スーパー薩摩人 IN 兄世代   作:充椎十四

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その3

 幼い子供を抱えた旅行で一番気を揉むのは治安面だろう。スリに遭う程度ならまだいいが、強盗、誘拐、その他様々な危険な犯罪に我が子が巻き込まれるのをよしとする親はおるまい。

 ならば、どうするか。子供に護衛をつけるか。区画まるごと封鎖して破落戸を締め出すか。それとも治安の良い場所に行くか……。

 

 ニシサツマ島はブリテン島やヨーロッパ大陸の多くの国々より南に位置して暖かく、海の幸豊かで、欧州に近く、時差は一時間あるかないか。そして何より、観光地区の治安が良い。

 かの島には、勝手に写真に写り込んできたくせに「写ってやった」と金銭を要求する強請りも、道端からじっと見上げてくる痩せぎすの母子も、サイケデリックな現代アートの世界にトんでよだれを垂らすヒッピーの集団もいない。店や道路はどこもきれいで安全だし、料理は和洋折衷で異国情緒を手軽に味わえる。

 物々しいのは腰に長物を提げた一般市民やユスの木刀を「警棒」と言い張るお巡りさんくらいだろうか。しかし防犯のため子供に銃を持たせるような国もあることを鑑みれば、なんとも平和な島だ。

 

 我が子を一人で出歩かせられる場所で休暇を過ごしたいと望む子持ちの魔法族にとって、ニシサツマ島は最良の避寒地なのだ。

 

 そのニシサツマ島に、クリスマス休暇の二日目、マルフォイ一家の姿があった――家長ルシウス・マルフォイ、妻のナルシッサ・マルフォイ、そして彼らの一人息子ドラコ・マルフォイの三人だ。予約をしていたホテル――というより旅館――にチェックインし、ロビーで砂糖入り緑茶を飲みながら部屋への案内役が来るのを待っていた。

 

「いつ来ても変わらないな、ここは。とても良いことだ」

「ええ、全く。変えるべきではないことは世の中にたくさんあるものね。……ねえドラコ、このホテルは貴方のお祖父様も頻繁にご利用なさっているの。第二の我が家だとおっしゃっていたわ」

「ふぅん。母上、ここがお祖父様の第二の家なら僕の家でもあるんでしょう? 僕、探検したい」

「もちろん。でも探検は後でしましょうね。仲居が来たわ」

 

 ロンドンからポートキーでここへ来た彼らは、ニシサツマの暖かさと緑茶でさっそく頬を上気させていた。この日のロンドンは朝の9時時点で3度――ニシサツマの気温は14度。冷え切ったロンドン向けの格好をしていたナルシッサは既に襟巻きもコートも脱いでいる。

 

 ――マルフォイ一家のニシサツマ島旅行は実に三年ぶりだ。

 

 ルシウス・マルフォイは三十五歳という若さだが、名家「マルフォイ家」を背負う当主でもある。

 当主のルシウスに暇はない。なんせマルフォイはホグワーツの理事であり、イングランドの貴族であり、広大な荘園(マナー)の領主だ。長期間国を離れることは難しい。

 しかし今年は彼の父アブラクサスが当主の業務を代行し、若い一家の旅行が可能になった。

 

 衣紋掛けにおのおのの上着を掛け、厚い座布団の置かれた回転座椅子に座る。当たり前のように提供された紅茶(テー)に夫妻の口許が綻んだ。

 

「ドラコ。私達は部屋で休んでいるから探検しに行くと良い。ホテルの中でも外でも、観光地区内ならどこへ行っても構わないが、地区外へは出ないようにしなさい。いいな?」

 

 ドラコは目を輝かせ、飲みやすい温度の紅茶を飲み干し立ち上がる。

 

「分かってます!」

 

 興奮に跳ねながら靴を履き部屋を飛び出したドラコは白髪頭の男と廊下ですれ違い、立ち止まってその背中を見た。

 広い背中だ、ドワーフのような体格だが背が高い。ニシサツマの島民だろう。

 

 屋敷で待つ貧相な屋敷しもべ妖精を思い出して独りごちた。

 

「ドビーなんて首にしてニシサツマ人を雇えばいいのに」

 

 ドラコはこの意見を数日中に撤回するのだが、今の彼は真剣にそう考えていた。

 

 ――ニシサツマの観光地区は広い。青い砂浜から、はるか東にある日本を感じさせる旧市街から、見て回る場所はたくさんある。その中で、ゆっくり散策したい両親とあちこち見て回りたい息子の両方の希望が通るのが熱帯植物園だ。屋内の施設ならば息子が迷子になっても探しやすい。

 

 ドラコは当たり前のように両親と離れ植物園を駆けて進む。蛇行した順路の右側にも左側にも木々が生え花が咲き誇っているが、そのどれも、植物辞典でしか見たことがないものばかりだ。知的好奇心をくすぐられ、植物の名と説明が書かれたプレートを読んで回る。

 

 薬学的効能を持つ植物があるのを見つけ、「スネイプ教授に教えてやろう」と笑顔を浮かべた。父の後輩の彼……スネイプ教授はホグワーツに年中引きこもっているらしい。ニシサツマ島の植物園に来たことなどないに違いないから、知れば喜ぶだろう。

 いや、ただ教えるだけよりも、実物を渡した方がもっと喜ぶのではないか。スネイプ教授はいつ見ても不健康そうな顔色をしている――ドラコは植物の前にしゃがんだ。スネイプ教授にこれを持って帰ってやろう。

 

「それを乾燥させたものを入口横の店で売ってますよ、お坊ちゃん」

 

 いつの間に現れたのか、黒髪に丸い顎をした少年二人がドラコの後ろに立っていた。

 髭がないからドワーフではなさそうだ。

 

「なんだ、お前たち。お前たちもここへ休暇を過ごしに来てるのか?」

「いえ、おいはここの島民ですよ。今日は休みなんで植物園に。お坊ちゃんはどこからいらしたんで?」

「僕はロンドンからだ。おい、ここの島民なら僕をその店に案内しろ。スネイプ教授に土産を買う」

 

 二人は龍平と松平だと名乗った。ドラコも「マルフォイ家のドラコだ」とつんと顎を反らして名乗り、乾燥させた薬草が何十種類と吊るされた店内をじっくり歩いた。

 南国の植物は乾燥させても香りが強い。肺の中まで花の匂いに染められていくような心地になりながら、自分で選んだ薬草と二人が勧めた薬草を部屋に届けるよう手配する。

 

 龍平が品の良いクイーンズ・イングリッシュで「ドラコ坊っちゃんは優しいですね」とドラコを褒めた。

 

「スネイプ教授は父上の後輩だ。僕が土産を買わなくとも父上が教授に土産を買うだろう……」

 

 だけど、とドラコは握り拳を作った。

 

「僕はあと半年で十歳になるんだ。十歳ならもう大人の仲間入りしたと言っていい。相手が喜ぶ土産を買うのは、大人として当然だ」

「たまがった。こんた、ドラコさぁち呼ばんな」(様付けして呼んだほうが良いだろ、これ)

「じゃっどん、先代サァ直々のご依頼や……」

 

 二人は目を丸くしてニシサツマ島の言葉で何か話し合っている。ドラコの大人らしい態度に感銘を受けたに違いない。

 

 ドラコは二人と明日も遊ぶ約束をして別れ、順路を再び進んで両親と合流した。

 ここは魔法族しかいない避寒地だから、島民も全員魔法族だ。ドラコが彼らと仲良くなっても問題ない――むしろ褒められるかもしれない。仲居らのように気配りができて屈強なニシサツマ人をマルフォイ家で雇うことができたら自慢になるし、あのうるさくてみっともないドビーなど用無しになる。

 

 翌日も、そのまた翌日も、龍平たちは島のことをたくさん教えてくれた。おかげでニシサツマ島の恋物語――16世紀、奴隷として連れ去られた恋人を追って太平洋を箒で渡った魔法族の話だ――を両親に披露でき、ニシサツマ島に移住した動物学者からニシサツマ島固有種の危険性について講義を受けることまでできた。

 ナルシッサは情熱的な恋物語に「素敵」「憧れるわ」と大いに喜び、ルシウスはニシサツマ島の固有種について詳しくなった息子に満足した様子で、「だから観光地区から出てはならんのだよ」と言いながら何度も頷いた。

 

 しかしクリスマスイブ以降「学校の宿題があるから」と龍平にも松平にも会えなくなった。ホリデーに宿題があるのかと驚いたドラコに、「日本の学校では長期休暇にもたくさんの宿題が課される。ドラコ坊っちゃんが入るだろうホグワーツも休暇には宿題がある」と松平は肩をすくめた。

 

 ドラコの日々は突然色褪せた。

 

 クリスマスは家族がともに過ごす期間だとはいえ、ニシサツマ島はこんなにも暖かい。大人しくなどしていられない――だが、一緒に遊ぶ相手がいない。

 観光地区をあちこち一人で歩いて回るも、いるのは大人やドラコよりもいくつも年下の子供だけ。ドラコはしばらく彷徨(うろつ)いて……動物学者の家を訪ねればいいのだと気づいた。

 

 つま先をそちらに向けて歩き出せば、向かう方向にフクロウが飛んでいくのが見えた。

 

「ちょうどこれから一般地区に行くところで……。申し訳ないけれど、明日でもいいかい」

 

 観光地区の商店街から歩いて十分ほど。動物学者の家の前には荷物を抱えた学者本人がおり、今から一般地区に行くからドラコの相手はできないと謝った。

 ドラコは諦めず食い下がる。

 

「危険だとしたって、先生と一緒なら平気だろう? 僕はちゃんと先生の後ろをついて歩くし、悲鳴を上げたりして生き物を刺激したりもしないぞ」

「それでもいけない。お話しただろう、一般地区には島の危険な固有種がうようよしているんだと。坊っちゃんは観光客なんだから一般地区に入ってはいけないんだ」

 

 ニシサツマ島は三つの区画に分かれている。ドラコたち観光客が安全に過ごせる「観光地区」、島民が暮らす「一般地区」、ニシサツマ島固有種の保存や保護のため置かれた「保護地区」。

 強い守りの魔法で囲まれた観光地区と違い、一般地区では危険な魔法生物が獰猛な隣人として解き放たれている。人の生き肝を振り回し奪い合うという二本足の生き物や、音速の鉛玉を撒き散らす死の箒、あちこちから響く鼓膜破りの奇声と打撃音はまだ良い方で、体長5メートルを超える獰猛な巨狼や、他の動物の幼体――つまり子供――の目玉を好むキツツキ、夫婦関係を破滅させる二本足のバイコーンなどもいるらしい。

 

 聞くだに恐ろしい危険な場所だ。だが、ドラコはそれでも一般地区へ行きたかった。

 動物学者の話を聞けないなら、一般地区に住んでいる松平たちに会いたい。

 

 ――訓練場で楽しげに生き肝を投げ合う島民、狂気的な奇声を発しながら太い枝を束ねたものを棒で殴り続ける島民、書籍で見た「銃」だろうものを先端に括り付けた箒で追撃もとい追いかけっこをしている島民と巨大な狼。ドラコを狙って現れたキツツキは「ケーッ!!」なる奇声と共に島民に斬り捨てられ、ドラコの頭にびしゃびしゃと鳥の血がかかる。

 一抱えもあるキツツキの首がドウッと地面にバウンドし、ドラコを見上げる。

 

 悲鳴を上げることすらできず呆然と立ち尽くしていたドラコの背中を島民が勢い良く叩き、ドラコは血溜まりに両手と膝を突いた。

 

「ちんけな餓鬼がおっち思うたや――悲鳴ば上げんとは。将来が楽しみじゃ」

 

 ドラコには分からない言葉を並べる彼らはみんな笑顔だ。右を見ても左を見ても笑顔だ。

 観光地区と違う。違いすぎる。

 

「先生、ここは、本当に、ニシサツマ島なのか? 別の国ではなく……?」

「こここそがニシサツマ島なんだよ、ドラコ坊っちゃん。観光地区は外貨獲得のための特別地区だからね……」

 

 ドラコは知らなかったが、ドラコの祖父アブラクサスは遅くにできた我が子ルシウスを可愛がるあまり、危険や冒険から遠ざけて育てた。その結果が死喰い人である。アブラクサスは我が子の子育てに失敗したことを悟った。

 そして孫育ては失敗しないぞと意気込み、ニシサツマの首長に依頼をしたのだ。うちの孫を揉んでやってくれ、と。

 

 ドラコは――誘い込まれたからだが――自ら観光地区を出た。

 

 どこか離れた場所から「たんす(チェスト)ー!」と叫ぶ声が聞こえて、ドラコは考えることをやめた。




人の生き肝を振り回し奪い合うという二本足の生き物:島民
音速の鉛玉を撒き散らす死の箒:村○銃と箒の悪魔合体
あちこちから響く鼓膜破りの奇声と打撃音:島民
体長5メートルを超える獰猛な巨狼:新宿のあいつ
キツツキ:こんな怪物もきっといる
夫婦関係を破滅させる二本足のバイコーン:二本槍でケルトなイケメン

ケルト史学の教授まで話が進まなかった。

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