羽生結弦選手インタビュー その3&その4 -浅田舞のスポ友!
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フィギュアスケート男子の羽生結弦選手は3月11日の東日本大震災が起きたときに、仙台市のリンクで練習中でした。避難所生活を経て「スケートが楽しんだなって、改めて思いました」。
■ 美人よりかわいい人がタイプ
舞 好きな女性のタイプは?
羽生 うーん。
舞 男の選手には絶対に聞くの。みんなちゃんと答えてくれるから。おかあさんです。
羽生 うーん。芸能人では小さい頃からずっと上戸彩さんが好きです。
舞 へーっ、面食いだね。
羽生 美人か、かわいい人か、どっちがいいかって、聞かれたら、かわいい人が好き。あんまり身長が高くなくて、守ってやりたいっていう感じの人が好きです。
舞 16歳から、こんなこと言っちゃうんだ。
羽生 うーん。アハハハ。あと、あまり縛られない方がいい。
舞 フィギュアスケートをやっている人はどうですか?
羽生 基本はやっている人がいいです。
舞 へーっ、意外。絶対、いやだったから。
羽生 アハハハ。やっている人の方がいいです。
舞 選手は恋愛対象として見られない。アハハハ。フィギュアスケートではこれから、どうしたい?
羽生 もうちょっとで、仙台のリンクが再開されるから、そうしたら、合宿とか、仙台でやって。今は、とにかく体力がないので、つけたいなって。あとはプログラムを滑り込んでいきたい。
舞 東日本大震災の時、舞たちは名古屋にいたけど、真央も結弦君たち大丈夫なのって、心配していたよ。仙台だよねって、大丈夫なのかなって?
羽生 ありがとうございます。
舞 地震の時は仙台に?
羽生 うん。リンクで練習していました。地震が来た時に練習していたんです。逃げようと思ったけど、逃げ遅れてしまって。その前に、岩手県の内陸地震がずっとあって、震度3くらいの地震が続いていて、今回もそれくらいだろうって、思っていて。一般の営業中だったので、お客さんがいたんですよ。で、阿部(奈々美)先生と(一緒に練習していた)先輩の選手と3人でまずお客さんを出さなきゃと思って、そうやっているうちに逃げ出せなくなって、3人で、リンクの中でずっと揺られていました。リンクの上に天井のボルトとか、落ちてきました。天井の電球の近くからとか、落ちてきました。フェンスも揺れると、音がするじゃないですか。バーンとか。うちのリンクは、ガラス張りで、窓もドアも全部、ガラス張りだから、割れる音や、ガラスとガラスが当たる音がすごかった。全部、聞こえて、もう半端ではなく、こわかった。壁の部分がバシャっと出てきてしまったり。柱が曲がっているのが見えたし、壁が崩れました。あとで停電になっちゃって、リンクの氷が溶けちゃったんです。あーっ、今でも鮮明に覚えてますね。その後に、逃げようとしたんですけど、足が動かなくて、出られなくなっちゃったんです。ずっと揺られていて、足がこわばってしまって、立てなくて、そのまま四つんばいで、はっていきました。スケート靴を脱がなきゃいけないなって思って、安全な場所に移ってすぐに、靴を脱いで、靴下一枚で、それに半袖だったんですよ。ちょうど外は吹雪になっちゃったんですよ。だから、すごく寒かったんですよ。靴もないし。
舞 けががなくて良かったよね。
羽生 はい、それは全然、問題ないです。
舞 その後は避難所へ?
羽生 そうです。家から歩いて45分くらい。避難訓練とかで、避難所だといわれていた場所が家から歩いて、5分かかんないところにあったんですが、そこに行ったら、「ここじゃない」って言われて、いろいろ荷物を抱えていたんで、それを持って、45分くらいかかるところまで行って。そこに、たくさんの人がいたんで、(与えられたスペースは)2畳くらいかな? そこで、自分と母と姉と寝ていました。4日間、避難所にいました。
舞 その後は、おうち? 大丈夫だったの?
羽生 家は全壊の判定をされました。半壊に近い全壊っていうか。だから、周りに足場を組んで、シートがかかっていて、修理しています。やっぱり壁が崩れていました。お風呂の壁がずれて、崩れていました。亀裂が入って、危ないなって、感じでした。大丈夫とは言えないけど、住めないことはないです。
舞 スケートどころじゃないって、感じだったね?
羽生 そうですね。スケートをやろうって思わなかった。やろうって、そこまで頭がいかなかった。まず、これからの生活。電気が戻るか、水道が飲めるようになるかっていうのもあったし、最初は福島の原発事故のことは聞いてなかったんですけど、だんだん、仙台もどうなっちゃうんだろうというのも考え始めたし、大変でした。
舞 どこで練習を再開したの?
羽生 東神奈川(横浜市)です。10日後くらいです。そこのリンクに、お世話になっていて、一時期、八戸(青森県)のリンクが営業していたので、行ってみたことはありましたが、あとはずっと東神奈川です。
舞 震災にあってから、自分のスケートに対することとか、考えとかは、変わった?
今まで当たり前にできたりしたことができなくなって、何か変わったりした?
羽生 そうですね。スケートが楽しんだなって、改めて思いました。何だろう? やっぱり、4日間ですけど、避難所生活をしていて、やることがないなっていう気持ちだとか、そういう感情がすごくあって楽しくなった。調子が悪くても、ジャンプを転んでも転んでも、現実逃避じゃないけど、「楽しいな」って、そういう風に感じられるようになりました。だから、(震災の影響で)体を動かしてなくて、ずっと休んでいて、全然、ジャンプが跳べなくなっちゃったけど、でも、神戸のチャリティーショーが決まっていたから、それに向けて、頑張らなきゃいけないと思ったし、もしかしたら、これから練習していけば、もっともっとうまくなれるっていうのが、楽しみになってきた。
フィギュアスケート男子の羽生結弦選手は3月11日の東日本大震災で被災したことで「すべての部分で感情のレベルが1段階、2段階、上がったかなと思います。喜びであり、哀しみであり、つらさであったり……」と話しています。
舞 今、スケーターの人ができることって、ショーだとかになるけど、結弦君はどうやって、周囲を元気つけようとか、どういう風に思った?
羽生 仙台で避難している時は、ボランティアに行きたいなって、東北の選手としてではなくて、一般市民として、仙台市民、宮城県民として、沿岸の方々を助けたいなと思いました。地震がおきて、津波もおきたって情報が全然、入ってこなかったから、まず最初に家の中を片づけなきゃいけなくて、その後、避難所に行ってもまだ、情報とか手に入れる手段がなかったから、一晩過ごして、被害がおこっているのは、宮城県くらいかなと思っていたんですけど、次の日、起きたら、新聞が届いてたんですよ。驚きました。それで、何でこんな風になってんだろうって、もう初めて、テレビの映像を見た時とかは、本当に5日後とかくらいでしたが、現実のものとは思えなかった。自分たちが体験したことが、本当にこういうことになっていたんだってことが、信じられなかった。でも、今は、こうやってスケートを見てもらって、「元気が出たよ」っていう言葉をいただいているので、まず自分がやるべきことはこれなんじゃないかなと思っています。まず、できることを、僕しかできないことをしっかりやる。それをまずはまっとうしたいかなって思います。
舞 結弦君にしかできないことがあるしね。ショーではどんなところを見てほしい?
羽生 「ザ・アイス」はすごくほかの選手と組んで滑るのが多いアイスショーだと思っていて、ふだんはシングルの選手がリンクで一つになって、演技することが多いので、そういうところを見ていただいて、個人個人なんだけど、しっかり息を合わせて、滑っているっていうところを、日本に重ねていただけたらなって思っています。
舞 今年のプログラムは?
羽生 フリーは「ロミオとジュリエット」です。恋愛経験がそんなにないし、本当に難しいなって思いながら、やってます。でも、会えない苦しみだとかは、今回、被災してわかったし、それを伝えなきゃなっていう思いがあるので、それを顔の表情だとか、指先まで、本当にジャンプの時、跳んでる時でさえ、ちゃんと表現できるように、今シーズンはして行きたいなって、思います。ショートプログラムは芸術性を追求する感じです。最初の方は強い曲っていうイメージで、中間の方は穏やかな曲になって、また強い曲になる、切り替えがすごくあるので、そういうところを表情まで見ていただけたらと思います。ショートプログラムはジャンプも難しいです。4回転、4回転―3回転を組み入れて行こうと思ってますし、そういうところも一応、注目してほしい。
舞 レオナルド・ディカプリオ主演の映画「ロミオとジュリエット」は、これまであまりなかったと思うけど、難しくない?
羽生 難しいですね。作品が有名すぎるのもあるし、渡された時に、本当にこれを使いこなせるのかなって、重圧はありました。でも、逆に、使いこなしてやるって、思いました。愛だとか難しいものを表現しなければいけないのは難しいけど、自分のロミオとジュリエットという風にできたらなって思います。大ちゃんや崇ちゃんが使ったロミオとジュリエットとは曲が違うので、使っている選手を見たことはないので。期待が大きいと考えて、期待に応えてやろうと思っています。でも、難しい曲だけど、ストーリーがあるので、結構、曲に入っていけるんですよ。去年の「ツィゴイネルワイゼン」はストーリーがなくて、自分の中ですごく苦しかった。どう表現したらいいか。昨年は初めてプログラムに4回転ジャンプを入れたこともあって、ジャンプに意識がいっていて、余計に表現しきれなかったというのがあります。今シーズンはそれがなくなるように、まずストーリーを表現して、ジャンプとかも大事ですけど、一つの流れを重視したいなって思います。(被災して)すべての部分で感情のレベルが1段階、2段階、上がったかなと思います。喜びであり、哀しみであり、つらさであったり、それを今回のプログラムには組み込んであると思うので、つらさについては、スケートができないつらさだとか、何もできないもどかしさを、これ以上ないくらい感じたので、その感情がちゃんと演技の時の幅になるんじゃないかと思います。
舞 オリンピックの夢を聞かせて? 2014年のソチ。
羽生 ソチ、うーん。ソチは出られたら、いいなって考えています。もう一つ先は、ちゃんと結果を残したいなって、思っていますけど、ソチは出られるまでにたどりつけるか、どうか、だから。
舞 目標があるって、いいことだと思うよ。
羽生 そうなんですけどね。今、小塚君が別格になっているし、大ちゃんもいるし、織田君だっているし、無良(崇人)君だっているし、龍樹君だっている。いろんな人がいるから。
舞 でも、突然、状況は変わるからね。
羽生 まあ、そうですけど。今、考えていることは、今年は4回転をちゃんと決めて、まず試合で、ノーミスしたいなって、まず、そこからかなって思っています。
舞 頑張って、下さい。
羽生 はい。ありがとうございました。
舞 ありがとうね。
(終わり)
■ ひたむきな姿 応援
羽生選手はフィギュアの「次世代のエース」と呼ばれます。豊かな表現力に加え、4回転ジャンプも跳ぶ、恵まれた資質を持っています。
長く話をしたのは今回が初めて。「真面目」というイメージでしたが、「『しゃべってみるとアホだね』って周りからよく言われる」と語って、笑わせてくれました。明るいんです。
でも、東日本大震災について話してくれた時は、涙がこぼれそうになっていました。「自分が精いっぱい演技することで、皆さんに少しでも元気を届けたい」と話していました。
練習していた仙台のリンクが再開したのは7月末。調整が難しい中、シーズンに入ります。羽生選手のひたむきな姿に接し、「頑張って」と、心より思わずにはいられません。
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今季初戦となるネーベルホルン杯で優勝した羽生選手。
彼の実力からいえばこの結果はある意味当然ともいえるものですが、3月に仙台で被災して練習場を失い、生活のリズムも全て変わってしまった。一つの場所で集中して練習ができず、練習場所と時間を確保するためにアイスショーを渡り歩くという生活を送った羽生選手が、シーズン頭にこのような成績を修められたというのは奇跡に近いことです。
羽生選手本人に怪我がなく、ご家族も無事だったのは本当に幸いでしたが、ご自宅も全壊の判定を受けて不安もあるでしょうし、何より感受性の強い彼が震災の時に受けた恐怖とショックは彼に今後もつきまとうことになるでしょう。
最初はスケートをするという気持ちにもなれず、スケートを辞めることも考えたという彼が、会えない辛さという感情を伝えたいと話していたのが印象に残りました。
彼は心に大きな傷を負ったでしょうが、そこからしっかりと立ち上がってみせました。その時に感じた感情や心の揺れを、演技や表現を通して放出しようとしている。
それはフィギュアスケートという競技としても、羽生選手の表現する力にも大きな成長のカギになるでしょうが、彼自身もそれをやりきったと思えた時に人間としてもきっとものすごい成長を遂げるだろうなと思いました。
「この経験をバネに」などというつもりは毛頭ありません。そんな通り一遍のありがちなフォーマットにあてはめられるような規模の災害ではなかったですし、自分も被災した人間の端くれとして、彼が感じた恐怖や不安、極限の状況というのは多少なりとも共感できるものがあるからです。
彼は頭のいい選手ですから、この震災がなくてもきっと自分できちんと考えて大きく成長したと思います。ですがこの経験をしたことで、彼に更に大きな突破口が生まれたのではないかと感じました。
ただ、それはとても危ういものです。今でも当時の話をすると涙ぐんでしまうという彼の心境を察するに、間違った方向に向かってしまうと心を閉ざしてしまったり、逆に前に出て行けなくなる危険もまだあると思います。
ですが彼自身もその突破口が開いたことを自覚して、そこにあえて挑んで行こうとする姿勢を感じるので、このまましっかりと一歩一歩踏みしめて行ってほしいなと思っています。
頑張れ羽生選手!!
<参考リンク>
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