アルベドになったモモンガさんの一人旅   作:三上テンセイ

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11.奇縁

 

 

 ガゼフは鉛の様な疲労感を覚えていた。

 それは肉体的にも精神的にも、だ。

 

 溜息が零れる。

 

 件の事件で大混乱に見舞われた王都の警邏を始め、第一王子バルブロの国葬準備に伴う警備の打ち合わせを並列して行っているガゼフは多忙を極めていた。

 

 勿論その全てが、貴族のおべんちゃらを聞き流す日常よりも有意義なことではあるのだが、それにしたって疲れるものは疲れる。

 

 空を見上げると、満天の星が瞬いていた。

 

 自宅が見えてくる。

 

 ガゼフは鳴った腹の音の大きさに、眉間に皺を寄せた。

 

 思い起こされるのは、いつの日かアルベドと再会したあの時だ。空腹に耐えかねる彼を出迎えてくれた、大層な馳走を並べている新妻仕様のアルベドの姿が今も網膜に焼きついている。

 

 もし夫婦(めおと)になったなら、そんな光景が毎日続くのかもしれない──と滅多なことを考えてしまって、ガゼフはそれを振り払う様に頭を振った。

 

 ……すると、道の向こう側から見知った影が近づいてくる。

 小柄な老婦人は、ガゼフが雇っている召使いに他ならない。彼女は主人の姿を認めると、小さく頭を垂れた。

 

 

「ストロノーフ様、私は先に帰らせていただきますね」

 

「ああ。飯の準備はできているだろうか」

 

「……ええ。それと、お客人もお見えになっていますよ」

 

「……! そ、そうか」

 

 

 ガゼフは高揚を得た。

 まさか、という思いが腹の腑から滲み出してくる。

 

 この状況は限りなくあの時に近い。

 そう思っても仕方がなかった。

 

 もしかしてアルベドが──と浮足立っても、それは何も間違っていない。

 

 あの時と比べると、召使いの表情が少しぎこちないように思えなくもないが。

 ガゼフは召使いに礼と別れを告げると、逸る気持ちを抑え、少しだけ頭髪の癖を正し、軽くなった足で一歩踏み出した。

 

 

(アルベド殿が……?)

 

 

 勝手知ったる玄関を開けて我が家へ入るや、ガゼフは一直線にリビングを目指していく。夕餉の良い香りがする。火と、包丁がまな板を打つ音色が聞こえてくる。間違いないと確信して、彼はリビングへと到達した。

 

 

 そこには勿論エプロンを着用した──

 

 

「待ちわびたぞ。ガゼフ・ストロノーフ」

 

 

 ──ニグンが待っていた。

 

 漆黒の修道服の上から桃色のエプロンを着用する面妖さ。アルベド以上に予想外な来客。ガゼフの思考を大宇宙のスクリーンセーバーが支配したのは言うまでもなく……。

 

 

「俺もいるぞ」

 

 

 ガゼフが自我を取り戻したのは、好敵手たるブレイン・アングラウスのその声が耳朶を打ったと同時だった。

 

 ──困惑に次ぐ困惑。

 

 いや、ブレインがそこにいるのは問題ではない。ガゼフ自身がうちに来いと言ったからだ。しかしニグンともなると……。

 

 

「何を呆けているストロノーフ。食事の支度ができたぞ。早く手を洗ってこい」

 

 

 対するニグンは、そんなガゼフの心中など露知らずといった態度で、テーブルの上にどんと鍋を置いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何故貴様がここにいるんだッ!」

 

「何故も何も、先に言っていたとおりだ。我が神についてお前に聞きたいことがある。私はお前の窮地を救ってやった。今度はお前が私に借りを返す番だ。その借りを返してもらう為にここを訪問したに過ぎない」

 

「……だからといって、何なんだこれは……! 俺は貴様と馴れ合うつもりなどないぞ!」

 

 

 何なんだ、というのは食卓に並べられた妙に美味そうな馳走達のことを指す。肉の香草焼きから、ふかふかの丸パン。美味そうなスープに、何やら見たこともないが良い香りの漂う鍋。しかしながら殺し合い、王国の村々を滅ぼして回っていた狂敵の出す食事など、ガゼフは口にしたくもない。

 

 そんなガゼフの心中を知ってか知らずか、ニグンは淡々と自分の意見を述べ始める。

 

 

「そう昂るな。過去のことを水に流してほしいなどどは思わん。だが、だからと言っていがみ合ってばかりでは何も進まない。何も産まれない。私も馴れ合うつもりはないが、友好的手段として『同じ釜の飯を食う』というのはかの六大神が遺された至言でもあるのだ。まずは腹ごしらえから始めようじゃないか」

 

「じゃあ何か? お前は俺と少しでも懇意になりたいとでも思っているのか」

 

「語弊があるが、そう捉えてもらっても構わない」

 

「なっ……」

 

「我が神がお認めになられた男であるストロノーフには……少しだけ憧れと嫉妬の感情を抱いている」

 

 

 明け透けにそう言うニグンに、ガゼフは面食らう。

 目の前の男が何を考えているのか、心理戦に疎いガゼフには分からなかった。

 

 ……僅かに沈黙が流れる。

 その静寂を打ったのは、席に座す男の腹の虫だった。

 

 

「なぁ、どうでもいいけどよ。もう食っちまってもいいか?」

 

 

 ぶっきらぼうに手を上げるブレインのその鶴の一声が、世にも奇妙な食事会の始まりの合図となってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほどね……中々、修復できない因縁があるんだなお前達の間には」

 

 

 酒を呷り、僅かに頬に朱が差してきたブレインは、興味深そうに両者を眺めている。彼は料理を摘まみながら、二人の関係についてざっくりと教えてもらった。

 

 片や無辜の民を守る為に駆けずり回ってきた王国の守護者。片や人類繁栄の為とはいえ罪なき村々を滅ぼし回っていた法国の侵略者。相容れるわけもない。

 

 ブレインとニグンは料理を次々食べているものの、ガゼフは未だに自分が用意した水にしか手をつけていなかった。

 

 

「助けてもらったことには感謝している。しかし王国戦士長として、俺はお前のことを認めてやるわけにはいかない」

 

「好きにするがいいさ。ただし、約束は果たしてもらう」

 

 

 認めない。借りは返してもらう。

 先程から両者のスタンスはこんな感じで、平行線を辿っているばかりだ。

 

 

「アングラウス、何故こんな奴と一緒にいる」

 

 

 じとりと、ガゼフの視線がブレインに纏った。

 そんな目で見られる謂れのないブレインは、軽く笑って見せる。

 

 

「勘違いするなよストロノーフ。俺は別にこいつと友達でもなければ知り合いでもない。さっき顔を合わせたばかりさ。このお前の家でな」

 

「そうか……」

 

 

 ニグンとブレインはたまたまここで鉢合わせた。

 それ以上でもそれ以下の関係値もない。

 

 言葉の調子でそれが真実であると分かると、ガゼフは剣吞とした気配を霧散させた。

 

 

「……さてストロノーフ。私が聞きたいことは二つある。これを聞く為に、私はこの地へとやってきた」

 

 

 指を二本立て、光の宿らぬ瞳でガゼフを見据えた。

 ニグンは包み隠さず、質問を投げかける。

 

 

「我が神の尊き名と、その居場所だ」

 

 

 ……神。

 ニグンの口からよく出るそのワードの意味を噛み砕くように、ガゼフはひと口、ゴブレットに口を付けた。

 

 

「……確かお前の言うその神とは六大神のことを指しているのではない、と以前言っていたな」

 

「ああ。カルネ村の付近で我々陽光聖典を下した、あの美しき神のことだ。知らないとは言わせんぞ」

 

「美しき神……?」

 

 

 アルベドのことだ、とガゼフはすぐに思い至った。何故ニグンがアルベドのことを神と言っているのかは分からないが、神の如き力を持つ美しい人物などアルベド以外該当しない。

 

 ガゼフは眉を顰めながら、警戒心を高めた。

 アルベドの情報をみだりに流すつもりなど毛頭ない。ニグン相手なら尚更だ。

 

 

「あの御仁のことを指しているのなら、俺は何も言うつもりはない」

 

 

 ともすればその眼光は殺気をすら纏う。

 ガゼフの視線に射抜かれたニグンは涼しげに笑った。それは想定内だと、言わんばかりだ。

 

 

「そう来るとは思っていたとも。神の情報をひけらかさない……それもまた信心。さりとて私は洗礼を受け、神の存在に気づいた法国唯一の人間なのだ。おいそれと引き下がるわけにはいかん」

 

「おいおいさっきから聞いてりゃ、何だよその神ってのは。まさか本当の神でもあるめぇよ」

 

 

 二人のやりとりを眺めていたブレインが、ぶっきらぼうに質問を投げ掛けると、ニグンは深く頷いた。

 

 

「言葉の通り、神だ。金色の瞳を持ち、頭に一対の角を有した正真正銘の美しき女神。気高く、聡明で、勇者を勇者と呼び、愚者には有難い罰を与えてくださる、真の神だ」

 

 

 狂信者の瞳に、始めて色が宿る。

 御神体を思い浮かべるガゼフの拳は、震えていた。

 

 しかしブレインは訝しむ。

 その疑念をそのまま、ニグンに投げ掛けた。

 

 

「一対のツノ……? 金色の瞳……? おい待てよ。その神様ってのは、特徴から察するともしかして悪魔の類なんじゃねぇのか? 異形種……でないとしてもどう贔屓目に見ても亜人だろう。お前ら法国民の人間至上主義には反するんじゃないか」

 

「確かに主は異形種であらせられる。しかしながら、神という次元に於いては異形種だからとその全てが人間に仇なす存在と考えるのは早計だ。死の神たるスルシャーナ様がそうであったようにな」

 

 

 持論を並べるニグンの語りが調子付く。

 彼は目を細めながら、在りし日の情景を思い浮かべていた。

 

 

「大義名分に酔いしれ、ストロノーフ抹殺を嬉々とする私に神はこう仰られた。『国に住まう無辜の民の笑顔を守る為、隣人の明日を守る為、命を賭して立ち上がるあの勇者を嘲笑う資格がお前らのどこにあるというんだ』……とな」

 

 

 ツ……とニグンの頬を、涙が滑っていく。

 まさかの落涙に、ガゼフとブレインは同様に目を丸くしていた。ニグンは握る拳を振るわせながら、熱弁を振るう。

 

 

「あの時の私には愚かなことにそれが理解できなかった。しかし我が目が見開かれた時、私は頭を殴られたような感覚を覚えたのだ。神の仰る通りだ。人類繁栄の為とはいえ、弱者を守護しようとするストロノーフを何も嬉々として殺す必要はない。神の御言葉の通り、我々はただの快楽殺人集団に過ぎなかったのだ」

 

 

 ニグンは懺悔のように、言葉を紡ぎだす。

 淀みなく口からでる言葉達は、まるで立て板に水だ。ニグンは隙なく、力強くこう締めくくる。

 

 

「私は神手ずからの天罰を賜り、改心……否、開眼した。私はあの時のニグン・グリット・ルーインとはものが違う」

 

 

 信じる神、生きる目的、その身の全てを捧げるべき神をその目で目撃した狂信者の言葉の重みはまるで違う。ガゼフとブレインはその変態的な執着を察知するや、僅かに気圧された。

 

 

「その神に会って、お前はどうしたいんだ」

 

「人類を導いて頂けるよう嘆願するのみ。法国に招き、君臨して頂くのが私の使命だ」

 

「それができるのか?」

 

 

 神を説得できるのか。

 異形種が君臨することを法国はよしとするのか。

 

 それができるのか、というのは二つの意味が含まれており、無論ニグンもそれは理解できている。

 

 

「……できるかできないかの話ではない。それをお伝えすることが生まれ変わった私の使命だ。それと……仕えるべき神に矛を向ける節穴であったなら、所詮法国はそれまでのものだったということだ」

 

 

 平坦な声音には、底知れない凄みが備わっている。しかし、だからこそ、ガゼフは改めて首を横へと振った。

 

 

「お前には借りがある。しかしかの御仁に関する情報は与えることはできない。お前の存在を見て見ぬ振りだけはしてやるから、この飯を食ったらさっさと立ち去るんだ」

 

「そう言うとは知っていた。故に、取引がしたい」

 

「取引……?」

 

「力を渇望しているな? ストロノーフ。お前はそういう目をしている」

 

「ぬ……」

 

 

 見透かされるような視線。

 本心をぴたりと言い当てたニグンに、ガゼフは言葉がやや詰まる。

 

 

「王都でのお前の戦いぶりを見ていた。以前私と矛を交えた時とは比べ物にならない強さを得ていたな。恐らく私に敗北し、神と出会った事で何らかの刺激を得たのだろう」

 

 

 スープにひと口つけ、呼吸をひとつ置いたニグンは涼やかに続ける。

 

 

「ブレイン・アングラウスをここに招いた理由も俺にはうすうす分かっているぞ。自分の鍛錬に付き合わせる為だろう」

 

 

 まさかの流れ弾を食らったブレインの目が、僅かに丸くなる。

 彼は訝しむような目でガゼフを捉えた。

 

 

「おいおい、そりゃ本当か?」

 

「……違うと言ったら嘘になる。アングラウス、お前には本当は王国戦士団の一員になって欲しいと思っているんだが、そういう柄じゃないのは知っている。だから、うちの兵士達を鍛える外部の特別顧問になって欲しいと思っていたんだ。短期間でもいい。闇組織に手を染めているよりは余程いいはずだ」

 

「それはそうだが……俺が指導を? それこそ柄じゃねぇよ」

 

「……というのは建前で、俺の鍛錬に付き合って欲しいというのが本命なんだがな。勿論給金は弾む。ここを拠点にしてくれても構わない。現在一文無しのお前にとっても魅力的な話だと思うが?」

 

「そりゃあ、まあ……」

 

 

 顎の無精髭に手を当て、ブレインは少しだけ考え込む。

 確かに目先の就職先としては悪くない──と考えたところで、大きな咳払いで意識を戻された。

 

 

「話を戻そう」

 

 

 ニグンはそう言って、無機質な光を帯びた目をガゼフに差し向ける。

 

 

「お前は確かに白兵戦での練度が上がったが、魔法詠唱者(マジックキャスター)相手に対する戦いというものがまるでなっちゃいない。だから『八本指』の魔法詠唱者相手にあの体たらくだ。王国の魔法に対する理解が浅すぎるということの象徴の様な戦闘だったな」

 

「ぐ……」

 

 

 ガゼフは歯噛みした。

 ニグンの言っていることは尤もだ。

 

 デイバーノックに良い様にやられていた苦い記憶が呼び起される。昨夜夢で見たほどの悪夢だ。

 

 下唇を噛むガゼフに、ニグンは囁くようにこう言った。

 まるで、悪魔のように。

 

 

「私も戦闘鍛錬の相手を買って出よう」

 

「……なに?」

 

「上には上がいるとは言え、私の魔法の戦闘能力は法国の中でも指折りだ。王国で集められる程度の生半な知識を詰め込んだり経験をするくらいなら、私と手合わせしていた方が対魔法戦の訓練としては余程効率的だと思うのだがね」

 

「……それがお前の言う取引の手札か? 確かに……確かに俺を釣るには良い提案だが、その程度でかの御仁の情報を易々言うわけには──」

 

「──それは織り込み済みだと言っているだろう」

 

「ならば、俺になにを求めるというのだ……」

 

「しばらく、この家に住まわせてくれ。それが俺の求める対価だ」

 

「…………は、……はぁ!?」

 

 

 あんぐりと、ガゼフの口が開く。

 傍観していたブレインも同様だ。

 

 ニグン一人だけが、表情を崩さない。彼はフリーズしている二人をよそに、言葉をつづけた。

 

 

「お前の口が梃子でも動かないのは分かっていた。だが、我が神の消息を知る為にこの王国を何の取っ掛かりもなしに彷徨うのはあまりにも無策なのだ」

 

 

 そう述べるニグンの意図をいち早く察知したのはブレイン。

 彼はなるほどと相槌を打つと、確かに納得できなくもない……という表情を浮かべた。

 

 

「なるほど。その神様と少しでも接点のあるストロノーフの周りに張り付いてりゃ、僅かでも情報が得られるかもしれない……そういう算段か」

 

「その通りだ」

 

 

 あっけらかんと頷くニグンに、ガゼフは顔を真っ赤にして立ち上がった。

 

 

「許せるか、そんなこと!? 貴様と同じ屋根の下で寝ろと!? 冗談ではない!」

 

「しかしお前は俺に借りがある。それも命を救われたという、余りにも重たい借りがな」

 

「ぐっ……」

 

「我が神について何か話せとは言わない。俺はこの家に厄介になるだけでいい。それに対魔法戦の手合いも買って出るというのだ。譲歩してるのは俺だぞストロノーフ」

 

「ぐ、ぐ……っ」

 

 

 言い淀むガゼフも律儀な奴だ、とブレインは鼻で笑う。

 借りなど無視すればいいだけなのに、この勇者は馬鹿正直に恩に報いようとするから防戦になる。

 

 ニグンはダメ押しと言わんばかりに、もう一つのメリットを提示した。

 

 

「お前がこの契約に了承したなら、この家の炊事も俺が買って出よう」

 

「な、なに?」

 

「お前の雇っている召使いは一体何なんだ。戦士相手に塩気の薄い精進料理ばかり作りおって。あんな腑抜けた料理ばかり食べていては強くなるものも強くなれん。体は資本だぞストロノーフ」

 

 

 言葉は強いが、目の前に並べられた料理の群がその言葉の意味を裏付ける。

 ガゼフにとっては悔しいが、先程からビジュアルと匂いが彼の腹の虫を屈服させようとしてくるのだ。怨敵が料理が上手いなど、知りたくもなかった。

 

 

「あの老婦が病気食の様なものばかり作りおったから、俺がエプロンと包丁をふんだくったのだ。見ろ、この法国仕込みのスペシャルメニューを。強くなりたいならこれくらいで腹ごしらえせねば話にならん」

 

「俺はお前の作った料理など……」

 

「そう言わずに食ってみろよストロノーフ。意外とイケるぜ」

 

 

 ブレインはそう言いながら、鍋の中の半液体状の茶色のソースを自分の取り皿に盛り付けた。野菜や肉がごろりとソースを身に纏い、それはもう空きっ腹のガゼフを苛んで止まない。

 

 

「これは六大神が広めたもうた『カリィルゥ』と言うものだ。数種のスパイスを混ぜ合わせたこのソースはパンにつけても米に掛けても超一品。俺の得意料理だ。騙されたと思って一口食ってみろ。毒はない」

 

「ぐ……」

 

 

 過酷な鍛錬終わりの腹は既に限界を迎えそうだった。

 ガゼフは「ひと口だけだぞ」と睨んで、『カリィルゥ』を匙で自分の口に運ぶと──

 

 

(……クソ)

 

 

 ──美味い。

 

 非の打ち所がない美味さだった。

 

 何より、疲れた体にこの辛みと濃い味付けは染み渡る。召使いには悪いと思うが、あの塩気のない料理と比べると雲泥の差がそこにあったのだ。

 

 何でお前こんなに料理が上手いんだよとぶちぎれそうにすらなる。そんなガゼフの胃袋を掴んだと睨んだニグンは、にやりと笑みを浮かべた。

 

 

「美味いか、ストロノーフ」

 

「う、うまい……」

 

「ちなみにこれらの食材は俺が買ってきたものだ。お前が私の契約を破棄するというなら、今のひと口で終わりにするとしよう。これらの料理は全て私とブレイン・アングラウスでいただくとする」

 

「な……っ」

 

 

 スパイスというのは、食欲を増進させる効果がある。

 腹の空いた獣の様なガゼフにあのひと口で終わりというのは、余りにも酷すぎる。故に、判断を鈍らせてしまう。

 

 

「さぁ、どうするストロノーフ」

 

「ぐぬ……」

 

「さあ……さぁ!」

 

「……お前をこの家に寝泊まりさせるだけだ! 鍛錬は毎日付き合ってもらう! それ以外の馴れ合いは一切ナシだ! いいな!?」

 

 

 ニグンはニヤリと笑った。

 まんまと乗らされたガゼフにとってその笑みはただただ腹立たしいものでしかない……が。

 

 契約は成った。

 

 

(……前途多難だな、こりゃ)

 

 

 頭を掻くブレインは、疲れた様に笑った。纏まった金が手に入ったら、どこかにさっさと拠点を移そうとも。

 

 

 かくしてガゼフ、ニグン、ブレインの三者による奇妙な同棲生活が始まってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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