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成田悠輔氏の「高齢者集団自決」論は、“新貴族”による経済絶対主義

三島憲一 大阪大学名誉教授

自分の名前をブランドにする「冷笑系」たち

 最近話題になっている成田悠輔氏の高齢者集団自決論も、似たような軽薄さと本音の意識的な混合だろう。もちろん、コロナ禍の防疫対策をめぐる議論と、日本経済の行き詰まり状況からの突破口を模索した発言とは背景が異なるが、そうはいっても、どこか共通した態度、神経のあり方というか、視線の置き方というか、そういったものがあるようだ。

 考えてみれば、こうした態度は蔓延している。今や「古典的」とされるリベラルレフトのキーワードの「人権」「自由」「平等」「平和」などを詳しく吟味しないままに、「まだその話しているの」と受け流す。社会保障の負担が若年層にのしかかっているのに、老人たちはのうのうと遊びながら、デジタル時代に向けた社会改造を阻止しているなどと、既成の考え方や権威を、そして深く根を張った癒着の構造をおちょくる。

 しかし、富の再分配、欧州型のストライキでの賃上げ、社会福祉の充実、第三世界との新たな関わりといった問題は、論議に上がらない。

 そして自分たちは特別だという意識。コロナで重篤状態から復帰した直後は、社会的連帯の必要性を殊勝に語っていたボリス・ジョンソン英首相(当時)だったが、のど元すぎるとロックダウンの最中に官邸エリートだけのパーティ。自粛のお達しがありながら、平気で忘年会をやって感染者を結構出した厚労省の役人たち、そういった例は枚挙にいとまがないが、同じネオリベラルの勝ち組の超法規的メンタリティがある。

成田悠輔著『22世紀の民主主義──選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる』 (SB新書)は20万部を超えた拡大経済学者・成田悠輔氏の著書『22世紀の民主主義──選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる』 (SB新書)は20万部を超えた
 そして、高価なモノほどいいと思う、見せびらかしの成金型消費。有名シェフのレストラン、ドイツ製の高級車、宝石まがいの高額時計などなど。こうしたメンタリティは社会一般の、勝ち組ではないごく普通の市民にまで、いわば日常生活の毛細血管にまで深く染み込んでいる。だからこそ成田氏をはじめとするいわゆる冷笑系の人気があるのだろう。ネット活躍者の名声は「下」からの「支持」があるからだ。

 既成の構造をぶち壊す議論といっても、そうした多くの「論客」たちも実は、ブランドという名の既成の権威を広告塔に使っているようだ。超一流大学卒業の「国際政治学者」、あるいはこれまでの西洋崇拝に便乗して名乗る東海岸の有名私立大学「助教授」、だいぶ前からあちこちの大学で売り出している「総合政策」「デジタル・プランニング」「ソリューション」「フェロー」などなど、よくわからないものも含めてネットの画面に割り込んでくる広告みたいなキャッチー・タイトルだ。その多くは彼らがおちょくる既成のランキングのなかで培われてきたものを、彼ら独特のやり方で、例えば大学名の入ったTシャツで目立たせる。

 肩書が記された名刺をひそかな自負とともにへりくだりながら交換する昭和のおじさんの時代は終わった。逆にネット用語を冠したベンチャーやスタートアップ企業の名前が肩書きとなる。そしてテレビでわるびれずに放言する大写しの表情に合わせて画面に数秒出る肩書と名前のブランド性で十分だ。大学名に関しては既成のブランドのはしご段を利用しながら、ずばり「天才」として売り出される自分の名前をブランドにしていけばいいのだ。どんなに批判されても名前が画面に浮かべば浮かぶほど、ブランド化は進む──逮捕でもされたら別だが。


筆者

三島憲一

三島憲一(みしま・けんいち) 大阪大学名誉教授

大阪大学名誉教授。博士。1942年生まれ。専攻はドイツ哲学、現代ドイツ政治の思想史的検討。著書に『ニーチェ以後 思想史の呪縛を超えて』『現代ドイツ 統一後の知的軌跡』『戦後ドイツ その知的歴史』、訳書にユルゲン・ハーバーマス『近代未完のプロジェクト』など。1987年、フィリップ・フランツ・フォン・ジーボルト賞受賞、2001年、オイゲン・ウント・イルゼ・ザイボルト賞受賞。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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