第2話 燦月町へ

 芽黎五十二年四月二十七日、土曜日。

 半ドンで終わる今日の午後の予定は燈真にはない。というのも昨日クラスメイトで、今日会ったらしれっと昨日のことなどなかったかのように挨拶してきた椿姫と退魔衆に行く約束があるからだ。

 これについて県立燦月桜花高校では、高嶺の花と不良少年の会話にあらぬ噂が立ったりもしたが、幸いにして二人ともそうした周りの意見には興味がなく、さっさと学校を出てそれぞれの時間を過ごしていた。

 制服をスポーツバッグに畳んでしまい、持ってきていた春物のパーカーとジャージ生地のズボンに履き替え、燈真は業後の時間を潰していた。


 午後八時半までの間、燈真は古本屋でたっぷり吟味して買った三〇〇葎貨りっかの文庫本を一冊手に、同じビルの地下一階にある喫茶店でのんびり過ごすことにしていた。

 この店には昔から来ていた。幼稚園児くらいの頃初めてきて、朧げな記憶の中でお子様ランチを食べていたことを覚えている。

 化け狸の初老……といっても、人間換算年齢なので実年齢はもっと上だが、そんな妖怪が個人で経営する店で、知る人ぞ知る名店である。


「新しいバイト先だって? うちも寂しくなるねえ」

「今日面接……多分ですけど。……予想じゃ退魔衆です。さっき話したでしょう、昨日のこと」

「魍魎に襲われたってね。危ないことはしないでもらいたいもんだが」

「ここの給料が悪いわけじゃないけど、一般のバイトじゃ労働時間に制限があるでしょう。でも退魔師なら別です。様々な越権が許される退魔師になれれば、稼ぎもは安定します。保険金・・・だって無限じゃないんですし。それに高校生の一人暮らしって、色々大変なんです」


 燈真は訳あって、高校生の身でありながら一人暮らしをしている。両親はおらず、頼れる親戚もいないので一人で暮らすよりほかないのだ。

 訳というのは両親、そして妹との死別だ。死亡保険金と放浪癖のある叔父が珍しくそばに居てくれたおかげで今まで暮らせていたが、お金は無限に湧いて出る物ではないし、蓄えられるのなら蓄えておくべきだということくらい高校生にもなればわかる。

 両親は燈真が小学校三年生の頃、妹の塾を迎えに行った際に事故で死んだ際、周りの大人は両親の保険金を目当てに燈真に近づいてきては耳障りのいいことを言って引き取ろうとした。


 そこに待ったをかけたのが自称小説家の——実際は官能小説を書いていた——叔父・漆宮悠真ゆうまだった。

 先に亡くなった兄にして、純血の妖怪であった兄・和真かずまが我が子のように可愛がっていた燈真を悠真も気にかけており、また弟である燈真の父とは大人になっても酒を酌み交わすほどの仲であったこともあり、周りの意見を押し切って燈真を引き取った。

 放浪癖があるとは聞いていたし、実際父が存命していた時も燈真の家に遊びに来るのは不定期だったが、燈真が中学を卒業するまで——つい最近まではずっと家にいて勉強や剣術を教えてくれていた。まあ、必要のない余計な知識はその倍以上与えられたが。


 けれど燈真が自立できるくらいの歳になり、悠真は「取材だ。子供には刺激が強い」などと言って放浪の旅に出た。官能作家の叔父が何を探る旅をするのか、どうせ爛れたことだろうと思っているので知りたくはないが、危ない綱渡りはしていないと思う。


 燈真はマスターが他の客と話しているのを尻目に、買ってきた古本を開いた。

 こことは違うパラレルワールドを舞台にした小説で、そこには裡辺という土地がない日の本が拡がっているという設定だ。

 大妖怪の子孫が最強を目指して成り上がるハーレムを冠した小説だが、内容は細やかな精神的成長とリアリティのある仕事風景を描いた、妖怪モノにこういうのも少々変わっているかもだが、ドラマ性のあるヒューマンドラマ感の強い小説である。

 最近最新刊が出ているが、新書より古本で買った方が安いという貧乏根性で燈真は昔から通っている古本屋を贔屓にしていた。


 頼んだエスプレッソを砂糖もミルクも入れずに飲む。

 アラビカ種の豆の芳醇な香りが鼻から抜ける感覚を楽しみながら、コクのある苦味に舌を晒しつつ本のページを捲る。


 裡辺皇国は世界的に見て魍魎事件・怪異事件・呪術師犯罪が多い土地であり、一七万六四〇〇キロという面積の中でありながら多くの退魔師が必要とされる。

 一般市民にも自衛を呼びかけており、簡単な妖力操作で使える護符や炭素刀などの護衛用道具の所持を推奨していた。もちろんそれで人を傷つければ暴行罪、傷害罪で立派な犯罪であり、ブタ箱行きである。


 喫茶店に来る客は馴染みの大学生くらいの女性と、リタイアした六十代くらいでありながらしっかりと背筋の通った恰幅のいい犬妖怪、マスターのベーグルが好きなマダムや、近所の親子連れくらいだ。

 マスターも資産家に生まれて、本業は株やなんかなのだが、それももう子供に引き継いでリタイア。今はのんびり喫茶店をやって過ごしているので、焦りもなくゆったり仕事をしていた。


 つまりなんらのんびり暇つぶしをしていても文句を言う者はいない、ということだ。


 燈真は途中で抹茶のシフォンケーキを頼んで、夕食にパニーニをオーダー。

 それらを食べて午後八時、レジでお金を払って外に出た。


「面白かったな、本。……駅前のどこだろ」


 椿姫から駅前に来いとだけ言われたが、そもそもどちらの方角なのか聞いていない。昨日の位置的に考えた場所に行けばいいのだろうが、違っていたら迷惑だよなあという気もする。

 まあ行けばいいだろうというくらいの図太い神経で燈真は乗り切ることにして、少し冷える裡辺の春の夜を行く。

 

 燈真は勝手知ったる地元の道を行き、駅前についた。時間は八時二十分。待ち合わせには少し早いが、遅れてくるよりはマシだろう。

 ややあって、その七分後くらいに椿姫がやってきた。寒がりなのか冬物っぽいニットを着込んでいる。


「お、先に来てた。待った?」

「ほんの少し」

「こういうときは『今きたところ』っていうんじゃないの?」

「恋人ならな。それより今日行くところって退魔衆でいいんだよな」

「そう。退魔衆燦月支局。燦月町まで行く。一応公務だから、あんたはお金出さなくていいからね」


 公務。やはり退魔師になるための面接だろう。

 退魔衆は正式には退魔局という公的機関の一種であり、退魔師は公務員。さまざまな越権が許され、在学中にも公務員になれるという特異性からもそれがわかる。


 ヒトが吐き出す負の感情がわだかまり、折り重なって生まれた魍魎は五等級であっても一般人には危険な存在だ。妖力を纏った攻撃でなければショットガンの弾雨を浴びせてようやく足止めできるくらいなのだ。それが、棒切れ程度の自衛でどうにかできるわけがない。

 それでも裡辺がそれを推奨しているのは、ここが妖怪中心の国であるから。


 妖怪は生まれながらに妖力への高い適性を持ち、少しの訓練で簡単な結界術や妖力纏いができる。つまり、子供妖怪でもなければ五等級くらいの魍魎、どうにか撃退できるのである。

 しかし、最低等級で『どうにか撃退』だ。それが四等、三等ともなればやはり妖力の扱いに秀でた退魔師に頼るほかない。


 退魔師はこの国の財産。それはテレビでも新聞でもよく言われることで、いわばヒーローのような扱いもされる。

 特等級という最高等級の退魔師ともなれば一人で軍事バランスを左右しかねないほどに強いと聞くが、そこまでいくと妖怪というより化け物だ。


 切符を券売機に通し、プラットフォームで少し待っていると列車がやってきた。燈真たちはそれにのって燦月町まで向かうことにした。

 過ぎゆくビルの灯りがSF映画のパルスビームのように過ぎ去っていき、燈真は自分が見知らぬ領域へとトリップしていくような感覚に陥った。

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