【12日午前】

 TBC東京が復旧作業に没頭している間、災害対策本部は情報伝達とロジスティクスの整備に注力している。12日午前に社内イントラネットに災害専用掲示板を設置、アップされた情報の中でも重要度の高いものは営業スタッフが使う携帯端末に転送された。

 情報の伝達はトップダウンが基本。営業所からの個別の問い合わせを原則として禁止した。災害対策本部が重要と判断した情報を掲示板などで伝える形式を最後まで貫いた。理由は、災害対策本部の意思決定を速め、現場の負担を軽減するためだ。

 災害時には、ややもすれば、被災状況や在庫の状況など不要不急の情報が現場と対策本部の間に飛び交う。だが、現場でイレギュラーな雑務が増えるほど、本業に割く時間や労力が減ってしまう。それで、医薬品の配送が滞るのであれば本末転倒だろう。

 さらに、TBC東京やTBC大宮の円滑な配送を支援するため、政府との調整にも奔走している。

 12日午前中には、業界団体を経由して、厚生労働省に緊急車両通行証の交付を要請。15日には被災地での不足が懸念されていた鎮痛剤(モルヒネ)の県境を越えた運搬を認めるよう厚労省に求めた。この要請は同日中に認められている。

[画像のクリックで拡大表示]

【13日午後9時00分】

 災害対策本部と物流センターによる連携の成果だろう。13日午後9時に医薬品と救援物資を混載した2台のトラックが東北地方に向けて出発した。翌14日午前7時30分には福島営業所に到着、午後1時30分には宮城県内のすべての営業所への納品を終えた。地震発生から71時間が経とうとしていた。

阪神・淡路大震災の苦い経験が糧

 東邦HDは、平時から震災やパンデミック(世界的大流行)などの非常事態に備えて独自の仕組みを構築してきた。例えば、基幹システムがそうだ。

 メーンシステムは東京に置いているが、大阪にもリアルタイムで同期している非常用システムがある。物流システムにも同じような仕組みを採用しており、TBC本宮が被災した際に、すぐにTBC東京とTBC大宮に受発注データを切り替えられたのはこのためだ。

 こういった仕組みを整備したのは2006年のこと。その背景には阪神・淡路大震災の苦い経験がある。

 阪神・淡路大震災ではある営業所が機能した一方、被災した営業所が機能しないというケースが多発した。当時は営業所同士で機能を補完するという仕組みがなく、片方で普通に納入しているのに、隣の営業所では発注さえもままならない状況に置かれた。

 さらに、地下鉄サリン事件でも貴重な経験を積んだ。この事件では突如として大量の解毒剤が必要になったが、営業所には在庫がほとんどなく、あわてて各地からかき集め、対応した。

 その経験もあって、同社は都心の営業店で6~7日、地方では12~15日分の医薬品を備えるようになった。今回の震災でも営業所への納品こそ2日遅れたものの、病院への供給責任はほぼ果たせた。一般的な効率化とは一線を画す備えが奏功したと言える。

 もちろん、道路が寸断され、物理的に供給できない地域も多く残される。そうした地域では、自衛隊に運搬を託すなど、あらゆる方策を探る。供給責任をあきらめることはない。

次ページ 燃油さえあれば蘇る