛ばしてやろうとして。
勢いよく抱きしめ、愛を叫ぶ彼に、ただ硬直するしかなかった。
……なんで? どうして? どうしてそんなことをするの? ボクには一度だってそんなことしてないのに。
彼はまるで『家族』のように、あの■■■と抱き合っていた。まるでたった一人の『特別』であるように、泣きながら愛を叫んでいた。
分からない。分かりたくない。理解なんてしたくなかった。目の前の光景を、天才であるボクの頭脳は記憶し、理解し、翻訳する。
彼が泣く。あの■■■が
そして彼は。あの■■■と…………
…………………………………………。
結局ボクは、何をするでもなく戻った。彼にも、あの■■■にも、あの場では何もできなかった。
怖気づいたんじゃない。認めたんじゃない。真っ赤に溶けた鉄のような心の中が、何もない空っぽになってたから、戻ってきただけだ。
少しだけ、時間がほしかった。落ち着くための時間が。そうでもしないとこの身の底から溢れる衝動は、世界の全てを破壊してしまいそうだった。
そんなことは望んでいない。この世界はボクの物だ。壊れたって構いやしない。けれど、彼と共に見た思い出の数々が、この世界には残っている。
それを消し去りたくはなかった。大切な思い出だった。だって彼とボクは。彼と、ボクは…………
真っ青な表情で戻ってきた彼は、ようやく落ち着いたボクが表面を保つと、ごまかして、ウソをついて、さっきのことをなかったことにしようとした。
そうか。そうなんだね。君はそういうやつだったんだ。あの■■■のためなら、ボクさえも欺く、ひどく自分勝手なやつだったんだね。
なら、いいよ。ボクは許そう。君のことも、あの■■■のことも、全部全部許してあげよう。
だから――いいよね? 君から全部を取り上げても。だって君は、こんなにも分からず屋なんだから。
ボクは彼をボクの魔力で作った空間に隔離した。それは外宇宙――世界だったものの残骸が広がる、何もない無が広がる場所に作った。
彼は弱い。ボクに比べれば小さなハムスターみたいだ。こんな危ないところじゃ、一秒だって生きていけない。
だからボクの魔力で空気を作った。ボクの魔力で光を作った。ボクの魔力で足場を作った。
ボクの魔力で、小さな世界を作った。
そこはボクと彼だけの箱庭。彼はそこで、ボクの魔力から作った物を食べて、ボクの魔力から作った物を使って、ボクの魔力から作った物で眠る。
何もかも、全てが、ボクだけで完結した世界。彼はそこで一生を、死んでも、死んだ後も、ずうっと過ごし続けるんだ。
ボクは笑った。もうこれで、誰にも邪魔されることはない。女帝でも、聖王でも、ここに干渉することはできない。
彼はもう、ボクの手のひらから出られない。その事実が、たまらなく嬉しかった。
それから、ボクと彼だけの日々が始まった。
苦労は果てしなく多かった。彼は本当に分からず屋で、来る日も来る日もあの■■■のことを叫んだから。
ボクは分からせてあげた。君にはボクだけなんだと、君にはボクしかいないんだと、時に優しく、時に厳しく、根気強く言い聞かせた。
けれど彼は分かってくれない。最初からボクの物だったくせに、自分からボクの物になったくせに、彼はボクを見ようともしない。
許せなかった。苛立たしかった。力加減を間違えることが何度もあった。
その度にボクは彼に謝って、治してあげて、優しく微笑んであげてるのに。彼から返ってくるのは、虚ろな表情だけだった。
『■■■に会わせてくれ』。やがて彼はそれだけを呟くようになった。何をやっても、どれだけ囁いても、彼はそれだけしか言わなくなった。
ボクは進退窮まった。もうどうしようもなかった。知識にあることは全部試したのに、彼はボクを見てくれない。どうしたら分かってくれるのか、もう何も分からなかった。
そんなどうにもならない感情をぶつけるように、彼に厳しくして、優しくして、けれど何も変わらなくて。一向に良くならない状況に、ボクは思わずあの■■■のことを罵倒した。
そうだ。全部あの■■■のせいだ。あの腐り落ちた肉に集る蛆虫みたいな■■■がいるから、こんなことになった。ボクは感情に任せてそれを吐き出して――ハッと、あることに気づいてしまった。
あれだけは、試していない。あんな■■■と同じことはしたくなかったから、ずっと避けていた一つの行為。けれどもう、ボクにはそれしか残されていなくて。
ゴクリと、喉を鳴らして。決心したボクが彼が選んでくれた服を脱いでまたがった、その瞬間。
彼の反応は、激烈だった。
『!? いけません!? それだけはなりません、ネスキス様……!!』
うつろなままだった彼は、急に生気を取り戻してボクの名前を呼んだ。
やっと、やっとだ。ここにきてやっと、彼だけに許したボクの名前を呼んだ。それが嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて。ボクはもっと名前を呼んでほしくて、行為を続けようとした。
彼は止めた。泣いていた。どうしようもなくなったボクが引かないと悟ると、長い沈黙のあと、あの■■■を捨てると宣言してくれた。
やった、やった、やった! ボクは思わず飛び上がりそうだった。けれど、だめ、だめ。はしゃいじゃいけない。この前みたいにボクを騙している可能性もある。慎重に、入念に、確かめる必要があった。
問いかけるボクに彼は頷いた。ボクの物になると、ボクの物になりたいと、その口で、自分から、そう言ってくれた。
ボクは歓喜した。ああ、これでやっと、元に戻れる。ボクと彼、二人で過ごしたあの関係に。あんな■■■なんて初めからいなかった、『家族』のような関係になれる。
ボクは彼を許してあげたかった。もういいんだよと、自由を与えてあげたかった。
けれど嬉しくて、全身を駆け巡る喜びの感情は、ボクの背中を簡単に押して。
気がつけば。ボクは彼の絶望を優しく撫で回しながら、一つになっていた。
全てが終わった後、ボクは彼の服を抱きしめて、微笑んでいた。
だって、彼から求めてくれたのだ。最初はボクからだったかもしれないけれど、最後には彼からボクを求めてくれた。
心が満たされていた。ボクはその時、生まれて初めての満足感を抱いていたかもしれない。
そしてそれは、永遠だ。これからボクは、彼とずっと、この幸せを噛み締めながら歩んでいくんだ。
そう思うと、笑顔が抑えられなくて。ボクは笑いながら、もう少しだけこの一時を楽しみたくて、彼を置いて立ち去った。
次の日の朝。ボクは一人っきりの寒々としたベッドで目を覚ました。
やっぱり彼がいないと駄目だ。彼はいつもボクと添い寝してくれたから、それがないと違和感がすごくて、寂しくて、嫌になる。
だから彼に会いに行こう。そう思うと自然と笑みが零れて、ボクは気分良く彼のいる空間への道を開いた。
今日は何をしよう。本を読んでもらおうか、一緒に映画でもみてみようか。お出かけ……は、まだ無理だから……そうだ! またあの行為をしてみようか!
きっと彼も喜んでくれるだろう。だって普段はボクの言いなりばっかりの彼が、自分から犬のようにボクを求めてくれるんだ。だったら主として、ボクには応える義務がある。
そうだよね? そうだとも。自問自答して、満点の回答を貰ったボクは、満面の笑みで彼のいる世界へやってきて。
一目で、事切れていると分かる彼に、全ての思考を停止した。
「……………………ぇ?」
嘘だと思った。冗談だと思った。だって、こんなの嘘だ。偽物だ。
彼が死んでるはずがない。彼が死んでるはずがない。彼が死んでるはずがない。
「…………や、やだなぁ。どうしたん、だい? そ、そんな、ところ、で、寝転んじゃって、さ……」
ふるふると首を振りながら、ボクはよたよたと彼に近づく。足がもつれそうだった。でも、一秒でも早く彼のもとへ辿り着きたくて、そんなこと構っていられなかった。
「ほ、ほら! 起きたまえよ! も、もう朝だよ! 良い子の寝る時間は、お、終わったんだ!」
彼の側で膝を落として、震える手で揺り動かす。そうしたらきっと彼は起き上がって、『すみません、お嬢様。寝過ごしてしまいました』って申し訳無さそうに笑うんだ。
ずっとそうだった。ずっとそうしてきたじゃないか。今更、変わるなんて、そんなのありえない。そんなの、あり、えな…………
ごろりと、彼の体が転がる。ボクの方に向いた顔は、ただただ苦痛の痕が見て取れて。
光を宿さない彼の瞳には、だらりと汗を流す、ボクの引きつった笑みしか、映っていなかった。
「ぁ……ぁあぁ……ぁああああ……うわぁああああああああああああああああああ!!!」
ボクは、絶叫した。正気も品性もかなぐり捨てて、彼の体にすがりついた。
彼の体はゾッとするほど冷たく、硬かった。もう二度と動かないんだと言外に証明するように、押しても引いても何の反応もしなかった。
ボクは泣いた。泣き喚いた。生まれて初めて流す涙だった。
それでも彼は、起きてくれない。ずっと事切れたままだ。もう何度も、何度も、蘇生術をかけてるのに、彼はずっと動かなかった。
「なんでっ! どうしてっ! 起きろ、起きろよぉ……!
約束したじゃないか! ずっと一緒にいるって、ずっとボクの側から離れないって、約束したじゃないか! なのになんで、君は、こんな……!!
お願いだ、起きて、起きてくれよぉ……!!!」
ボクは泣き叫ぶ。彼は動かない。どんな蘇生術を使っても、その瞳に光が戻ることはない。
ふと、ごろりと動いた彼の手に、一枚の紙切れが握られてるのが見えた。とっさに取ったボクは、必死でそれに目を通す。
何か手がかりがあるんじゃないかと思った。何か彼を、彼を蘇らせる手段が、この地獄から抜け出すための手がかりが、なにか――
『ネスキス・ルインザルテ・オリエルト様へ。
先立つ不孝をお許しください。私は私を許せなくなりました。
彼女を裏切り、貴方をも裏切った。私にはもはや、生きていく資格などないのです。
どうかお体を大切に。私に一時の夢を許したことは、どうかお忘れください。それはとても、大切なもの。私ごとき存在に、捧げて良いものではないのです。
そして約束を果たせず、申し訳ございません。どうか私を呪ってください。どうか私を憎んでください。どうか私に囚われぬよう……最後に伏して、願います。
叶うのなら、■■■へお伝えください。
愛していたと。許してくれと。……幸せになってほしいと、お伝えください。
さようなら、親愛なるお嬢様。ただ一人の下僕から、たった一人の大切な方へ』
「ああ……ああああああ……ああああああああああああああ…………」
広げた小さな紙切れに、ボタボタとボクの涙が落ちる。
違うんだ。そうじゃないんだ。ボクが君に願ったのは、こんなことじゃないんだ。
ずっと一緒にいたかったんだ。ずっと側にいてほしかった。ずっとずっと、何があっても、ボクの『家族』でいてほしかったんだ。
こんなこと、望んじゃいない。望んでいない……君は何も、何一つ、悪いことなんかしてないのに。
ボクは彼の体にすがりつく。冷たい魔力の塊は、もう何も答えない。
「ごめん、ごめんよぉ……! 知らなかったんだ……! こんなつもりじゃなかったんだ……!
ボクは、君が大切でっ、ただずっと一緒にいたくてっ……! 悪いのはボクだ、ボクだったんだ……!
君がこんなことをする必要なんてなかったのに……! ボクが追い詰めた……!! ボクが君を、殺してしまった……!!!
ああ……いやだ! いやだよぉ……ボクを、一人にしないでくれ……お願いだ、頼むから……ボクを、一人に…………」
言葉の続かなかったボクは、えぐえぐと泣くことしかできなかった。
全部、ボクのせい。全部、ボクの自業自得。好き勝手に彼を縛って、追い詰めて、その結果が、この様だ。
もう、何も元には戻らない。全部ボクが壊してしまったから。
もう、彼は帰らない。ボクが全部、断ち切ってしまったから。
すがりつく、すがりつく。動くことのない彼の骸に。ボクは延々と、延々と、ただ、それだけしか――――…………
――――いる。
流れ込む。流れ込む。いつものように、世界からボクへ。
――――ている。
たゆたう。たゆたう。叡智の雫が、染み込んでくる。
――――生きている。
光る。光る。明滅する智慧が、暗闇に閉じ籠もるボクを照らす。
――――彼は、生きている。
世界の叡智が凝集するボクの頭脳。そこへ、新たなる情報が――――
「――――!!!」
彼の骸に顔をうずめていたボクは、覚醒した。がばりと顔を上げ、生まれた時から持ち合わせるボクの権能を回転させる。
座標、不明。時刻、不明。情報、相違。魂魄、一致。
ホタルのように揺らめくだけだった光が加速し、集合し、天の川のように流れていく。その中からボクは、彼に関する知識を集める。
生きている。生きている。彼の魂が、どこかにある。違う肉体に、けれども確かに、彼の魂は世界にある。
世界の叡智がそれを教えてくれた瞬間、ボクは立ち上がった。そして彼の骸を魔力へと還し、吸収する。
ボクは彼が、何らかの肉体に宿り生きていると
けれど、大切な、大切な、彼の体だ。だから、吸って、飲み込んで、全てをボクの一部にする。
「…………ねえ。君はまだ、そこにいるんだね……?」
歩き出す。歩き出す。ふらふらと忘我のように、けれど確かな目的を宿して。
「今度は、間違えないから。今度は、良い子にするから。今度は、絶対に……君を離さないから」
そうしてボクは、世界へ飛び出す。小さな箱庭をそのままにして。
いつか、必ず。彼とここへ、帰るために。
「だから、約束だよ? ずーっとボクを、離さないでね?」
希望の光へと進むボクは、涙の痕が残る顔を笑みで歪めた。