シンは無言で私を連れて廊下を歩く。
戸惑ってる、戸惑ってるよ奥手君…。
ちょっと耳が赤い気がするんだけど、年下の女の子(しかも本命ではない)と手を繋いだくらいで真っ赤になるとか、君は可愛いすぎやしないか。そして赤くなったりしちゃうから、レミリアは「ひょっとしてシンは自分のことが好きかもしれない」と淡い期待を抱いちゃうんだよね。
超絶、勘違いだったけれども。
「あ、あのー」
「なに………」
沈黙に耐え兼ねて私が話しかけると、不機嫌な声がする。
しかし、不機嫌なのではない。彼は女の子に慣れていないのだ。
シンは本当の名をシンリックと言う。
彼は、そもそも現王朝、初代国王の庶子の息子だ。庶子であっても国教会が認めれば相続権はあるから、本来であれば殿下、と呼ばれてもいい身分のはず。
しかし、庶子と言ってもシンの母君は身分が低い。
初代国王が戯れに手を付けた「北の森の魔女」のひとりに生ませた子であったらしい。
ベアトリスの父王は国王になる前、北方を守護する辺境伯だった。
即位後、久々に元の領地に行幸した際、興がのったのだろうと言われている。
「北の森の魔女」は北部に済む魔術師の一団だ。魔術を駆使し、金銭で請け負った仕事を遂行する以外は森を出ずに暮らしている。
森深く暮らす彼等は男女の区別なく、若干の侮蔑を込めて魔女と呼び習わされる。
魔法やドラゴンがいる世界なのに、カルディナにおいて、魔術師の地位は低く、忌避されていると言ってもいい。
神官が使う奇跡はありがたがるのに、魔女が使うまじないは批難される。
多分、信仰する神が異なるからだろう。……異教徒は差別されるって事だね。
さて、その北の森の向こう、そびえ立つ山には少ないながらも、ひとならざる異人種が住んでいる。
例えば妖精、例えば獣人、それからドラゴン。
さらに山の中腹にはそのドラゴンを自在に乗りこなす人々が存在する。人間の倍以上の寿命を持ち、姿麗しく異能を持つ彼らのことを私たち人間は、畏敬を込めてこう呼んでいる「竜族」と。
彼らは、ほとんど人間と交わらない。
力が強すぎて、下手に関われば人間国家のパワーバランスが崩れてしまうからだ。だから竜族は異種族との交わりを禁じている。
その竜族の男性が、北の森の魔女と、よりによってベアトリス陛下の異母姉と恋に落ちた。
そして生まれたのが、シンだ。
……竜族と人との恋は禁忌だ。
それを示すかのように彼の左目は人ではありえない、美しい黄金の瞳をしている。
片親が竜族の子供は紛れもなくその片方の瞳に黄金を宿す。
シンが生まれたことで露見した二人の関係は、竜族の長の怒りを買ったという。
竜族の長は二人の関係を許さず、シンの父は長の言葉に従って、母子を捨てた。
それでも、北の森でなら、彼等は平和に暮らせただろう。
魔女達はある意味で治外法権だし、竜族ハーフの子供が一人いたとしても、隠し通せる。過去に例が無かったわけでもない。
しかし、まずいことに、シンの母君はただの魔女ではなく、現国主の異母姉だった。
密かに異母姉の動向を監視していた王宮は、異母姉が生んだ赤ん坊が竜族の子だと知ると、歓喜した。
竜族はいつの世も、権力者にとって幸運と権力の象徴だ。
カルディナの国教では、神は光り輝く黄金のドラゴンの姿を取られている。そういう理由もあって、権力者が竜族をさらい、もしくは雇って側に侍らせるのは、示威行為として古くから行われてきた。
しかし、手に入れたくとも今の竜族の長は人間との交流を禁じている。
だが、シンは、生まれた。
しかも、竜族はシン母子を禁忌だと断じて自ら関係ない、と手を離してしまったのだ。不遇な母子を、例えどんな思惑があったにせよ叔母であり妹であるベアトリスが引き取る事に誰が文句を言えただろう。
竜族だって文句はいいづらいよね。
生まれたばかりのシンを捨てたくせに、王家に利用されそうになった途端やっぱりシンは一族だ、なんてバツが悪くて言えなかったんだろう。
王宮へ訪れる事を、シンの母君は拒否したが、病を得ていた彼女はシンが八歳の頃に儚くなり、結局、魔女達は彼の扱いに困って王宮に彼を預けた。
魔女達の待遇改善を引き換え条件にして。
それが、今から四年前のことだ。
シンは完全な王族とは言えず、しかしその特異な血筋故に、無下に扱うことも出来ない、複雑な立場として王宮にいる。
「なんだよ、黙って」
ええっと。
思考に沈んでいた私を訝しんでシンが振り返る。シンリック、という名前はあまりに人間風だから、と陛下が王宮に入った彼の名をわざわざ、竜族風に改めた。
だから……彼の名前はシンと言う。
「ええと、シン様。先日はありがとうございました」
「いいよもう、手紙も貰ったし。さっきはカリシュ公爵の秘蔵の薔薇まで貰った」
口調が強くなるのは、照れ隠しなんだろうなぁ。
「でも、死ぬところでしたし」
本当に、危うい所だった。
転生したと気付いた途端、死ぬところだった。
私の手を握ったシンの手に、ぎゅ、と力が込められる。
「……ああいうことは良くあるの?」
私は返答に困った。
命を狙われること?
「多分、初めてだと思います」
今までも未遂はあったかもしれないけど、私は知らない。
母上が処理しているのかもしれないけど。
私が回答すると、シンはふん、と鼻を鳴らした。
「嫌なことばかりだな、ここは」
ここは、とは王宮の事だろうか。
それとも都の事だろうか。
シンにとって、都は嫌な所、なのかな。彼を売った魔女達が住む北の森よりも?
……確かに、そうかも。
記憶を取り戻して一月あまり。私もこれまで、常に緊張した精神状態でいる。
日本では十歳の少女が命を狙われる事も、愛し合わない夫婦が冷たい食卓を囲むことも、友達がいないなんて事もなかったし。
私は溜息をついて、ただ、そうですね、と同意した。
サロンの入口では、背の高い少年が私たちを待ち構えていた。
浅黒い肌に翠の瞳。
エキゾチックな魅力がある彼の名前は、ヴィンセント・ユンカー。
陛下の懐刀、ユンカー卿の養子だ。
「ヴィンス……!」
シンは彼を見つけるとアッサリと、私の手を離して駆け寄った。ええっ!おいてけぼりー?
おい!少年!
さっきまでの俺達かわいそうだよな!みたいな連帯感はどこへやった!!
任務は最後まで遂行してほしいなぁ!!
「王女殿下が待ち兼ねているよ」
慌てて走って追いついた私の目線の先、ヴィンセントが屈託なく笑う。
シンはちょっと顔を綻ばせて、思い出したかのように(一瞬で私のことを忘れてましたよね?)私を振り返った。
「王女の所にいるから、レミリアも後で来いよ!」
そのまま仔犬のように駆けて行った。
うう、ちょっとシンといい雰囲気ー、はぁと。とか思った私が愚かでした。
徹頭徹尾、王女の事しか頭にないな…。
ちょっと固まってしまった私の手を、ヴィンセントが恭しくとった。
「皆様がお待ちです、ご案内しますよ、レミリア様」
「ありがとうございます」
礼を言うとヴィンセントはその翠の瞳で私を注意深くみた。
なんだよ、その瞳は。
睨むと、面白そうに囁く。
「…シンじゃなくて、残念でしたね、公女様」
ヴィンセントの厭味に私は口をへの字にした。
正確に言えば、私は公女ではない。カリシュ公爵の称号は父上の代で終わりだと先代の国王陛下が定めたので、私は単に公爵令嬢に過ぎないのだ。
それを知っているだろうに、ヴィンセントは時々この称号でレミリアを呼ぶ。嫌がらせよね。四つも年下の女の子に、なんと失礼な奴。
私はツン、と顔をそらせた。
「本当ですわ!せっかくシン様のエスコートでしたのに」
もーちょっとあの可愛い照れっぷりを拝みたかった。
ヴィンセントは否定しない私を、意外に思ったらしい。
「……認めるんですか?」
私はフンと鼻を鳴らす。
「私だけじゃありません。貴族の令嬢なら誰もが意地悪なユンカー家のご子息より、シン様にエスコートしてほしいと思いますわよ」
後々宰相となるこの少年は、成長してからは完璧な紳士として振る舞うのだが、レミリアの記憶にある限り、物凄く容赦無い性格をしている。
自分が大切に思っている王女とシンの為なら、誰に何をしてもいいと思っている冷血漢。
確かに見た目はカッコイイけど、いまいち私が彼のルートに及び腰で未プレイなのは、血生臭いイベントが多くなるからなんだよなぁ。
彼が女王の伴侶になったら都は粛正の嵐になるに違いない。怖。
ちなみに宰相ルートだと、レミリアは自殺エンド、他殺エンド、幽閉ルートが選べるらしい。
デッドオアプリズン。どれもいやだ、勘弁して!
そう思ったと同時に、あ、と思い出す。
「それはそうと、……先日は危ないところをありがとうございました」
「……ようやく思い出して下さって嬉しいですよ、レミリア様」
「そのうえ、家の者が失礼をしたようで……私、あのまま寝付いたものですから。申し訳ございませんでした」
頭を下げる。
胡散臭いものをみるようにヴィンセントが私に視線をよこす。
そうだよね。今まで散々彼の肌色をネタにして、賎しい異国の出身と馬鹿にしていたレミリアの取り巻き達。それに加わらないまでも、冷たい目で見下していたレミリアが、頭を下げるんだもん。
私が逆の立場なら、何を企んでいるかと思うだろう。
(まあ、将来のために、敵対フラグを折りたいと、企んでおりますけど)
フラグを折るため、というのも正直あるけど、母上が二人にした事は、かなり失礼な事だと思う。
あまり世間に知られたくない事だったとは言え、娘の命の恩人である貴人二人を泥だらけで門前払いしたのだ。
頭を上げないでいると、ヴィンセントは調子が狂うな、とひとりごちた。謝罪を受け入れるかどうかは口にせず、私の手を再びとると、サロンの中へと導く。
「どうぞ、こちらへ」
と小さく口にした。
私も大人しく従う。
許すかどうかは保留、って事かな。
レミリアとヴィンセントはこの年にして、五年という長い期間の反目があるし仕方ない。すぐに雪解け、禍根は全て解決、とはなかなか行かないだろう。
サロンへ顔を出すと、見知った顔が私たちを一斉に見た。
私はここでも厄介な事を思い出して溜息をついた。
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