現カリシュ公爵には二つ名がある。
薔薇公爵、というのがそれだ。
薔薇を育てるのが趣味でいくつもの品種を発見したとされるのがその由来なのだけど。
なら庭師でいいじゃないか?と思うのだけど、そうならなかったのには理由がある。
熱の下がった「私」、レミリアは散歩するからと、侍女と家庭教師から離れて屋敷の奥の薔薇園へと向かう。
やがて眼前に広がる薔薇のアーチを眺め、人影を探す。
幾つかある人影のその一つが。
あ、居た。
「お父様!」
声をかけると、長身のその人はこちらを振り返った。
現カリシュ公、レシェクはその長い金髪を無造作にまとめ、手袋をして、右手には剪定用の鋏をもち、目深に麦藁帽子を被っていた。
影になった前髪から明るい水色の瞳が覗く。
「……ええっと、レミリア?」
何故、娘の名前が疑問形なんですか、父上。
舌打ちしたい気分で見上げた父上の背はひょろりと高い。
レミリアは十歳だが、その父親のレシェクはまだ二十六歳と、いくら高位の貴族とは言え、珍しいほど若い。……そして、眩しいほど美しかった。
レミリアもまぁ、美形な方だとは思うが、どちらかと言えば母親のヤドヴィカに似ている。少し意地が悪そうなんだよね。
レシェクは簡素な作業着に手袋、それから長靴、首にはタオルがわりに木綿の首巻きそれから麦藁、と農家のおっちゃんな格好でありながら不自然なまでに美しかった。
服装はカー○おじさんの癖に!!中身はパリコレ。正直、アンバランス。美形の無駄遣いである。
だから周囲も庭師とは呼べずに薔薇公爵なんて呼んでいるんだろうけど。
「こんな所へ、どうしたの?」
煩わしさを隠そうともせず、娘を冷たい目で一瞥した父親に、せめて可愛いらしく写るよう私は微笑んだ。
「お父様にお願いがあるのです」
にこりと私は微笑む。
悪いけど、といいかけた薔薇公爵の言葉が発せられないうちに、私はヴァザ家の庭師の皆さんに声をかけた。
「皆さん!休憩になさらない?冷たいレモン水をお持ちしました」
私がポン、と手を打つと、背後から着いてきた執事のセバスティアンが簡易テーブルを広げて、休憩の準備をはじめた。
父上はムッとしたようだったが、庭師のミハウ爺様が喜びの声をあげたのがわかると、文句を言わずに大人しくテーブルに着いた。
ミハウさんはその様子を認めて、こっそり私に笑いかけてくれる。
ありがとうございます、ミハウさん。
「お父様をお茶に誘いたいので、協力してください」
と、あらかじめ、お願いしに行ったのだった。
高慢ちきで使用人など路傍の石としか見てない跡取り娘からお願いをされたミハウさんは大層驚いていたが、快諾してくれた。
お嬢様とお茶なんて、お坊ちゃまもお喜びになりますよ、と破顔する。
……それはどうかなぁ。
お坊ちゃま、とは父上、則ちレシェクのこと。
ミハウさんは早くに両親をなくしたレシェク公と親しい人だ。親代わりと言ってもいい。もちろんレミリアはそんなことを気にも止めていなかったけど。
さて、レシェクとその妻ヤドヴィカは純然たる政略結婚である。
旧王家の最後の王子マテウシュは、現王朝が成立した直後に生まれた。旧王家の直系ではあるけれど、王家でなくなった直後に生まれた王子。複雑だよねぇ。
嬰児であった彼は殺されなかった代わりに、初代陛下の監視の元で育った。レシェクと同じく類まれな美貌の持ち主だったせいで、国王の寵愛を受けていたとの噂もある。うーん、背徳。
現王家の支配が盤石になると、旧王家は緩やかに復権する。その流れでマテウシュは王に許され、旧王家の傍系の娘と結婚し、幾人かの子供を残す。しかし、女ばかりが続いて生まれ、結局生まれた男子は末子のレシェクだけ。
レシェクが生まれたのを見届けると、マテウシュは三十半ばの若さで夭折してしまう。
姉達はさっさと嫁がされ、一人残されたレシェク(レミリアの父)は妻ヤドヴィカの実家、カミンスキ伯爵家に半ば拉致されるような形で引き取られて育てられた。
挙げ句には、好きでもない、六つも年上のヤドヴィガと番わされ……
そして生まれたのが、レミリアである。
年上の気の強い妻と、美貌の少年の間に愛が芽生えたり……は残念ながら、しなかった。
薔薇公爵は妻がお嫌い。
娘にも無関心。
美しい薄幸の公爵が愛しているのは薔薇の庭園だけ。
そう、周囲が噂するのを、私は事あるごとに耳にしている。
政治にも無関心なこの人だが、ゲームの中ではその血筋から女王の対抗馬の旗頭にさせられて、嫌々協力するんだよね。しかし、企みはヒロイン達に露見して、毒を自ら仰ぐことになる。
レミリアはそんな父親を、なんでそこまで、と思うほど敬愛している。
王家の直系ではあるけどさあ、イケメンだけどさあ、流されやすいし、レミリアが思うほど、この父親はレミリアを愛してはいない。
それに薔薇つくる以外興味がない貴族って、為政者としてどうかと思う。
レミリア報われないなぁ、と思っていたけど、いざ自分がその立場になってみて、わかったことがある。
レミリアは「寂しい」のだ。
気の強い母親、無関心な父親、兄弟はいない。
ほとんどの使用人達は義務感だけでレミリアに接する。
何のために生きているのか、と虚しくなりがちな彼女の拠り所は、自分がこの王家の正当な後継者だ、という間違った自負だけ。
だから、自己を肯定するために、正当な血筋の父親から少しでも愛を得たくてたまらない。
それに気づいた瞬間、愕然としてしまった。レミリアは、かわいそう過ぎないだろうか。自分のことながら、不憫だし、前途多難だよ。
レモン水を飲んで(どうやらそれはお気に召したらしい)父上が私を見た。
「レミリアが薔薇園に来るなんて珍しいね」
「ええ、ここ数日、熱で臥せっていたので、体がなまってしまって。お散歩なのです」
病み上がりアピールをしてみたレシェクは私をみて、ふーん、と言った。
愛娘にそれだけかい、カール親父。
弱々しいアピールをしてもダメだなと悟った私は、直接的なものいいをすることにした。
「私の馬車が、狙われたんです」
「そうみたいだね。ヤドヴィカが烈火の如く怒っていたよ」
いや、他人事じゃなく、父上も怒ってくださいよ。
娘の命の危機ですよ。
「それで?僕にお願いごとって?悪いけど、君を狙った輩に心当たりはないよ。君の母上が探すだろう」
君の母上、かぁ。
冷たい言い方に、私のレミリアの部分が傷付くのがわかる。
本当に愛がないんだな、私の両親。
「お父様にそんな事は期待していませんわ」
私はいささかムッとして言い返した。
「お父様が薔薇以外に興味あるとは思っていませんもの」
舌を出したい思いで言い募ると、父上は明らかに気分を害したようだった。あ、まずい。
お願いごとがあったのに喧嘩しかけてどうする。
「けれど!見事な薔薇ですねぇ。さすがミハウさん!」
「光栄です、お嬢様」
取り繕うように振り返った先のテーブルで、他の庭師の人たちとのんびりしていたミハウさんが私の視線を受けて笑う。ミハウさんと私が親しげに話しはじめたので、父上の不機嫌は緩和されたようである。
将を欲せんとすれば馬!
「今頃はそこの奥にある<夜明け>という薔薇が綺麗ですよ」
ミハウさんが指差したのは、ベージュ色の花弁をした大輪の薔薇。
華やかさにはかけるが、何とも言えない品がある花だ。
うん、知ってる。それを目当てに来たんだもん。
ミハウ爺様と仲良く話をはじめた私を気味悪そうにみた父上は、コホンと咳ばらいをした。
「それで?薔薇づくりしか能がない父に、レミリアは何のお願い?」
「自覚あるんだぁ……」
「なんだって?」
美しい眉を父上が顰めた。
「いえ!!実は、薔薇づくりもお得意な父上にお願いがあるのです」
私は馬車の事故の事を語った。
曰く、死にかけたのをシンとユンカー家の養子に救われたこと。
……にも関わらず、母上が冷たく追い返した事。
おかげで王宮内にヴァザ家と私の悪評が広まっている(かどうかは知らないが、多分そうなっているだろう)ことを、だ。
「それで?」
「陛下は特に、シン様への無礼を怒っていらっしゃるとか。今度の舞踏会で咎められる前に、陛下へ先にお詫びをしたいのです、お父様と一緒に」
父上は肩を竦めた。
「ヤドヴィカに頼むといい」
「お母様に陛下への謝罪など頼んだら、私、首を絞められてしいます」
うんざりした表情を浮かべると、美貌の父は面白そうに顔を歪めた。
「ヤドヴィカは陛下がお嫌いだからねえ」
白い指がそっと砂糖菓子を摘む。
誰のせいだよ、誰の!
私の両親、ヤドヴィカとレシェクは不仲の夫婦である。
ヤドヴィカはこの美貌の年下の夫に執着しているのだがレシェクにはそれが煩わしくてならないらしい。
更にたちが悪いことにこのぐうたら薔薇親父は都の女性達に頗る人気がある。そしてそれは、五年ほど前、独身におなりあそばしたベアトリス女王も例外ではない。
前回の王室主催の舞踏会では、母上そっちのけで陛下と父上がダンスを踊っていたもんね。疲れたからと父上から踊って貰えなかった母上、ハンカチ噛みちぎりそうだったもんなぁ。
うう、切ない家族模様。
私はため息をついた。
「……私は子供ですから。家同士の難しいことはわかりません。けれど、命の恩人のシン様とユンカー様にはきちんと、お礼をお伝えしたいのです。そのあとのご無礼の謝罪も」
「謝罪ならしたんだろう、お手紙で」
おや、と私は視線をあげた。
悪戯っぽい瞳とかちあう。知っていたのですか。
「アゼル嬢が話しているのを聞いたよ。手紙を書いたって?」
おお、なんという歩くスピーカー。
「まあ、アゼル先生ったらお喋りね」
有能過ぎるでしょ。三日前の話だよ、手紙書いたの。もう父上に伝わっている。
「でも、手紙は手紙ですから。ちゃんとお二人に伝わったのかわからなくて。許すと言ってもらったわけでもありませんし……」
とりあえず、女王陛下に居並ぶ貴族の前で謝罪しなさいと命じられ、母上の、女王絶殺フラグが立つのをへしおっておきたい。
私の平穏な未来のために。
ふーん、と今度は多少興味をもった口調で父上がつぶやいた。
「えらく殊勝だね。どうしたのレミリア、人が変わったみたいだよ」
変わったんですぅ。
中身は貴方と同世代の、ブラック企業のぺーぺーでぇす。
……とは言えないので、死にかけましたから、と遠い目をする。
「日頃の行いを反省したのです。今までの横暴な生き方を悔い改めようかと」
「ふーん?」
疑わしそうな目でなおも父上は私を見た。
「そんな事を言って、単にあの竜族の坊やとお近づきになりたいだけなんじゃない?」
おお?
私は父上を見て、目をぱちくりさせた。
「……やっぱり父上もレミリアはシンが好きだと思います!?」
「なに、その他人事」
いぶかしむ視線に、しまった、も咳ばらいして「子供みたいに自分を名前で呼んでしまいましたわね!」とごまかす。
さて、どう、いいわけしたものか。
シンが好き、か?
うーん、レミリアは多分好きだろうけど、私はどうだろう。最萌えキャラではあるんだけど、陛下とシンの恋模様にきゃっこらしていた部分も大きいからなぁ、複雑。
しかし、崖の上で怯える私を気遣ってくれた竜公子はかっこよかったなぁ。
「ええと」
「違うの?彼に出会ってから、レミリアはやけに竜について詳しくなったから、てっきりそうなのかと思っていたけど?」
私はおや、と目をみはった。
娘の行動、よく見ているなあ、父上!
「シン様はあのように素敵な方でお優しいですから、嫌われたくないという下心はありますのよ……けれど、好きかと言われると」
「家同士が邪魔する?」
皮肉な口調の父上に首を振る。
確かに、ユンカー宰相派の中心人物だものねシン様。それもあるけど。
私は首を捻った。
「家同士のことはわかりません。……それよりもあまりに脈がないと言いますか」
「へえ?」
「だって、シン様ってどうみても王女殿下がお好きなんですもの」
そうなのだ。
レミリアの想い人、シン様は幼い頃からずーっとゲームヒロインの王女が好き。
他の婚約者候補達が、ヒロインルートを外れると誰かと幸せになる事が示唆されるのにも関わらず(乙女ゲームとしてそれはどうかと思うが)、シンだけはヒロインの幸せを願って、あてのない旅に出るのである。
レミリアが必死に引き止めるルートもあるのだが、シンは一顧だにしない。
いや、そこはレミリアとくっついといてやれよ!と流石の私も思わないでもなかったが。
シンはあくまでヒロイン以外に心を移さない。
よって、レミリアはどのルートでも、ずーっとシンに対してひとり相撲なのである。
む、虚しい。
苦悩する私に、ニヤニヤと父上が笑った。
「簡単に諦めてしまうの?勿体ないなぁ」
「けれど父上、私、どうやっても王女殿下に打ち勝って、シン様と結ばれる未来が思い浮かびません。……ですから、シン様は憧れのままで結構です」
王女殿下は美人だし、政治能力もあり、人望もある。
性格も可愛いしなあ。勝てる気が一ミリもしないよ。
首を傾げた私に、父上はクスクスと笑った。
「恋愛は勝ち負けじゃないと思うけどね。もう少し頑張ってみなさい」
「ええー、つけいる隙が全くありません」
「あはは、潔いね、レミリアは」
あれ、珍しい。薔薇公爵の皮肉じゃない笑顔が見れた。
「それで?脈がないのにワザワザ謝罪するの?」
「憧れの人には、悪く思われたくないですし。お友達くらいにはなりたいじゃないですか。……それに私、社交界デビュー前なのに悪評を立てたままなのは嫌です」
「そうだねぇ」
私は、父上に熱心に頼み込んだ。
「私、このままじゃお友達もできません!ね、だからお父様おねがい!!」
拝まんばかりの娘に根負けしたのか、父上はやれやれと肩を竦めた。
「それで?具体的には何をしてほしいんだい、レミリア」
待っていました!父上!
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