カルディナの首都では舞踏会は季節の変わり目毎に開かれる。農業国家だから、収穫の終わった冬の初めが一番盛大。
みんな、領地を離れて都にいるからね。
反対に夏の会や秋の会は領地を離れることの出来る大貴族の参加が多くて、人は少ない。
変わり映えしない面子で春と夏に開催する意味はあるのか、と思うんだけど。
そこは貴族社会も、接待が大変なんだろう。
王室主催の舞踏会を、かわきりに各有力貴族が開催するのが慣例だが、ベアトリス女王の御世になって、ある程度の人数が集まる舞踏会開催は、届出制になってしまった。
さらにその届出には税がかけられるので、主催者は大貴族か富裕層に限られてしまっている。
陛下としては舞踏会に紛れた貴族達の密談…それに紐づいた不穏な動き、とりわけ旧王家の謀反を案じているんだろう。
色々と不穏だ。
そんな不穏な舞踏会に行く前に私がしたのは、書庫にこもって植物図鑑を読みあさり、屋敷の野山を散歩と称して歩き回り、ある植物を探す事だった。
逆さにした葡萄のような房を持つ、植物。
それの根をこっそり乾かして砕いて、粉末にする。
そしてそれを、母上のお茶に混ぜました!!
ゴメンナサイ。
齢十歳にして、親に毒を盛るとは思わなかった……。
私は舞踏会に行く前日、母上からありがたい薫陶を数時間かけて受けるという恒例の儀式をうけながらそっと、母上の様子をうかがった。
効きませんでしたか、お母様……胃腸強そうですものね、おほほ。
伺うような私を、母上が、ギロリと睨む。レミリアとよく似た面差しだが、レミリアよりももっと険しい。
母上は茶の瞳をすがめると、私を叱った。
「どうしたのです、レミリア」
「い、いえ。舞踏会へ行くものですから緊張しております」
母上は首を傾げた。
「いつも行っているではないですか」
はぁ、そうですね。
レミリアとしてはそうだけど、私は初めてだから、何かやらかすんじゃないかと心配してるんだよね。
「貴女、最近おかしいのではなくて?」
母上の瞳が鋭さをます。
「そうでしょうか…」
中身がいい大人ですからね……。私はシュン、と萎れてみせる。母上は不快だと言わんばかりにテーブルをカツンと扇子の柄で叩いた。
「ほら、そのように。公爵家の令嬢がそのような頼りない様子でどうするのです。貴女は世が世であれば、」
あー、はじまったよ、ヤドヴィカ様の「あなたは王女様だったんだから」劇場。
娘をしっかりさせたい気持ちはわかるけど、その場合、薔薇公爵が国王陛下だよ?
政治能力皆無な父上が国主になってしまったら、どのみち謀反起こされて、母上も私も、ギロチン行きになりませんか?
「聞いているのですか!」
「はい!!」
適当にそうですねを繰り返したのがばれた。
母上のミニチュアのようだった可愛いレミリアが腑抜けてしまい、まるで庶民の娘のようになってしまった、と……彼女の機嫌は最近、頗る悪い。
ご、ごめんなさい。
そして、母上の勘は鋭いな。中身は庶民だもんなぁ。
「それに、貴女はあの孤児に手紙を出したそうね?私に断りもなく」
う、来たか。
アゼル広報の草の根活動によりご存知だとは思っておりましたが。
私はしおらしく俯いた。
「い、命の恩人ですもの。直接お礼をと思いまして」
「不要な事です。あれは単に臣下としてつとめを果たしたまで。それを何故、貴女がへりくだって礼を言うのです?」
そうかなぁ……。
母上も、レミリアがかわいくないのかな。可愛い娘を助けてくれたのが、幾ら母上が嫌いなシンでもさぁ、そこはお礼を言っておこうよ。
文句は沢山あるが、ここは耐える。
更に母上がシンに対する批判を口にしようとしたとき、母上は、う、っと顔を歪めた。
「……母は少し席を外します。すこし、ここで、お待ちなさい……」
脂汗を浮かべて立ち上がる。
淑女たるもの走るべからず。忠実にその教えを守ったヤドヴィカ様は、競歩選手もかくやという早足でトイレの方向へと去って行った。
母上への下剤の効果は覿面だったようで、その日は私の元へ、帰って来られませんでしたとさ。
よ、よかった。そして、ごめんなさい、母上。
……そのあと二日も下痢で苦しむなんて思ってなかったんだよ、ほんとに。
舞踏会には、私と父上だけで参加する事になった。
フラグ発生しないために、母上には、しばらくトイレとお友達でいていただかなくては。
◆◆◆
舞踏会への参加といっても、私は正式にデビューしてるわけじゃないから主催者への挨拶が終わると、子供達だけが集められたサロンへ顔を出す。
だから、父上と同行するのは女王陛下への謁見の間まで。
名を呼ばれて父上と玉座の間に顔を出すと、ベアトリス陛下は玉座から立ち上がって歓迎してくれた。
穏やかな顔つきの女王陛下は無害な外見とは裏腹に、辣腕非情の人である。
そんな彼女が立ち上がってまで歓迎する貴族は少ない。
薔薇を育てる以外の能がない貴族といえども、父上は旧王家の長だもの、優遇しています、とのポーズは大事なんだろう。
「今日は珍しく奥方は不在なのですね、レシェク」
ベアトリス女王が親しげに父上に微笑みかける。
父上は笑うと貴公子そのものといった優雅な仕種で膝を折った。
「生憎とこの暑さで妻は体調を崩しております。陛下に拝謁できず、大層、残念がっておりました」
私もそれにならって膝をつく。
(うん、残念がってたなあ、あの孔雀みたいなドレスを舞踏会で披露できなくて、本当に残念そうだった)
確かに背の高い母上には似合っていたけど、私にも父上にも、亜熱帯の鳥か!と大層不評だったのだが、屋敷の侍女やアゼル達は大絶賛だった。この国のファッションがイマイチ謎だ。
比べて、女王陛下は濃紺を基調とした抑えたドレス。
五年前に御夫君をなくされた陛下は華やかな色味は避けておられる。
流石に喪はあけたから黒装束ではないけれど、寡婦だからあまり華美な服装は……ということにしているらしい。
よくみれば同じ色味の糸で細かく刺繍がしてあって、とても質素、とは言えないんだけど。
「お大事にと伝えてね」
「勿体ないことです」
女王陛下は悪戯めいて笑った。
「貴方が今夜はひとりだと聞いて、皆色めきだっていますよ。私も含めてね。ダンスの誘いは断らないように!」
「陛下の思し召しとあれば」
再び頭を下げた父上に頷いてから、陛下は私にも声をかけてくださった。
「レミリア、もうお具合はいいの?大変だったと聞いたけど」
私は畏まって頭を下げた。
皆まで言わない所が怖い。
陛下が小娘相手に、心底怒ってるとは到底思わないけど、シンを門前払いしたことについて、どのくらい怒ってみせるつもりなんだろう。
考えてもわからないから、私は十歳の子供らしく、特に策を練らずに頭を下げることにした。
謝罪には誠意だ。
たぶん、それは王宮でもかわらない、筈。
「お気遣いありがとうございます、陛下。馬車が暴走して危ない所を、シン様にお救いいただきました。……その後体調を崩したせいでお礼も出来ず……」
ちょっと声が小さくなる。
私の様子に陛下が何かいいたげに考え込むのが見え、側に控えたユンカー卿にちらりと視線を向けた。
このあとにきちんと謝罪しろとか言われたらどうしよう。
冷や汗をかく私の頭をくしゃりと誰かが撫でたので、私はえっと横を見上げた。
父上だった。
「私からもお礼を、陛下とシン様に」
父上は背後に合図する。
男性二人が持って来た大きな飾り気のない箱に、陛下は興味を抱いたようだった。
「あら、何かしら。お礼なんてもうよかったのに。人助けはあの子の優しい心根の現れだわ。それを金品に変えようとは思わないのよ?」
態度とは裏腹、台詞はちょっときつい。
うわぁ、陛下、ちょっぴりご立腹?
父上はクスクスと笑うと、そのような無粋はしませんよ、箱を開けてみせた。
陛下がその箱の中身を目にして、息を呑む。
箱の中には、白い、大輪の薔薇が、所せましと敷き詰められていた。
私もその量をみて、唖然とする。
数百本はあるんじゃないか。
それこそ、庭に咲いていた分、全部。
陛下は薔薇のうち一輪を摘んでしげしげと眺めると、嘆息してみせた。
「<夜明け>………これは、夜明けね!なんて美しい」
初めてみたわ、と陛下が呟く。
それはそのはず、だって、薔薇侯爵の門外不出の薔薇だもの。
父上は陛下の指からそっと薔薇をとりあげると唇をよせて呟いた。
「金銭的な価値はありませんが、私が丹精した新種の花です。陛下のお慰みになれば、とお持ちしました」
まあ、と陛下の顔が綻ぶ。
父上―?口説きにかからなくてもいいですよー。
「でも、よかったの?あなたは薔薇を切るのはお嫌いでしょうに」
うん、そうなのだ。
薔薇公爵はその丹精した薔薇園を人にみせるのも、花を切るのも嫌う。生前の陛下の御夫君が庭の薔薇を手折ったせいで、父上が激怒し、二度と我が家の茶会に呼ばれなくなったのはあまりにも有名な話だ。
だから、陛下へのご機嫌とりに夜明けを渡したい、と言った際も、せいぜいが花束レベルの量を想像していたのに。
馬鹿みたいに口を開けたままの私を薔薇公爵はにやにやとみる。それから、再び私の頭を撫でた。
「レミリアがどうしても陛下とシン様にお詫びを、と。可愛い娘に頼まれては、私も弱い」
(可愛い!娘!!)
聞いたことないよ、そんな台詞。
でも嬉しい、と私が顔を紅潮させていると父上はさらに笑った。
「娘の命をお救いいただき、ありがとうございました。御礼の申しようもございません」
陛下は固まっている私と頭を下げた父上を見比べて、やがて溜息をついた。
「……せっかくこんなにいただいたのだし、会場に花を飾ってもいいかしら、レシェク」
許してくださる、という事だろう。会場に飾れば皆が花をみる。陛下はご不快に思ってらっしゃらない、と来場者は理解するだろう。
「陛下の御心のままに」
私も慌てて頭を下げた。
その時、慌ただしく靴音が聞こえて来て、私たちは視線をそちらに向けた。
「陛下!!」
侍従の制止も無視して部屋に飛び込んで来たのは、ベアトリス陛下の甥、シンだった。
「あら、丁度よいところに来たわね、シン」
シンは思い詰めたような顔をして陛下を見つめ、
「謝罪なんて要らない、たまたまレミリアを見つけて、アルの背中に乗せただけなんだ!」
おお、シン様、さすが気遣いの人。陛下が私と父上を叱責するつもりかも、と聞いて庇いにきてくれたんだろうなぁ。
私は思い詰めたシンとは対照的に些か気が抜けた思いで彼を見つめていた。
シン様、どうやら陛下は許してくれそうですよ?
もう、今夜のミッションは終わりにしたい。帰っていいかな。
シン様はあざやかな青いお召し物で、とてもよくお似合いである。伸ばした銀糸が映えている。白いマントを留める金具は彼の色違いの瞳をイメージしたのだろう、金とアメジストで出来ていてとても、綺麗。
今日も素敵だなあ、と私が場違いにうっとりしていると、陛下が呆れたような声で、シンを諭した。
「謝罪、なんのことです?」
陛下の惚けた言葉に、視界の端でユンカー卿が唇を歪めたのが見えたが、陛下はみないふりをした。
ユンカー卿は父上にみんなの前で謝罪させたかったのかもね。
「貴方がレミリアを助けたお礼にと、レシェクが素敵なものをくれたのよ」
陛下は上機嫌である。
陛下がお花とイケメン好きでよかった。
予測に反して上機嫌な陛下の様子にきょとんとしたシンは、箱を覗き込み、それからあっと声をあげた。
「夜明けだ!!」
父上は、己の作品に瞳を輝かせる可愛い男の子に満足げにうなづく。
「陛下とシン様にお土産です、どうぞ」
「え、ほんとに?いいの?」
シンも父上がどれだけ薔薇を大切にしているか、知っているのだろう、驚いた顔をしたが陛下が頷くのを見ると、シンは溶けるように微笑んでその手に取った。流石は竜族、嬉しそう。
半分竜族のシンは、植物が大好きだ。
元気の無いときでも山や庭園に篭ると元気になっていたりする。
光合成?
二人での外出先として選ぶべきは自然の多い所。間違っても買物などに誘うと途端に好感度が下がる下がる。
あんまり、女王陛下の伴侶には向かないキャラだよね。……カルディナは農業国家だからいいのかな?
原作ゲーム内のレミリアは「貴方が花を愛でるなんて似合わない」といつも憎まれ口を叩くけれど、その実、彼女が愛している庭園や薬草達をシンが愛でてくれるのを、うれしく思ってたっけな。
「後で貴方の部屋にも飾ってあげますから、貴方はレミリアを連れてサロンへ行ってらっしゃい」
ほら、と陛下が扇子で仰ぐ。
えええー、私一人でいけますよ、と思ったけれど、シンが行こうと手を差し出してくれたのでドレスの横で汗を拭いて(冷や汗でじっとりしていた)その手をとった。
「行っておいでレミリア」
「父上…」
こんな風に、優しい目で見られたのなんて初めての事じゃないだろうか。父上が、生まれてはじめて、レミリアに優しい。
幸福感を持て余した私は、ちょっと背伸びをして、父上に耳打ちをした。
「……大切なお花を、ありがとう」
切らせてごめんなさい、よりもありがとう、がこんな場面には相応しいだろう、きっと。
父上はちょっと微笑むと、レミリア後でね、と呟いた。
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