ウクライナ侵略、文化人の出国相次ぐロシアを日本の「反面教師」に…東京外語大・沼野恭子教授
読売新聞 / 2023年3月5日 10時0分
ロシア文学者、比較文学者。1957年、東京都生まれ。東京大大学院博士課程単位取得退学。著書に「ロシア文学の食卓」、「ロシア万華鏡」など。訳書にリュドミラ・ウリツカヤ「ソーネチカ」、アンドレイ・クルコフ「ペンギンの憂鬱(ゆううつ)」、ボリス・アクーニン「リヴァイアサン号殺人事件」、「ヌマヌマ はまったら抜けだせない現代ロシア小説傑作選」(沼野充義さんと共編訳)など。NHKロシア語講座の講師も務めた。(東京都内で)
ロシアによるウクライナ侵略が2年目に入った。著名なロシア文学者である東京外国語大学の沼野恭子教授は、この戦争をどう見ているのか。侵略の思想的・歴史的背景、ロシア文化への影響、そして日本がこの戦争からくみ取るべき点とは。(聞き手:デジタル編集部・長谷部耕二)
ロシア語話者のいるところはロシア
――日本の一般市民から見ると、「そもそもロシアがなぜ、ウクライナに侵略したのか」という基本的な疑問がある。
「ロシアをウクライナ侵略へと突き動かした原動力の一つに、『文化』がある。『文化』と言っても、ロシア国内の極右、愛国的なイデオロギーだ。戦争を起こす理由には政治、軍事、資源などがあるが、今回の戦争の根底にはイデオロギーが色濃くある。つまり、『文化』が後押しした形態の戦争と言える。
ロシアのウルトラ・ナショナリスト、極右思想家のアレクサンドル・ドゥギンという人物が提唱しているイデオロギー『ユーラシア主義(ネオ・ユーラシア主義)』に、プーチン大統領は大きな影響を受けたと言われている。ドゥギン氏はプーチン氏を強力に支持しており、プーチン氏の“頭脳”とも、“右腕”とも呼ばれている。
この『ユーラシア主義』は『ロシア世界』とも密接に関係しているのだが、これは『ロシア語を話し、ロシア正教を信じる人々が住んでいるところはすべてロシア』という極端な拡大主義だ。この考えに基づけば、『(ロシア語話者がいる)ウクライナも当然、ロシアになるべきだ』ということになる。
プーチン氏は侵略開始時の演説で、大義名分として、『ウクライナ東部ドンバス地方で虐待されているロシア語話者を助けるため』と語っており、これはまさに『ロシア世界』の考えに直結している」
――歴史的な側面は?
「ロシアという国のスタートは、9世紀頃にできたキエフ大公国にさかのぼる。自分たちの国・ロシア誕生の地が、『外国』のウクライナにあるというのは、極右愛国主義の人々には許せないことなのだろう。
また、ソ連崩壊時には、ソ連に所属していた14の共和国が独立し、ロシアが小さくなってしまった経緯がある。プーチン氏にはウクライナを併合することで、『大きなロシア』を復活させたいという帝国主義的な野望もあると思う」
成功体験重ね、「独裁力」高めたプーチン氏
――プーチン氏がウクライナ侵略に踏み切ることができた背景には、ロシア国内の政治状況も関係しているのではないか。
「プーチン氏の『独裁力』が高まっている。2000年に政権に就いてから、数々の成功体験を重ね、独裁支配を盤石にしている。
特に大きな成功体験は、14年にウクライナ南部クリミア半島をあっという間に軍事力で併合できたことだ。また、11年12月の下院選直後、不正疑惑が出て、翌12年3月の大統領選まで、大勢の市民が街頭デモで『プーチンのないロシアを』などのスローガンを掲げて戦ったにもかかわらず、力でねじ伏せることができたことも大きい」
――そんなプーチン氏を普通のロシア人は支持しているのか。
「独立系の世論調査機関『レバダ・センター』でも、70〜80パーセントの人が支持するとの結果が出ているが、どれぐらい実態を反映しているかは分からない。
一般市民にとっては、ソ連崩壊後の1990年代の政治的混乱や経済的苦境で悪夢のような日々を過ごしたが、2000年代に入り、プーチン氏が政権に就いた後、石油や天然ガス資源の力で経済的に安定し、新興5か国(BRICS)の一角にもなった。庶民には『ロシアが経済的に繁栄した』ように、生活実感としては見えたことから、プーチン氏を支持している人が多いと思う」
「大祖国戦争」の記憶に働きかけ、恐怖あおる
「プーチン氏は明らかに今回のウクライナ侵略と第2次世界大戦、ロシアで言う『大祖国戦争』をダブらせようとしている。ロシアでは、2000万人以上の犠牲を払った上で、ナチス・ドイツに辛勝したこの戦争の記憶がまだ根強く残っている。大きく傷付いたトラウマであり、ものすごく大きな誇りや栄光体験でもある特別な戦争だ。
だから、『NATO(北大西洋条約機構)軍が攻めてきて、ウクライナを取られてしまう』『ウクライナにはネオナチがいる』などのプロパガンダ(政治宣伝)で恐怖をあおって、高齢者を中心に、過去の記憶を思い出させようとしている。
政府統制下の新聞やテレビしか見ない高齢者はプロパガンダを信じているが、若者層はSNSで入手した情報で、政府の宣伝だと分かっているので、国外に出て行く人も多い。このような形で、世代間の分断が起きている」
文化人が多数国外へ…反戦活動を続ける
――文化人の動向は?
「反戦を主張する数多くの著名な文化人がロシアからの出国を余儀なくされている。
毎年のようにノーベル文学賞の候補に挙げられる作家のリュドミラ・ウリツカヤさんは侵略直後、いち早く反戦メッセージを出したが、言論統制が厳しくなり、ドイツに出国した。小説『メトロ2033』がゲームにもなったSF作家ドミトリー・グルホフスキー氏は出国後、追い打ちをかけるように、当局から指名手配された。日本でも有名な歌「百万本のバラ」で知られる歌手のアーラ・プガチョワさんもイスラエルに渡った。ノーベル文学賞を受賞したベラルーシの作家スベトラーナ・アレクシエービッチさんは親露政権下、3年前に国外に出た後、帰国できない状況が続く。
彼らは国外から、SNSや出版などを通じて、反戦活動を続けている。クリミア併合後に英国に出国した人気推理作家のボリス・アクーニン氏は侵略後、有名なバレエダンサーのミハイル・バリシニコフ氏らと「本当のロシア」というプロジェクトを開始し、ウクライナ難民支援の募金活動などを行っている。
ロシア文学では、詩が昔から別格の地位を持つ。戦争開始から2か月後に、早くも反戦詩集がイスラエルで出版されており、詩人のアレクサンドル・カバノフ氏(ウクライナ人)やカナダにいるベラ・パブロワさんは頻繁に詩を発表している。
多数のロシア文学者が母国を離れているため、今後、新たな亡命文学が出現するのではないか、とまで言われているほどだ。芸術家、映画作家などの反戦活動も続いている」
再び加害者にならないために、ロシアの逆を行く
――ウクライナ侵略を受け、日本人は何を考えるべきか。
「軍事や政治の専門家の方々が『日本がウクライナのように侵略されたら、どうするべきか』という議論をされているが、私は日本が被害者でなく、加害者になる場合のことを想像し、そうならないためには何をすればいいかを考えたい。
過去の歴史を振り返れば、今のロシアは満州事変当時の日本とよく似ている。日本は『鉄道が爆破された』という一方的な理由で戦闘を開始し、国際社会から批判を浴びても中国侵略をやめなかった。日本の将来のためには、ロシアのような国際社会から非難され、強権的な独裁国家に再びならないことを考えるべきだと思う。
では、どうすればいいのか。ロシアと逆のことをすればよい。現在、ロシアでは学校で洗脳まがいの愛国・軍国教育が行われ、マスメディアではプロパガンダが垂れ流され、市民も弾圧されている。だから、日本は教育や学術研究への政治介入を防ぎ、言論の自由を守り、過剰な国家主義を戒めることが重要ではないか。
ロシアには、同性愛を広めるような内容の報道、映画や小説を禁じ、性的少数者(LGBTQ)を規制する法律がある。日本では今、同性婚の論議が高まっているが、男女平等も含めて、人権の尊重も大切だと思う。
遠回りなようだが、軍事大国になるのではなく、民主的な開かれた社会をつくり、独裁者を出さないことが、国際的な地位を高め、最終的に平和を守れる国になる道なのではないかと考えている」
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