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おもいしれ - raikaの小説 - pixiv
おもいしれ - raikaの小説 - pixiv
22,498文字
おもいしれ
政府の刀装職人と政府の肥前忠広と政府の嫁探し騒動のはなし。
なんか王道な話を書いたぞ、の気持ちです。

そいでもって少しばかり早いですが、刀剣乱舞八周年おめでとうございます。
最近ではここが自分の墓場だと思い始めている。
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2023年1月11日 11:58

『政府職員』という肩書は、分類すればこれでもかってくらいには色んな種類がある。
この戦争に手を貸してくれる刀の本霊様と小難しい交渉をするような雲の上な人がいれば、呪術だの結界だの、よくわからんけどたぶんすごいことをしている人もいる。
その一方で現世とそう変わりない光景と言うか、各本丸に定期的に回す資材の在庫が足りないと必死の形相で倉庫を駆け回っている人がいれば、書類に埋もれるデスクで何処其処の本丸の帳簿がおかしいこの請求書はなんだと頭を抱える人もいる。

そして私もその色んな種類の一部であり、少しばかり特殊なことをしていたりする。

今の私が政府の管轄するこの空間にあるのは、大学在学中に霊力適性があることが判明したのが切っ掛けだったんだけど、今振り返っても乾いた笑いしか出ないような始まりだった。
唐突に一人暮らしの部屋のインターホンを鳴らされ、パッと見だと警察手帳にも見えるようなものをドアモニター越しに提示され、全力で動揺しまくりながらドアを開けた無知な小娘に向かって彼らは、「今すぐ現世を離れて下さい、このままだと遡行軍に殺されてしまいますよ」なんて言い放ってくれたのだ。

それも今ならば、彼らは審神者の素質のある人材の保護を目的とした政府職員なのだとわかるけど、基本的に歴史が云々の遡行軍との戦いは世間様には秘されているわけで、その開幕デットボールなやり方はどうなんだと今でもしみじみ思う。
まあそんな何も知らないわからない私が、あまりにも非現実的というか荒唐無稽そのものな話をしてくるその存在を「ヤベー奴だこれ」と大変辿々しくも理解し、安易にドアを開けてしまった己を盛大に罵りつつ、得体の知れない者を前にした恐怖に顔面蒼白になってしまったのは仕方のないことだろう。
その後の「絶対に嫌です、言っていることの意味が全くわかりません」なんて震える声での必死の抵抗も虚しくあっさりと拉致られ、否応無しに貴方の知らない世界ってやつを認めざるを得なくなった話は……その、なんだ、今思い出してもげんなりするだけの記憶なので割愛するとして。
とにかく平凡という肩書の一般人だったはずの私は、審神者候補としてこの世界に飛び込む、と言うよりは叩き込まれる事となったのだ。

まあ結論から言えば審神者にはならなかった、正しくはなれなかったのだけれど。

その理由は単純明快で、私は刀剣男士たる存在を手にした依代へと降ろすことが出来なかったからだ。
教えられた通りに彼らを喚ぶことを何度繰り返したところで『縁』は生まれることなく、握り締めた初期刀となるはずの打刀は何時まで経っても沈黙のまま。政府のおえらいさんは盛大な溜息と共に、周到に用意していた審神者登録書類に「不可」の判子をポンと押した。

審神者としての適正がないのならば現世に帰りたいと強く望んだところで、この世界の特殊過ぎる事情を知ってしまった私に、『当たり前の普通』を再び得る権利など既になく。
そもそも刀剣男士の顕現も出来ないようなぽんこつでも霊力だけはあったわけで、どうにか懐かしくも愛おしいあの世界へ戻れたとしても、こいつ審神者になるんじゃね?と、そのぽんこつ事情を知らない遡行軍に命を狙われることは確定しているわけで、もうどうしようもないのだと諦めるしかなくて。

そうして私は、人生に絶望しながら時の政府職員となったのだ。
しかも超高速極悪突貫審神者修行時に発覚した、ある特殊な能力を生かしての仕事をする職員として。

それは『刀装職人』と呼ばれるものだ。

本来ならば刀装というものは、審神者の霊力と刀剣男士の神気を練り混ぜ合わせて作られるものらしいが、どういうことだか私は実習での刀装作成で、こんな感じかなーっていうイメトレだけでぽんと一人で生み出してしまった。
当時のスパルタ講師曰く、ごく稀にだけれど刀装に宿る者に大変愛されてしまう体質の奴がいるそうで、その珍獣の一人が私だったらしい。まあなんだ、今となってはそっちに特化してしまったのかな、とかぼんやり思ったりして。
まあ、そのすったもんだを経て審神者になれなかった私は、孤独に刀装を生むだけの悲しい雌鳥となったわけだ。

そんな職人が生み出した刀装は各本丸への任務達成報酬になったり、政府所属の刀剣男士へと支給されたりがメインだ。なんでも人の霊力のみで生み出される刀装は、誰かの神気が混ざらない分まっさらで馴染みやすいそうで、何時だか顔馴染みの刀剣男士がぽつりと「つまりは雑味がないんだよなあ」とか言ってた。そのうち「十年に一度の出来」とか「酸味が少なく爽やかな喉越し」とか評価が付きそうだなあ、とか思ったりした。
いや、それも間違ってはいないのかもしれないけど。

なんでも刀装職人と刀剣男士にも相性というものがあるらしく、なんでも私の作る刀装は『ゆるさ』が味わいというか、特徴なのだそうだ。
刀装職人は政府施設周辺にある特殊な万屋街で、それぞれの工房に籠もって生産作業に勤むわけだけれど、報酬用の刀装を引き取りにくる配送職員以外にも、そんな私の特性と相性のいい政府の刀剣男士も頻繁に出入りしたりする。

その顔触れも納得したりなんで?ってなったりと様々だ。

御手杵や明石国行、そしてお馴染みのんびりほわほわな平安刀の方々は納得した。納得のゆるんゆるんな挨拶と共にしょっちゅうやって来る。でもたまにへし切長谷部とか水心子正秀とかが来て、えっ?てなることもある。
一度なんで私の刀装なんですか?と率直に聞いてみたら、「あなたの刀装は……その、無駄な力が抜けるというか、気負い過ぎるな、と言われている気に、なるのだ」と答えてくれて、なるほどってなった。ちなみに顔を真っ赤にしながらぼそぼそと正直に答えてくれたその常連の水心子正秀のかわいさの余り、馬鹿正直にそれを叫んでしまいそうになった。どうにか踏みとどまったけど。

うん、刀の付喪神である彼らをかわいいとか思えるくらいにはなったんだよな、と今改めて思う。
絶望から始まったこの日々もかれこれ数年が経過して、何時しかこの生活も悪くないのかな、とどうにか受け止められるようになったのだ。
時の政府の職員なんて特殊過ぎる仕事で現世に未だ未練はあれど、専門職の公務員だけあってそれなりに給料はいいし、やることさえやっていればそこまで厳しいことも言われない。色々と面倒な手続きはあれど、ちゃんと申請をして護衛を付けて貰えれば、冠婚葬祭盆暮れ正月等での現世への一時帰還も許されるぐらいのキャリアにはなれたし。

正直なことを言ってしまえば、今では審神者になれなくてよかったとも思っている。
ここは政府の管轄する街だ。その審神者に関しての嘘とも本当ともわからない噂話から耳を塞ぎたくなるような痛ましい事件まで、情報というものには事欠かないのだ。
そんな異空間の片隅にある小さな工房。そこで依頼された分の刀装を作って、訪れる人だったり人じゃなかったりするお客さんと雑談をして、たまに自分にご褒美と称してちょっと贅沢な買い物してみたりお高い食事してみたり。

そんな日々で、それなりに満足していたのだ。
ああ、ただそれだけでよかった、のに。

それなのにある日突然降って湧いたようなその騒動は、容赦なく私に襲いかかった。
いや、私だけじゃなく政府で働く一定の職員全てに襲いかかった騒動なのだけれど、とにかくそれはあまりにも予想もしなかったことで、その対象となってしまった職員は困惑したり脅えたりと泣き入ったりと、まあつまりは今も混沌の只中で右往左往してするばかりで。

その騒動は、通称『嫁探し』と呼ばれている──。











切っ掛けは『極』と呼ばれる、刀剣男士がより強くなるための道筋が見つけられたことからだった。
彼らは自らをかたち作った過去へと向かい、それを修行とする。
そのためには必要とされた幾つかの霊具とそれなりの練度だけでなく、その本刀がこれと定めた人の子のために、『唯一の存在のために強くなる』という意志が必要らしく、それらが認められなければ霊具は修行へと出るためのゲートを開いてくれないらしい。

そして本丸にある刀剣男士ならば我が主のために、となるのだけれど、それが政府所属の刀剣男士となると、その『唯一の存在』が、ない。

特命調査等の特殊な任務に付く存在もいるけれど、基本的に政府所属の刀剣男士は様々な事情を経て、己を振るう楽しみを優先させた結果そういう肩書になった、ぶっちゃけて言ってしまえばバーサーカーな方が多い。
主従の契約どころか、唯一の存在を作ることもなく、自らのために嬉々と警護やら血腥い戦場やらの任務を請け負っていたのだ。歴史を守るという大義なんて知ったこっちゃない、政府に手を貸すのはあくまで刀としての本能のついでなのである。
なんで、条件が満たないので修行には出られませんよ、となれば、それはもう額に青筋浮かべての「は?」の大合唱となったそうだ。
どうしてより強くなるためにそんな意志なんぞが必要なんだ、それならば我々が修行に出るための特例を作れと彼らは訴えて、けれど政府はやっと正規の道筋を見つけたばかりなのに、そう簡単に特例なんぞ作れるはずがない、どうにか方法を探すから待っててくれと必死にお願いするしかなく。
そうしてバーサーカーな政府所属の刀剣男士はどうすることもできないままに、先を越され続けるという不満をじりじりと溜めていく日々を送ることとなり、やがて痺れを切らした末にある結論に辿り着いてしまった。

『それならば、もう手っ取り早く政府職員の嫁でも迎えて、それを証しとすればいいんじゃね?』と。

そのあまりにもぶっ飛んだ提案に政府はめちゃくちゃ慌てて、いや待てさすがにそれは飛躍しすぎでは、と必死に止めたらしいが、相手は分霊とは言え、主従の契約というものがなければ人よりも上位の存在である付喪神。
説得する間も与えて貰えないままに、フリーダム過ぎる刀剣男士による嫁探しは始まってしまい、大きな戦力である彼らを手放したくない政府は、機嫌を損ねて本霊に還られてしまうよりはマシ、と最終的にそれを黙認するようになってしまったのである。

まあ、あくまで通称が『嫁探し』であって、その対象は老若男女問わずなので、全部が全部そうとはならなかったわけだけど。健全に好ましい、その生を見守ってやりたいと思って貰えるような良好な関係を築けたのならば、それはむしろハッピーな結果なのだろう。

だが、本気で嫁としてロックオンされてしまえばもう大変である。

より強くなるために、と人の子と深く関わることを望んだ結果、うっかり運命とやらを見つけてしまった刀剣男士はガチで嫁にしようと口説きにやってくるのだ。
つい先日も数少ない同僚職人である大人しくも真面目な年上女性が、政府所属の薬研藤四郎の漢に陥落した。結婚報告に来てくれた、しあわせそうな妙齢の女性と少年姿の付喪神へ「……需要あると思いますよ」とか、祝福にもならない言葉を口にした私はおそらく静かに混乱していたのだと思う。

だって、だって『神嫁』だぞ!?現世に残した何もかもを捨てて、人の理を離れて永く続くであろう時間をずっと共にあるということだぞ!?そんなとんでもない決断をあっさり……いや、うん、決してあっさりなんかじゃないのだろう、けども。
そこに行き着くまでにきっとたくさん悩んでたくさん苦しんで、それでも彼女は異なる存在な彼の手を取ったのだろう。同僚職人の浮かべた笑顔は、たぶん、そういったものだった。
ああ、腹を括った女は強しと言うけれども、私にはとてもじゃないけど同じような決断なんて──。

「なあ、あんた」

工房の片隅にあるささやかなキッチンで、ぼんやり珈琲を啜っていた私に掛かる、低い声。

「どうした?魂でも飛ばしたような顔をして」

「……そりゃ、魂も飛びますよ」

心からの溜息をカップの中の黒へと吹きかければ、声の主はクックッと楽しそうに肩を揺らして笑う。

「他人事だと思って」

「他人事だしなあ。なんだ、俺も当事者に加わってもいいのかい?」

「全力でご遠慮下さい」

地を這うような音で何が何でも絶対にやめてくれと訴えれば、今度は遠慮も何もなく豪快に笑う。
そんな爆笑する姿も大変絵になるこの男、名を大般若長光と言う。
彼もまた政府所属の刀剣男士であり、私がこの仕事を始めた頃から刀装の品質管理をしてくれている存在だ。
刀装の品質管理ってなんだそれとお思いだろうが、実際にこれを使うのは彼らであり、私には不具合があるかどうかの詳細まではさすがにわからない。もしその不具合があって、いざ戦闘という時に使えませーんって事態になるのは洒落にならなすぎる。だからチェックして貰えるのは大変ありがたいと思っている。ちなみに私の生み出す刀装を「雑味がない」と評したのはこの刀だ。

「まあ、そんな物騒なものをこれでもかとべったりくっつけられていれば察しはするがねえ」

目の端に涙まで滲ませつつゆっくり歩み寄ってきた彼は、私が手にしていたマグカップをスッと横取りして当たり前のように口をつける。そんな勝手な振る舞いですら絵になり、それでそのまま許してしまいそうになるから長船の刀は本当に恐ろしい。

「しかもまた増やしたな?」

「増やしたんじゃない、勝手に増やされたんです」

眉間の山脈が更に深刻なものとなる。常駐となりつつあるこの皺が戻らなくなったらどうする、その時には責任取ってくれるのか、なんて長い付き合いの彼に何時もの調子で言おうとして、けれどそんなことを口にしようものなら更に自分の首を絞めることになると気付いて、寸前でぐうっとそれを飲み込んだ。

「…………」

こうして指摘されてしまえば、改めて頭と胃が大変痛くなる。
大般若さんの言う「べったり」とは、刀剣男士の神気のこと、だ。

なんでも今の私には、それがお手付きとばかりにべったりくっついている、らしい。この目には見えないからわからないのだけれど、悲しい哉、そのべったりされたという場面には思い当たるアレコレが、ある。
そう、彼ら、である。どうしてこんなことに、と頭を抱えるくらいには複数振りいらっしゃる。

大般若さんの言う、「また増やした」は量のことではなく刀剣男士の数、なのだ。

相性というものを軸に彼らとそれなりに関わる仕事をしていたことが、まさかこんな事態を呼ぶなんて誰が想像出来たものか。彼らによる嫁探しの案が上がったその時、候補として私が頭に浮かんだんだと聞かされた時は、愕然のあまり膝から崩れ落ちたくらいだ。
「これからは刀の付喪神と人ではなく、互いが男と女であると意識してみようじゃないか」なんて言われたけれど、唐突に、そしてあまりにも適当過ぎる理由で巻き込まれた私からすれば、「おまえら真面目に他所で嫁探ししろ」でしかない。
いや百歩どころか一億歩譲って別に嫁じゃなくて、幼気な人の子を見守ってやろうっていう健全な関係でいいじゃないですか、私はそれで十分有り難いし刀剣男士は待ち望んだ修行に出られるのだから、それで平和的解決では?なんて必死に訴えてはみたものの、暖簾に腕押しと刀剣男士に説得はイコールだと思い知らされるしかなかった。
なんでもせっかく肉の身を得たのだから、人の嫁を貰ってみるのも一興だろう、だそうで、改めて心底の溜息が出る。そんな一興とやらで神嫁にされるとか冗談じゃない、せめて真摯に想ってくれるのならば……いや、想ってくれたところでやっぱり全力でご遠慮したいのだけれど。

ちなみにそのべったりの神気は、大般若さん曰く「凄く怖いもの」だそうだ。
なんでも練度の高い者の神気ほど強い牽制になるそうで、その上で今の私についている神気はその怖さのレベルってのが同等の者ばかりらしく、つまりそれは相当な高練度の刀剣男士だらけ、ということだ。
これまでの彼らとの関わりの中で、そんな気配なんてものを微塵も感じたことがない私はますます途方に暮れるしかなかった。

「その様子だと、まだまだ絆されることはなさそうだなあ」

絆されてたまるか。こちとら普通の人生……いや、刀装職人なんてやってる辺りで普通とは遠くかけ離れてしまったけれど、極力その『普通』に近い所で生きていきたいのだ。
そんな私の魂の叫びが聞こえているのか何なのか、大般若さんは無駄に色っぽい流し目を寄越しつつ、「まあ、頑張りな」と大変適当に応援して下さるんで、私も大変適当にアリガトウゴザイマスーなんて返して。

「……今度また飲みに付き合って下さいよ、もう飲まなきゃやってらんない」

「そりゃあ喜んで。俺としては今夜でも構わないが?」

「あー、今夜はちょっと」

自分から誘っておいて申し訳ないと思いつつ、今夜は先約があるので、と伝えれば「おや、振られちまったなあ」と軽やかに笑う。
顔馴染みの大般若長光。彼のこんな近くて遠いような距離感にひっそり何度も救われたりしてたんだよなあ、とぼんやり思う。この仕事を始めたばかりの頃から私が煮詰まる度に肩の力を抜けと、そう言葉にせず、でもさりげなく手を伸べてくれた優しい刀の付喪神。

「…………」

ふっと、つくづくやり方が『彼』とは真逆のタイプなんだよなあと、なんて思い少し笑ってしまって。
ああそうだ、今日は絶対に定時上がりにしなきゃと私はちらりと時計を確認して、さっさと仕事終わらせますか、と凝り固まって石のようになった肩をぐるりと回した。











私の住居は工房の二階部分にある。
入り口の電子掲示板に本日は終了しました、の文字を表示させて、そのまま外階段をひょいひょいと登ればそこからはプライベートな時間へ突入だ。そして今日はそのプライベートにお客様がいらっしゃる予定なので、頑張って仕事を定時終了させたわけなんだけども。
ドアの網膜認証キーがピッと音を立てるのとほぼ同時、ガチャリと音を立ててその鉄扉を開けば設置されたセンサーライトがパッと点灯して。
そうしてこの目に飛び込んでくるのは玄関に無造作に投げ出された足と、その先にごろりと転がる痩躯──。

「遅え」

開口一番これである。
続いてそれに同意するかの如くその腹部からごぎゅるるるるるとか盛大な音がして、ある意味器用だな、となんだか感心してしまった。

「定時上がりですよ」

「知るかよ。さっさと飯食わせろ」

むくりとその半身が起こされて、低い位置からじろりとこちらへ向けられるその瞳はほの暗い赤の色。
最初の頃は人にはない瞳の色とその眼光の鋭さ、更にはそのぶっきらぼうな口調に怯えまくっていたけれど、今となっては決して不機嫌というわけではなく、これが彼のデフォルトなのだということをこれ以上なく理解している。
いや、今は空腹で若干気が立っているかもしれないけれど。

「肥前さん」

その名を呼べば、あ?と大変低い声での返事が返る。

そう、彼は政府所属の肥前忠広である。
そして私の恩人でもあったりする。

彼との付き合いは大般若さんと同じくらい長い。まあ、大般若さんは仕事の関係で長い付き合いとなったのだけれど、肥前さんはちょっとばかりルートが違うというか、まあ、私の駄目人間具合と彼のなんだかんだ世話焼きという性分が上手く……上手く?噛み合った結果の現在のこの状況なのだ。
この仕事を始めた頃から肥前さんは私の刀装を使ってくれていて、何時も夜の闇に紛れるように、工房を閉めるギリギリの時間に来ていた。彼がどういう戦い方をしているのかは知ることは出来ないけれど、政府所属の刀剣男士の中でも景気よく刀装をぱんぱか破壊していたので、ここへやってくる頻度も高かった。

その二つの要因が重なった結果、彼は出会って早々に工房の床に行き倒れている私を発見する羽目になったのである。

まあ、なんだ。この仕事を始めた頃は、自分の力の使い方もわからず無闇矢鱈に力んで力みまくって、霊力切れ起こして仕事完了と同時に意識寸断なんてことをよくやらかしていたのだ。
そしてそれを不運にも発見してしまうのが、この肥前さんだったわけで。
無言で冷え切った床に懐く私を放置することも出来ず、床よりマトモな場所に寝かせて意識戻るまで工房にいてくれて。もちろんその後に盛大な罵倒を頂いてしまったのだけれど、彼がなんだか怖い刀剣男士という印象から変わっていくのにはそう時間は掛からなかった。
だって、その行き倒れを両手の指の数以上やらかしても決して呆れ見捨てることもせず、エッジの効いた説教と共に何度も何度も面倒を見てくれていたのだから、そうなるのは当然だろう。
申し訳ないやらありがたいやらと迷惑を掛けまくった私がどうにか御礼を、と何十回目かの行き倒れの後に深々と頭を下げれば、「んなもんいらねえ、とにかくおまえは学習しろ」との至極真っ当なお言葉が返ってきて。それでも諦めることなく恩返しを訴えて、そうしてしぶしぶながらもどうにか得た御礼の方法が、さっき彼が履いた台詞そのまんまのもの。

飯を食わせろ、だった。

それもお高い飯を食わせろ、ではなく手料理をご所望されたのだ。
なんでも政府の食堂や店の飯はつまらねえ味がする、とのことでつまらねえ味ってなんだろうと首を傾げつつも、私はそれをハイ喜んで、の一言で秒で受け入れて。
そうして何時しか肥前さんが任務から帰ってきたら、ここに御飯を食べに来るが恒例となったわけだ。
几帳面にも彼は次はいつ頃に来る、と帰り際に伝えていってくれるので、それに合わせて私は頑張って飯の支度をしているわけで。

「ただいまでおかえりなさいです」

「おー……で、今日はなんだ」

「ちょっといいお肉買ってきたんで、肉じゃがと言うか見た目的には肉肉肉じゃがって感じのが大量に」

今晩のメニューを雑に発表すれば、短く「悪くねえ」と言葉が返る。
彼の口にする悪くねえ、が大変よろしいとの意味だということも今ではよくわかっている。

お世辞にも広いとは言えない玄関でごそごそと靴を脱ぎ、肥前さんの脇をよいしょと通り抜ければ、彼もようやく立ち上がって履物を脱ぎ、足音も立てず、けれど確かに背後から付いてきてくれる気配がある。

肥前さんは何時も玄関で、その先には進むことなく私を待っている。
御飯を提供する関係が始まったばかりの頃は、外階段に座り込んで私が仕事を終えるのをじっと待ってくれていたのだけど、さすがにそれは日によって心からご遠慮願いたい日もあったわけで。
そう、ここが政府の管理する場所とは言え人としての感覚が鈍らないようにと、極端なものはないけれど四季は存在するし、雨風の強い日だってあるのに、彼はそれを全く気にする様子もなく待っていたのだ。
気温一桁、しかも大雨の日にずぶ濡れの状態で、肥前さんが階段にじっとり座り込んでいた時にはさすがに悲鳴を上げた。
そこから我ながら必死の形相だったとは思うけど、どうか部屋の中で待っててくれ、とお願いした時にはやはり至極真っ当な、けれど肥前忠広という刀の全力の罵倒兼説教を浴びることとなった。
「おまえは警戒心ってものがねえのか!」から始まり長々と続いたそれに、けれど私はへこたれることなく抵抗して、抵抗し続けて、「肥前忠広という刀がそんな下種なことするわけないじゃないですか!」と我ながら逆ギレかつ、卑怯だとは知りつつも言外に意味を含ませた反論をして。

そのまま無言で三分以上がっつり睨み合った後、最終的に彼は折れてくれたのだ。

いや、刀の付喪神に対して折れる、なんて言い方はアレだとは思うけど、本当に様々な感情を無理矢理殺した末に仕方ねえから納得してやる、みたいな苦味十割の表情をしていたのだから、それが一番正しい表現だったと今でも思う。いや、その後に無言のままに刀剣男士による容赦ないデコピンを食らって、たっぷり五分以上床に転がって悶絶する羽目になったけど。

まあそんなこんなを経て、彼はこうして玄関までとは言え、部屋の中で私の仕事終わりを待ってくれるようになったのである。部屋の主が不在ならそこから先に行かないのは、あくまで彼がそう、折れてくれただけなのだ、とその度にしみじみ思い出したりしつつ。
つくづく真面目な刀だよなあ、と何度目かもわからない感想を抱くけれど、それを本刀に言ったら再びのデコピンどころじゃなく怒られるんだろう。

そんな私の脳内なんぞ知る由もない肥前さんは、今じゃすっかり定位置となっているリビングのテーブル横のクッションにぼすりと身体を横たえると、そのままじっとりとその暗い赤の色を向けてくる。
ああ、これは余程の空腹と見た。

「とりあえず温め直している間、これ食べてて下さい」

冷蔵庫から取り出した大皿のサラダとドレッシングをテーブルの上に乗せれば、「こんなもん食った気にならねえ」と不満の声が上げるけれど、すぐに身を起こして差し出されたフォークを受け取る辺りは大変素直である。
背を向けた瞬間にばりばりと豪快な音が聞こえて、あっという間に儚くなるサラダの未来を察した私は、慌てて大鍋の中身を温める作業へと没頭して。
けれどそれも背後から響いた「おい」の声に、鍋に対する集中はあっさりと死んだ。

「また増やしやがったな」

昼間に大般若さんに言われた台詞、再びである。
いや、肥前さんに言われるのもこれでかれこれ何度目か。

「……数日前に愉快な平安おじいちゃん刀達に、ゲーム感覚で景品にされまして。人の子は縁日の射的の的じゃないんですよ、そんなんお遊び感覚で落とされてたまるか、一昨日いらっしゃって下さいと笑顔で申し上げましたよ」

ああ、つくづく刀の付喪神に対して随分と逞しくなってしまったものだ。
背後を振り返り、溜息混じりにその件が迷惑以外の何物でもないと訴えれば、肥前さんは大変悪い笑みを浮かべて「おまえにしちゃ上出来だ」とお褒め下さった。本刀にそのつもりは全くないんだろうけども、なんか悪役の配下みたいな気分になってしまうな?

「で?糞爺たちは?」

「そうかそうかとそれはもう大爆笑で、お優しくも寛大な付喪神様で助かりますね」

心にもない感謝を今度は虚無と共に吐き出せば、珍しくも今度は肩を揺らして笑っている。そのままゆらりと立ち上がりキッチンスペースに足を踏み入れたと思えば、炊飯器の蓋をがぱんと開け、勝手知ったるとばかりに棚から茶碗やら何やらを取り出して。

「暇を持て余した爺は心底厄介だ、今後極力絡むんじゃねえぞ」

落とされた言葉は、実感の籠もった重さだった。

「胸に刻んでおきますよ」

絡まない、そう出来たらどんなにいいことか。
しかしながらこんな仕事をしていれば会話せず要件だけで、なんて到底無理なわけで、肥前さんもそれを分かっていて一切ではなく極力と言ったのだろう。それでも忠告せずにはいられないほどそのおじいちゃん達が本当に『厄介』なのだろうな、としみじみ実感させられて泣きが入りそうだ。

「あ、冷蔵庫にほうれんそうの白和えが」

「おー」

飯を食わせろ、なお客様なはずなのに、しっかり二人分の御飯と茶を用意してくれて、更には軽い返事一つで冷蔵庫から副菜を出してテーブルに運んでくれる。そして予想通り呆気なく空となったサラダの皿は、当然とばかりの顔でシンクへ戻して、更には水に漬けておいてくれる。

さて、こんな私達の関係はなんと呼ぶのだろうか。

今となっては恩返しをする人とされる刀の付喪神、というものじゃないのは確かなんだろうなあ、とは思う。
まあそこは考え出すと妙な深みに嵌りそうだから、出来るだけ思考を放棄するようにしているけど、でも少なくとも私にとってはこの距離感が大変心地良いし、実はひっそりと嬉しかったり、する。
正直なことを言えば、刀装職人となってそう長い年月を過ごしたわけじゃないとは言え、何処か希薄になってしまった現世、身内や友人との繋がりに淋しさを覚えてしまうわけで。だからこんな風に気安い誰かがいてくれるのは、本当にありがたいと思うのだ。人ではない、けれど彼らは肉体を持ち、伝える声があり言葉がある。何気ない会話が出来るというのは、本当に──。

「おい」

「えっ、はい?」

「味噌汁も温めてんじゃねえのか」

「え、うわ、やば」

「やば、じゃねえよ!ぼさっとしてんな!」

一緒に温めていた朝の残りものの味噌汁がゴボゴボとやばい音を立てていて、慌てて火を止めれば横から味噌汁用の椀が二つすっと差し出された。なんていうかこういうところなんだよなあ、とか思ってしまうな?

「……んだよ、その面は」

「キャー肥前サーンとか思ったりしまして」

素直に吐けば、おそらく心底を込めたであろう表情と声音の「馬鹿か?」を頂いた。
そうして雑談にもならないしょうもない会話を続けながらも、テーブルの上が晩飯準備万端となれば互いに定位置に座ってのいただきますタイムだ。
ちゃんと手を合わせていただきますを口にするところとか、何気に箸使いが大変美しい辺りに、この肥前忠広という刀の本当が透けて見えるような気がするのだけれど、そんなことを言ったら以下略。

「そういえば先日、肥前さんの同僚だって刀剣男士に会いましたよ」

何気ない会話の延長でふと思い出した記憶を口にすれば、口の中にあるものをしっかり咀嚼しごくりと飲み下してからの「ああ?」が返ってきた。行儀が良いのに治安が悪い。

「……どいつだ」

「山姥切国広様ですね。買い出し先ですっごいこっち見てくる方がいるなーと思ったら、声掛けて下さって」

「何を言われた。いや待て、あいつはいっつも余計な事しか口にしねえ……」

「いやそんな。肥前さんが世話になってる、これからもあいつをよろしく頼む的な」

「予想通りのクッッッッッソ余計なことじゃねえか!!」

「山姥切様がどういう経緯で私のこと知ってたのかはわかりませんけど、とりあえずいやいやこちらがお世話になっている側ですのでって深々しておきましたので、問題はないかと」

「問題ないわけねえだろ!!」

どの辺りが?と疑問を口にしそうになったけど、肥前さんの顔面の治安まで悪くなっていたので賢い私はそっとそれを飲み込む。

「いいか、今後おまえはここ以外で知らねえ刀に声掛けられたらとにかく走って逃げろ、いいな」

「そんな不審者みたいに」

「不審者なんだよ!!」

断言した。
いやでもガチな話、知らない刀剣男士に声掛けられる度に逃げまわってたら、仕事と言うか、政府職員人生に色々と支障が出てしまいますって。そんで工房に来た時ならば扉を潜った時点でのセキュリティチェックで何処の誰だというのはわかるんだけども、外では誰がやばそうなので近付かんとこ、なんて判断するのは不可能なわけで、もうどうしようもないですって。長い付き合いのおかげなのか、肥前さんと馴染みの大般若さんはぱっと見だけでわかるんだけどもなあ。

「まあ、頑張ります」

訴えたい諸々はそっと胸の奥に仕舞い込みつつ、大変適当な返事を返しておけば、はあああああってでっかい溜息が部屋に響き渡った。

「……おまえは何もわかってねえ」

「さっきも馬鹿って言われたし、そこは諦めて下さい」

「根に持ってんじゃねえよ……」

舌打ちはされたものの、箸を動かすことを再開した辺りで今は素直に諦めてくれたのだろう。感謝の代わりにおかわりは?と問えば、無言で空の茶碗が差し出される。
人と刀の付喪神の不思議な関係。
ぼんやり曖昧で名や形を持たなくとも、私にとってこれが擽ったくも心地よいものだというのは確かだ。










繰り返すが、『政府職員』という肩書は、分類すればこれでもかってくらいには色んな種類がある。
そんでもって私は今、その色んな種類のとある肩書の方から遺憾の意を発動されている。

本日は政府所属の職人達による本部での定期集会だったわけなんだけども、それが終わった辺りで、私が大変気に食わないので一言どころじゃなく言ってやりたいらしい、とある肩書きのおねえさまが、会議室の出口でどーんと仁王立ちしていらっしゃったわけだ。
このおねえさま、政府のそれなりに有名な呪術ナントカの方らしく、そんなんご職業のせいか神気とかそういったものが見えるそうで。
まあつまりは私にべったりと付いているらしい、無数の神気が気に食わないと。おまえみたいな刀装職人程度がいい気になるな、的なまあ王道というか、その道によくありそうな遺憾の意ですね、ハイ。よくあっちゃいけないんですけどもね。いじめはかっこ悪いけど、大人のいじめは尚更かっこ悪い上にたちが悪い。
このおねえさまに遺憾の意やられるのも、これでえっと何度目だっけか。ぶっちゃけ数えるのも面倒なくらいには食らっていて、今回なんてわざわざ待ち伏せまでして下さる辺り、いっそ私のことが大好きでは?みたいな気持ちになってきたな。いやさすがにそれは笑えない冗談だけど。

まあなんだ、以前似たような状況をうっかり見掛けてしまい、やれやれと言わんばかりに同情してくれた政府のとある職員さんが、「刀剣男士から全くお声が掛からないからプライド瀕死なのよ、あの人」と教えてくれたので、つまりは『そういうこと』なんだな、と。
わざわざ集会終わったばかりの、ロビーに同業者だけじゃなく人目がたくさんあるのを理解した上でこんなんをやる辺りとか、「そういうところなんじゃないですかね」と真顔で突っ込みたい。言ったらもっと面倒なことになるのが目に見えてるから言わないけど。

ああ、うっかり盛大な溜息を吐き出してしまいそうだ。

刀剣男士による嫁探し騒動だけでも、私にとっては迷惑以外の何者でもないのに、もれなくパワハラいじめまでセットで提供されてしまうとか、本当に全てがうわめんどくせえの一言に尽きる。
まあそもそもその騒動さえなければ、私もおねえさまももっと心穏やかに生きられてたはずなんだろうけどな。嫁探しを憎んで人を憎まずだな、うん。おねえさまだってきっと好き好んでこんなことしてるわけじゃないだろうしな、なんか今日は一段とボロクソ言われてる気がするけど気の所為にしとこうな。

ああでも一つだけ突っ込みたいところはあるわ、その刀装職人程度ってニュアンスの言葉を何度も繰り返すのは心底やめた方がいいと思うな。確かに私は初期刀となる付喪神を降ろすことの出来なかった審神者になれない落ちこぼれだったかもしれないけど、それなりのプライドと責任持ってこの仕事しているわけで、それを上から目線であーだこーだ言うの本当によくない。どんな仕事であれ、それぞれの役割があって政府機関ってのは機能しているわけで、尊敬とまでは言わないけど敬意くらいは持った方がいい。お互いに大変だねお疲れ様の心、大事。

いやそれよりも、ここはさっきまでそういった職人の皆様が集会していた場所なわけで、現在このロビー全方位向けてに喧嘩売ってる状況なの気付いた方がいい、切実に。まあ彼女もいい大人なわけで、発した言葉の責任は全部自分が負うことになるのだから、違った意味での大変だねお疲れ様、の言葉を未来のおねえさまに送ることにして。

静かに深呼吸をして、ざわざわと波立ちそうな自分の心を繰り返し何度も宥める。そうやって終わりの見えない『ありがたいご忠告』を右耳から左耳へとどうにか聞き流して、何も言い返さず俯いてさえいれば向こうが勝手に諸々を誤解して溜飲を下げてくれるので、ひたすらに無言を貫く。

ああまだ終わんないかな、いっそ心のなかでその負の感情よ早く成仏して下さいと般若心経でも唱えればいいかな、とかまで思い始めた、その時だ。

俯いた視界の先にあるのっぺりとした白い床に、黒っぽい何かがふっと過ぎったのが見え──。

「ヒッ!?」

ドガッッッ!!なんて物凄い音がしたかと思ったら、ほぼ同時に万が一の襲撃に備えて強化仕様になっているはずの床がビリビリと震えた気がした……てか、確かに、震えた。
そうっと顔を俯けたまま視線だけを音の発生源の方へと向ければ、私の真横。背にした壁にめり込む勢いでの足先が見えて。

それが大変見慣れた足先だと、あっさり理解して、しまった。

「…………」

シンと静まり返ってしまったロビーと、見つめる先の足先からぱらぱらと零れ落ちる、小さな欠片のようなもの。えっと、床と同様に壁も強化仕様のはずだったのでは?なんて、この状況において大変どうでもいいことを考えながら、おそるおそる視線だけじゃなく顔をその足の持ち主へと向けようとして。
けれど視線は絡まることなく、私の視界そのものを遮るようにその背が向けられ──。

「……っ」

その瞬間、だった。
ひゅっと息を飲み込んで、そのまま呼吸が出来なくなった。

ぶわっとこの空間の空気が、変わった。

肌の表面がびりびりと粟立って、一瞬で自分が圧倒的な存在を前にした小さな生き物のような心地になって。身体なんて動くはずもなく、ただただすぐそこにある終わりを感じることしか出来なくなるような──。
目の前にあるその背中から今も溢れ出るのは、あまりにも明確な、無情の意思。
ああ、私のような戦場を知らない者でも、あらゆる生き物に備わった本能のようなもので、わかる、わかってしまう。

これは、きっと、殺気だ。

刀剣男士が放つ殺気を浴びるようなことなんてこれまであるはずもなく、それを肌で感じるのはこれが初めてなのだけれど、『存在の違い』というものを思い知るにはそれは十分過ぎるものだった。
自分に直接向けられたわけじゃない、それでも今も指先一つ動かすことも出来ない。
まるで時間が止まってしまったかのような世界の中、けれどそれを真正面から向けられてしまった存在だけが、「ひ」と空気の抜けるような音と共に崩れるように床にへたりこんだのが僅か見えて、ああ、彼女は自分の死を眼前に突き付けられたような心地なのだろうか、とぼんやり思った。
人に対して友好的であったはずの刀剣男士という存在が、その内に抱える苛烈の面はこんなにも──。

…………ああ、そうか、そうだ。

そこでようやく、私は気付いた。
今にも目の前にある何もかもを切り裂くようなこの殺気は、たぶん──、いや、きっと、そう、私のためのものなのか、と。
振り返らない背中。けれどその背中の持ち主が自分があまりにもよく知っている、数少ない『個』としてとらえられる存在なのだと。そしてその彼が周囲の存在を突き放しているようで、でも一度でもその内に入れた者に対してどれほど過保護になるのかを、知っている。
ようやく呼吸の存在を思い出して、辿々しく息を吸って、吐いて。

ひぜんさん。

石のように固まっていた唇はどうにかその名を形作ってくれたものの、声は音にならず、それでも。
ぴくりと、小さくその肩が揺れたような気がした。

「っ!?」

その背はやはり振り返ることもなく、けれどノールックのままにぱしりとあまりにも簡単に掴まれたのは、私の腕。
ぐいっと強引にそれを引かれて、それでも完全に固まっていたはずの足は、奇跡的にもどうにか一歩前へと踏み出してくれた。無様に顔面から床に突っ込まなくてよかったと安堵する暇もなく、肥前さんはもう目の前にあるものに興味はないとばかりに、その足を何処かへ向けてすんずんと力強く進め出す。
対象的にがくがくと大変危うい足取りの私はされるがまま彼の後を追うしかなくて、それでも無意識に振り返ってしまった背後。

「あ……」

へたり込んだ女性の横にひらひらと無表情のままに手を振る山姥切国広の姿があって、もしかしなくても彼は、何時かの肥前さんの同僚だと名乗った彼なのでは、と気付く。
あれはたぶんこっちはまかせろ、みたいな意味なのだろうか、と。頭でも下げるべきではないのかなんて戸惑っていれば苛立ちを混ぜたような手付きで、肥前さんの指が今度は私の腕ではなく手の平をぎゅうっと握り締めて、更に歩みのスピードを上げるから否応なしに視線をその背へと戻すしかない。
つんのめるような勢いで、それでもどうにかぎくしゃくと足を右、左と動かしつつ、ひたすらに彼にされるがまま人気のない白い廊下を進み続ける。

「…………」

未だ振り返らない背中と、合わないままの視線。
繋がれた手だけが異様に熱くて、だからこそそれが彼の中に渦巻く感情を現しているようで。
ああ、たった今この瞬間も、肥前さんは私のために怒ってくれているのかな、なんて、思って。
繋がれた指先に無意識に力がこもってしまって。それに私がひっそり焦ると同時、再び肥前さんの肩が小さく僅か跳ねた気がしたけれど、彼はやはり無言のままに変わらず歩みを進め続けるだけで。

ああ、どれだけあの場所から離れたのだろうか、というかここは何処だろうかとほんの少し不安になってきた頃になって、唐突に。
本当に唐突に、その足がぴたりと止まった。

「……おい」

低い声が人気のない静かな廊下にぽつりと落ちて、その身体がゆらりと揺れたような気がした。
ああもしかしなくても彼は振り返ろうとしているのか、と脳味噌が理解すると同時、私は一歩足を踏み出して──。

「……おい、何してやがる」

させるか、とばかりにその背中にぼふりと顔面を埋めた私へ、ほんの少しの困惑を滲ませた声が聞こえた。

「えっと、その、なんだ、今は振り返らないで頂きたいな、なんて思いまして」

「あ?」

「いやいやいや、なんというか今はちょっと人様にお見せできないような大変情けない顔になっておりまして、そこをご配慮頂けると大変助かります」

「んだよ、んなおもしれえ面なら尚更見せろ」

「嫌でございます」

さっきまでそこにあったはずの怒りは、まるで夢か幻だったかのように掻き消えていた。いや、もしかしたらまだ彼の中では燻っているのかもしれないけど、それを私に感じさせるような気配は微塵もなく。
クッと喉を鳴らして笑った肥前さんの背中にますます顔面を埋めて、でも彼はとうに気付いているんだろうなあ、と思う。まあ、こんな湿った声で喋ってたら当たり前か、と落胆しつつも、それでも最後の抵抗の如く顔面をぎゅうぎゅうに押し付けていたら、繋いだままの指先がふいに動いて。

「ひあ」

するりと嫌に艶めかしい感じのする動きで、手首の皮膚の薄い部分を撫でられて、情けない悲鳴を上げてしまった。

「おやめください、おやめください」

「だったら、とっととその面見せろ」

「おゆるしください、おゆるしください」

「そうじゃねえだろうが。なあ、今のおまえはおれに逆らえる立場じゃねえよなあ?」

笑み混じりの、またしても悪役みたいな台詞が降ってきて、私はぐうっと口を噤むしかない。
そうだ、私は肥前さんに助けてもらった身なのだ。だからこそ本来ならばちゃんと目を見て、助けくれてありがとうございますと頭を下げるべきなのだ。

なのに、それが出来ない、出来そうにもない。

だって今この顔を見られてしまったら、見て見ぬ振りしていた何かを直視までいかなくてもああそっかって認識してしまうというか、背後にあったはずの退路をうっかり見失ってしまいそうというか、とにかくそんな漠然とした予感のようなものがあって。
そしてそれはきっと気の所為なんかじゃない、と理解してしまうのだ。
それなのに目の前にいる神様は、神様なのに慈悲なんてお持ちではなかったようで──。

「うわっ!?」

ぐいっと強く手を引かれた、と思った瞬間、繋がれたままのそれとは別の指先が私の顎をぐっと持ち上げて。

「…………あ」

眼前にある、仄暗い赤の色。
その瞳と薄い唇がきゅうっと弓形に細められて、そうして上機嫌を隠そうともしない声音が囁いた。

「悪くねえ」










「おっ、ついに絆されたか」

顔を合わせるなり、この一言である。
昼下がりの客足もふつりと途絶えた私の工房。いらっしゃいの言葉も口にすることも出来ないままに、心底のげんなり顔を遠慮も何もなく向ければ、こちらをじいっと見つめる瞳がすうっと何かを見定めるかのように細められて、「……いや、まだ多少は他が付け入る余地がありそうか?」なんて、今度は品定めするかの如くな視線をざくざくと突き刺してくる。
口元まで運んでいたマグカップに盛大な溜息を吐き出してその表面の黒を揺らしつつ、大般若さん、と待ちわびていたようで、案外そうでもなかったかもしれないその存在の名を呼べば。

「ああ、嫁入り前の不安がその余地を生んでいるなら、神嫁アドバイザーとして名を馳せたこの大般若長光が」

「すみません、ちょっと黙って貰っていいですか」

刀剣男士という刀の神様に対して、大変切れ味の良い突っ込みを吐き出してしまった。
てかなんだ、その神嫁アドバイザーって。幾ら流暢に横文字を扱うことに定評のある長船の刀でも、さすがにそれは胡散臭さがギリギリのカーブを攻め過ぎているような気がするのだけれど。
今度はじっとりと胡乱な目を向ければ「おいおい、あまり手厳しいことを言うと俺が泣いちまうぞー?」と、大変良い笑顔のままにこれまた適当なことを言から、私は再度の溜息を珈琲に浴びせることしか出来ない。

「……まあ、大般若さんが泣くのはさておき」

「さておかれるのか」

「あの、ですね、ちょっとばかりお聞きしたいというか、教えて頂きたいことがありまして」

「ああ、やはり嫁入り前の心得なら」

「やっぱり黙って下さい」

反射で再び突っ込んでしまった。
そうじゃなくて、と頭を抱えつつ、とりあえず座って下さいと工房の端にあるテーブルセットを示せば、やはりいい笑顔のままに長い脚を持て余すように椅子に腰掛けて、反対側に座ろうとした私の手にしたマグカップは、やはり至極当然と言わんばかりの手付きで奪い取られる。
それに文句や苦情を吐き出す気力もないまま、ずっしり背に伸し掛かってくるような脱力感のままにテーブルの上にべっちょりと突っ伏して。

そうしてここ最近の頭の中を九割は余裕で占めてそうな疑問を、私はよろよろと吐き出した。

「今の私って、刀剣男士にはどう見えているんですかね」

大般若さんが私を見るなり、絆されたか、と言ったその理由。
実のところ、ここ最近の私に対してそんなニュアンスの言葉を口にしたのは彼だけじゃなくて、だからこそイコールで考えられてしまう、その可能性。

そう、刀の神様の目には私の中に生まれた変化が見えてしまっているのかもしれないんじゃないか、なんて。

あの騒動から数日が経過して、その間に工房にやってきた面白半分だったりどこまで本気なんだかで神気をくっつけたりしていた方々は、人の顔を見るなりそうかとでも言わんばかりの表情でしみじみしたり、面白くなってきたなと好戦的な表情を見せたり、まだ決まったわけじゃないだろうと苦々しそうに吐き捨てたりと、総じて大変一方的な納得だかなんだかをして帰っていった。

呆然とするばかりの私を置き去りに。

そしてそれを繰り返せば繰り返す程に、先程の可能性ってやつがどんどん重みを増していって、考えれば考える程に、言葉では言い表せないような焦燥感のようなものが加速していって。
だからこそ真実を聞くことの出来そうな刀材である大般若さんの来訪を、私はじっと待ちわびていたのだ。

あの時の肥前さんの笑みと、「悪くねえ」という言葉。
それから明確とまではいかなくても、曖昧ではなくなってしまった、私の中の、それ。

そうして待ち侘びた真実は、呆気なく私の心と脳味噌を撃ち抜いた。

「どう見えているかも何も、まあ少なくとも今もあんたの頭ん中にいる相手にはしっかりと伝わってるのは確かだな」

ああ、やっぱり、か。
その時、私の中に生まれたのはそんな諦めにも似た思いと、でも意味もなく叫び出したくなるような衝動で。いや、いっそ床の上を転げ回りたいくらいだ。

「あんただって、とっくにわかっていたんだろう?」

そんな私のひっそり大荒れな心情を知ってか知らずか、ぽふりと突っ伏したままの頭の天辺に大きな手のひらが乗せられて、大般若さんの苦笑交じりの声が響く。

「肥前忠広からは何も言われてないのかい?」

……あれ以来、肥前さんとは会えていない。
後始末をしてくる、とだけ口にした彼とは政府施設の玄関で別れてから、それきりだ。

「……大般若さんって肥前さんのこと知ってたんですね」

「男には謎の交友関係ってもんがあるのさ。ちなみに俺はその肥前さんに随分前から、てめえは余計なことすんじゃねえぞって脅されてたんだぞ?」

「ええ……」

ずるずると上げた視線の先で、大般若さんは怖い怖いとやはりいい笑顔である。

「まあ、刀剣男士による嫁探しが始まった時にはもう、あんたは頭っから爪先まで肥前忠広の神気にべったり覆われてたから、なるほどなあとは思ったが」

「…………そう、なん、ですか」

頭っから、爪先まで。
ああもう、そんなことしているような様子なんてこれっぽっちもなかったじゃないか。
そもそも肥前さんにとって、私がそんな対象であるだなんて想像も──、ああでも今振り返ってみれば、少なくとも自分は彼にとってちょっとだけ特別な存在であるかもしれないなんて、無意識にでも浮かれてなかっただろうか。
人と刀の付喪神の不思議な関係なんて、自分勝手な枠にそれを押し込めて。
そうやって私がずっと色んなものを見て見ぬ振りをしている間、肥前さんが何を考えているのかなんて知ろうともせずに。

「まあ、そうやってべったり神気に覆われていたところで、あんたはのほほんとそれを受け入れる様子もなかったからなあ。だからその真意はどうあれ他の奴らも、スキありとばかりにべたべたくっつけていたようだが」

「……受け入れ?」

「刀剣男士の神気が人の子の身体にどれだけ馴染むかってことさ。ただ纏わりついているだけじゃ意味がない。言い方はアレだが、己の神気の侵食具合によって相手が脈アリかどうかがわかるってな。そうそう先程の質問の答えになるが、それによって他の奴らもあんたがついに絆されたのかってのがわかったってワケだ。まあ、あの肥前忠広も周囲に余計な茶々を幾ら入れられようが、あんたは必ず己を受け入れるだろうと余裕をかましてたようだがなあ」

…………うん?

「……しんきの、しんしょく?」

なんか今、力一杯人の道を踏み外すようなワードが聞こえた気がするのですが。

「いやいや、そんな深刻に考えんでもいいさ。まあなんだ、人が刀剣男士の能力を数値化して見れるように、俺達には人の子の好感度ってヤツが数値化までとは言わんが、なんとなくわかるぐらいに考えてくれればいい」

「……………………マジですか」

恋愛シュミレーションゲームかよ、なんて呻くような突っ込みは声にもならず。
つまりはなんだ、あの時の肥前さんの「悪くねえ」の台詞は、私がその纏わりついていたらしい彼の神気を受け入れたのを見届けた瞬間ってことで、そしてそれを好感度的な意味で「悪くねえ」と評されたって、ことで、よろしいでしょうか。

いや、よろしくない、全然よろしくない。

私の中に生まれてしまった彼に対しての心の変化を認められても、神気の侵食とかさらっと怖いこと言われてそうだったんですねーとか、そんな大事をあっさり受け入れられるはずがない。
だって私は時の政府職員とは言え、極力『普通』に近いところで生きていたいのだ。

なのにここで神嫁の二文字を今これ以上ないくらいに突きつけられて、ぐわんぐわん脳味噌が揺れるのを感じる。
ああ、川の向こう側に手を振って行ってしまおうとする『普通』が見える、お願い行かないで私の『普通』の人生──。

「それでなくても、あんたは神気が馴染みやすいようにされていたしなあ」

「…………は?」

それは、どういう、意味で?
再びの望んでもいない衝撃の予感に、思いっきり間抜け面を晒していることを承知で持ち上げた視線のみでそれを訪ねてみれば、大般若さんはこれまた艶やかにニヤッと笑うと、私の手から奪ったマグカップの中身をぐいーっと飲み干して見せて。

「あんた、俺と肥前忠広が『わかる』だろう?」

わかる、その言葉の意味をさっきからずっと揺れっぱなしの脳味噌でじっくり咀嚼して。
ああ、肥前さんとこの大般若さんは長い付き合いのおかげか、『個』としてわかるけど──って。

「へ?」

これまた間抜けな声しか出なかった。
それにクックっと喉を鳴らして笑う大般若さんは、手にした空のマグカップの取っ手部分を指先に引っ掛けてぷらぷらさせながら、悠然とその薄い唇を開く。

「人と人ならざるものが、一つの供物を分け合えば、それだけ『近く』なるってことさ」

くもつ?
くもつって、あの供物ってやつのこと、です?

「この珈琲にしろ、あんたが肥前忠広に提供していた飯にしろ、な。あんたは全然気付いちゃいないようだったが、分かち合うことで生まれる縁があり、我々のような存在はその縁の糸を辿って人の子へと『近付ける』。そのお陰であんたは俺や肥前忠広が『わかる』んだ。まあ、あちらさんは随分と周到かつ念入りに外堀を埋めてたようだがなあ」

そとぼり。

これまでの肥前さんと過ごした日々の中で、何時の間にかそんなん埋められていたとか、嘘だろう。
そう、嘘だと思いたい。思いたいけれど、でもそれが確かな真実ならば、あの時私が見失ってしまいそうだと思った退路は、もしかしなくてもとうの昔に失われていたのだろうか。
私の『変化』からではなくて、ずっとずっと前から、肥前さんは──。

「まあ、これから存分に肥前忠広の執着ってヤツを思い知るこったな」

その言葉は、私の思考の息の根をいとも簡単に止めるものだった。

「ああそういや、あいつの同僚の山姥切国広があんたに感謝してたぞ。嫁(仮)であるあんたのおかげで、肥前忠広が無茶な戦い方をしなくなったってな」

まあ、あの山姥切国広の場合は純粋に同僚を心配してとかじゃなくて、ただ単に面倒事が減ったってことを喜んでそうだがなあ。
やんわりと話題の方向を切り替えてしみじみとする大般若さんに、ひたすらに呆然とすることしか出来ない私が返事なんか返せるはずもなく。

そして当然の如く、その日はまともに仕事なんて出来るような脳味噌と精神状態じゃなくて、今日はもう全部が全部無理です、と大般若さんには早々にお帰り頂き、よろよろと工房を閉めた私が力なく開けた二階住居のドア。
玄関にあったのは無造作に脱ぎ捨てられた、あまりにも見慣れてしまった誰かさんの履物、で。
そんなまさかとおそるおそる向けた視線の先にある、リビングに無防備に投げ出された二本の足に、私は声無き悲鳴を上げる羽目になる──。




おもいしれ
政府の刀装職人と政府の肥前忠広と政府の嫁探し騒動のはなし。
なんか王道な話を書いたぞ、の気持ちです。

そいでもって少しばかり早いですが、刀剣乱舞八周年おめでとうございます。
最近ではここが自分の墓場だと思い始めている。
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2023年1月11日 11:58
raika

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