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【Web版】怨獄の薔薇姫 政治の都合で殺されましたが最強のアンデッドとして蘇りました 作者:霧崎 雀@作家系バ美肉YouTuber

第五部 領土再征服編

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[5-7] 都会の逃走術

 雪深い北国と言えど、まともに雪が積もるのは冬本番になってから。

 旧シエル=テイラ地方は、まだ街道を馬車が走りやすい時期だった。


 身を切るように冷たい風が吹く、秋深き旧街道を、闇色の高速馬車が走っていた。

 遠くからでは見えない魔法の明かりを掲げ、月が無い夜の闇を裂いて。

 黒衣の御者は、まるで暗殺者か密偵のように無愛想で油断無い雰囲気だ。


 客車の中には三人。

 いかにも半巡礼半観光の旅人が身につけるような、質素な防寒用外套を着ているのが二人。遠くケーニス帝国から、迎える者も無き密かな帰郷を果たした、キャサリンとウィルフレッドだ。


「これだけ開かれた国に密入国したいだなんて、面白い注文もあるものねェ」


 事情を全て心得ていて、その上で口にしていると分かる、甘いからかい。

 残る一人は、ウィルフレッドより少し年上の女だった。


 すらりとした、しかし付くべき所に肉が付いた体型の彼女は、下着と変わらないほどの露出度の服の上に、豪奢な魔獣ファーのコートを着ていた。夜の海みたいな長い藍色の髪は、直視を躊躇うほど官能的に艶やかだ。

 小洒落た黒縁眼鏡の奥の目は、何か、奇妙に色合いが揺らいで変化しているように見えた。ある種の、快楽を目的とした魔法薬の使いすぎでこういう症状が出るのだと、ウィルフレッドは知っていた。


 ウィルフレッドの対面に座った彼女は、ウィルフレッドの顔を覗き込むように笑いかける。

 強調された深い谷間からウィルフレッドは目をそらした。


「ねえ、お客さん。私、昔っから人を覚えるのが得意でね。

 あなたの事も忘れてないわよ」

「…………え?」

「私の本当の名前ぇ、ユーニスっての。

 どう? 覚えてる?」


 ウィルフレッドは、凍結アイスブレスを吹き付けられたように凍り付いた。

 次いで、自分の頭の中を全速力でひっくり返した。全く覚えが無い。覚えが無いのだが、万が一という事もありうる。

 たとえば、酒を飲んだ夜に記憶をなくした事はあっただろうかと。


「……ウィル?」


 キャサリンの視線はカタナのように鋭く冷たかった。


「待て、待ってくれ。誤解……いや、そもそも心当たりが無いんだ!

 サムライの誇りに賭けてもいい!」

「んふふふふふふ!」


 ウィルフレッドは千切れんばかりに首を振った。ユーニスは肯定も否定もせず、蠱惑的に、愉快犯的にケラケラと笑うだけだ。

 こんなの、水商売の女たちが客の関心を惹くため口にするような甘い言葉ではないか。本当でも嘘でも、大幅に誇張されたものでも構わない……そういった類の言い回しだ。


「もう!

 あなたがどちらのどなたでも構いませんが、お仕事には真面目に取り組んでくださいな!」

「あぁら怖い」

「私たちの動きをディレッタに気取られるわけにはいきません。

 重々、ご承知おきください」

「んふふ、そりゃもうね。

 そこも含めてたっぷり貰ってるんだから。

 楽しい旅行を約束するわぁ」


 ウィルフレッドは溜息をかみ殺し、飲み下す。


 キャサリンとウィルフレッドは、ケーニス帝国からの任を帯びてここに来た。

 そして、ケーニス帝国とディレッタ神聖王国は、最悪に近い敵対関係にある。

 此度の帰郷は実質的に、敵地への潜入であった。


 この怪しい女はこれでも、キャサリンを送り込むに当たって帝国情報部が白羽の矢(シラハ・アロー)を立てた案内人だ。

 なら信頼はできるだろうが、ウィルフレッドにとっては別の問題がありそうだった。


 * * *


 シエル=テイラ王国、王都・テイラ=ルアーレ。

 かつて旧シエル=テイラの王都であったこの都市は、ディレッタ神聖王国によって“怨獄の薔薇姫”が撃退された後、再興された。


 東西分裂したシエル=テイラの東側、新たに『シエル=テイラ王国』を名乗るこの国にとって、王都が西の果てに存在するというのはいささかアンバランスにも思える。

 だが、だとしても、かつての王都を引き継ぐことは正統な後継国家の象徴となる。

 それに、王都たる以上は国で一番強力な魔力溜まり(ホットスポット)の上に存在するわけで、都市としての拡張限界は大きい。

 何よりも……ディレッタ神聖王国にとって、この都市は存在するべき要塞だった。西アユルサ王国と、その背後のジレシュハタール連邦を仮想敵として、東側の権益を守るためには、テイラ=ルアーレという砦が必要なのだ。


「では、本国からの応援は無いと?」

「そうではない。戦うべき時に出すのだ。

 援軍を出すだけ出して、指を咥えて見ているのでは、ただの間抜けだ」


 昼下がり、王城の廊下にて、二人のディレッタ貴族が話していた。


 方や現シエル=テイラ王国の王宮付き信仰促進官、サミュエル・ラロ・ブルーノ=アルダムイ。白地に過剰なまでの金糸装飾を施した法衣姿をした、油を塗った枯れ木のような老人だ。

 ディレッタ諸侯の一人、アルダムイ候でもあるサミュエルは、ここではあだ名的に『総督』と呼ばれていたし、その方が実情を正確に表していた。

 現在のシエル=テイラ王国は、事実上ディレッタ神聖王国の植民地で、王すら傀儡とするサミュエルこそが最高権力者。そのサミュエルもまたディレッタ王宮に首輪を着けられた中間管理職だった。


 ディレッタ神聖王国は建前として、他国への侵略や植民地化を行わない。神の教えに反するからだ。

 代わりに、ディレッタに逆らえない立場の小国には、信仰促進官なる聖職者たちが送り込まれる。

 彼らはディレッタ貴族であるが、神官としての位階も持つ者たち。そして、あくまでも相談役の神官という建前で、どうすればよりよい政治ができるか()()()()()するのだった。


 サミュエルと話しているのは四十手前くらいの、目元涼しい偉丈夫。

 こちらも絢爛な法衣を着ているが、金髪金目の輝きと美貌は、法衣がかすんで思えるほどだ。

 彼の名は、オーレリオ・ドロエット。

 筆頭枢機卿クリストフォロ・ダ・ドロエットの長男であった。


「今、最も重要なのはダメージコントロール。

 あの空飛ぶ城の着地点を絞ることだ」

「その先は……」

「戦場で勝てぬなら、地図の上で勝つのだよ。

 アンデッドどもを動かす力とて、無から湧き出るわけではないからな」


 今後の戦略について既にサミュエルは本国と打ち合わせている。

 その内容はオーレリオにとっても、なるほどよく考えられていると、納得できるものだった。

 だがそれを、素晴らしい作戦だと手放しで褒めるのは、少しばかり躊躇われた。


「この地で築き上げてきたものを、捨てねばならぬのか……」

「そうとも。故に切り捨てるのは、旧シエル=テイラの形をなるべく残している土地が望ましい」


 異論を差し挟む暇など与えぬ、有無を言わさぬ調子で、サミュエルは言い切る。


「邦人の命と利益は優先して守るのだ。

 シエル=テイラの民が多少()()のは仕方あるまい。

 それとも、面目を立てるため無駄死にしに行くとでも?」

「そのような話はしておりません!」

「まあ、生きていたら後で助けてやればいい……

 さすれば我らのありがたみを思い知って、再解放後の統治は、より容易なものとなる」


 喉の奥に言葉が詰まっているような心地だった。


 オーレリオは廷臣として爵位も持つが、サミュエルとは逆で、本分は聖職者だ。

 父・クリストフォロは、やがてオーレリオがより高い地位に就けるようにと計っていた。そのための箔付けとしてシエル=テイラ行きの席を用意した。

 オーレリオは、このお役目はやり甲斐があり、貴重な経験とも思っている。この地に来ることで、愚かだが哀れな弟を自ら弔うこともできた。

 だが、国を動かす者たちの政治的な考え方には、どうも馴染めぬと思うことが多かった。


「何か?」

「……いえ。

 我らの行く道に、神の思し召しがあらんことを」

「ふっ」


 サミュエルは意地悪く笑った。

 オーレリオが甘いことを言うと、彼はよくこういう顔をするのだ。

 父譲りの政治勘と手腕は認められていたが、同時に甘っちょろい青二才だと思われているのも、オーレリオは感じていた


 オーレリオは幼き日より父の背中を見て育った。神殿の組織内政治、そして宮廷との関わり……

 政治とは汚いものだ。綺麗なだけでは何も成せぬ。多くを殺せる者だから多くを生かせる。

 そうと理解し、割り切りつつも、オーレリオの心には小さなしこりのような想いが存在していた。

 果たしてこれは正しいのか……正しさとは何か、と。


 * * *


 まるで空に穴が空いたかのように、南東の空に黒い影が浮かんでいた。


「あーあ、始まっちまったかあ」


 東西分裂した旧シエル=テイラ領の西側……西アユルサ王国。

 若き王、かつてシエル=テイラ諸侯であったベルガー侯爵の息子、シーザー・“偽り無き(シンシア)”・ティモ・ベルガー=アユルサが治める地。

 

 旧ベルガー領都にして現王都、ロクスエルネにて。

 王宮騎士団長バーティル・ラーゲルベックは、邸宅の狭い庭で、朝食後の蜂蜜茶を飲みながら空を見ていた。


 街がくゆらす廃蒸気の向こうに、朝日を背負って黒々とした影となる、空中都市の姿が見える。

 それはちょうど、山の峰を跨ぎ超すところだった。ここからでは鳥くらいの大きさに見えるが、山と比較して考えれば、その巨大さが分かった。


 いつも通りのブレンドがいつもより苦く感じて、バーティルは追加で蜂蜜をひと匙入れる。

 ルネが戻ってくることは分かっていた。父王を裏切って王弟ヒルベルトに付いた諸侯と、その後押しをした者たちに、罪を血で償わせるため戻ってくると。

 だが、その戦局は、バーティルが思っていたよりも大幅にルネの優勢に傾きそうだった。あんな常識外れの代物を持ってくるなんて……いや、作っていることさえ予想できなかった。


 この戦いはルネにとって最大にして最後の戦い。勝者なき血みどろの戦いの果て、仮にルネが目的を達成するとしても勢力としては疲弊するだろう。そこに付け入る隙が生まれる。

 ……そう、バーティルは予想していて、戦いを丸く収めるための布石を打ってきた。

 だが軌道修正を迫られそうだ。もう()()()()()


 ルネの時代が来る。

 彼女という爆弾を抱えて世界は回り始め、誰もが彼女を中心とした戦いの渦に巻き込まれていく。

 それを未来の者が史書に綴るのか、はたまた記録する者も居なくなるのか……まだ、分からないが。


「とおさま」


 足下から声を掛けられてバーティルは、息子の接近にようやく気づく。


「あれは、なあに?」


 小さなアンセルはズボンの裾にしがみ付いたまま、常ならぬものを見て無邪気に目を輝かせていた。


 バーティルは肩の緊張を解いて笑った。

 そして蜂蜜茶のカップを置くと、両の機腕でアンセルを抱え上げ、遠くの空がよく見えるよう肩車する。


「よっく見とけよ。

 俺ぁルネちゃんと仲良くやって、平和にベッドの上で死にたいんだけどよ……

 お前か、ひょっとしたらお前の子あたりが、戦うことになるかも知れねえからな」


 既にバーティルの頭の中では、盤上君主タイルズの手を先々まで読むように、複雑に枝分かれした未来の歴史が描かれ始めていた。

 最良の結末は何か。たかが小国の王宮騎士団長に過ぎぬ己に何ができるのか。

 バーティルは、それを考え始めていた。

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