今日で東日本大震災の発生から12年を迎える。2011年3月28日号の緊急特集「3・11 企業がすべきこと」の中からいくつかの記事をピックアップし、日経ビジネスが当時の企業の動きをどう捉えたのかを振り返る(記事中の肩書きやデータは記事公開日当時のものです)。

津波で冠水した茨城県大洗町の大洗港。港湾施設などが水に漬かり、企業活動に大きな影響が出た(写真=共同通信)
津波で冠水した茨城県大洗町の大洗港。港湾施設などが水に漬かり、企業活動に大きな影響が出た(写真=共同通信)

目次
あの日、日経ビジネスは震災をどう伝えたか?
エネルギー不足が日本を襲う 電力不足長期化、復興のネックに
広がる原発被災の影響 東電を待つ次なる危機
全国に広がる資金難 期末の中小、資金繰りに強震

被害が広範囲に及んだ東日本大震災。企業は状況把握すらままならない事態に直面した。混乱のさなか、生命線となる医薬品と食料を被災地に送り届けた2社の苦闘。医薬品卸の東邦ホールディングス(HD)とコンビニのローソンはその時どう動いたのか。


東邦ホールディングス
薬不足にはさせたくない

【3月11日午後2時46分】

 その時、東邦HDの松谷竹生取締役はグループ営業責任者会議を終えて自室に戻ったばかりだった。

 突然、強烈な揺れが襲う。「窓とドアを開けろ」「社長を屋外に避難させろ」。今まで体験したことのない震動に叫び声が響く。

東邦ホールディングスは地震の直後に災害対策本部を立ち上げた。鉢巻きの男性が松谷竹生取締役
東邦ホールディングスは地震の直後に災害対策本部を立ち上げた。鉢巻きの男性が松谷竹生取締役

 危機対応の責任者だった松谷氏は、その場で災害対策本部を立ち上げると、宣言した。「被害状況の確認を優先せよ」。総務スタッフは最寄りの公衆電話から関東以北の支店や営業所に連絡を取り続けた。

 その初動の成果だろう。震災から42分後の午後3時28分には各営業所の状況を把握、午後4時21分には被災地に近い福島県本宮市の物流センター(TBC本宮)の被害状況も届いた。TBC本宮は天井が落ち、建物内部は人が入れる状況にはない、という。

 TBC本宮のカバーエリアは福島、宮城、山形と特に被害の大きい地域。しかも、医薬品は被災地が最優先で必要とする物資であり、配送の遅延は人命を左右する。災害本部はすぐにTBC本宮に入っていた注文を、被害が比較的少ないTBC東京とTBC大宮に振り替えることを決めた。

【午後6時00分】

地震直後のTBC東京。散乱した医薬品を丸1日かけて棚に戻し、13日午後7時には出庫
地震直後のTBC東京。散乱した医薬品を丸1日かけて棚に戻し、13日午後7時には出庫

 その頃、東京・八潮にあるTBC東京は独自の動きを始めていた。スタッフや建物の安全を確認した有留逸郞・物流本部長は医薬品が散乱した倉庫の復旧作業に着手、同時に東北向けのトラックの手配に動いた。

 同社では、物流センターが機能を止めた場合、別のセンターが代替する決まりになっている。TBC本宮の代替はTBC東京とTBC大宮。事実、翌12日にはTBC本宮の発注データがTBC東京とTBC大宮に流れた。

 もっとも、復旧作業は煩雑を極めた。TBC東京の在庫は2万種を超える。周囲に散乱した大量の医薬品。生命に関わる以上、並べる棚を間違えるわけにはいかない。その証拠に、不眠不休で棚の復旧作業を続けたが、すべての医薬品を並べ終えたのは丸1日後の12日午後3時、営業所ごとに製品を分ける出庫作業まで終わったのは13日午後7時だった。

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