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返信先: さん
外題學問めいた背表紙讀みしぐさを恥ぢる人がボズウェル『サミュエル・ジョンソン伝 2』みすず書房1982p.139に見え、商業出版の量が格段に増大したこの十八世紀に藏書整理の必要上背文字が一般化したか。「第二の知識」(藤川正信)をジョンソン博士が説いたのも正にここだfukao.info/2005/03/149.php
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返信先: さん
長谷川一『出版と知のメディア論』3章、「冊子体という物質的支持媒体に根拠をお」く「「作品」としての知」、「書物も図書館も、こうした普遍的知の総体性の換喩として位置づけられ」た(初出jstage.jst.go.jp/article/mscom/)。これは「人間の有限性に根拠をもっている」と橘宗吾『学術書の編集者』p.174。
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返信先: さん
長谷川一また曰く「書物は普遍的全体から個別専門世界の自己完結したミクロコスモスへと戦線を縮小しながら、相対的には知の全体性の換喩として命脈を保ちつづけてきた」msz.co.jp/book/detail/07。「換喩」は部分で全體を表す(種で類を表す提喩との混同が問題になるが)。有限で無限に對處する如し。
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返信先: さん
部分が全體を代表可能な場合は部分と全體が一致、即ち數學上のデデキント無限であり、自分自身の眞部分集合に相似(一對一對應)の集合と定義される(自己相似寫像=フラクタル?)。無限を取扱ひ可能にするのは記號的直觀となる象徴だ、と下村寅太郎『無限論の形成と構造』twitter.com/livresque2/sta
引用ツイート
森 洋介
@livresque2
返信先: @livresque2さん
下村寅太郎の初期作『無限論の形成と構造』から晩年の『ブルクハルトの世界』1983(twitter.com/ludwig10301/st)を觀ると、無限論の課題だった「連続性」が世界史のテーマ化し(p.150一章六3・p.603三章二3)、運動する歴史は「直観」が像に形成、その表現は「象徴」(一章六4)twitter.com/livresque2/sta
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返信先: さん
下村寅太郎曰く「記号は対象との相似性でなく、対応性において成立する」、「超越的なるものの記号」が象徴、「超越者は主観客観を越えた「世界」と言い得る」。 ところで隱喩は相似性に基づく(ヤコブソン)。 ∴『書物–世界の隠喩』honto.jp/netstore/pd-woは不適。 では、隱喩でなくば換喩なのか?
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返信先: さん
大英博物館圖書館1859年刊の「世界最初の閲覧室用印刷目録」は「蔵書のプレゼンスを象徴的に表象=代行させる」。「壁面書架の与える「無限」の印象とは、結局は心的な印象そのものでしかなく、そこでの「知」の現前は、すでに物理的水準から象徴的水準へと移行している」=松浦『知の庭園』pp.26-28
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返信先: さん
目録・書誌はメタ書物。網羅に努めるのは外延的だが、部分が全體を映し出すといふデデキントの無限定義の如き内包的な意味では換喩。ロイスの地圖にも似るtwitter.com/livresque2/sta。『書物–世界の隠喩』中、書名に抗し、佐藤信夫「隠喩と諷喩と書物」は「隠喩的かつ換喩的な」諷喩=アレゴリーと説く。
引用ツイート
森 洋介
@livresque2
他にボルヘスの讀みさうな典據でラッセル『数理哲学入門』1912も、ロイスの「英国の地図を英国の地表の一部に描く」例を擧げる。J.Royce『世界と個人』1899はgiffordlectures.org/books/world-an、西田幾多郎1912論文dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pidや1917著dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pidも參照するtwitter.com/asonosakan/sta
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返信先: さん
「世界そのものをつまり同じ構造として小さな空間に圧縮するっていうのがヨーロッパ近代の本の基本的な理念」「照応思想」からすると「アルファベティカル・オーダー」は「不埒な本」、と高山宏。「シンポジウム「書物の世紀末」」koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/module『藝文研究』70p.105。序數でなく基數的對應?
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返信先: さん
「照応思想」は佛語correspondancesだが、ライプニッツに據り記號の「対応性」を力説した下村寅太郎はカッシーラー流だから、『実体概念と関数概念』頻出の「対応づける」、獨語zuordnenか。梅村麦生「F・ハイダーの帰属概念」p.99ff參照hdl.handle.net/2433/233790。序數はOrdinalzahl。秩序、序列……
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返信先: さん
因みに岩波書店〈叢書 文化の現在〉全十三册中、この第八回配本『10 書物–世界の隠喩』1981=ci.nii.ac.jp/ncid/BN00491520のみ、國立國會圖書館で缺卷なのは、なにか象徴的。「書物も図書館も、こうした普遍的知の総体性の換喩として位置づけられようとしていた」――が、所詮は有限で一對一對應できない。
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返信先: さん
「人生は落丁の多い書物に似てゐる。一部を成すとは稱し難い。しかし兎に角一部を成してゐる」とは「侏儒の言葉」の諷喩。諷喩=アレゴリーは傳統的定義では連續した隱喩だが、「構造的対応」と佐藤信夫は言ひ、二システムの獨立的照應と『レトリック事典』で佐々木健一。美術上の寓意の照應は約定的。
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返信先: さん
『レトリック事典』p.485「18世紀末頃、アレゴリーと象徴が区別されるようになると[略]アレゴリーに対して、象徴は意味が像が[に?]完全に内在しているものとして定義され」「一部の論者は[略]これと同じ関係を、諷喩と隠喩の間に認めている」。佐々木健一『美学辞典』「象徴」p.141-142も參看。
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返信先: さん
ヘーゲル美學で、象徴は「外形のうちに同時にその現象せしめる表象の内容を包含」、表現と意味とが部分的に一致すべきもの。シェリング曰く、アレゴリーは特殊が普遍を意味する表現、「普遍と特殊が絶対的に一つであるとき、それは象徴的なもの」、美の規定「有限の仕方で表現された無限」と一致、と。
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返信先: さん
アレゴリーでの外在的な「平行する構造」を内在化させると近代的な象徴=シンボルになるわけ。隱喩の連鎖と解されるアレゴリーと相同に隱喩そのものも、比喩される對象に内包されると能記所記が一體化し、換喩風に部分が全體を表す。世界は書物として隱喩されたのが、逆に書物が世界と觀念される如く。
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返信先: さん
隱喩學のハンス・ブルーメンベルクが『世界の読解可能性』hdl.handle.net/2115/43196に曰く、「世界が読解可能な特徴を持っているだけではなくて、逆に読解可能なものが世界含有性に到達することも」「メタファーの書物である世界からメタファーの世界になる書物への転換」15章p.234・235。Cf.16章p.269
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返信先: さん
『世界の読解可能性』12章p.173「書物の量は増え続け、図書館から情報を得るのが世界そのものについて調べるのとほとんど同じくらい難しくなる」、典據は注153所引の『百科全書』中ディドロ執筆「百科全書」の項。曰く「時代とともに,著作の数はたえず増え続ける.膨大な数の書物の中に迷い込むため,
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返信先: さん
図書館で学ぶことが,世の中で学ぶこととほとんど同じくらい困難になり,書物の中に真実を見つけることが,自然の中に見つけるのとほとんど変わらないような時代が来るであろう」。世界と書物(の世界)との等價性の成立。縮圖の筈の「自然についての書物」が「自然といふ書物」=世界なみに擴大する。
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返信先: さん
『世界の読解可能性』「19 空虚な世界書物」p.324「そこには述語名詞の交換可能性があった。世界が一つの書物ならば、書物も一つの世界でありえた。「ココデ書物ハ世界デアル」というメタファーを、E・R・クルティウスは「洗練された逆転」として、一種のバロック的手法として、エピグラム作家」…
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返信先: さん
バロック云々でベンヤミンのアレゴリー論も想起するが、ここで引照のクルツィウス『ヨーロッパ文学とラテン中世』16章「象徴としての書物」1948はleonocusto.blog66.fc2.com/blog-entry-327、「世界文学における文書と書物のメタファー」1942が原型の由。隱喩なのか象徴なのか、はたまたトポスlivresque.g1.xrea.com/notes/topos.htm
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返信先: さん
アルチュセール曰く、「ガリレオの「世界という偉大な書物」」は部分に全體が宿るヘーゲル流の「表出的全体性」に繋がるが、これと斷絶して新たな讀み方を、と(『資本論を読む 上』pp.24-26)。表出的因果性に對する構造的因果性(換喩的因果性、『資本論を読む 中』pp.250-260)で讀めばいいのか?
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返信先: さん
アルチュセールはマルクスの「最も隠喩的でない」用語《Darstellung》に注目し「結果における構造の現前」「結果の中への原因の内在と現前」を説いたが、果してヘーゲル的表出性を脱却できたか。Darstellungといふ語は「表現」(描出)としてガダマー『真理と方法I』も特筆archive.org/stream/gada445
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返信先: さん
ガダマー著p.202「表現と表現されたものとが根源的に一体」、p.224「それら[Repräsentationや象徴]の表現するもの自体が現前する」archive.org/details/gada44。ロマン主義以降アレゴリーと對比される「象徴」の論を踏まへる。トドロフ『象徴の理論』第六章中「象徴と寓意」が自動詞性と言ふのも同斷。
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返信先: さん
なほガダマー『真理と方法 II』p.304は所謂「自然といふ書物」へ言及しarchive.org/stream/gada445原注(11)にロータッカーの同名書やクルティウス『ヨーロッパ文学とラテン中世』も擧げるがarchive.org/stream/gada445、底本になく著作集版で加筆された部分だからか、『III』「全巻索引」に採られてない。

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