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第一章
バッドエンドフラグを叩き折れ 6

「具合が悪くて寝込んでたって?」

私と並んで歩きながらイザークは言った。

「なかなか熱が下がらなかったので」

「レミリアでも熱とか出すんだな」

イザークが感心したかのように頷く。どういう意味?


イザークの口調はいつも気易い。


新興貴族の次男が、旧とはいえ王族の総領娘と話すなら、もうちょっと遠慮があっても良さそうなものだけど、レミリアの記憶でも、それから私のゲームの記憶でも、イザークは誰に対しても(へりくだ)る、とか物おじする、とかが一切なかった気がする。

無神経なのか器が大きいのかは分かりかねるけれど……両方かな。


「酷い事故だったな」

訳知り顔のイザークの様子からすると、私の事故が誰かの差し金と言うことも、はたまた、私を颯爽と救ったシンを母上が無下に扱ったことも、全て知れ渡っているんだろう。


イザークの父上であるキルヒナー男爵は身分はそれほど高くないが、先代国王の子飼いの将で王宮内にはそれなりの影響力を持つ。

イザークも王宮の話には詳しいはずだ。

私は聞いた。


「キルヒナー様は、陛下がどれくらい怒ってらしたか、ご存知?」

イザークはちょっと口元を緩め、思い出したかのように笑う。


「文字通り、頭から湯気出して怒ってたって」

うわぁ……。

「そんなにですか?」


私は思わず足を止めた。

イザークはちょっと眉をよせ、苦笑して見せた。


「ヴィンスが適当に扱われただけなら、またいつもの小競り合いだったんだろうけどなぁ。シンを門前払いしたりするから」


でしょうね。

国主にとって竜は権力の象徴だ。

その彼を無下に扱われては、陛下は面子を潰されたと怒ってみせる必要がある。

それに、とイザークは片目をつぶってみせた。


「陛下はシンに甘いから」

「そうですね……」


私はそれにも同意した。


ご自分にも臣下にも、それから、王女殿下にも厳しいベアトリス女王は、甥の竜公子に大層甘い。


王宮に連れて来られたシンがあまりに無垢で俗世間に塗れていなかった事が珍しく、可愛らしかったこともあるだろうけど。

噂では、ベアトリス女王とシンの母君は若い頃交流があり、大層懇意であったとか。


権力の中央に位置する妹と、社会から交わりを絶った集団で生まれ育った姉と。

どんな関係だったのかは想像しがたかった。


「陛下はレミリアの母上に大層お怒りだったけど。本人がいないんじゃね。……いかなヤドヴィカ様といえども、陛下の勘気を被るのは恐ろしかったんだな」

イザークが軽口を叩く。

「ええっ?」

「ほら、珍しく舞踏会を欠席されているから」


なるほど、そういう風に見られるのか。

私は曖昧に頷いた。

実際のところ、母上は今日も舞踏会に来る気満々だったのに、私に薬を盛られて今頃腹痛とトイレとお友達なだけなのだが、後悔して屋敷にいる事にしておこう。

その方が陛下の心証もよいだろうし。


はたして、母上に陛下を恐れる、とか、政治の駆け引きであるとか、そういう概念はあるのだろうか。

母上が持っているのは、良くも悪くも裏表なく好悪の感情だけな気がする。

陛下がお嫌い。だから陛下が慈しむシンも嫌う。憎んでいても、目的の為に仲の良いふりをする、などという芸当は死んでも出来ない人だ。


「レミリアがここに来たって事は、陛下も許して下さったんだろ。何したんだ?」

私はちょっと首を傾げて見せた。

「さぁ?もう一度、きちんとシン様にお礼を申し上げただけですわ」


まさか、賄賂と父上の色仕掛けに陛下が気を良くしてしてくれました、とは言いづらい。


イザークは事の次第をシンから聞いていそうなものだけど、深くは聞かずに、深い色の瞳を楽しげに瞬かせた。


「大事にならなくてよかったな」

「本当に」


サロンの奥には、大きな扉があり、扉の横には衛兵が控えている。

私達が扉を開けると、視界に飛び込む色鮮やかな緑と花達。


(ローズ・ガーデン…!)


私は内心でパチパチと手を叩いた。

作中、ヒロインがいつもいる、彼女のお気に入りの場所。王宮内の一画に設けられた温室には、女王ベアトリスとその娘が愛する様々な品種の薔薇たちが所せましと咲き誇っている。

高い骨組みをされた天井は硝子張りで、薔薇の生育に必要な日照が十分に取り込まれるように設計されている。キラキラと降り注ぐ柔らかな光が、美しい庭の植物達を、もっと輝かせている。


(き、綺麗っ……!)


きゃーきゃーと叫びたい心地で(やらないけど)私が立ち止まって温室内を見渡していると、奥にこしらえられたアーチの下に座っていた三人が顔をあげた。


あれ?王女殿下は、いない。


「レミリア!」

三人のうち一人が手をあげる。

シンだ。シンは、たっと席をたつと私のところまで歩いてきて出迎えてくれた。

ああ、この気遣い。従兄のヘンリクにも見習わせたい。


「レミリアとザックだけ?ヘンリクは一緒じゃないのか」


やっぱり私とヘンリクってセットなんだな。


「ええ、急な足痛で」

「足?おなかとかじゃなくて?」

「最近、よく痛むみたいですの」


シンが目を丸くした。

私が適当な言い訳をする横で、イザークが肩を震わせている。

シン様には私がヘンリクの足を踏ん付けた事を言うなよ、キルヒナー!


「殿下はご不在ですのね」

「うん、入れ違いで陛下の所に行った。レミリア紅茶飲む?何がいい?」


シンが指差した先のテーブルには二人の人物が腰掛けて談笑していた。

一人は予想通りヴィンセント・ユンカー。もう一人は子爵令嬢のマリアンヌ・フッカー。王女と一緒に行儀見習いをしている殿下と同い年の少女だ。

両名とも、新興貴族の子女でレミリアとは当然、仲は悪い。

私は首を横に振った。


「殿下がご不在なら、また後でご挨拶に伺いましょうか」


ゲームの中ではヴィンセントもマリアンヌも頼れる仲間だったけど、それはあくまで私がヒロインだったからだ。

レミリアに対するあたりは二人ともきついので、顔を付き合わせてお茶を囲むのは、ちょっと気が重い。

シンは首を傾げた。


「あいつ、すぐに戻るから、こっち。カップって白でいいか」


えええ!シン様、ぜんっぜん空気読んでくれない!

って殿下をあいつ呼びですかぁ、お親しいですわねぇ…。

陛下とシンの可愛い交流に画面の前で転げ回っていた王道カプスキーとしては二人の仲良しな様子など、つぶさに観察したくはあるが!私はいま、レミリアですので、純粋に楽しめないといいますか。


どうしようと視線をあげた先、今気づいたかのようにヴィンセントとマリアンヌが私をみた。

無感動な二対の冷たい瞳に、胃がキュっと痛む。


(やっぱり、や、やめとこう)


仲良し夫婦を眺める横で胃に穴が空きそう。

断りの言葉を口にしかけた私の手を、横にいたイザークが取った。


「足元がよくないから、転ばないようにな」


ぎゃ――!!余計な事をっ!


「……ありがとうございます」

絶対私の心情を分かってやってんな。

イザークが面白がってるのが、すました横顔の笑った目でわかるよ!!

しかし、彼の好意を無下にし、手を振り払って逃げたら、王女殿下一派と、また妙な敵対フラグが立ちそう。

私は口元を引き攣らせながらテーブルへ引きずられて行った。


「シンに付き合ってやってよ。あいつ、今、茶を入れるのに凝ってるんだ」

「お茶をご自分でですか?」

「陛下はお茶が好きだろう?シンがそれを知って、陛下の先日の誕生日に自ら入れたらしいんだけど」

「お上手なんですか?」

イザークは笑った。

「素晴らしく渋い茶になっちゃって、陛下から大不評だったらしい。あいつ悔しがっちゃって、今美味しいお茶の入れかたを練習中なんだ」

「まあ」

なんだか大変可愛らしいエピソードだな。

「俺達はもう、三杯飲んだから、レミリアもノルマは三杯な」

ゆっくりしていけ、という事なのだろう。

イザークも気を使ってくれている。

私は不承不承頷いた。

シンもイザークも、それから王女殿下もいるし、ヴィンセントやマリアンヌも彼等の前で私に冷たくあたるような、空気の読めない人物ではない、と思うけど、どうかなぁ。


ゲームと違って、まだ皆子供だからなー。


私がイザークに連れられてテーブルへ着くと二人は立ち上がる、マリアンヌが私に向かって、礼儀正しく頭をさげた。

「ごきげんよう、マリアンヌ」

「レミリア様。今日はヘンリク様はご一緒ではないのですね」


ここでもセット販売……。

私は内心うんざりしながら、マリアンヌに笑いかけた。


「持病の発作が…」

発作?とマリアンヌが首を傾げた。そう、甘ったれで無礼という死ぬまで治りそうにない持病の発作!

「ヘンリクは、レミリアに袖にされて、向こうで拗ねてる」

イザークが喉を鳴らし、それまで私を見もしなかったヴィンセントが私に視線を寄越した。


「ごきげんよう、ユンカー様。さきほどお会いしましたけれど」

「そうですね」


ヴィンセントの態度がちょっと硬い。この分だとヘンリクの異国人という悪口が聞こえていたんだろうな。

ヴィンセントはユンカー卿がおさめる西南の領土で生まれたという。この国では珍しい、少し浅黒い肌。

現代日本で生まれ育った私にはそこまで珍しいものではないが、この国は殆どがヘンリクのような生粋の白人で構成されている。

自分と違う、ということはヘンリクにとっては何でも攻撃の対象になるんだろう。

従兄の無礼を謝ろうかと思ったが、結局やめた。私はあの場でヘンリクの言葉に同意しないまでも訂正しなかったし、皆がいる場で異国人云々は……ここのいるメンバーは誰もそんなことを気にしないと思うけど、彼のプライドを傷つける気がする。


「殿下にご挨拶したら、またヘンリクの所へ戻りますわ」

私が言うとヴィンセントが溜息をついた。

「ノルマは三杯なんでしょう?」


多分、ちょっと私にも怒っているだろうヴィンセントはそれでも私を許すことにしたらしい。どうも、先日から身内が本当に無礼で……申し訳ない。


「どうぞ」

シン手ずから入れてお茶を自分で運んで来てくれた。

お茶は、綺麗な色と、芳醇な香りがしている。にこにこと笑いかけられて、私もつられて笑い、カップに口をつけ…


「……まっ」

「どう、レミリア?」

「…ま、まあまあだと思います、シン様」


私は表情筋を総動員して嘘をついた。

シンがいれてくれた紅茶は……。


(まっっず――――!!)


なにこれ、渋っっ!!どうやったら王宮御用達の高級茶葉でこれだけまずくなるわけ?!

こりゃシンを溺愛する陛下にも不評なわけだわ。シンはにこやかに私に尋ねた。


「そう、お代わりいる?」

「いえ…!」


断ろうとした私の横で、ヴィンセントが私にだけ聞こえる小さな声で、ノルマ、と囁く。

く……。仕方ない。


「後で、……いただきます」

私は顔を引き攣らせて頷いた。


ヘンリクをおいて来るんじゃなかった。

全部あいつに飲ませればよかった。私がニコニコと笑うシンに見つめられながら奇妙な液体と格闘していると、温室の扉が開く音がした。

振り返ると、白い薔薇を両手に抱えた背の高い少女が立っていた。


「フランチェスカ!」


シンが親しみを声に乗せ、「彼女」の名を呼ぶ。

私は慌てて席をたつ。


父上が丹精した新種の薔薇を抱えた少女は、艶やかに私達に笑いかけた。


そこにいたのは、ベアトリス女王のご息女。

王太子フランチェスカ、その人だった。


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