三島憲一(みしま・けんいち) 大阪大学名誉教授
大阪大学名誉教授。博士。1942年生まれ。専攻はドイツ哲学、現代ドイツ政治の思想史的検討。著書に『ニーチェ以後 思想史の呪縛を超えて』『現代ドイツ 統一後の知的軌跡』『戦後ドイツ その知的歴史』、訳書にユルゲン・ハーバーマス『近代未完のプロジェクト』など。1987年、フィリップ・フランツ・フォン・ジーボルト賞受賞、2001年、オイゲン・ウント・イルゼ・ザイボルト賞受賞。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
民主主義社会では、規範や信頼などを無視した少数の優秀な人々が、大衆の人気を博しながら大金を儲け、権力にありついて、好き勝手なことをするようになるだろう──近未来における冷笑主義(シニシズム)の登場をこのように予言したのはニーチェだ。これに対するニーチェの評価は両義的だが、どちらかと言えば否定的だ。きらびやかな偽りの知識が、彼の見るところ反文化的であるゆえに。
新自由主義が生み出したこうした現象は社会理論の言葉で言えば、「再封建化 refeudalization」という。下々とはまったく別の生活感覚、まったく別の金銭感覚、まったく別の正当化の論理という点で封建社会の貴族と同じということだ。
接待病の感染は贅沢な貴族社会の再来だ──高級官僚だった叔父を思いつつ(「論座」)
下々への統制手段はかつては政治権力と宗教だったが、今では、新たなアルゴリズム=カルトが、いわゆるパンピーに君臨する。庶民はかつて貴族の園遊会と恋の戯れを垣根越しに眺めていたが、今では高級店に出入りするセレブの恋愛沙汰をメディアで覗かせていただく(専門用語でいう「顕示的公共圏」)。庶民はかつてラテン語が読めなかったが、今ではネット用語がわからない。新貴族は法に触れてもいわば上級国民として、法の適用も斟酌してもらえることが多い。あるいは辣腕の弁護士を駆使して軽傷で切り抜けて、高笑い。
彼らの駆使する独特の論理は、「言い負かす」と「なるほどとわかってもらう」という古代ギリシア以来の区別を解消している。原発の必要性を論じて懐疑的な人々を言い負かしても、本当の理解は得られないことが重要なのだが。彼らは、テレビ画面でその場の思いつきで相手を言い負かせばいいのだ。「やはり信教の自由は」「人権問題ですよ」などと、本来は軽蔑している普遍主義の議論を巧みに織り交ぜて
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