颯爽と姿をあらわしたその人は、私にニコリと微笑みかけた。
「入れ違いだったみたいだね、レミリア。いらっしゃい」
「お邪魔しております、殿下」
私はスカートをつまんで膝を折る。
背の高い彼女は白い薔薇の花束を抱きしめたまま、その美しい面を綻ばせた。
髪の色は豪奢な金。
まるで設えたかのように真っすぐに落ちる美しい糸は、背中へと無造作に流されているだけだったが、精巧な刺繍とレースで彩られた紺青のドレスが霞むほど美しく、私の目をひいた。
王女は、私のように寝起きに癖毛で困ることなどないんだろうな。
感嘆とともに、楽でいいだろう、とひどく現実的な事を思っていると、瞳同士がまともにかちあった。
水色の瞳は、旧王族の血を引く人々に多く出る特徴だが、王女のそれは、私よりも透明度が高いように感じられる。
陶器の人形のような頬には、ごく薄くそばかすが浮いていて、……それがようやく、彼女も息をする人間なのだ、と私達に思い出させる、数少ない要素だった。
美少女だな、とつくづく思う。
教会にある聖女の像でさえ、王女の前では無機質な石の置物に過ぎない、とは巷の噂だが、私もそう思う。
それから、会う度に思うことだけれども、父上とフランチェスカはとてもよく似ている。
陛下と父上は従兄弟同士だから不自然な事ではないけれど、レミリアが……、「私」が王女に抱くコンプレックスの遠因は、敬愛する父上に、娘よりも又従兄弟のフランチェスカがよく似ているという事な気がする。
王女は私よりも三つ上だから、さすがに父上が王女の実の父親だと言うことはないと思うけれど……十二歳の時の父上が父親っていう可能性は、さすがに……。
……さ、さすがに可能性はないよね?
「夜明けを、母上から分けてもらって来たよ」
フランチェスカ王女は、私達に嬉しそうに報告する。
「綺麗でしょう?嬉しいな」
王女はどこか少年めいた言葉使いをする。
白い花に顔をよせる麗しの王女に、マリアンヌとヴィンセントが少し表情を緩めた。
イザークは表情を変えず、シンは席を立った。気を利かせて紅茶を注ぎに行ったのだと思う。
(王女からの好感度をあげるには、お茶は逆効果な気がいたしますよ、シン様……)
シンのとんちんかんな行動に同情を込めた視線を送っていると、王女が私に礼を言う。
「レミリア、お花をありがとう。ここにも飾っても構わない?」
屈託なく礼を言われ、私はええ、と応じた。
「陛下とシン様に父が差し上げたものですから。どうか、殿下のお好きになさってください」
うん、と満足げに笑うと、王女は、マリアンヌに花束を渡し花瓶にいけるよう頼み、それから思い出したように彼女を呼び止めると一輪抜いた。
王女の髪にでもさすのかな、と言う私の予測を裏切って、ユンカー卿の養子へと近寄る。
「ヴィンセントにも、カリシュ公爵の秘蔵の薔薇をわけてさしあげよう」
ヴィンセントは面食らったようだったが、王女は気にする様子もなく、茎を短く折ると、彼の黒髪に刺した。
存在感のある薔薇が、左耳の上を飾る。
特段女性的な容姿ではないヴィンセントなのに、妙に似合っていて、おかしい。
「……殿下、私は女性ではないので、髪に花は不要です。殿下の髪に飾られたほうが…」
困ったようにヴィンセントが視線をさ迷わせる。
「薄い色の髪よりも、ヴィンセントの黒髪のほうが白い花はよく映えるよ。ねぇ、イザーク」
イザークはニヤニヤと笑っている。
「ええ。……って、俺には花、くれないんですか、殿下」
黒髪なのに、と拗ねるイザークの軽口に王女は肩を竦めた。
「諦めろ、イザーク。これはヴィンセントが私のハトコ殿を救った褒美だ。よくやった。褒めてつかわす。……ねぇ、レミリア?」
私はえっ、と声をあげて王女を見る。
悪戯っぽく王女の目が煌めいたので、私は内心苦笑しながら頷いた。
「先日は危ないところを、ありがとうございました、ヴィンセント様。それから、母のご無礼をお詫びいたします」
私が頭を下げると、ヴィンセントは困ったように視線を落とし、ややあって溜息をついた。
「お礼も謝罪も、二度は不要ですよ、レミリア嬢」
おや、と王女が眉を動かした。
ヴィンセントは肩を竦めた。
「さきほど、レミリア嬢から丁寧なお詫びをいただきました」
「なんだ、もう二人の間で話はついていたのか。余計な事をしてしまったかな?」
私がいいえ、と首をふると王女はよかった、と目を細める。
ヴィンセントは私をちらりと見て、お怪我がなかったようでよかった、と言ってくれた。
彼の私や私達一族への嫌悪が消えたとは思わないが、殿下にこうまで言われては謝罪を受けいれないわけにもいかないんだろう。
とりあえず私はほっとした。
席に着くように促され、なんとなく間が持たずに目の前にある紅茶に口をつけ……。
「…………っ、っ、っ!!」
口をつけるんじゃなかったあああ!
これが、激渋マズ紅茶だったのを忘れていたよ!!
下唇を噛んで苦味をやり過ごしている私を横目でチラリとみると、ヴィンセントがフン、と口の端を曲げた。
……くっ……馬鹿にされている。
謝罪を受け入れて貰っても、好感度がたちまちに上昇するわけでもない、って事ですね。
「フランも飲む?」
仔犬よろしくカップを運んできたシンに、王女はちょっと唇を曲げた。
「要らない。だってシンの注いだ紅茶は渋いんだもの」
「ちょっとはマシになったって」
「絶対信じない。私の今日のノルマはもう終わりだ!」
「ノルマってなんだよ」
私はカップの中の茶色い液体を見つめた。……ノルマというか、精神修養?
私は紅茶を飲み干すと、そっと席をたった。
「お茶をありがとうございました、殿下。私は、そろそろ戻ります」
「もう?たまにはレミリアもここでゆっくりして行くといいのに」
王女の提案に、私は困ったように首を傾げた。
「でも、ヘンリクが待っていると思いますので……」
ごめんね、ヘンリク。脳内の彼に詫びる。
都合のいい時だけ、言い訳に使ってしまって。
殿下への挨拶も終わったし、ヴィンセントも多分、馬車の件は許してくれた。
言うなれば、自分の「本日のノルマ」は果たしたので、王女の庭にあまり長居するのも気まずい感じがした。
フランチェスカ、シン、ヴィンセント、イザーク、マリアンヌ。
前世では確かに憧れていた面子ではあるのだけれど、私の中の「レミリア」の十年間が、どうしても彼等とすぐには馴染めない。
王女は分かった、と頷くと私を庭へ誘った。
「戻る前に、少し時間をくれないかな、尋ねたい事があって」
「私に、殿下がですか?」
私は目をぱちくりとさせた。
記憶に残るだけでも、レミリアと王女が二人きりで話したことはない、多分。
なんだか少し気後れするのだけれど、断る理由もないので、私は頷いた。
「ああ、ちょうどヘンリクも来たな」
見れば、扉がひらいて、ちょっと拗ねた顔の我が従兄弟が入ってきたところだった。
「ヘンリク」
「本日はお招き頂き、ありがとうございました、殿下」
王女の側へよると、貴公子然とした優雅な動作でヘンリクが腰を折る。
それから私や、居並ぶ面子を見渡し、ヴィンセントの頭に刺した白い薔薇に気付くと、ニィと口を曲げた。
あ、あちゃー。
よりにもよって、ヘンリクに気付かれるなんて。ヴィンセントが視線をそらした。
「どうした、ヘンリク?」
「いえ、殿下。ユンカーには白い薔薇が似合うのだと、僕は今ようやく気付きまして」
ヴィンセントは表情を努めて消して、イザークは苦笑した。
王女は鷹揚にこたえて、ヘンリクを見つめる。
「そう?」
「ええ、とってもお似合いです」
王女は上機嫌に頷く。
「私もヴィンセントには花が似合うと、感心していたところなんだ」
「羨ましいくらいですよ!」
「じゃあ、ヘンリクにもあげよう」
王女は、テーブル近くへ戻ったマリアンヌが抱えた花瓶から薔薇を引き抜くと、ヘンリクに近づいた。
「え、いや……」
「羨ましいんだろう?せっかくの白薔薇が勿体ないけど、さしてやる」
「いや、僕は……」
「うん!似合うじゃないか。黒髪に白い薔薇は似合うと思っていたが、ヘンリクの髪色にもよく合うな。優しい感じがする」
王女にこうも絶賛されては、否定も出来ず、ヘンリクは声を絞り出した。
「………………ありがとうございます、フランチェスカさま……………」
余計な事を言うからだよ、愚かなるヘンリク。
………墓穴を掘るのが趣味なの………?
二人を見比べていたシンが、
「お揃いだな、ヘンリクとヴィンス」
と無邪気に喜び、ヘンリクは屈辱でワナワナと震え、ヴィンセントは君は黙っていろ、とシンを半目で睨んだ。
不思議な事に、シンはヘンリクをそこまで嫌ってないみたいだ。
レミリアの事もそうだけれど、王女の親戚だから、という理由だけで嫌う対象にならないのかもしれないなぁ。
「ヘンリクって、意外に花が似合うんだな」
「………どうも」
まあ、常に頭に花が咲いてるような男だからね。イメージを具現化してるだけというか。
脳天に咲いてないのが残念だけど。
「ヘンリク、レミリアと私は少し散歩するから、少しここで待っていてくれるかな」
「承知いたしました、殿下」
王女がここから離れると聞いて、ほっとしたようにヘンリクが頭を下げた。
王女が見えなくなったら髪から薔薇を外すつもりだろう。
「シン、ヘンリクにお茶を」
「わかった」
ヘンリクが茶?と首を傾げ、イザークが笑いを堪えて俯く。
「それから、ヘンリクもヴィンセントも薔薇は今日中髪につけていてね。二人とも、とても似合うから。後でサロンの皆にも見せてあげよう」
その言葉にヘンリクも、馬鹿にしきった目でヘンリクを見ていたヴィンセントも同時に固まった。
いいと思う。
二人とも、とってもお花がお似合いだと思うよ?
恐ろしい事を、さらりと二つ命じたフランチェスカ王女は、私の手をとった。
彼女の長い指は意外な事に硬く、爪は短く切り揃えられている。
彼女がきっと、馬術と護身用の剣の鍛練を怠らないからだろう。
硬いものといえば母上の宝石か、食器しか持ったことのない、私のやわやわとした指とは明らかに違うものだった。
私の指は王女と比べ、白く、美しく、たおやかで。
……酷く頼りない。
「行こうか、レミリア」
フランチェスカ王女は、私の手をとったまま歩き出した。
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